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2012年6月18日 (月)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 (第15週 玉井 孝 さん)

ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第15週 玉井 孝 さん 2012年1月9日~1月13日

お話の要点
現在(放送当時)82歳の玉井さん。昭和28年入社すなわちアナウンサー2期生。(4年間ラジオ神戸に在職ということはその後の話に出た)
NHK徳島放送局でアルバイト(放送劇団に入っておられたようで、原稿を書いたり、実際に声を出されていたようだ)をしていたという玉井さん。
徳島放送局にやってこられた、ラジオ神戸アナウンサー1期生の大中照幸さん(第1週放送担当)の話を聞き、実に魅力的でラジオ神戸の入社試験受験を決意したという。
入社して、大中さんの言葉通り、ラジオ神戸の須磨の地はすばらしい環境であった。別荘のような建物、車は外車。どう考えても日本離れをしていた。
湊川神社の前には米軍のジープが走り、金網が張り巡らされていた時代である。神戸の港は貿易港で神戸の元町に住んでいたが銭湯には港湾労働者の方が入ってこられるため、湯船に入ると砂が積もっていた。
初日のリクエスト「モナリザ」は電話リクエスト担当時代、テーマのようにかかっていた曲。この曲を聴くと電話リクエストを思い出す。
初代の小山美智子さんは、非常に人気が高く2代目になるが、初代が偉大で良すぎたため、正直「やりたくなかった」という面があった。
NHKがやらない放送スタイルをするので、やりがいはあった。
XXさんからYYさんへというお決まりのパターンがあった。レコード室から小石忠男さんや末広光夫さんが曲に関するメモを寄せてくれてそれを紹介した。
言葉のミスは怖い。(テレビでの実例を紹介)
源平歌合戦という公開録音番組を担当した。ラジオ神戸の「歌のクイーン」という選考があった。大村昆さんの奥さんになられた方が2代目のクイーンだった。
元町に住んでいたが、ニュースを読むのに三宮の神戸新聞まで行く必要があった。これを寝すぎて忘れており編集者のご老人に代わって読んでもらったが、減俸処分になった。これがトラウマになった。夢にまで見るようになった。
その後遅れたことは無いが、約束したものは10分前に行くというのは、このラジオ神戸時代の教訓。
ラジオ神戸在職は4年間。楽しい思い出が多い。アットホームな中でも個性に特徴がある放送局だった。
ラジオ神戸のアナウンサーには得意ジャンルがあり、それぞれが違う人たちであった。
玉井さんは、現在も神戸に住んでおられる。大阪の放送局(朝日放送)に行っても神戸に住んでいる。神戸が大好き。バラエテイの富んだ街。阪神淡路大震災のときにも東灘にいた。神戸の女性たちの逞しさには驚いた。自分の周りにはそういう人が多い。
なでしこジャパンの中心が神戸というのも理解できるところ。神戸の女性には元気がある。そのような神戸の女性にインタビューをして番組で取り上げて欲しい
最近の放送を聞いていると、早口が目立つ。早口はだめ。簡潔に話すことが大事。お笑いの人が楽屋話をして面白くないのに笑うような風潮は良くない。
淀川長冶さん、妹尾河童さん、新井満(電通神戸出身)さんなど神戸には特徴のある人が多い。これらの人々を記念碑的なものでなく生かせることを考えるべき。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2012年1月9日(月)モナ・リザ/ナット・キング・コール
2012年1月10日(火)ブルー・キャナーリ/ダイナ・ショア
2012年1月11日(水)キッス・オブ・ファイア/ルイ・アームストロング
2012年1月12日(木)ニューヨーク・ニューヨーク/フランク・シナトラ
2012年1月13日(金)オーヴァー・ザ・レインボウ/ジュディ・ガーランド

解説と感想

玉井孝さんは朝日放送出身でTBSに出向し全国放送を担当したアナウンサーのように思われており、実際にWikipediaでも少し前(この放送が行われた頃)まではラジオ神戸の記述はありませんでしたが、私はラジオ関西50年史の本で玉井さんがラジオ関西・ラジオ神戸出身ということは存じていました。

過去の周年記念特番にも登場されたことがあるようです。

現在では、Wikipediaにはラジオ神戸に「短期間在籍」と書いておられますが、実際には4年間在籍をしておられ、4年が短期間かどうかはむずかしいところです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E4%BA%95%E5%AD%9D
いずれにしても、全国区のテレビ放送のワイド番組で人気アナウンサーとなったのは玉井孝さんが最初であり、ほかには奥田博之さん(よみうりTVの2時のワイドショー)もおられますので、ラジオ関西の電話リクエスト人気担当者は全国放送でも通じるレベルにあったということなのでしょう。
他には、FM東京でJFNのネット番組を持たれた加藤逸子さんなどの例があります。

玉井さんについてはこのような記事もあります

http://f-age.jugem.jp/?eid=2451

本ブログでも、松島武雄さんのときに話題にしましたね。

小山美智子さんと同様初期の電話リクエストの担当者です。放送では言っておられませんでしたが、在職はそれほど長くはなく小山さんは1年程度です。小山さんは朝日放送アナ(後にプロデューサ)になられて活躍されておられますが、玉井さんは大阪テレビから朝日放送のようでこれも小山美智子さんと玉井孝さんは同じような道というところに因縁を感じます。

朝日放送は関西では2局目の民間放送TVです。(1956年12月開局)当初近畿地方には、民間放送TVは「大阪テレビ」1局のみで、(もちろん現在のテレビ大阪とは無縁です)これは朝日と毎日の合併したような放送局といわれています。大阪テレビはその後朝日放送に継承されます(ただし大阪TVは廃止となりそれぞれの出向者は元に戻るが、毎日・朝日が新たに開局となったため、それぞれの放送局とも人員が必要となった)ので朝日放送テレビの開局時には、経験者が重宝され、ラジオ神戸の人材の移動があったのでしょう。(同様に読売テレビ開局時にも数名ラジオ神戸からの人的移動も確認されています。また、関西テレビは神戸放送が設立母体なので多くの移籍がありました。このような話題は別途)
また、現在アナウンサー養成のアクト・アカデミー芦屋の校長をされており、同じく2期生の田淵あきらさん(第2週放送に出演)か経営者であることからも縁があるようですね。ラジオ神戸つながりともいえるのでしょうね。80歳台とは思えない現役アナウンサーのようなお声で、有名アナウンサーの貫禄を感じました。

この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください

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コメント

在籍4年間は短期ではないでしょう。
おそらく前回の記事を見た人が読み間違いをして投稿されたのでしょう。(西川さんは短期在籍という言葉を小山美智子さんの1年に対して表縁されておられたと思いますが誤解を招いたのでは)

ラジ関君さん ごぶさたしております
WIKIでは朝日放送の局アナの項目に玉井さんの在籍が1952年からとなっていますので、これを信用すれば1年以下なので、わずかの時間在籍されたとおもわれたのでしょう。
しかし、ラジオ関西の番組でお話になったのはラジオ神戸在籍は、入社が昭和28年(1953年)から4年間ですので、昭和32年(1957)まで在籍となります。
玉井さんは、徳島大学1952年卒なのでしょうが、番組では大学在学中からNHK徳島の放送劇団でアルバイトされていたので、1952年に朝日に入られたわけはないと思います。
朝日放送テレビの開局は1956年12月1日ですので、この前後、たぶん開局直後のアナウンサー需要で移籍されたと考えるのが妥当と思います。残念ながらラジオ関西の放送では大阪の放送局としか言っておられませんでしたが話題はテレビの話題でした。

「電話リクエスト物語」によると、玉井孝アナの電話リクエストの最終回は昭和32年7月21日、翌週の7月28日からは3代目の乙川幸男アナウンサーにバトンタッチしたとありますので、このあたりに退職し、12月1日の朝日放送テレビ開局に間にあわせて入社された可能性があります。そうなると、(1)便宜上、大阪テレビに入社、朝日放送開局時にテレビ大阪分離で朝日入社か、(2)朝日放送入社でTV開局を待ったという可能性がありますね

大阪テレビは朝日放送と毎日放送が共同で設立し、免許申請した、大阪の民放テレビ第1号です。
後年これを朝日放送が継承して、毎日放送は独自にテレビ放送を始めました。
チャンネル番号も大阪テレビは「6」で朝日放送が引き継ぎ、コールサインJOBX-TVは廃止(現在別の局が所持)、JONR-TVとなっています。
気になりましたので、お知らせ申し上げます。

じょーでんさんごぶさたしております
ご指摘ありがとうございます
大阪テレビの事業継承は朝日放送ということをわかっていながら変なミスをしたみたいです。(訂正しました)
新日本放送(毎日)と朝日放送の共同体であったのは、当時大阪(近畿)には民間放送が1つしか認められなかったため、取られた処置ですが、毎日・朝日のテレビ2局体制になるとき、新日本放送からの出向者は引き上げ、大阪テレビは形式上閉局・会社は解散し、事業継承となりますが 現実には新たに2つのテレビ放送局が開局することになったはずです。このようにテレビ放送局開局のときには放送経験者が必要とされ、アナウンサーや番組制作に従事されていた人は特に重宝されたのだと思います。特にラジオ単営局だった神戸放送は人材の供給源になったような気がします。
特に初期の頃の方は、初代放送部次長の高橋太一郎さんもTBS、1期アナのたきれいこさんもニッポン放送、小山美智子さんも朝日放送に移られており、KTVやよみうりTV開局時にも人的移動が確認されています。

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