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2013年5月21日 (火)

「わが国初の地方自治体による民間放送局設立運動」 は必見

姫路市に 長いあいだなぜ民間放送UHF中継局が作られなかったかは 姫路市が「関西広域圏からの独立」を図ったため 1969年サンテレビ開局まで姫路市では大阪のテレビ局(広域局)の中継局設置を許さなかった VHFの単独放送局をラジオ関西・兵庫県で作ろうとしていた わが国初の地方自治体による民間放送局設立運動: 姫路市放送局を中心として 京都大学 三輪仁さんの 論文があります。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006623924
ラジオ関西は関西テレビ設立に関与していたので、当時のラジオ関西社長は関西テレビの副社長。姫路市にVHF局を作り関西テレビからネットしようとしていたみたいだ
この論文の前半は、姫路市営放送JODR(本免許されず 失効)の顛末記 後半が姫路が電波の谷間となってしまったことが述べられている

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コメント

お久しぶりです。
興味深い論文ですね。
姫路周辺では在阪民放テレビ局の中継局が出来るまで
岡山のRSK山陽放送と香川のRNC西日本放送を受信するのが一般的だったようで
山陽放送の社史には当時姫路支局を設置して
姫路のスポンサー獲得に躍起になっていた記述が出てきます。
また、MBS毎日放送制作の県政広報番組「兵庫県アワー」を山陽放送がネットしていた時代もあったようです。
また、同じく中継局設置が遅れた但馬地域も
鳥取の日本海テレビが「兵庫県アワー」をネットしていたようです。
開局間もない頃の日本海テレビのエリア図を持っていますが、
兵庫の日本海側を越え京都の宮津あたりまで電波が届くエリアになっておりました。
民放創生期の電波事情は本当に面白いです。

NAMINEM様 ごぶさたしております
コメントありがとうございました
山陽放送の社史にそのような記載もあったのですね 現在でもテレビ大阪は映らないところはテレビせとうちを見るということを聞いたこともあります

NAMINENさんが、日本海テレビのエリアマップを持っていたとかで、
それによると、京都の宮津あたりまでエリアに入っていたらしいとの事ですが、
日本海テレビの鳥取基幹局は、
VHF1チャンネルで、1キロワットながら、
鉢伏山の送信所が比較的高い場所にあったためなのか、
北近畿地方でのNHKや民放テレビの重要級のサテライト局の整備が型通り進んだ後も、
北近畿の海沿いでは、日本海テレビなどの山陰のテレビ局も結構受信できていたのではないかと思われます。
わけても、VHF1~3チャンネルは、
夏場になると、スポラディックE層の影響で、
思わぬところにまで電波が飛んでいったらしく、
北近畿から東の福井県敦賀あたりまで電波が飛ぶ事もあったのではと、想像したくなりますが・・・・

らぶSunさん
以前、城崎に住んでいた祖母に聞いた事があるのですが
但馬地域に中継局が出来る以前の城崎の祖母宅では
共同受信でNHK大阪&在阪民放ではなくNHK鳥取と日本海テレビを受信して見ていたようなのです。
まだはっきりと「県域局」の概念が無かった時代だとすれば、
鳥取のアナログ親局のあった鉢伏山は非公式かもしれませんが
北近畿をカバー出来る標高の場所として選定された可能性があります。
白黒テレビが主流の時代ですし、北近畿の多くのアンテナは鳥取を向いていた可能性が考えられます。

P.S.
西川さま、ちょっと話がズレてしまったかもしれませんがお許し下さい。

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