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2012年6月21日 (木)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想(第16週 吉田秀子さん)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第16週  吉田秀子さん 2012年1月16日~1月20日 ただし1月17日は震災関係の放送が入ったため全4回の放送

お話の要点
昭和44(1969)年8月1日の入社8月入社ということで、試験は前年度短期大学在学中に受験したが最終の3名まで残っておられたが、その年は2名採用。2名の合格者という中で入社されたのが森山かずみさんということらしいのです。結局大学に編入するが、合格者2名のうち1名が辞退ということで、再募集があり、(繰上げ合格ではなく)再度受験することにしたという。
結局編入した大学はお辞めになったといわれていました。このチャンスを逃がすと2度とないと思い入社したということ。
吉田さんのアナウンサー生活の中で阪神淡路大震災は忘れない出来事。当時谷五郎さんの朝番組を担当していたが震災当日は放送担当曜日ではなかった。
子どもを家に残して会社に向かった吉田さん。途中に見てきたことを会社に入ると早速レポートをした。社屋は壁が落ちていた。
世の中には予期しないことは絶対にある。阪神淡路大震災を体験した自分にはそれ以上大きいものは無いないと思っていたが東北の震災が起こった。
入社当時、ラジオ関西の須磨のビルが建った頃。先輩がたに平屋の社屋だった。女性アナ8名男性12名以上のアナウンサー20名ぐらいの時代であった。
先輩がたは、ミニスカートなどの全盛時代。ラフな格好であったが、流行の最先端をいっていた。
入社当時スーツで行くと浮いてしまった。遊びにいくような姿で会社に行くと父親に驚かれた。
桂三枝さんや春蝶(先代)などが出演者におられ、放送局だなあと思った。
めくりの思い出。めくりとは(神聖な)アクセント辞典などをめくり、ページ数を合計したものの一番少ないものがコーヒー代を負担するというアナウンサーのお遊び。情報交換コミュニケーションの種類。ラジオ関西では今ではすることがない。

先輩に小山乃里子さん。奥田博之さん。など。アナウンサーの研修で新聞は3誌読むようにといわれ実践したところ親から文句が出た。
担当した番組はビクターの音楽番組が最初。「うっかりちゃんの吉田秀子です。」がキャッチフレーズ。阪神奥様文庫の朗読、青春ラジメニアを担当した。アニメ玉手箱が前身。歌謡曲まかせなさいという番組が岩崎さんとのコンビの最初。
青春ラジメニアは2年間のみ担当。東急カルチャーウォークの第1回が須磨浦公園でやったこと。大阪城公演の掃除隊では1000名をこえるリスナーが集まったことも思い出のひとつ。
タラコさんをつかまえるため、岐阜放送から放送したことがある。
会社を退職して2年ぐらいになる。アナウンサーは、昔は近寄りがたい存在であったが、最近はリスナーとの距離が近くなった。今は寄り添うもの。昔も寄り添うものであったが少し違う。
ラジオの番組とツイッターやブログを比べてそれほどかわらない。むしろラジオの方が優秀ではないか。
若者のラジオ離れが深刻。ラジコを知っていても同じ放送をラジオでやっていることを知らない大学生もいる。
アドバルーンを揚げることも大切。ライフスタイルがかわってきた。防災に強いラジオであるが、日ごろから聞いてもらえないといけない。
ラジオ関西はずっと元気にいて欲しい。あこがれや夢のある放送局だから、がっかりさせないでほしい。
60年前があるから、今のラジ関がある。

(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)

2012年1月16日(月)上を向いて歩こう/坂本九
2012年1月17日(火)震災特別番組のため放送なし
2012年1月18日(水)この広い野原いっぱい/森山良子
2012年1月19日(木)緑の風のアニー/ジョン・デンバー
2012年1月20日(金)あの日に帰りたい/荒井由実

解説と感想

プロデューサとして王様ラジオキッズという子供向け番組を作られておられました。女性ならではの感性とラジオ関西の特性を知り尽くした感がありました。たしか最後は報道制作部長だったと思います。

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

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コメント

歴史を感じますね。

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