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2013年9月14日 (土)

帰ってきたヨッパライを最初に放送したラジオ関西の番組名とその経緯

フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」はラジオ関西の番組で世に出たことは広く知られている。
ラジオ関西がこの曲を世に出したことは、オリジナルシングルレコードのジャケットにも記載されていることなので疑いの余地は無い。
しかし、その番組名についてはインターネットではいろいろな説が出ているようなので、昭和43年8月1日発行「電話リクエスト物語」(神栄赳郷著 自由席社)で
その詳細が述べられている。以下その部分を引用する。
「帰って来たヨッパライ」は9月26日、CRのフォーク番組「ミッドナイトフォーク」で初めて電波にのり、その時の録音テープが11月5日(日)午後2時半からの音楽番組「若さでアタック」で再放送された。
この放送を聴いた聴取者からの問い合わせ電話、アンコールのリクエストが相次いだところへ、グループから自費製作したレコードのうち一枚が届けられ11月8日(水)の「電話リクエスト」に始めてこのレコードをかけた。
そして11月14日(火)にもう一回流すと、翌日15日の「水曜電話リクエスト」のベストテンに一躍2位に食い込んだ」
・・という記載があります。

なお、CRのフォーク番組「ミッドナイトフォーク」は、深夜放送の番組で、各曜日に別のタイトルがついていた.番組担当者は、当時ラジオ関西の若手女性アナウンサーであった「小山乃里子」さんで、その番組のサブタイトルは「ヤング・フータナニー」という名前であった
このことは ラジオ関西開局60周年記念番組の私の記事参照
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/222489/189817/71139440

その後、ラジオ関西の電話リクエストで放送され、その電話リクエストで小山乃里子さんと一緒にDJをされていたのが木崎義二さん。木崎さんは昭和42年8月から電話リクエストを担当されており、
その木崎さんの友人がニッポン放送の亀淵昭信さん。オールナイトニッポンのDJもされ、後年ニッポン放送の社長となった人だ。

小山乃里子さん→木崎義二さん→ニッポン放送の亀淵昭信さんという情報の流れだ。亀淵昭信さんの当時のボスが高崎一郎氏で、オールナイトニッポンで深夜放送帯でこの曲を独占的にかけることを計画されることになる

2012年1月3日放送では、木崎義二さん(東京在住で音楽評論家兼洋楽雑誌「TEENBEET」編集長)の誘いを受けて、小山乃里子さんが東京に遊びに行き、そこで、亀淵さんと出会う話が紹介されていた
そしてニッポン放送の亀淵昭信さんは 、当時のオールナイトニッポンのADで、オールナイトニッポンの番組を仕切っていたのが高崎一郎氏ということだ。

すなわち、ラジオ関西で火がつき、オールナイトニッポンの全国区となるという構図だ。

なおラジオ関西発行、開局50周年記念誌でも、番組名は「ミッドナイトフォーク」であると記載されている。

予断だがこの構図は、ラジオ関西で世に出た笑福亭鶴光師匠が、あの奥田博之と組んだ「金曜ナマナマ大放送」から、MBSヤングタウン、そしてオールナイトニッポンと繋がった例を思い出す。
その鶴光師匠が、神戸のサンテレビで「大人の子守唄」(ラジオ関西でもラジオ版が存在した)を担当されていたことは有名なことであるがサンテレビ開局には25名のラジオ関西社員が出向していったという背景がある。
実は ミッドナイトフォークなどを担当された伝説のデイレクター 西内隆氏もサンテレビに移られ、この「電話リクエスト物語」の著者 神栄赳郷氏もサンテレビで活躍されておられた。
なお、神栄赳郷氏は、現在郷土史家とも知られているが、「電話リクエスト物語」の記載内容も放送日や、その内容も詳しく実に参考になるものである。

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