ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 (第7週 松島武雄さん)※追記有
ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第7週 松島武雄さん 2011年11月14日~11月18日放送
お話の要点
S33年ラジオ神戸入社 この前年関西テレビ設立に関連し、ラジオ関西から10人出向・移籍しアナウンサー5名が抜けたため補充することになり 10名が入社した
NHKの試験に最後まで残り (注:大牧暁子さんとときも同様の経歴を聞いたことがある)。東京から来たがもともとは西宮出身・芦屋にも住んでいたが関西の放送事情には疎かった。
関西テレビに移った松本アナの後釜に1名のスポーツアナが必要となった 自分も希望したがだめだった。
当時の大学放送部出身が多く同志社大キャプテンの奥田(ひろゆき)、関学大のキャプテン斉藤(ヒデオ)がうまく、プロ野球は奥田、電話リクエストに斉藤が決まった。
アナウンス学校とは縁の無かったため遅れをとった。
歌謡曲の番組を担当し、三宮の神戸新聞会館の神戸新聞社にニュースを読みに行った。当時は神戸新聞記者が原稿を作り印刷局の片隅にスタジオがあった。
洋楽のラジオ関西。音楽が素人でも環境が良いと音楽通になった。
ネットに左右されないラジオ神戸の野球放送は試合終了まで放送をした。(これが後にサンテレビに伝わることになる)
サンヨーミュージックポストという番組で番組コンテスト1位を取ったことがある。(この話は、大西文子アナウンサーの時に聞いたことがある話しであった。)
昭和43年 当時のラジオ関西 放送第1課がサンテレビに出向する形でサンテレビのナイターが生まれた
ラジオ関西の野球プロデューサ2名も含まれ、アナウンサーは自分ひとりで、サンテレビアナウンサー第一号になった。
しかし、ラジオ関西社員のまま出向し、サンテレビ社員に転籍することはなくフリーアナウンサーとなった。
サンテレビのタイガース戦は、ラジオ関西のメンバー・放送スタイルを受け継いだもので、タイガースの人気も貢献したのも、元はといえばラジオ関西のものであり、サンテレビはラジオ関西に足を向けて寝れないはずだ。
その後32年間サンテレビでタイガース戦を中継した。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2011年11月14日(月)有楽町で逢いましょう/フランク永井
2011年11月15日(火)大学祝典序曲/フィラデルフィア管弦楽団2011年11月16日(水)聖者の行進/消防五人組+2
2011年11月17日(木)カウライジャ/ハンク・ウィリアムス
2011年11月18日(金)月光値千金/ナット・キング・コール
解説と感想
ラジオ関西 栄光の昭和33年入社組アナウンサー 斉藤ヒデオ、奥田博之アナウンサーと同期入社の松島さん。
お声を聞いたとたん「すごく歳をくったみたい」に聞こえた。
ちなみにサンテレビでの野球実況中継(オープニング)の動画は下記
http://www.youtube.com/watch?v=FvfaTAZmziQ
この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください
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