2023年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第21週 大牧暁子さん) | トップページ | ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第23週 森重貴美子・富本孝子さん) »

2012年7月14日 (土)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第22週 矢野泰三 さん)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 第22週 矢野泰三 さん 2012年2月27日~3月2日

お話の要点

1964年(昭和39)年4月入社同期のアナウンサーとして斉藤邦雄さんがおられる。 ご本人はアナウンサー志向ではなく、デイレクター・プロデューサ志向であったり、声優志向であった ラジオドラマとして小学生時代「君の名は」中学生時代「この世の花」をラジオ関西で聞いていた デイレクターの採用試験は落ちたがアナウンサーとして通った。 斉藤くにおアナウンサーと春川さんというデイレクターが一緒に受験した。 斉藤さんは阪大工学部卒の学者肌の雰囲気をもたれていたが、デイレクターとか音楽を作ったりする才能があった。 手書きのニュース原稿はくせのある文字が多く、悩まされた。 本当は酒が好きでなかったが、仕事がうまくいかず飲まずにはやっていられなかった。

西脇工業の渡辺先生とは飲み友達になった。

先輩アナウンサーに、松島、奥田さんとか、よみうりテレビに行かれた下山さんとかがおられたが、私は実況はできない、ニュースは読めない 洋楽には弱いときている。学生時代、新聞小説に応募したり、しゃべるより書くほうだった。 当時はオリンピックの年だったので、東京の歌が多かった。 月曜日のリクエストは西郷輝彦の君だけを 当時は、須磨の木造の社屋で西海岸の雰囲気だった。ラジオ関西のアナウンサーとしてはニュースの失敗が多かった

よみうりテレビに行かれた下山アナウンサーにはかわいがってもらった。 歌謡曲ハイライトという番組を日刊スポーツの広瀬勝さんと担当した。 歌謡曲の番組をやうようになり、深夜放送の人気フォークソング番組(ミッドナイトフォーク)が終わり、 後継番組として「レッツゴー歌謡曲」を担当したが、前番組を終わるなという雰囲気の中やりにくかった。 その中でラジオドラマを作って放送した。ドラマに合う音楽が演歌に多かった。当時は演歌のスターが多く生まれた時代だった。 歌謡曲邦楽の好きなデイレクターと出会った。

「歌うラジオ関西」という番組では奥田博之アナウンサーと曜日違いでやったが、奥田さんの曜日は圧倒的にハガキの数が何倍も多く アナウンサーとして奥田さんはすごいなあと、(同期の)斉藤邦雄さんは、斉藤さんで違うジャンルで頑張りはって、私は歌謡曲が頑張るしかないなというようになった。 試行錯誤の結果だった。

テレテレ三度笠は当初斉藤邦雄さんの担当だったが、斉藤さんがワイドワイド関西を担当されるので自分にお鉢が回った。 自分の性格にぴったりとはまり10年間小山乃里子さんと一緒にやった。 小山さんは、私の1年後輩だが、5.6年先輩のような方だった。 自分としてはテレテレ三度笠という番組は好きではなかった。 電リクのラジオ関西でしたから、その日本版として作られた。土曜午後1時から。 頑張れば頑張るほど、神戸のイメージをくずす。播磨や姫路のイメージになってしまった。関西の匂いプンプンだった。 「人の心と漂う水はどこへゆくやらつくのやら」という番組のオープニングは、3枚目だった。自分としては二枚目志向で「遠い地平線が消えて・・」(ジェットストリーム)と対象的だった。 自分のポジションは確保できたが、3枚目の定着はいやだった。

ミュージックワゴンという番組では、河野春美さんと一緒だったが、二枚目のポエムを考えた。 私のアナウンサー生活は悩み悩みながら生きてきた。 リクエスト曲「太陽がいっぱい」は、青春の中で、ジェットストリームのような番組で流したかった曲である。

(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)

2012年2月27日(月)君だけを/西郷輝彦

2012年2月28日(火)泪の連絡船/都はるみ

2012年2月29日(水)太陽がいっぱい/サウンド・トラック

2012年3月01日(木)さざんかの宿/大川栄策

2012年3月02日(金)みだれ髪/美空ひばり

解説と感想

私のもつ、矢野泰三アナウンサーのイメージは「演歌アナウンサー」。演歌・歌謡曲の状況模写が巧みで、船村徹一門とのつながりや、デイリースポーツでの演歌アナウンサーの連載など、ラジオ関西の有名アナウンサー。「神戸のター坊」という流し出身の歌手と一緒にされていた番組は酒場での収録のようなイメージがあった。 当然お酒がすきであったのかと思っていたのですが、実は当初は酒がだめだったという意外なお話からスタート。 仲の良かった先輩アナウンサーとして、よみうりテレビに移られた下山英三アナウンサーの話題が出ました。記録を参照しますと在籍重複期間は1年以下と思われますが矢野さんに影響を与えたアナウンサーだったようですね

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。 このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

« ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第21週 大牧暁子さん) | トップページ | ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第23週 森重貴美子・富本孝子さん) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第21週 大牧暁子さん) | トップページ | ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第23週 森重貴美子・富本孝子さん) »