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2013年9月19日 (木)

またKISS FM神戸 関係が騒がしくなったみたいだ

KISS FM神戸のことについては、最近周囲がうるさくなってきている。
私もある程度情報は掴んでいるのだが耳や目を疑うものばかり。
KISS FM 最高裁判決 などのキーワードで検索すれば、ある程度の情報は入るがこれは神戸新聞などで報道があったことで、いまさら何をというものだ。
むしろFMOとの関係や、神戸の地元放送局がさらに転換期を迎えようとしているのではないかということ。
さらに、KISS FM役員から、市長候補者といわれる樫野氏が消え、ビッセル神戸の元社長が役員に就任など謎は深まるばかりだ。

特に市長選挙がらみで、樫野氏には、旧KISS FM社長だった、相田勲氏から WEBで非難をされる事態にもなっています。

http://aidaisao.blogspot.jp/ より引用 

しかも 現KISS社の財務状況は不明朗な経理実態にあるといわれ、今年の決算は1千万に近い損失を計上、相当な累積赤字をかかえ二次破綻の可能性もの話もあります。
樫野氏がブログで主張しているように、いやしくも地域社会の為にKISS社の取締役に就任されたのなら、これら一連の曰く付きの疑惑を地域社会に公表し、横山氏の暴走を更正し、地域経済から借入していた債権 権利を返還するように行動するべき立場にあったといえるでしょう。
しかも新KISS社を継承した時、横山 剛氏が債権者に民再成立の条件として約束した、
平澤元社長への1億9千万の賠償請求が現在まで放置されていることは、横山現社長の責任放棄と思われ、
樫野前取締役にも 本件の道義的責任が大きく追及されるところです。 
(以上引用おわり)

私は、これを読み、平澤元社長の件は、相手もあることといえ、全く未解決だったことを知り驚きました
その上で、相田氏が主張されていることについて、他の噂(専門業界紙は載っているらしい?)正直不安になりました。
KISS FM吸収合併」で一度検索されるとわかると思いますが、皮肉にも海外のKISS FMがWBLSに吸収合併されたこと
そして KISS FM神戸も「エフエム大阪が兵庫エフエムを「救済」のために「吸収」するのが実体」という記事が並びます。

私は KISS FMが、旧来のような兵庫県の民間放送であることは喜びますが、FM大阪の中継局になるのは問題ではと思います。

上記の文中、現在のKISS FM横山氏のことの記述がありますが、私は新KISS誕生に努力された横山さんを応援する気持ちを持っているものです。(しかし平澤さんへの対応は事実なら残念です.裁判で負けたのならともかく訴訟にも入っていないように書かれていますが、そうであれば疑問です。)  横山さんのしかるべき相手への反論、見解を期待するところです 

2013年9月14日 (土)

帰ってきたヨッパライを最初に放送したラジオ関西の番組名とその経緯

フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」はラジオ関西の番組で世に出たことは広く知られている。
ラジオ関西がこの曲を世に出したことは、オリジナルシングルレコードのジャケットにも記載されていることなので疑いの余地は無い。
しかし、その番組名についてはインターネットではいろいろな説が出ているようなので、昭和43年8月1日発行「電話リクエスト物語」(神栄赳郷著 自由席社)で
その詳細が述べられている。以下その部分を引用する。
「帰って来たヨッパライ」は9月26日、CRのフォーク番組「ミッドナイトフォーク」で初めて電波にのり、その時の録音テープが11月5日(日)午後2時半からの音楽番組「若さでアタック」で再放送された。
この放送を聴いた聴取者からの問い合わせ電話、アンコールのリクエストが相次いだところへ、グループから自費製作したレコードのうち一枚が届けられ11月8日(水)の「電話リクエスト」に始めてこのレコードをかけた。
そして11月14日(火)にもう一回流すと、翌日15日の「水曜電話リクエスト」のベストテンに一躍2位に食い込んだ」
・・という記載があります。

なお、CRのフォーク番組「ミッドナイトフォーク」は、深夜放送の番組で、各曜日に別のタイトルがついていた.番組担当者は、当時ラジオ関西の若手女性アナウンサーであった「小山乃里子」さんで、その番組のサブタイトルは「ヤング・フータナニー」という名前であった
このことは ラジオ関西開局60周年記念番組の私の記事参照
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/222489/189817/71139440

その後、ラジオ関西の電話リクエストで放送され、その電話リクエストで小山乃里子さんと一緒にDJをされていたのが木崎義二さん。木崎さんは昭和42年8月から電話リクエストを担当されており、
その木崎さんの友人がニッポン放送の亀淵昭信さん。オールナイトニッポンのDJもされ、後年ニッポン放送の社長となった人だ。

小山乃里子さん→木崎義二さん→ニッポン放送の亀淵昭信さんという情報の流れだ。亀淵昭信さんの当時のボスが高崎一郎氏で、オールナイトニッポンで深夜放送帯でこの曲を独占的にかけることを計画されることになる

2012年1月3日放送では、木崎義二さん(東京在住で音楽評論家兼洋楽雑誌「TEENBEET」編集長)の誘いを受けて、小山乃里子さんが東京に遊びに行き、そこで、亀淵さんと出会う話が紹介されていた
そしてニッポン放送の亀淵昭信さんは 、当時のオールナイトニッポンのADで、オールナイトニッポンの番組を仕切っていたのが高崎一郎氏ということだ。

すなわち、ラジオ関西で火がつき、オールナイトニッポンの全国区となるという構図だ。

なおラジオ関西発行、開局50周年記念誌でも、番組名は「ミッドナイトフォーク」であると記載されている。

予断だがこの構図は、ラジオ関西で世に出た笑福亭鶴光師匠が、あの奥田博之と組んだ「金曜ナマナマ大放送」から、MBSヤングタウン、そしてオールナイトニッポンと繋がった例を思い出す。
その鶴光師匠が、神戸のサンテレビで「大人の子守唄」(ラジオ関西でもラジオ版が存在した)を担当されていたことは有名なことであるがサンテレビ開局には25名のラジオ関西社員が出向していったという背景がある。
実は ミッドナイトフォークなどを担当された伝説のデイレクター 西内隆氏もサンテレビに移られ、この「電話リクエスト物語」の著者 神栄赳郷氏もサンテレビで活躍されておられた。
なお、神栄赳郷氏は、現在郷土史家とも知られているが、「電話リクエスト物語」の記載内容も放送日や、その内容も詳しく実に参考になるものである。

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