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2014年12月16日 (火)

サンテレビ45年史

サンテレビ45年史を読んだ
予想はしていたがラジオ関西社史テレビ編のイメージだ

45



設立時 制作部門 はラジオ関西から
管理営業、報道には神戸新聞から出向 そしてプロパー社員と3種類の社員が存在した。サンテレビ社史では30名のラジオ関西からの出向があったという。ラジオ関西社史では25名という数字を見たが 最終的にはこの数字に膨れ上がったのだろう。圧巻だったのはOB座談会、松島アナや電話リクエスト物語の著者である神栄さんほかCR関係者がズラリ。サンテレビのプロ野球中継はラジオ関西方式。当時のラジオ中継は試合終了までというのはNRNネットワーク発足前には複雑化しスポンサつきハコモノ番組がありラジオでも試合終了まではできていなかった。これをネットワークのシガラミの無いサンテレビが目をつけた。ラジオ関西の財産は歌と野球だったと言い切っている。このような社史はめずらしい。それもそのはずサンテレビの社長はラジオ関西と同じ田中社長で専務もラジオ関西から着た関口寿一氏だった。

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コメント

西川さん、
民放ラジオのプロ野球ナイター放送は、昭和40年代に入るまでは、
試合終了までの完全放送にはできないでいたんですね。

昭和40年ごろまでのプライムタイムの民放ラジオの編成は、ラジオドラマ、クイズ、歌謡番組などの娯楽番組が主流で、
プロ野球ナイター中継は、決められた曜日にだけ編成していた局もあったようで、
ラジオ娯楽番組の多くにスポンサーが付いていた事もあり、
プロ野球中継の延長をしたくとも、娯楽番組を提供するスポンサーを簡単な説得できないでいたと思われます。
何より、まだまだテレビが発展途上で、ラジオが劇場映画とともに娯楽メディアの両横綱だった時代であった当時のメディア事情がうかがえますね。

一方で、サンテレビでは、昭和57年に経営危機が表面化して、兵庫県から社長が送り込まれたころの社内事情については、多くのサンテレビOBは、あまり語りたがらないのでしょうか。

西川さんはこの記事で、このサンテレビ社史について、
「ラジオ関西社史のテレビ編」とのイメージを抱いていましたが、
45年間の間に、地域社会情勢、経済情勢、放送行政、民放テレビネットワークの動向、マスメディアをめぐる環境などが目まぐるしく変転し続けた中で、
民放界におけるサンテレビの立ち位置についても、考えされられるのではないか思います。

らぶsunさん 早速のコメントありがとうございます
サンテレビの出発時点におけるラジオ関西との関係は間違いなく親子兄弟の関係であったサンテレビですが東京12チャンネル・テレビ東京のネット解消やポートアイランドへの移転からの経営危機もちゃんと載せています。兵庫県副知事を社長とした背景には当時の神戸新聞本体の経営危機という面があったようです。またダイエーの資本参加など45年間の間に、地域社会情勢、経済情勢、放送行政、民放テレビネットワークの動向、マスメディアをめぐる環境などはまとめられています。タイガース戦や時代ごとの番組写真や設備のリストもありました。いずれにしても私はラジオ関西ファンですから着眼点はラジオ関西とのかかわりです

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