今週(最終週)の出演は奥田博之さん(ラジオ関西60年)
来週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は、事前情報どおり奥田博之アナウンサー。
奥田博之さんは、昭和33年(1958年)入社ですが、実は、大学在学中(採用決定後)からラジオ神戸で仕事をしていたということ。前年度の夏に採用試験があったのでその後すぐ仕事をはじめたのだろうと想像できる。
当時は 関西テレビ・よみうりテレビ開局によるアナウンサー人材払拭があり、即戦力となる、現職アナや大学の放送部出身者などに狙いを定めた、採用であったらしい。
奥田さんの説明では、5名の男性アナについては関学大(2名)や早稲田大の放送部、山陽放送のアナウンサーなどで、奥田さんも同志社大の放送部出身だったという。
(松島武雄さんの放送では、斉藤ヒデオさんを関学の放送部キャプテン、奥田さんを同志社の放送部キャプテンといわれていましたが、奥田さんは松島さんを早稲田の放送部の推薦だといわれていました。)
ラジオ関西では当初スポーツアナとしてスタート。当時からプロ野球地元県の放送局であったラジオ関西は日本シリーズの中継を担当し、当時のラジオ関東に逆ネットされたという今となれば皮肉な話も残っています。「電話リクエスト」でマリアリグレステイ、「ナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなった。
1979(昭和54)年頃ラジオ関西を退職しフリーアナとなり、よみうりTVでは「2時のワイドショー」・FM大阪の朝ワイド「あなた」・サンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍した。ちなみにサンテレビ第1号アナウンサーとなった松島武雄さんの番組証言によれば、「サンテレビの中継陣はラジオ関西の野球中継陣である放送1課が移籍したもの」であるから、奥田アナの起用はその実力を熟知したものであったと考えられる。
朝はFMの音楽ワイド番組のDJ、昼は全国ネットのワイドショーの司会、夜はタイガースナイターの実況中継と異分野の番組を担当した奥田博之のフリーアナとしての成功はラジオ関西の経験と実績に裏づけられたものであったと考えられる。
2時のワイドショーは、大阪よみうりテレビの制作であるがNNN系列の全国ネット番組であり、結果的に2時のワイドショーの全盛期は奥田さんの司会の時代であり、番組ではレコードも出すなど全国区の人気アナウンサーとなった。奥田博之アナウンサーはフリーアナウンサーとしての成功例とも評されることが多い。(近畿圏のラジオで活躍した小山乃里子さんや、FM東京JFN系で活躍された加藤逸子さんなどもラジオ関西出身のフリーアナとして有名である。伝説のアナウンサーとなったのは、フリー後ラジオ関西には出演されていないことが大きいことと感じている)
なお、このブログでも幾度か書き込みをいただいいている、フロムさんはFM大阪出身で、奥田博之さんの朝の帯番組(「あなた」)を担当された方で、WEBで記事にもされている。(下記)
http://from3.net/modules/page/content0027.html
下記のWEBもぜひご覧ください。このラジオ関西ファンブログ常連の迷馬さん力作のページです。
CRKが生んだ、伝説のアナウンサー 〜奥田博之物語〜
http://web.me.com/stray_horse/We_Love_JOCR/A_legend_of_CRK~HIROYUKI_Okuda~.html
今週の展開が楽しみです。
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明日からプロ野球中継が始まるので
「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」の
夕方の再放送はありません。
夕方録音されている方はご注意してください。
投稿: 仕事人のMASA | 2012年3月29日 (木) 19時13分
読売テレビが、お昼2時台のワイドショー番組に参入したのは、昭和52年秋の事で、番組タイトルは「ワイドショー・今」でした。関西ローカルというわけではなく、この時からいくつかの地方局にネットしていたそうです。
その番組が、昭和54年3月に、「2時のワイドショー」にタイトルを改め、その1か月後から、東京の日本テレビをはじめ、東日本の系列局へもネットが始まり、しかも、ネットスポンサー込みの番組になりました。
同じ時間帯にそれ以前からワイドショー番組を制作していた毎日放送や朝日放送が、東京へのネットをためらっていただけに、読売テレビの「2時のワイドショー」が、ネットスポンサー付きで東京も含めた系列ネットを実現させたのは、読売テレビの当時の常務だった中野曠三さんの力量が大きかったのではないかと思います。当時、東京キー局の日本テレビは、朝の情報ワイド番組「ズームイン朝」を立ち上げるなど、番組の強化にコマを進めていただけに、読売テレビも、日本テレビのこうした方針によく応えたのではないでしょうかね。
奥田博之さんは、「ワイドショー・今」の頃から出演していたかどうかは分かりませんが、昭和54年秋からメイン司会に昇格しました。
「2時のワイドショー」は、東京などへのネットが始まったから数年の間、試行錯誤を繰り返したようですが、
夜11時台のワイドショー「11PM」に長らく携わっていたプロデューサーの松井守さんが「2時のワイドショー」に転じ、「2時のワイドショー」に「11PM」のテイストを味付けし、
「豪邸訪問」をはじめとしたイレギュラーの特集企画などを次々と投入し、当時の主婦層を大いに引き付け、大阪のテレビ3局がシノギを削っていた昼2時台のワイドショーの中で、唯一東京地区にネットされていた「2時のワイドショー」は全国に大きな存在感を示しました。
投稿: らぶSun | 2012年3月29日 (木) 23時09分
MASAさん らぶSUNさん
有益なコメントをいただきありがとうございました
MASAさんの情報は知りませんでした、。注意しますありがとうございました。
らぶSUNさんは業界のことにお詳しいのですね
非常に参考になります いつもありがとうございます
投稿: 西川敏弘 | 2012年3月30日 (金) 00時35分
いやあ、奥田博之さんの出演、あきらめていただけに、とてもうれしかったです。
高校時代、クラスで前日の奥田さんの番組のことを話していたものです。
とても粋で兄貴という感じで、さすが洗練された同志社ボーイに我々は憧れていたものですが、実は当時で奥田さんは28歳くらいだったと聞いたように思います。
ある番組で、奥田さんと小山乃里子さんとの絶妙なコンビネーションが両者の大ファンの私には最高でしたが、奥田さんが「乃子、乃子」と、云われていたのが今でも耳に残っています。
自宅から夕方の海を観ながらプラターズの曲を奥さんと聴いている、とお話されていましたが、60歳の私には、今も奥田さんは粋を持ち続ける憧れの人であることを確信し、これからの私の人生の道標になりました。ありがとう、奥田さん。
投稿: | 2012年4月 1日 (日) 21時09分
すみません、先程のメールは私でした。
投稿: ラジ関育ち | 2012年4月 1日 (日) 21時11分
ラジ関育ちさん
奥田博之さんがラジオ関西の60周年の番組に出演されたのは本当に喜ばしいことですが公式WEBより番組修了に伴い消されたのか見えなくなっているのは残念です。せめて記録の意味で1年間ぐらい公開されてもいいのにと思ったのは私だけでしょうか?
投稿: 西川敏弘 | 2012年4月 3日 (火) 00時24分
西川様
最新のブログに書かれているように、奥田さんのお元気そうなお写真が掲載されて、喜んでおります。
おっしゃるように、60周年の今年1年くらいは記念として掲載して欲しいですね。
投稿: ラジ関育ち | 2012年4月10日 (火) 09時01分
ラジ関育ちさん
ラジオ関西60年の番組を途中から毎週月曜日の放送を聞き「今週の出演は」という予告編を示してきましたが、あらためて放送の録音を聞き放送のダイジェスト版・要点や関係情報の整理を進めています。浜村淳さんの映画解説ではありませんが、放送の解説と関連情報の紹介をというご要望も寄せられています。
番組ホームページでは出演者の写真とかかった音楽のみの記録です。これは是非残していただきたいのですが、どのような話の内容だったかというのが欲しいところです。ほしがってばかりではいけませんのでファンが聞いたラジオ関西60年放送・・というのも面白いかもしれませんね
(もちろん要点のまとめは終わっています)
投稿: 西川敏弘 | 2012年4月11日 (水) 00時25分
「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」が終わってしまい少しさびしい気がしますが、「名曲ラジオ三浦紘明です」は当分続きそうなので、できるだけ聴き続けようと思っています。この間娘の住む堺市内のマンションで聴きましたが、近距離だと雑音やフェージングが全くありませんので、大都市圏内だとAMラジオも捨てたものではないなと感じたものでした。AMステレオ放送が20年位前にデビューしましたが、衰退してしまったのが惜しい気がします。
余談になってしまいましたが、このブログで以前話題に上りました、ラジオ関西のエンディングに使われました曲、"Send Me The Pillow -Browns"につきましては、昨年6月頃、「名曲ラジオ三浦紘明です」にメールでリクエストし、すぐに採用されたことが印象的でした。曲を掛けていただいた当日電波の状況があまり良くなかったのが残念でしたが、確かに聴き取ることができました。あれ以来リクエストは出していませんが、何か思いつくものがあれば、また出してみようかと思っています。
投稿: 吉田康夫 | 2012年4月19日 (木) 21時12分
吉田様、コメントをいただきながらどのようにご返事しようかと考えておきながら迷い
個人的に多忙なこともあり遅くなり失礼しました。
ラジオ関西退職後も、コミュニテイFMなどの出演があるものの現役アナと思わせるような三浦さん
一方で、ラジオ関西退職後、TVで全国的にブレークした奥田さんは、ラジオ関西では声が聞こえることがなく「伝説のアナウンサー」。
お二人は共通点もあり、名アナウンサーには違いありませんが、今でも聞ける三浦さんは「伝説」とは言いにくいのですが、逆に現役を続けられる
のでいい味が出ているように思います。その意味でも番組がいつまでも続くことを期待しています
投稿: 西川敏弘 | 2012年5月10日 (木) 09時23分
ご多忙の折レスをいただき有難うございました。暫くブログの更新がなかったので、正直なところ休止(?)かと思ったことがありしましたが、今後も折を見てアクセスさせていただきます。
さすがに夏になってきますと午前5時頃には当地での受信状態はかなり悪くなりますが、3時頃に目が覚めた時には聴いています。
それにしても、CMが入らずNHKの音楽番組のようなのには感心しますが、ラジオ関西のPRが目的なのか、あるいは三浦さんのボランティアによるものなのか、と考えててみたりです。
投稿: 吉田康夫 | 2012年5月31日 (木) 19時52分
現在のラジオ関西の番組は、少なからず引退されたOBの方々の手によって番組制作が進められているように見受けられます。元報道制作部長や管理職アナウンサーなど現役時代の栄光あるラジオ関西を知り尽くした方々です。世の中で言う完全無償のボランテイアではないのでしょうが、ボランテイア精神が根底にあることは間違いないのでしょうね。それだからこそラジオ関西は愛される放送局なのだと思います。
これからもよろしくお願いします
投稿: 西川敏弘 | 2012年6月 1日 (金) 01時40分