2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 桂米朝さん | トップページ | ラジオ関西ポットキャストで公開 »

2015年3月22日 (日)

ラジオ関西 昭和40年代プロ野球の中継から電話リクエスト路線への変換の背景

ラジオ関西が昭和40年代プロ野球の中継から電話リクエスト路線への変換の背景

全国ネットが無い時代 他局に対抗してプロ野球中継を推進した時代(1964年社報JOCRNO.7より)

Jocrno91971
(社報JOCR より)

昭和39年は東京オリンピックの年であったが、当時のラジオ関西は積極的なオリンピック中継をするため神戸の本社以外に東京支社にも制作部門を設け独自の中継をやっていた様子が伺える。それ以外にも当時のラジオ関西は自社の制作したプロ野球中継のネットを増やそうと努力した形跡があった。

そのまえに、当時のラジオネットの特殊性を述べたい。
というのも現在のラジオネットはTBS系列のJRNとニッポン放送・文化放送系列のNRNがあるが、この設立は、驚くことにテレビのJNNネットより遅く作られている。(JNNは昭和34年)

JRN、NRNが共に昭和40年5月(JRNが5月2日、NRNが5月3日)である。それまでは、プロ野球の球場所在地を中心としたラジオネットがあったようだ。

FOLネットというのは、ネット局のコールサイン(RKBのJOFR、MBSのJOOR、LFのJOLF)をあらわしJNN系列というのは、テレビでのネットであるがTBSを中心とし、当時のABC、CBC,RKB、後に北海道HBCもちろんテレビがメインであるが、これらはラジオ・テレビ共営が多くそのままラジオにも適用できた。

ラジオ関西は関西テレビを設立しているが、この関西テレビはFNN、FNS系列だ。
フジサンケイグループのフジテレビはニッポン放送が設立したため大株主であった。
こちらはフジテレビ(CX)、東海テレビ(THK)、関西テレビ(KTV)、九州朝日放送(KBC)その後(テレビ西日本)からスタート

ほかに、日本テレビ系列のNNNがあるが、民間放送テレビの日本テレビの系列なので結果として中波ラジオ局として始まったラジオ・テレビ兼営の老舗局の加盟が多い

関西地区は読売テレビである。関東・関西の局は当初ラジオ局をもたなかったが、ラジオ関東が日本テレビ系列になってからRFラジオ日本となり、後日関西地区のネットは
ラジオ関西になったため、ラジオ関西は独立局といいながら1980年代このRFネット加盟になった。

実は、ラジオ神戸はプロ野球をわが国最初にした放送局であり、当時関西にはプロ野球の本拠地が多く 関西テレビ開局に阪急電鉄とは深い関係になtっていた。

そのような関係もありラジオ関西は当時から西宮球場の放送ブースを所有していた関係でパリーグの中継を多く取り入れていた。

阪神戦は他の大阪局との競争が激しく阪神戦も中継するものの、サンテレビのようなタイガース戦の中心とはならず、阪急や南海、近鉄という在阪チームの中継が多かった。
昭和39年というのはいみじくも、NRN、JRN発足の前年のこの年、ラジオ関西は各地の放送局に対しネット強化という営業活動をしていくということを社報JOCRで述べている。
このときラジオ関西とプロ野球中継の番組交換をしていた局は 当初 ラジオ関東であった。
このことはラジオ関西の60周年記念番組で奥田博之氏が島ひろみアナウンサーとの交流を話しておられることからも伺えた。

写真にあるSFとはJOSF東海ラジオのことである。この局のテレビ東海テレビもラジオ関西、近畿放送と関西テレビの関係の中部地方バージョンと見ていいぐらいだ。
KBCは九州朝日放送 RKBはRKB毎日放送 九州のこの局とは西鉄戦の販売ではないかと想像できる。

NNNのテレビ中継が巨人軍の人気 関西では1970年代サンテレビの中継でセリーグに人気が偏ることがみられたが1950年台においてはパリーグの健闘もあった。

この日本のラジオネットワークの誕生により、ラジオ関西のプロ野球中継はやらなくなり、シーズンオフの番組であった人気番組「電話リクエスト」が毎日7時から月曜から日曜の7日間 午後7時スタート 7×7電話リクエストはこのような背景で発足したのであった。

一方 ラジオ関西のプロ野球中継技術は サンテレビのプロ野球中継陣に受け継がれます。サンテレビ開局にはラジオ関西から25名とも30名とも言われる大勢の制作部門の社員が出向・移籍になりました。プロ野球の開始から終了までの放送スタイルはラジオ関西スタイルでした。サンテレビ第一号アナウンサーの松島武雄さんはラジオ関西60周年の開局番組でそのことを述べておられます。くわしくはバックナンバーをごらんください

« 桂米朝さん | トップページ | ラジオ関西ポットキャストで公開 »

コメント

西川さん、
民放テレビで、日本テレビ系のNNN、フジテレビ系のFNNの両ニュースネットワークが発足したのは、
ラジオのJRN、NRNが発足した翌年の昭和41年になります。
日本テレビとフジテレビのネットワークは、このニュースネットワーク(文字通りニュース・報道番組のネットやニュース素材のやりとりを目的としたネットワーク)とは別に、
昭和40年代なかばから後半に、それぞれ、
一般番組用のネットワークのNNS、FNSを発足させ、
日本テレビとフジテレビの系列ネットワークは、この2本立てで今日に至っています。

民放テレビのネットワークは、昭和40年代のUHF地方民放局大量免許から、昭和50年代の一部地方エリアの3~4局化、さらに昭和61年からの全国1県4局化推進政策に乗じて、
キー局によるニュースネットワークや2~3局地区のクロスネット局の自己系列化が進展したしたところで、
いわゆるバブル崩壊や多メディア・デジタル化の足音が近づいた平成5年ごろから、
東京キー各局が地方系列局の新規建設の終結宣言を表明し、
さらにテレビ放送のデジタル化の全国化などもあり、
朝や昼のワイドショーとか情報系の番組の一部で見られた、ネットワークの食い込みや捻じれの是正が進展したり、
また一社や一企業グループ単独提供番組の減少などの要因も加わり、
今では、スポンサー付きで全国ネットする民放テレビ番組の大多数は、原則、業務協定に基づく系列ネットワークの枠内に収束するようになりました。

テレビ放送の発展期に、日本テレビとフジテレビは、
昭和40年代の地方UHF局大量免許で発足する地方新テレビ局のネットワーク囲い込み合戦を展開し
これらの過程で、この両系列はキー局を含めて30社近いネットワーク体制を量や形の上では築き上げました。
その後、昭和60年代に入ると、民放テレビのネットワークは、系列局の数の多さで威張り合ってきた時代から、系列ネットワークそのものの質とか、キー局と各系列局の相互間のキズナが問われる時代へと変化したと言われます。

らぶSUNさん
ラジオのNRNやJRNのネットは民放テレビのネットであるJNN(昭和34年設立)より後であるという意味ですので、そのように訂正いたしました。
確かに他のネットはラジオより後ですが、それは当時のテレビ局民間放送は少なく大都市圏でも1局という地域があったので老舗のラジオ・テレビ局はTBSの系列がまず昭和34年にできたことを言いたかったので、その後できた放送局が新聞社との系列にそろえる形で発達と認識しています。
その点ご指摘にあったようなNNNは日本テレビ開局は早いのにネットは遅れたのが実に不思議です。もっともプロ野球中継で巨人の圧倒的なファンの拡大が図られたのは東京の局がネットのキー局というのとも相当関係があると思っています。
地方においては新局の囲い込みはその通りだと思うのですが大都市圏のU局はなぜ独立局かというのは私自身あまりわかっているようでわかっていない感じです。またご教示くださいね

関東、名古屋、近畿圏は、それぞれ平野が比較的広くて、複数の都府県にまたがっているなど、
地理的に放送エリアが広域化しやすかった事情もあったといわれます。
UHFテレビの基幹局チャンネルプランの提示が本格化へ向かった昭和42年ごろから、東京、愛知、大阪以外の広域県内の各府県で、県域民放テレビを持ちたいという県域内の有力企業とか県を地盤とする新聞社などが、それぞれの地域で県域民放テレビの建設の働きかけに動いた節があったようです。
ところが、既存の東京キー局や名古屋、大阪の準キー局が広域放送となっている以上、既存のキー局からの「ステーションネット」が基本的に不可能とされるからには、それぞれ必然的に独立系県域テレビ局として歩んでいくしかなかったと思われます。

でも現実には、独立系テレビ局では先輩格で、昭和43年から44年に開業した、
岐阜放送テレビ、近畿放送テレビ、サンテレビ、三重テレビは、
開業当初から、キー局からの番組が、それぞれ十数本、番組販売の形で放送されていました。
当時は、ネットワーク業務協定などに基づく、しっかりした民放テレビのネットワークは、JNN以外は基盤が確立していなかった節があります。
名古屋広域圏で、昭和44年にUHF局の中京テレビが開局し、名古屋広域圏4局体制になっても、
名古屋都市圏でのUHF受信基盤が整わない実情なのか、
VHF局の名古屋放送が、日本テレビ系とNETテレビ系のクロスネットを継続したなど、当時の民放テレビのネットワークとか番組交換の構図は、結構捻じれていたと言えます。

日本テレビをキー局とするNNNのニュースネットワークは、昭和41年に発足しましたが、
このころの加盟局の分布は、地方エリアでは本州の日本海側とか四国に偏っていたようで、
基幹地区の一角の福岡地区で日本テレビとネットを結んでいたテレビ西日本が、昭和39年にフジテレビ系へ移行して福岡地区での拠点を失いかけるなど、
東京放送のJNNと比べて劣っていました。
他方、テレビの草創から発展期に向かい、カラー化が始まったばかりの当時は、電電公社のテレビ用マイクロ回線の本数が極めて限られたらしく、
回線ルート構成などの事情で、日本海側とか四国などのテレビ局では、
どうしてもマイクロネットは日本テレビ系を優先するしかなかったと言われてます。

らぶSUNさん 参考になりました
ありがとうございます

日本テレビとフジテレビは、ニュースネットワークと一般番組用ネットワークは別物という認識を今でもしているようで、
NNN、FNNの系列名称はニュース・報道番組でだけ用いています。

フジテレビのFNSは、昭和44年の発足で、大量免許で続々と設立された地方のUHF放送事業者の多くを系列体制化に収め、発足2年後には他系列とのクロスネット局も含めて、形式的には全国27社体制の、
TBSのJNNをもしのぐ、当時としては民放ネットワークになりました。

NETテレビ~現在のテレビ朝日は、ニュースネットワークの系列形成で出遅れ、一般番組用のネットワークとしては昭和45年ごろから「NETラインネットワーク」という呼び名も用いていましたが、しっかりした系列ネットワークとして結束する事は当時はついぞなかったようです。
その後、大阪の朝日放送などとのネットワーク確立を経て、
昭和58年には、ANNニュース協定とは別の、
直系12社による「スポーツニュース制作協定」というのを結んだようですが、
テレビ朝日では現在も、直系各社との本格的なネットワーク業務協定の締結には至っていません。
テレビ朝日では、平成に入ってから、地方エリアの2~3局地区の4局化政策に乗じて、地方エリアでの直系の系列新局を11県に建設しましたが、
いわゆる「平成新局」を最も多く抱え込んだがゆえに、
それぞれの「平成新局」の経営基盤の安定や経営支援を優先させてきた事情もあるのでしょうか、
FNSやNNSのような業務協定に基づく系列ネットワークの確立がなされていないそうです。
ANNの系列の正しい呼び名は今でも「オールニッポン・ニュースネットワーク」のままとなっていますが、
テレビ朝日でも今後、日本テレビやフジテレビ同様に、
ニュース報道用ネットワークと一般用業務協定に基づくネットワークを別物にする事が考えられそうですが・・・・
その際には、ニュース系列のANN(26社が加入)の正式名称を「テレビ朝日ニュースネットワーク」にし、
業務協定に基づく直系24社のネットワークを
「ANS~テレビ朝日ネットワーク協議会」と命名する事も考えられそうです。

今や少数派になった複数系列加盟の地方民放テレビ局では、
大分県(民放テレビ3局地区)のテレビ大分は、
NNNとFNNの両ニュース系列に加入し、日本テレビのNNS協議会にも参加しているものの、
いまだに日本テレビ、フジテレビ双方ともネットワーク業務協定は結んでいないそうです。
また、宮崎県(民放テレビ2局地区)のテレビ宮崎は、
FNN、NNN、ANNの3つのニュース協定に加入していますが、
ネットワーク業務協定はフジテレビだけと結んでいて、
NNS協議会には参加していません。

らぶSUNさん
なるほど日本テレビとフジテレビは、ニュースネットワークと一般番組用ネットワークは別物という認識ですか。勉強になりましたありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/189817/61317608

この記事へのトラックバック一覧です: ラジオ関西 昭和40年代プロ野球の中継から電話リクエスト路線への変換の背景:

« 桂米朝さん | トップページ | ラジオ関西ポットキャストで公開 »