ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想 (第11週 橋本幸子・池田幸子さん)
ラジオ関西60年 各出演者の話題要点と解説・感想
第11週 橋本幸子・池田幸子さん 2011年12月12日~12月16日
お話の要点
昭和44年8月入社の橋本幸子さん昭和49(1974)年(?私の推測・逆算によるとですが)入社の池田幸子さん。
12月13日放送では、池田幸子アナウンサーが新人時代、当時アナウンス部長だった奥田博之さんに「歌声は風にのって」の番組で、放送後注意を受けるというエピソードが紹介されていました。「原稿を読んでいる」ように間違われた池田さん。
実は原稿ではなくアドリブ。その機転のよさが結果的に認められたのか、新番組「奥田博之登場ごきげんジョッキー」のアシスタントに社員アナとして唯一採用されます。
この頃から、社員アナ+外部契約アナウンサーのような組み合わせとなるのですが、それまでは「ジャストナウ関西」の時期では社員アナ男女2人が普通で、その他の番組でも 社員アナウンサー+落語家・コメデイアン・歌手などの「タレント」というパターンばかりでしたが、高度成長期後半になると、女子アナにかわり契約アナウンサー・フリーアナという組み合わせがラジオ関西では増えてきます。
この時期でラジオ関西の放送を語るうえで欠かせないのが奥田博之さんや斉藤邦雄さん。ご本人の出演はなくても、他の方が話題にされるという感じがします。奥田博之さんの話題は木元英治アナウンサーがされていたのですが、今回のお二人は揃って「奥田部長」という表現だったのが印象的でした。なお、池田幸子さんは木元英治さんの大学の後輩にあたるようです
以下にその他の話題の要点を示します。
歌声は風にのってはナマ番組・ゲストも多かった。女性のアナウンサーはこの番組で育てられた。リスナーと繋がりが強い番組。
橋本幸子さんの思い出の番組はミュージックワゴンという番組。田口昭南アナウンサーとペア。当時は男女アナのペアも多かった。
女性アナウンサーがニュースを読みことは無かったがそれは橋本幸子さんの時代までで、池田幸子さんのときはそうではなかった。
池田幸子さんの時代では、ちょうど音楽番組からワイド・トーク番組への過渡期だった。
池田幸子さんの思い出の番組は奥田博之さんのごきげんジョッキー、橘家円三さんの番組、夜に放送されていた斉藤邦雄さんの懐メロの番組など。
斉藤邦雄さんは懐メロが得意な分野であった。
池田さんの思い出として、震災後、勝新太郎さんにインタビューをしたことがあり、映画俳優のオーラを感じた。
橋本幸子さんの思い出として、美川憲一さんを歌声は風に乗ってに何回がゲストに来てもらったが、そのとき番組で歌を歌わされたことがある。
幸子・幸子という番組は3-4年、林アナが新人時代レポートをしたことがある。
春節祭で南京町広場・現在のあずまやあたりで公開番組のステージをしたこともある。、
阪神淡路大震災のときヒッチハイクで会社にでていた(池田さん)、個人の趣味に走りすぎる傾向のためか若い人の表現能力が落ちている。
ラジオよりインターネットの時代では会話能力が落ちている。ラジオは音の世界。歳相応の話題のできるアナウンサーがいいのではないか。
(アナウンサーのリクエスト曲・選曲)
2011年12月12日(月)ピッチカート・ポルカ/パーシー・フェイス
2011年12月13日(火)やっこさん/美空ひばり
2011年12月14日(水)サニー/勝新太郎
2011年12月15日(木)港町十三番地/美空ひばり
2011年12月16日(金)追憶/バーブラ・ストライザンド
解説と感想
実に変則的な2人の女性アナウンサーの登場。漫才のような会話が多く、私の能力ではうまくまとめることができていないというのが正直なところでもある。
このお二人とは、昭和44年8月入社の橋本幸子さんと、入社年は初回番組中に直接的に言われなかったが8月入社で昭和49(1974)年(?私の推測・逆算によるとですが)入社の池田幸子さん。
池田幸子さんは、「奥田博之登場ごきげんジョッキー」(昭和50年)の初代のアシスタントで当時、奥田さんが新人と紹介していた録音がありますので昭和49年と推定しました。
林アナウンサーは、番組中、池田幸子アナウンサーのほうが、ひさしぶりではないかと言われていましたが、確かに池田さんは早期退職で震災後3年後ぐらいに相当早く退職されているようです(新社屋で3年ぐらい・在職期間26年といわれていましたので2000年ぐらいには退職されていたということになります)
一方、橋本さんは6年前定年退職といわれていましたので2005年の退職だと思います。したがってラジオ関西の社員としては池田幸子さんの方が5~6年前には辞められていることは事実です。
しかし、橋本さんは、アナウンサーから結構前に報道部門へ異動されており、橋本さんのお声が聞こえなくなったのは震災前だったと思います。(ただし私自身の個人的な記憶ですが、平成15年ごろのラジオまつりのラジオ関西ブースでは橋本さんを見た記憶があります。顔は知らなかったのですが、話しておられる声でわかりましたので橋本さんですかとお尋ねしたことがあり、ご本人であることを確認した記憶もあります。このようなことから社員として残られたことはわかっておりました。)このようなことからお二人を電波で声を聞いたのは池田さんより橋本さんが懐かしい感じでした。(私の感覚では)
また橋本さんがアナウンサーから報道に代わられ頑張っておられる様子を矢野泰三アナウンサーがエールを送られる番組を作られ、放送されていたような記憶もあります。(もしかすると何かの放送コンテストだったのかも知れません。感動的な番組でした)
調べてみると1990年ごろには、番組表から橋本幸子アナウンサーの名前が見られなくなっています。1989年まででは、うたかぜのところに名前があるのですが、1990年以後は丸子由美さんなどフリーアナウンサーがニュース・天気予報を担当しながら、うたかぜを担当するということを試行されています。若手の女性アナが半分ぐらい残っていますが、現在では、ワイド番組のアシスタントの女性がうたかぜ(歌声は風にのって)をされています。
時報や「うたかぜ」が女性アナの入門だったのが、新人アナが少なくなり契約アナや中堅アナの仕事になり、女性アナもプロデューサや報道部・事業部などへ異動という方向になったのが感じます
実は、このお二人、おふたりの名前を冠した同じ番組を担当されていとことがあります。
「幸子・幸子で歌いちもんめ」という番組で、同時出演ではなかったと思いますが、まるでお二人は漫才師のコンビのようなノリというか仲のよさでしたが、このような背景もあります。
この番組は、昭和の末期ですから昭和62年ごろ、月曜日~木曜日の正午過ぎから午後2時ぐらいまでの帯番組で、月火が池田幸子さん、水木が橋本幸子さんでした。
さすがにこの時期になりますと、私自身の記憶にはリアルタイムまっさかりの時代ですが、この番組は仕事の関係もあり休みのときぐらいしか聞けなかった番組です。
その他、女性アナウンサーの番組として、共通するのは「歌声は風にのって」、今回のリクエストは、テーマ曲のピチカートポルカ(パーシーフェース)。先週の大西文子さんもリクエストされていました。重複はいいみたいですね。そういえば加藤逸子さんのときもBGMに利用されていましたので登場は3回目です。
いかにこの曲のインパクトが強いかがわかりますね。
それと変則的と思ったのは2人のアナウンサーの登場ははじめてだったのと、出演は、女性・男性の交互というスタイルが続いていたので今回は男性だと思い込んでおりました。
そして「今週はこのおふた方です」と言われたとき男性2人かと思ってしまったのですが女性で驚きました。
なお、橋本幸子さんは低い声のアナウンサーで、70年代のジングル「海のみえる放送局」の中で「ラジオは(というアナウンスに続き音楽スタートし)558KHzラジオ関西です」というアナウンスを担当されていました。
また、池田幸子さんは、入社当初の写真が「ランラジオ」に掲載されておりました。「今こどもたちに」という兵庫県教育委員会提供の番組をされていたこともあり、初任者の研修で社町(現加東市)の教育研修所でインタビューに来られていたとき一度お会いしたことがあります。
この「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」は、かって2012年3月までラジオ関西で放送されたものです。
このブログでも、毎週月曜日分の登場者を紹介して応援していましたが もう少し整理したものが欲しいという声が多くなりました
ここに紹介するものは膨大な情報量のうち要約の一部に過ぎませんが、どのような内容であったかというメールが多く参考にしていただくものです
つまり、あらすじ的に表現するものです。したがって発言者にとって大切なことが抜けているということも十分に考えられます
したがって綿密な検証が必要なののはオリジナルをお聞きになってください
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