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2012年6月 4日 (月)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第3週 前田隆さん)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想

第3週 前田隆さん 2011年10月17日~10月21日

お話の要点
昭和37年(1962年)入社 平成8.3退職 旧須磨の平屋建ての社屋のんびりしたたたずまい。テニスコートがあった。水泳は禁止だった。
民間放送のできた頃高校1年 ラジオ少年で ラジオを組み立てて聴いていた。
電話リクエストをする青少年も(長い時間を使うため)自宅の電話が使えず、また家に電話の無いものも多く公衆電話から。
ラジオを聞くのもトランジスタラジオは高価で、ラジオを聴くのも苦労する時代であった。
電話リクエストを担当したのはS37.10。相手はポルトガルの一般家庭のお嬢さんでアンナさん。タレントではなかった。
大阪支社で電話を受け付けしたのも、大阪市内の電話は大阪で受付しようという理由から。大阪スタジオの女性は当時同志社大学2年生の末広真季子さんだった。
電話リクエストのファンのつどいという1ヶ月に一度の企画もあったが、はがきで参加者を募集。3000通が来る。10名ぐらいを選びスポンサーの企業に招待した。そこでわかったことは若い人だけでなくお年寄りの方が聞いておられたということがわかった。
若い人だけでなく、いろいろな世代の人を対象にしなければならない。7-4321の代表電話に10台の電話がつながれアルバイトの女性がメモを取るが、曲名の誤りも多くユニークだった。悲しき雨音が悲しき雨戸になっていたものが、わざと訂正もされす届けられる。
デイレクターもこのぐらいわかるやろと試す。このようなことでアナウンサーが鍛えられた。
さんちかサテライトスタジオは屋内のもので、他局は屋外が多かった。番組のときは人が多く集まった。
担当したのは視聴者参加の「のどじまん大会」、週1回生放送なので困ったこともあった。賞品にバイクが出た。桂三枝さんや小曽根実さんが審査員。
この番組は4-5年続いた。ゲストの歌手はスターの出演も多かった。サテスタはリスナーとの接点で距離感が近くなった。
ショッキングなことは、阪神淡路大震災。取材に行くが、避難所では食料が配られるが自分自身も被災者で自宅は全壊でガスも無く食べ物が無いので配給される食料が欲しい。しかし誤解があると困るという問題があった。
ラジオ関西への連絡も、公衆電話に並び、十円玉が不足したときラジオ放送と気づいた後ろの人から10円玉を貰いながらレポートを放送をした
AMラジオはFMラジオとは違うので情報が大切。震災でラジオはみなおされたといえ普段から聞いて欲しい。ラジオはスイッチを入れると勝手に音が出るというものでもない。
放送局側には10円玉を貰いながらも放送を続ける人がいるので放送ができるということも知ってほしい。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2011年10月17日(月)イン・ザ・ムード/グレン・ミラー楽団
2011年10月18日(火)思い出のサンフランシスコ/トニー・ベネット
2011年10月19日(水)先生のお気に入り/ドリス・デイ
2011年10月20日(木)魅惑の宵/マントヴァーニ
2011年10月21日(金)峠の我が家/ロジェ・ワーグナー合唱団

解説と感想

前田隆アナウンサーというと、私の記憶にあるのは、趣味のアマチュア無線のことなのであるが、昭和52年頃の日本アマチュア無線連盟兵庫県支部大会で西宮市勤労市民会館で行われたことがあった。その支部大会のステージの司会をされていたのが前田隆アナウンサーであった。前田さんはJH3から始まるコールサインをもつアマチュア無線家であると聞いた。
当時の日本アマチュア無線連盟の兵庫県支部は、ラジオ関西の柳原さんであった。そのため、須磨のラジオ関西ホールでも支部大会をさせていただくなどラジオ関西という会社は地元アマチュア無線家には好意的な会社であった。
ちなみに、当時のラジオ関西のアマチュア無線クラブ局はJE3YCRだった。
かってナマナマ大放送 月曜日に声優(ひょっこりひょうたん島のドンガバチョ役の)藤村有弘氏が出演していたが、藤村有弘氏は有名なアマチュア無線家(JH1BAN)で、ラジオ関西の放送では地元のアマチュア無線家が出演するコーナーもあった。
前田さんは、電話リクエスト担当の人気アナウンサーであったが、電話リクエスト終了後はアナウンサーを離れ、報道記者として勤務されていたようだ。
阪神淡路大震災時、芦屋市役所からの前田さんの声は懐かしく聞こえた記憶があった。
しかし、報道記者として阪神淡路大震災では被災者であるながらのレポートがいかに辛いものかということが改めてよくわかった気がします。

なお下記のブログで、前田隆さんの電話リクエスト最終回(1976.1)を聞くことができます
http://flightsim.at.webry.info/201106/article_5.html

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

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