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2012年8月31日 (金)

一眼レフカメラの撮像素子のクリーニング

情けない近況報告ですが、一眼レフカメラのD700で撮影をしていると
同じ場所に汚れがあることに気づき、いろいろと自分で触っていたのですが
なかなか改善されません。センサーのクリーニングは機能として付いているのですが
今までD80やD300を使っていたときは、このようなことにならなかっただけにショックでした。
もっとも、青空に向けて思いっきり絞ったときなどに気づくのですが、少し大変なことになったのでどうしょうかと思っていたのです。
ニコンのサービスセンターへ持ち込みをすればよいと知り、それも土日も営業しているようで、値段も1000円ほどのようです。
私が行ったのはこのあいだの8月25日(土)のこと。大阪西梅田のニコンプラザに行くのもはじめてのこと。

Dsc_4038


商品の受け渡しは、この日は90分後、見事な清掃結果に驚いています。
今後クリーニング技術を勉強したほうがいいかも知れません

Dsc_4036

ニコンのショールームは撮影禁止だったので、ショールームの外に出ていろいろな写真を撮ってみた。横を見ると同じようなことをしている人がいた。やはりチェックなのかなと ふと思った。

HAT神戸 魅力発見!写真コンテスト「HAT神戸賞」受賞通知&賞状受領

神戸県民局神戸土木事務所まちづくり課を事務局とする。
HAT神戸中心街区協議会から、HAT神戸 魅力発見!写真コンテスト「HAT神戸賞」受賞通知と賞状が送付されました。

Dscf0678_2


このコンテストは8月末に発表とあったので、(普通は入賞者には事前連絡があるのが多いので)だめだったかなとおもっていたところ、8月31日に賞状と通知文が送られてきました。
すでにWEBでも発表になっていました。上位入賞のようなので大変嬉しいです。
http://web.pref.hyogo.jp/kok11/event/hatkobe.html
入賞作品は、「ブルメールHAT神戸」1階のインフォメーションコーナー(中央エスカレーター付近の掲示板)に平成24年8月29日(水曜日)から9月30日(日曜日)までの間、展示
http://www.artm.pref.hyogo.jp/news/pdf/hatphoto.pdf

2012年8月11日 (土)

神戸市立王子動物園アマチュア動物写真コンクール 園長賞受賞連絡

神戸市立王子動物園第24回動物写真コンクール
過去には入選ばかりでしたが今年度は特別賞「王子動物園園長賞」の連絡を受けました
(平成24年8月8日付)作品名「春の日」 アジア象の写真です。
また、雑誌カメラマン8月号2012年ジャンル別フォトコンテスト9位として写真が掲載されています
カメラマン8月号161ページ 作品名「愛情」 こちらは 王子動物園のフラミンゴです。

最近は写真の話題が少なくなったためか、これらのキーワードで検索が増えてきたようです。
細々と応募は続けています。
 

2012年8月 7日 (火)

レスバクスター「恋人よさようなら」がオリジナルサウンドトラック?コンピュータゲームの音楽に!

レスバクスター「恋人よさようなら」といえば、ラジオ関西ファンの方々には「電話リクエスト」のエンデイングテーマということで広く知られているものである。
ところが、この曲Auf Wiedersehen, Sweetheartは、Mafia IIの Soundtrack版というものが幅をきかせている。
そもそも、Mafia IIというものは、映画ではなくチェコ共和国のゲーム製作会社イリュージョン・ソフトワークスが発売したコンピュータゲーム。(PlayStation®3、Xbox 360® ウインドウズ)攻略WEBサイトでは
http://wikiwiki.jp/mafia2/?%BC%FD%CF%BF%B6%CA
ゲームの中のラジオ放送局Empire Classic Radioという放送局でかかる音楽という設定で年代は1951年~に収録されているようです。
ゲームの時代設定は、1943年、1945年、1951年で番組は、車のカーラジオ、自宅のラジオで聞くことが可能ということである。
放送局は3つあるようですが、その中でEmpire Classic Radio 1951年というところにあるらしいのですが、この曲はもともと1952年11月6日収録です。それをその年のクリスマスにラジオ神戸は電話リクエストの最終曲にしているのですから、発売間なしでヒットするかどうかもわからない段階の曲だったわけです。
http://www.youtube.com/watch?v=pPdMb64C5Y4
上記が、YouTubeの該当ページなのですが、(Mafia II Soundtrack) とわざわざ明らかにされています。
もしかすると違う録音なのかもしれません。
日本でも関西エリアではかなり有名な曲なのですが、このような形で脚光をあびつつあるのだとは知りませんでした。
このようなネタなら、岩崎アナウンサーの番組に知らせてもいいのかもしれませんね。

2012年8月 6日 (月)

ラジオ関西 エンディング(斉藤邦雄アナウンサーバージョン)

ラジオ関西 エンディング
斉藤邦雄アナウンサーバージョン
http://www.youtube.com/watch?v=WZqFa_kfOUE&feature=relmfu

2012年8月 1日 (水)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第25週 岩崎和夫 さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第25週 岩崎和夫 さん 2012年3月19日~3月23日

お話の要点

生涯現役アナウンサーという岩崎さん。
1979年(昭和54)年4月入社同期入社には三上公也アナウンサー(現在ラジオ関西報道制作局長)がおられるということ。(これは有名な話です)
そのほかには、田中一郎さんが同期(編成部門・入社時は技術)
大学は教育学部。奈良県御所市で2年間中学校理科の先生。当時は校内暴力などが盛んな頃。土曜日のみで学べるアナウンサー養成所(大阪・なんば)に通う。そこに斉藤ヒデオさんが講師でおられた。
ラジオ関西の採用試験があった。受験者は200名ぐらい。その年度の採用試験はカテゴリとして「スポーツアナ」。
当時のラジオ関東とのジャイアンツ戦中継を見越して、プロ野球中継のできるアナウンサーを採用するという意向だった。
しかし、(結果として)私の中で三上さんや岩崎さんはスポーツアナという感じではなく、ラジオ関西の最近のスポーツアナといえば牛尾淳さんや、国広正夫さんや林アナウンサー、少し古くても山田けんじんさんというのがジャイアンツ戦スポーツアナというイメージ。
岩崎さん以降のアナウンサーはスポーツアナ採用ばかりといわれていました。
デイレクター森下さん(元ジローズ)から大滝詠一の「君は天然色」を「これはすごい」と紹介されたが、これがヒットしていくのを見て、さすがにプロは違うと思い知らされた。(1日目のリクエスト曲)
スポーツアナの研修は、だんだん減っていきついに無くなった。三上アナと岩崎アナはスポーツアナにならなくてもよくなった。おそらくRFラジオ日本との関係だろう。
そのうち三上さんはギャルギャル神戸の番組の担当になったが、自分の番組は無かったので、良い充電期間になった。
その後、ナイターオフの番組をアナウンサーが音楽番組を担当するようになった。
前後して、テレテレサタデーリクエストを増井孝子さんと担当するようになった。30代前半であった。
増井孝子さんには助けてもらった。夜の番組で「ポップアイランド」という番組で尾崎亜美さんや泰葉さんのアシスタントをしたが、増井さんの教えが役立った。
2日目のリクエストも、当時売れていなかったオフコースだったが、「これはくるよ」と森下さんや、笠原さんに言われた思い出の音楽。「愛を止めないで」
岩崎さんのラジオ関西との接点は「電話リクエスト」。テレテレサタデーリクエストも電話リクエスト。音楽のタイトル検索は出来るが、主題歌では番組名の検索はできない。
これを手書きの記録(データ)にしていった。リスナーの要求であるドラマのタイトルから検索することを実践していった。ゲストとのやりとりも勉強になった。グリーンピア三木に中森明菜や南野陽子さんを迎えたこともある。
ゲストとの会話は、打ち合わせも無く増井孝子さんに助けられた。
木元英治さんがお手本になるアナウンサー。デイレクターの春川さんも。スタジオTODAYホットに語ろうがしゃべりのすばらしさを教えてもらった。淀川長冶さんに活弁をした思い出も。
館ひろしさんは、インタビューで思い出がある人。泣かないでは3日目のリクエスト。
スタジオTODAYホットに語ろうは著名人のゲストが多く、11時のニュースでスタジオに入るのもいろいろと思い出がある。
フリーでしゃべる楽しさもあるが、原稿があり朗読をするのもいい。
こうべアフタヌーンクラブは、フリートークではなく進行がきちんと決まっていた。ひかえめなしゃべり。構成作家は女性。
音楽を共有しながら楽しむということが必要。こんな曲もあるのだと。
神戸アフタヌーンクラブのデイレクターが先日お亡くなりになった。世界の天気のBGM「思い出のフィジー」スウィート・ピープルがリクエスト。
(注 この3月にラジオ関西関係で死亡されているのは武内さんか柴田さんですが、放送日付から考えると柴田さんのことではないかと思います)
神戸アフタヌーンクラブはリクエスト番組ではないが、歌謡曲まかせなさいで、アニソンをかけるのも、アニソンブームを作り上げていった。
ハガキが1週間で3000通くるようになった。アニメイトの機関紙に取材を受けたことが、スポンサード番組につながった。
ラジメニアをやっていなかったら知らなかった曲ドリーム・シフト/SILKが最終日のリクエスト。

(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年3月19日(月)君は天然色/大滝詠一
2012年3月20日(火)愛を止めないで/オフコース
2012年2月21日(水)泣かないで/館ひろし
2012年3月22日(木)思い出のフィジー/スウィート・ピープル
2012年3月23日(金)ドリーム・シフト/SILK

解説と感想
岩崎さんは、このブログでも書き込みをいただいておられます。
ラジオ関西のラジメニアはアニメソングの番組として高い評価を受けておりアニメ番組の多さと充実度は 東京の文化放送と良く比較されているようです。
今回の放送では最終日のみが、ラジメニアの話題だったので少し意外な感じも受けました。
しかし、テレテレサタデーリクエストで、リクエスト番組を学ばれ、神戸アフタヌーンクラブでは非リクエスト番組のありようを体験されたことが、現在のハガキリクエストを中心にしながら曲を共有していくというスタイルにつながったことがよく理解できたと思います。

木元英治さんは奥田博之さんのことを鏡といわれていましたが、岩崎さんは木元英治さんのことを鏡と表現されておられました。
また、アナウンス学校で、元ラジオ関西の斉藤ヒデオさんに学んだということもすごい因縁を感じさせられた思いです。
岩崎さんは、(実力は十分ありながら)奥田博之さんや木元英治さんのような「伝説のアナウンサー」ではないのはラジオ関西で現役のアナウンサーといっても過言ではないからです。その点三浦ひろあきアナウンサーとも共通します。

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第24週(5) 山口則子さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第24週(5) 山口則子さん 2012年3月16日(金)

お話の要点

1958年(昭和33)年 入社山口さんは、須磨生まれ・育ちという地元出身者。大学4年のとき採用された(大学在学中入社)といわれていました。
高度成長期前の社会は女性の就職は教師やマスコミ関係と大卒者は限られた時代だったことは何名かの方が証言されておられました。
ラジオ関西在籍は4年間。クラシック番組がやりたくて入社した山口さん。念願どおりラジオ神戸の多くのクラシック番組を担当されたようです。
職場結婚となりますが、驚いたことに相手は音楽プロデューサの小石忠男さん。
このブログでも過去に記事をしたことがありますが、クラシック担当で退職後は音楽評論家として活躍され2010年11月ごろお亡くなりになられた方です。

番組では、最後にこのことにも触れられ「小石則子さん」という表現もされておられました。
ラジオ関西音楽プロデューサではジャズの末広光夫さん、クラシックの小石忠男さんが有名ですが、ともに音楽評論家となる共通点のほか、
奥さんがS33年入社のアナウンサーということも共通するという偶然に驚いたところです。
その後のプロデューサでも局アナとご結婚された方は何人かおられるようですが。
ラジオ関西60年は奥が深い番組です。歴史の古いラジオ局であることは承知していましたが、その後にできる朝日放送(TV部門)、関西TV、よみうりTV、サンテレビにも少なからず人材が流れ、影響を与えていることが改めてわかります。
(その意味ではFM大阪、FM802開局時も同様に人材が流出しますが同じ兵庫のKISS-FM開局には見事なまでに例外(CR社員移動なし)というところにKISS-FMの結果的人材戦略ミスが感じられます。
もっとも、資本的に無縁で、同じ県のラジオへの人材流出はむずかしいのでしょう

(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年3月16日(金)引き潮/フアンク・チャックスフィールド・オーケストラ
解説と感想
S33年は 関西テレビ開局に当時のラジオ神戸が協力(設立母体の1つであった)した関係や、よみうりテレビ開局によりアナウンサーの退職が多く、実に10名もの大量採用をした年で奥田博之・斉藤ヒデオ・松島武雄さんなどが入社された年度です。
男性アナは判明しているのですが女性アナは、大牧暁子さんぐらいしかわかっておらず、この年度どいうことで興味深く拝聴できました。
ラジオ関西60年は、それぞれの時代のアナウンサーが出演されておられるので、非常にその時代背景もよくわかり、申し分ないのですが
死角があるように思えてならない部分があります。それは東京オリンピックの昭和39年には、東京支社で制作部門があったが、これはオリンピック中継用のための部門で、(おそらくスポーツアナが)他局に流れたということを聞いたことがあります。
東京支社のアナウンサーといえどももともと神戸におられた人と思うのですがこのあたりが空白になってるように思えるのです。
それと、ラジオ大阪が出来た頃には、やはり人材の移動があったように思えるのです。このあたりは今後の研究課題としたいと思います。

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
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つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第24週(4) 宗国博一さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第24週(4) 宗国博一さん 2012年3月15日(木)
お話の要点
1957年(昭和32)年 入社
この年の採用は男子3、女子2の5名。話にでていた同期の人は「あえばさちこ」さんぐらいです。
今回の宗国さんのお話で、明らかになったことは、関西テレビ設立で多くの人が異動したことに加え、よみうりTV開局でも(引き抜き的な)アナウンサーの移動が起こったため、宗国さんは、新人なのに古株のような存在となったことを話されていました。
宗国さんは5年間在籍され、(昭和37年ごろに)故郷四国の西日本放送に移られます。
ラジオ関西在籍中はプロ野球の実況中継などを担当されますが、お話にあったのはパリーグの中継の話ではなく、セリーグの巨人阪神戦。
甲子園球場に当時からラジオ関西のマイクが入り、東京へはラジオ関東へネットしていたと証言されています。
当時の解説陣は青田昇さんや、横沢三郎さんということですから、第1回に登場された大中アナウンサーの証言と一致します。
当時は阪神戦といえども大阪局はそれほど中継をしておらず、ラジオ関西はプロ野球中継の老舗であったということです。
よく考えると、プロ野球中継は長い時間放送しなければならず、当時はテレビの地位とラジオの地位が反対だったということ。すなわちラジオの看板番組はプロ野球ではなく娯楽番組だったということ。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年3月15日(木)ここに幸あり/大津美子
解説と感想
S32は、S33年の奥田博之・斉藤ヒデオ・松島武雄さんなどの大量採用の前年度であるため、関西TV設立によるアナウンサー大移動があった年であるため、現在から見ると空白に見える時期でした。
ラジオ神戸・ラジオ関西は当時から、試合最終までの完全中継を売り物にしていましたが、これは大阪局が大企業スポンサーがつく娯楽番組という箱番組が中心でラジオ関西のような思い切った編成ができなかったためでしょう。
甲子園からの試合を完全中継というのはサンテレビボックス席のお家芸みたいに思われていますが、そのサンテレビ中継陣は元ラジオ関西放送第1課が移籍した(サンテレビ1期生になった松島武雄アナウンサーの番組証言)からあきらかなように当時のラジオ関西のプロ野球中継の環境が、後のサンテレビの事情と、大阪局の番組ネットワーク事情とよく似たものということに気づきます。

もっともラジオはゴールデンタイムを娯楽番組からラジオネットによるプロ野球中継に移り、関西はプロ野球球団が多いのにもかかわらず、阪神戦中心になります。したがってラジオ関西はパレーグ比率が高まることになり独自の野球放送ネットを構築しようとする動きを見せましたが、NRNやJRNができ、その年を境に、ラジオ関西はプロ野球中継を撤退し、1年中電話リクエストを1週間全部午後7時から放送する(7-7電話リクエスト)という方針に転換します。
さらにその7-7電話リクエストもFM大阪開局の昭和45年5月に「ナマナマ大放送」という娯楽番組。ちょうどラジオ大阪の深夜のバチョンのような番組を野球放送時間帯に行うという動きを見せることになります。

その娯楽番組路線も、かって昭和30年代のプロ野球中継でネットを組んでいたラジオ関東(現在のRFラジオ日本)と巨人戦中継で手を組みます。大阪局が阪神戦のみを放送する中RFラジオ日本と組むのは相当な勇気がいったのでしょう。しかしラジオ関東はNRNができるまではプロ野球のネット局だったという事実に気づきます。おそらくそのときの縁というのはあったのでしょうね。ただし、この野球中継のおかげでラジオ関西はNRNを事実上の除名になります。

見事なまでの、自らの不利な立場を利用し、他局の逆を行くという手でさらに、最先端な手法を取り入れていることがわかります

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ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第24週(3) 五明由美子さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第24週(3) 五明由美子さん 2012年2月14日(水)
お話の要点
今週は、曜日ごとの日替わりとなった。本日は五明由美子(ごみょうゆみこ)さん。 
1960年(昭和35)年 入社在籍は2年ほどと短く、その後サンテレビでも仕事をされていたようだが、その後20年以上大学で教鞭をとられていたようだ。
ラジオ関西をやめられた後、斉藤ヒデオアナウンサーと結婚された
担当番組は「奥様こんにちは」など。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年2月14日(水)サマータイム/エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロング
解説と感想

当時は職場結婚の場合、どちらかが先に辞められるという不文律があったらしい。
斉藤ヒデオアナウンサーは昭和33年入社であり、大学時代も同じといわれていたので、こちらも関学大OBなのでしょうね。
斉藤ヒデオさんの奥さんということで斉藤ヒデオさんの話題もあり内容の濃い15分だった

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ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第24週(2) 山田和雄 さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第24週(2) 山田和雄 さん 2012年3月13日(火) 
お話の要点
今週は、曜日ごとの日替わりとなった
1958年(昭和33)年 入社1958年の採用者は男5名、女5名の計10名ということ。そのうち男性のみ全員の紹介がありました。やはり地元関学大OBが多いという感じがします。10名の大量採用は関西テレビ開局によるものだと松島武雄さんの放送での証言が参考になります。
大阪出身、岡山に縁故疎開。言葉が通じないので言葉に興味をもった。
CM録音がアナウンサーデビュー。入社2年後 歌謡曲の電話リクエストを担当した。石原裕次郎などの曲がよくかかった。
ラジオを聴くと日本語の乱れが気になる。3階(さんがい)をさんかいと読むののが市民権を得たみたいである。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年3月13日(火)黒い花びら/水原弘
解説と感想
はじめて聞く名前に「村上とおるアナウンサー」(関学大OB)がありました。斉藤ヒデオさん、奥田博之さん、松島武雄さんが同期。斉藤ヒデオさんも関学大OB、奥田さんが同志社大の放送部OBですから、この時代は大学放送部出身者がかなり多いということに気づきます。
山田さん、村上さんの名前は1964年発行の社報JOCRのアナウンサー紹介には見当たりませんでした。村上さんは最終週に出演の奥田博之さんのお話によると交通事故でお亡くなりになったようです。

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ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第24週(1)藤井萬里子さん

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第24週(1)藤井萬里子さん 2012年3月12日(月)
お話の要点
今週は、曜日ごとの日替わりとなった
第2期生の1953年(昭和28)年 入社
学生時代演劇部出身 電車を止めたという逸話があるが実際は止まってくらたという程度のもの。
ジャズルームという番組があった 78回転のSP盤を割ってしまったという失敗談。
子ども番組「おててをつないで」「ヤマハ音楽教室」「今日の栄養料理」「はがきによるリクエスト」を担当
西宮球場のサマーコンサートの司会をさせていただいた。当時公開録音を多く担当した。
リクエスト曲は藤田男爵の思い出の曲である。この曲は番組のつなぎに良く使われた曲であった。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年3月12日(月)愛の挨拶/エレガ
解説と感想
第2期生の女性アナウンサーに、高橋美子さん(すでに出演)がおられましたので、高橋さんの出演時のお話と聞き比べると
やはり同じ話をされているなあと思いますが、それも信憑性がある証拠と思うようになりました。
3月12日の週(24週)は、日替わり出演ということで、結果的に多くの方は電話出演でした。
しかし、藤井さんは電話出演ではなくスタジオ収録でした。
この24週は異例の電話出演と思っていたのですが、今から思うと最終週の奥田博之さんが電話出演だったことを考えると
この24週は、電話出演の前例を作ったということになります。

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