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2011年11月 5日 (土)

三木金物まつりに行きました

ここ数年、毎年のように訪れている「三木金物まつり」
神戸電鉄では、三木金物まつりの企画乗車券を販売するなど粟生線存続問題もあり、いろいろと関係方面の努力がされています。
11/5は、あいにくの雨模様でしたが、会場である三木市市役所周辺は大賑わい。
雨が結構激しくなっていたこともあり、三木市役所内にある展示なども見ておりました。
以前に2回ほど、三木金物まつり写真コンテストの表彰式で来た場所でもあり、市内の小中学生の絵画コンクールの入賞作品も行われており、秋祭りの屋台(布団太鼓)や、市内の名所や年中行事が描かれていまして、金物まつりも子供たちにも人気がある行事であることが感じさせられました。
ここで、見つけたのが「神戸電鉄粟生線」のポスター。
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今年、神戸電鉄・神戸電鉄粟生線活性化協議会が募集し、私の作品が入選したことはKISS fMのホームページでも発表されましたが、ポスターになったかどうかは知りませんでした。
たしかに、入賞作品は駅ポスターになると聞いていたのですが、春に見たポスターには掲載されておらず、神戸電鉄の粟生線は結構利用しているのですが確認はできておりませんでした。
三木市役所に掲示されていた2枚のポスター(のうち右側のポスター。右下にある「鬼追」の写真が私の作品です)には私の作品が名前入りで掲載されていました。

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KISS FMのロゴの真上にあるというのはご愛嬌?

画像はクリックで拡大されます。

NIKON D700  28-75mm F2.8

2011年1月撮影 三木市大宮八幡宮

(2011年3月 神戸電鉄粟生線フォトコンテスト 入選)

2011年5月22日 (日)

神戸市東灘区は地車30台以上を有す村落文化の残る街

神戸市東灘区の5月の祭礼で、最後になるのは御影の御影石町地区(浜石屋・上石屋)と御影塚町地区(東明地区・・とうみょう)

今年は5月21日、22日が例祭です。

ここで平成11年に私が撮影した写真と比較してみましょう
http://www.rokko.or.jp/users/danjiri/mikageishiya/toumyou.html
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現在は、このような形です(平成23年5月21日 休憩中に撮影)
神戸の地車は、外ゴマ、山形提灯、播磨の祭りなどと共通する豪華刺繍の幕をつけた幕式ということがあると思います
平成11年のときは、地車復興を遂げて間が無い時代でした。
復興といっても、阪神淡路大震災ではなく、第二次世界大戦の戦災からの復興です。
神戸市東灘区は、戦時中は神戸市ではないのですが、深江には新明和などの軍需工場があり 神戸空襲の標的となった
被災地でした。したがって、旧村落でも海側の被害は著しく地車の多くが消失しました。
高度成長期には、祭りそのものが低調化し、本住吉神社では、各地区の地車小屋にあっただんじりを境内に小屋を建てて終結を考えたのも国道2号線に面しているため、交通事情で宮入が出来なくなることや、祭りが出来なくなることを危惧されたからでした。
今では、想像もつかないことでしょうが、だんじりの廃絶を危惧し、神戸市教育委員会が「神戸の民俗芸能(東灘編)」を出しているのですが、このような、当時の背景から生まれたのです。
昭和から平成になった頃から、戦災で消失した地区の地車も復興の波が寄せられ、平成の奉祝パレード、そして震災復興や区の50周年、60周年など、つらいときも、喜びのときも、だんじりで終結。大都市の区で30台以上のだんじりが曳かれているというのも珍しいと思います。それも、自治会単位ではなく、江戸時代の村単位に地車はあります。

修理をするだけでなく、元の姿に戻そうとか、幕を新調したり、地車の大規模修理が続けられていますので、毎年写真を撮るのも意味があると思います。
だんじりを撮影していたおかげで、震災前のなつかしい街の風景も残っています。
だんじりまつりがないと、民家や商店街の風景も撮影する機会も無かったと思います
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その、東灘のだんじりは、今年は「震災復興・復興祈願」の提灯をつけて運行しているのですが、(上記は東日本復興祈願の山形提灯をつける東灘区本山・中野地車・・保久良神社例祭5/5撮影)
戦後復興時には法被を揃えられなくても、それぞれの工夫した衣装で祭りをしている写真が残っていたり、平成7年の阪神淡路大震災のときには5月の例祭は中止したものの、9月の秋祭りには震災復興の提灯をつけて、がれきも残る東灘の街にだんじりが通ったことを今でも忘れることができません。

心に残る伝統行事は継続して残していきたいものです。

2011年5月16日 (月)

2日間神戸まつりに行きました。関係者を装う?醜い迷惑カメラマンを発見

今年も予定通り神戸まつりのメインフェスティバルに行きました。

また、前日(5/14土)には、兵庫区の新開地パレードに行きました。

会場で配布される神戸まつりのプログラムにも、私の写真が採用されていました。

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今年は、ポスターに採用された写真がプログラムまで使われていたことになります。
参考 昨年の神戸まつりフォトコンテスト入選作品展
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-5144.html
今年も写真撮影の目的がありますので結構早くから会場におりました。

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写真は10時30分頃のラジオ関西おまつり広場、ステージは音響のチェック中。店舗ブースは準備中でそのエリアには入れません。

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結局本年入手したのは、ワタナベフラワーの「走る男」のCDを購入したことや、コーベアーのイラストの入った団扇、それと番組表を貰ったぐらい。
ラジオ関西本部前では、井川宏之先生にお会いしました。写真担当として神戸市長に随行されておられるようで、黄色のスタッフのユニフォーム姿でした。

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朝11時の神戸まつりオープニングには、フラワーロードのサンテレビ中継席でも出演中の市長を撮影されておられる様子でした
神戸まつりの公式カメラマンは大勢おられるのですが、帽子とTシャツで関係者とすぐわかりますし、一般見学者の邪魔になることはそれほどありません

ところが、下記の写真をご覧ください。

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兵庫区の「新開地パレード」 迷惑なカメラマン(関係者を装いパレード道中への立ち入り禁止を逃れていると思われる:本文参照2011/5/14撮影)

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(写真):私服で、2台の1眼レフ・・写真しか撮影していないのに「会場整理」の腕章
しかし、前日の新開地パレードでは、関係者を装ったような変な腕章をつけたカメラマン(おそらく市職員ではなくアマチュアカメラマン)非常に迷惑な動きですが腕章をしているので誰も文句をつけません。
良く見ると「会場整理」。この人物は写真を写しているだけで会場整理をしているとはとても思えません。どこかの町内会関係かと思いましたが全部の団体を興味本位で撮影しています。
もちろん、過去の新開地パレードやメインフェステイバルでは、このような姿を見たことは無く、念のため湊川公園で聞きますと「関係者は黄色のTシャツ着用」ということでした。井川宏之先生のような名の通った写真家でも公式カメラマンはユニホーム姿なので当然と思います。
そういえば湊川公園で会場整理している人は黄色のTシャツでした。会場整理の腕章も微妙に感じが違う。そこまでして写真を撮るのかと思いました。会場整理の腕章は市販されていますので悪用しているのではと思いました。団体名も入っていません
沿道にいるカメラマンからもヒンシュクをかっているみたいで、あれは偽者関係者だと警官に文句を言っている人がいました。
昨年も、相生ペーロン祭りのパレードで、マナーの悪いアマチュアカメラマンの様子をレポートしましたが
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-527c.html
今回は、騙しているのなら、さらに悪質だと思いました
私は、沿道から望遠で撮影なのですが、このような人は必ず広角で近寄ります。
そういう作品が好まれることに問題もあるように思えてなりません

もしこの方が本物の関係者なら「本来の仕事(会場整理)をして欲しい」「決められた帽子やTシャツを着て欲しい」「自分さえよければいいという撮影はしないでほしい」と思います。
神戸市も、もし公務員がこのようなことをしていたら問題と思います。

ちなみに、関係者で写真撮影されている方は、ほかにもおられますがまともな服装で、醜い撮影はされておられません。そのため、偽モノ関係者とみなされます。
会場整理の仕事に写真撮影が入るわけがありません。私はこの人物を疑いましたので顔写真・撮影の様子は多数撮影いたしました。

なおラジオ関西のステージの司会は林真一郎アナウンサーと、ミュージックヘッズに出演の浜本愛里さんでした。

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2010年9月 1日 (水)

大阪の日本橋でんでんタウンの自動販売機

この夏ひさしぶりに、大阪の日本橋でんでんタウンに電子部品を求めに行きました
昔は、暇さえあれば新しい電気製品や電子パーツ・ジャンク情報を求めて日本橋に行ったものです。
パーツ類は社会人になると、技術者としてシャープに勤めたこともあり街との関係が変化し、主にアマチュア無線機器などを求めるようになりました。高校教諭になってからは、業界の人間ではなくなり、電子部品などもお世話になるのですが、学校での購入となると東京の業者などが中心となっていました。今回はひさしぶりの製作意欲ですので、1日をかけて回るもので、このような買い物もひさびさです。いつもは立ち寄って1時間も見ておらず、それもパソコンものがほとんど、最近ではカメラに気がとられているので、ひさしぶりの製作目的です。
日本橋とは、小中学生のころから40年近くのつきあいになるが、当初は電気を扱う古本屋の類が残っており大手の店舗でも中川無線、ニノミヤ無線、上新電機に東亜エレシャックなどパーツや無線機を扱う店が多かった。

現在残っているのは上新ぐらいであるが、上新も昔はアマチュア無線機器も扱い、ニノミヤのエレホビーと隣接していたのでそれはそれなりに楽しい時代であった。
ところが、家電販売が郊外型店舗で安売りを行う大型店舗が主流のようになりこの街も苦戦を強いられ日本橋も大きく街がかわった。
一時期は食事にも困る街だったが、マクドや牛丼屋、コンビニも増えた。しかしそれは電気店の店舗が撤退した跡地のようで少し寂しい感じを受けた。
ところが、最近は「電子部品の店舗」が増えてきており、中にはとんでもない自動販売機も見受けられた。また気分新たに新しい日本橋とのかかわりができそうである

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自動販売機 売っているものに注目

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拡大写真を追加しました。自動販売機商品の必要性より話題づくり?店が閉まっているから買うという人は少数では?(電子部品・抵抗の自動販売機)

以下は増えつつある電子部品ショップの写真

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2010年8月 1日 (日)

送られてきた表彰状(趣味のアマチュア無線関係)

最近は、写真コンテスト以外の賞状がよく送られてくるようです。

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この賞状は、アマチュア無線のJAG(ジャパンアワードハンターズグループ)という、アマチュア無線のアワード(賞状)を集めるクラブから、正会員30年の表彰です。アマチュア無線の交信で得る賞状を集め、こちらのほうは国内外から350枚以上を得ており、古くは米国のCHC、ドイツのDIGという賞状愛好者の会員にもなっています。

JAGは社団法人日本アマチュア無線連盟(JARL)の登録団体(クラブ)でWEBは下記の通りです。(ご参考)

http://www.jarl.com/jag/

デジタルカメラをやっていても、写真コンテストに応募し、賞状をあつめようとするのは趣味の部類になるのかもしれません。こちらは始めて3年ほどですが写真の賞状も100枚は超えています。

ついでにいうと、資格検定試験の免許証、認定証、合格証書の関係も200枚は突破。しかし、これらも40年以上の集大成となると(子供のころからの積み重ねにすぎないのですが)継続は力なのかも知れません。(このあたりはプロフィールや私の作成WEBをご覧ください)

2010年2月 1日 (月)

カメラのレンズが増えてきました

私のカメラはNIKKON D80とD300を使用し
当初レンズは NIKKOR AF-S ZOOM DX18-200 F3.5-5.6G VR(換算すると27-300mm相当)
ほかにNIKKOR AF-S ZOOM 70-300 F4.5-5.6G VR (450mm相当) 
ニコンの純正を揃えていたのですが 昨年9月にKENKO製500mmF8固定の「ミラーレンズ」およびスリービーチ社製800-1250mmF9.9-15.6という「超望遠レンズ」を購入したことまでお話しました。
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-42eb.html
もちろん、このレンズはマニュアルで、現在も所有しています。
使い出して、500mmのものは、実質750mm相当になり、1250mmのものは1875mm相当になりここまでくると、大きくなりすぎて使えるものが限られるのと、動いている鳥などを写そうと思うとマニュアルでは対応することが難しいことがわかってきました。
1850mmのものでは、フォーカスリングを数回転させなければならないのと、狙った場所がわからなくなってしまうことが多く、もう少し倍率の低いものでオートフォーカスが有効のものをと思うようになりました。

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写真は、タムロンの200-400mmF5.6。インターネットオークションでの購入です。(300-600ミリ相当になります)
ズームが回転式でなく直進式ですが、F値は5.6で固定のようです。F5.6なのでオートフォーカスが可能です。
そうしているうち、明るいレンズが欲しくなり、安価なタムロンの28-75mmF2.8を購入。ただし28mmですので実質42ミリ相当となり広角側が少しきつい(当たり前か)感じ望遠領域のF2.8は高く、中古で70-210mm F2.8のシグマのレンズを購入。

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D300についているのは70-210mmF2.8

さらに、レンズ沼にはまり 単焦点60mmマクロ、35mm、50mm、85mmの中古レンズを揃えました。

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D300についているのは60mmF2.8マクロ

今回は35mmフルサイズ機のD700購入を見送り、レンズを揃えてしまいました。現在のD300などはそのまま残し、D700(もしくは後継機)購入を検討しています。

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500mmミラーレンズとニコン70-300mm

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スリービーチ社製800-1250mmF9.9-15.6

2009年11月 1日 (日)

地車写真というこだわり

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上記の写真の小冊子は、私が30年以上前に入手した
地車のバイブル的存在「地車分布地図(試作版)」
昭和51年7月製作 著者は徳永道彦さん。

地車マニアの方ならご存知の方も多いと思います。

長い間、この資料を頼りに地車を追いました。

私が、徳永さんとはじめてお会いしたのは
私がまだ小学生の頃 昭和40年代後半のことだったと思います
すでに、このブログでも述べたように、当時の神戸のだんじりは存亡の危機に瀕し、神戸市東灘区でも、本住吉神社でもだんじりが出れなくなっており、サンテレビでも神戸大学教授であった中村茂隆先生(当時の神戸市民俗芸能調査団副団長)のレポートする神戸の「だんじりをたずねて」が特別番組として放送された時代でした。(提供は神戸大丸・・録音のみ所有)

実は、私の住む東灘区本山地区(保久良神社氏子地)は、他の地域がだんじりで出さなくとも、伝統を守り続けるため地車のまつりを続けた地域で、必然的にここには地車を愛する人たちがここに集まったという時代でもあったのです。

徳永さんは、当時は珍しいニコンの高級一眼レフをアルミケースで持ち運ぶアマチュアカメラマン。
歯科医の先生で子供ごころにも道理でと納得したのを覚えています。
私は、当時から 清水均さん、村井正則さんという後に「兵庫地車研究会」の方々と交流があり、その縁でこの資料をいただきました。

この資料は、近畿地方に存在する「地車」のリストで、祭りの日、神社名、台数、情報源などが記載されています。
徳永さんの記述によりますと、「地車の勇士をカメラに収めたい、しかしどこに行けば地車の出る祭りがあるかわからない」ことから、警察、教育委員会、観光協会、神社、友人・知人の情報というありとあらゆる手を使い製作されたようです。
私は、清水均さんのところに出入りしているときから、徳永さん撮影の写真を見せていただいており、直接的にも何度がご挨拶をさせていただいた程度なのですが、その紳士的なカメラマンの風貌、作品にもだんじりそのものに対する愛情がわかるようになり、さらに「きれいな写真を撮られる」ことから、私のその後のだんじり写真にも大きな影響を与えた方でもあります。

このことは、多くの思いを書くより、下記の著書をごらんになるとよくわかるのではと思います
神戸市内の図書館には置かれています。

「住吉大佐―彫 地車彫刻の美」
徳永道彦  編 兵庫地車研究会
ISBN:9784877872618
http://books.livedoor.com/item/1669142

神戸市図書館情報ネットワーク 蔵書検索システムによる表示
https://www.lib.city.kobe.jp/opac/opacs/find_detailbook?kobeid=CT:7000176314&pvolid=PV:7000308331&type=CtlgBook&opt=

まつりに参加する人の表情だけでなく、町並み、そしてだんじりの構造や彫刻・装飾品を重視する姿勢が、このような地車彫刻という写真集まで出版されているように思えます。

2009年10月25日 (日)

明石西部の大太鼓だんじり、布団屋台

地元兵庫のお祭りネタです。

山陽電鉄が発行する山陽沿線GUIDE「エスコート」2009年10月号によると「山陽沿線秋祭り」の最後として10月第4土日に行われる明石市西部の秋祭りとして住吉神社(山陽魚住駅下車)の「大太鼓だんじり」と、御厨(みくりや)神社(山陽東二見駅下車)の「布団屋台」が、それぞれ特徴的であったり、珍しいものとして書かれていたので興味をもった。山陽魚住駅下車南徒歩5分の海岸沿いに住吉神社があり、いきなりこのような看板を見た

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大太鼓だんじりの表記ではなく「屋台」。もっとも看板にはこれでないと一般的に通じないからであろうか?

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早速巡行中の屋台を発見。どうやら宮本の地区らしく「宮本」の文字の入った衣装を着た世話人の方に話を伺うこともできた。巡行地図を見せていただくと江井ヶ島あたりまで回られるみたいで結構広範囲。担ぐのではなく、車輪をつけで曳くため、子供のロープまである。演奏は大太鼓のみで、垂水区のような半鐘を使ってはいない。ここでは確かに「大太鼓だんじり」という呼び方を耳にしたが屋台という呼び方も聞こえた。

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一方、魚住駅とは隣の駅の関係になる東二見駅西500m付近にある御厨神社には「布団太鼓」があり、大半は平屋根で少しだけ反りがあるタイプであるが、1台だけ「曽根天満宮」の布団屋台と似た大きな反り屋根の「布団屋台」があった。背中に「上西」という地区名と思われる文字が書かれたハッピを着ておられた。ここでも祭り関係者に聞いたところでは2009年に新調された屋台があり、新聞にも紹介されたという。

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ここも 担ぐ方式の屋台であるが、車輪を取り外しできる構造としており、御厨神社も演奏は大太鼓のみで半鐘はない。

ただし、拍子木を使い、太鼓にのせた音頭を歌いながら行幸するという方式である。彫刻も細かく、金糸をふんだんに使った飾り幕や昼提灯など、神戸の地車と共通するデザインも多い

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2009年10月23日 (金)

布団太鼓・播州屋台

神戸でだんじりというと、地車のことをいい、4つの車輪、2つの屋根をもつ一種のダシ(山車)をいう。祭礼につかうヤマであり、広辞苑でも壇尻として、神戸・大阪の地車がイラストで載っている。関東では屋台というとも紹介されている。

ところが、だんじりの生産地というべき淡路島では、だんじりというと「布団だんじり」という、屋根が1つで何重かの布団が重ねられているもので、車輪は基本的にはなく神輿のように担ぐものである。神輿と違うのは神輿は文字通り神様を乗せ巡行するものであるが、「布団壇尻」は、布団太鼓ともいわれるように、太鼓が乗り、これを演奏する人間、運行を指揮する人間が乗るものである。

これが、播州地域となると明石・三木・神戸市西部等の播州地区では布団ダンジリの形状であるが「屋台」と呼ばれるようになる。

神戸電鉄の情報誌「すずらん」75号で、先般紹介した三木の岩壷神社のまつりは「播州型の布団屋台」と表記されている。

また、山陽電鉄の駅置きパンフレット「山陽沿線 秋祭り 祭り屋台」では、垂水区の海神社のものを櫓太鼓と表記している。

明石・魚住の住吉神社は「大太鼓だんじり」、高砂の曽根天満宮のものは「布団屋台」、姫路の「灘のけんかまつり」は「屋台」の表記となっている。

今回は、過去に撮影したいくつかの地域のものを比較してみたい。

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まず、「灘のけんかまつり」として知られる松原八幡神社の写真です。屋台の屋根は神輿のような形状となっており「布団」ではありません。

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神戸市北区の淡河八幡 古く伝統のある布団屋台と思われます

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この写真は加西市北条町住吉神社の「春祭り」です桜の咲くころの布団屋台で布団の色、反り屋根の形状に着目ください。

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上記の写真は三木市の大宮八幡神社のもの、布団は赤色で反り屋根、平屋根が混在していることがわかります

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↑この写真は東大阪の枚岡神社の秋祭りです。「大阪型」といわれる「布団太鼓」です。兵庫のものは幕の刺繍に金糸などが使われ、若干形状も違います。平岡神社も地車・布団太鼓併用地域ですが布団太鼓が圧倒的に多数です

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上記の写真は三田市三輪神社の秋祭りの様子です。

布団太鼓と地車が共存しています。

地車は完全に神戸型のものが数台あります。なぜなら東灘区で使われていた先代地車がこちらに来ているからです

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この写真は曽根天満宮の「布団屋台」です。反った屋根は、金色も多く使われており姫路の「屋台」と近いイメージです。しかし青色や赤色に美しく重ねられているのは布団であることはよくわかると思います

このように、現在では多くの「祭り」がさかんに行われています。

しかし、かって東灘区の地車も「祭り」が衰退し危機に瀕した時代がありました。それは「高度成長期」。自動車が増え、神戸の市電がそうであったように自動車の交通が優先され、交通の邪魔になるという理由がありました。私の拙い経験では、それ以上にだんじりが出しにくい状況にあったのは、「なぜだんじりなんか出すのか」という、経済優先の合理主義、「時代遅れ」という伝統を真っ向から批判、そして何より「仕事優先」の風潮があったことです。これらは、例祭の日を「休日」であるゴールデンウイークに変更したり、地域によっては交通事情を考え、地区にあった地車小屋(倉庫)を神社に集めたりして対策をしたところもありました。これらについては「地域の温度差」というものがありました。特に神戸市地域は、第二次世界大戦の神戸空襲での被害が大きく、家、神社、そして地車までを失った地域も多くまつりの復興には、幸いとして戦災を逃れただんじりをもつ地区から復興し、だんじりは時代遅れの声をも跳ね返す地域コミュニテイの伝統を守る姿勢があったことを忘れてはいけないと思います。

時代の波によって、その存在が危機に瀕するものがあるのは、これら伝統的なものだけではありません。定時制高校も、貧しい時代の高度成長期には多くの生徒が学んでそれなりの成果をあげられましたが、現在では「不要なもの」として統廃合されることが増えています。しかし一方では、貧困率の上昇という問題もあり、今後はどうなるか心配するところです。高校授業料は無償ということになるのでしょうが、義務教育になったわけではなく、現実には働きながら学ぶというスタイルは今後も必要になります。話はかなり脱線しましたが、今後、ここでもこれらの話題も少しまぜたいなと思っています。

最近、いろいろなメールをいただくようになり、説明不足だったことをいくつか述べました。今回はその第1弾です。ご参考までにしてください。

最後にこの話のオチとして、下記の写真をご覧ください。

「播州の秋祭り」は サンテレビの野球シーズンオフ直後の定番メニューでしたよね

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2007年12月24日 (月)

三木市立堀光美術館を訪問

23日は三木市立堀光美術館へ行ってきました。

最近は、以前と比べ何かと三木市に訪れる機会がありますが、三木はラジオ関西と共通する出演者も比較的多いFM三木もあり、いつも羨ましく思う地域です。

さて、訪問した三木市立堀光美術館では、私が応募した「三木の祭り写真コンテスト」の展示最終日だったこともあり、入選通知はいただいたものの、2通応募していたので、どの作品が入選になりどのように展示されているのかを見たく思ったことです。公立美術館に展示されるのは初心者の私としてははじめての体験であり(今までの展示は、動物園のほか神戸市のさんちかギャラリーとか、交通局のイベント会場、尼崎市役所など公的施設ばかりで)記念に写真をと思ったことです。それと 美術館系の展覧会には「搬入」「搬出」というお決まりのような作業があり、入選でも作品を搬出するというのが多くあります。(神戸市の市民美術展でも同様)応募・搬入については郵送などは認めないという所もありますが、ここの美術館は郵送OK、ただし搬出は指定時間に出向くことになっていますので、見学と搬出を兼ねて訪問したということになります。

フォトコンテストでも、観光系・イベント系のものは郵送原則・作品は返却しないというものが多く。ルールは主催者側の都合で、高額な賞品が多くなっています。

それに対し、芸術系では応募料を取るのが原則のようなもので、応募資格も公的なものであれば、たとえば神戸市市民美術展では「神戸市およびその周辺に在住もしくは在勤」というルールがあり、かつ市長賞受賞者は無審査展示になるが入賞資格はなくなり、同じ方が毎年受賞ということは無いよう配慮されているようです。今回の三木市の場合、開館25周年のイベントということもあり?出品料は無料で、しかも応募制限はありませんでした。

 結果として優秀賞などの入賞はできませんでしたが、提出した2作品とも「入選」。入選作品リストと審査委員2名の講評が丁寧に書かれています。さらにこうすれば良くなるというような親切なアドバイスもありました。展示場には、これらが置いてあり自由に取ることができます。もちろん、出品者の私には資料のほか記念品までいただけました。職員の方の応対も丁寧で申し分ありません。

 優秀作品は地元の方が見ても、また私のような祭りマニアがみてもすばらしい作品ばかりでした。定期的に開催されるものではないでしょうが応募して勉強になってよかったと思います。

 特に感じたことは、作品を扱うのが非常に丁寧だということです。展示形態のまま作品を返していただきましたが、なるほどこうして審査されているのかと伺えるところもありました。受付番号もあり、運用の一端を知る良い勉強になりました。

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