帰ってきたヨッパライと小山乃里子さん
ラジオ関西60年で小山乃里子さんの証言を聞いて気がついたこと。
かって、このブログでも紹介した通り、フォークルの帰ってきたヨッパライはラジオ関西の西内隆プロデューサが仕掛け人であり、その番組は「ミッドナイトフォーク」ということを紹介した。
(参考) 2006年12月17日 (日) ラジオ関西ファン ブログ
帰ってきたヨッパライはラジオ関西の電話リクストで世に出た
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f4ff.html
今回、小山乃里子さんの話題で、入社1年目の昭和41年~42年に「ミッドナイトフォーク」という番組を担当し「ヤングフータナニー」というサブタイトル曜日を担当されていたようだ。
デイレクターは、西内さんといわれていたので間違いは無いはずだ。毎週2組のアマチュアを呼び、話を聞き歌を演奏してもらうというスタイル。
「高石ともや」や「ジローズ」なども出た番組。京都で活躍していたフォークルも大学卒業間近となり解散を決め、解散記念に作成したレコードを、この番組に持ち込んだという。
その後、ラジオ関西の電話リクエストで放送され、その電話リクエストでDJをされていたのが木崎義二さん。木崎さんは昭和42年8月から電話リクエストを担当されており、この電話リクエストを木崎さんと担当されていたのが小山さんであることは、2012/1/3放送の小山さんの話題で気がついていたところだ。
その木崎さんの友人がニッポン放送の亀淵昭信さん。オールナイトニッポンのDJもされ、後年ニッポン放送の社長となった人だ。
2012年1月3日放送では、木崎義二さん(東京在住で音楽評論家兼洋楽雑誌「TEENBEET」編集長)の誘いを受けて、小山乃里子さんが東京に遊びに行き、そこで、亀淵さんと出会う話が紹介されていたが、その背景にはこのような事情がある。
なぜ、このことを私が気がついたのかというと、ラジオ関西の洋楽CD第2集の「ご挨拶」(p2-3)に紹介されている。
(参考)2010年7月16日 (金) ラジオ関西ファン ブログ
ラジオ関西の洋楽100曲CD第2弾を購入しました
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7a99.html
もちろんこの中で小山さんの名前は無いがミッドナイトフォークと、電話リクエストで木崎さんとのコンビの小山さんが情報を伝えたということが想像できる。
なお、帰ってきたヨッパライがラジオ関西で紹介されたのが昭和42年9月下旬で10月13日に亀淵氏に音源を渡し、10月14日の「高崎一郎のオールナイトニッポン」で放送され、全国的にブレークしたようです。
ミッドナイトフォーク(深夜12時から1時間の録音帯番組)という番組は、ラジオ関西では1年で消えてしまいます。その理由は小山さんは「ベトナム反戦」のイメージが強かったことが原因と考えられているようです。
スポンサーの意向といっても、このミッドナイトフォークにどれだけのスポンサーがついていたかはわかりませんが、若者を対象としていたのは小山さんの曜日。もっとも当時は小山さんも若く、大学生たちとそれほど年齢はかわらなかったようです。番組でも言われていましたが高石ともやさんと同年齢のようです。
さて、番組が消えた理由として、私の視点からいえることは、サンテレビ開局により、ラジオ関西社員が25名の出向を出しますので、マンパワー的に大打撃を受けてしまいました。このことは、深夜放送という分野に挑戦したいはずのラジオ関西が出来なかった大きな理由のはずです。
事実、この番組担当者の西内隆さんも、サンテレビに出向され、音楽番組などを担当されます。
当時のラジオ関西労働組合がさんちかサテスタ前に張り出した窮状を訴える文章(上記写真・井川宏之先生提供)や、5年後に深夜放送ファン1972年(昭和47年)2月号に掲載された記事「20KW増力を機会に一次中断していた深夜放送を復活するプランを立てていたが諸般の事情で。再び延期」とい記事(下記写真)を紹介しておきたいと思います。
なお、小山乃里子さんのラジオ関西時代の話題について、(1)王子公園での公開番組で森山良子さんが高校生の頃出演していた話題(2)当時加入していたNRNの全国放送で大晦日の夜神戸港から10分間中継に2時間前から待機していた局アナ時代の話題
などがあり、良い思い出として話されていたことが印象的でした。
なお小山さんは、現在でもラジオ関西で「ビバ!タカラジェンヌ」という番組を担当されていますが、この番組は長寿番組で、かっては、ラジオ関西をキー局として、RFラジオ日本、大分放送、信越放送、静岡放送でも放送されていたことがある。阪急電鉄はラジオ関西の株主であり、かっては、関西テレビ開局のときにも良好な関係があり、阪急西宮スタジアムでもラジオ関西主催のナイターコンサートを開催したり、プロ野球の阪急戦の中継を多くしていた時期もありました。ラジオ関西が関西テレビ設立に大きく関与したということを知る人も今では少なくなっているような気がします。(文化放送とニッポン放送がフジテレビを作り上げたことは結構知られているのですけど)
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コメント
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少し遅れましたが、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
今週の小山乃里子さんの放送については、残念ながら聴き逃してしまいましたが、12/30~1/2まで兵庫の方に居りましたので、おかげ様で鮮明な音でラジオ関西の放送を聴くことができました。こちら(静岡)でも空の状態次第で、夜間では結構良く入る日もありますがフェージングには如何ともし難いです。
余談になりましたが、写真にありますような争議につきましては、私も記憶があり、須磨の本社に張り紙などが見られました。ストライキで局アナウンサーが勤務を離れていたことも結構ありました(矢野泰三アナウンサーの代わりに管理職の奥田博之アナウンサーが出るなど)。アナウンサーという職業をタレントのように思っていた時もあったのですが、サラリーマンであること、また、放送局も企業であることを実感させられました。
投稿: 吉田康夫 | 2012年1月 7日 (土) 14時29分
吉田康夫さま
どうぞ今年もよろしくお願いします。
そうですね。私も春闘の時期には必ずといっていいほど、局アナの女子アナが出なくて奥田博之さんが出演していたのを覚えています。(かなり後の時期までそうだったように思います)
そのラジオ関西も社員の平均年齢が高くなり、管理職の割合も相当増えてしまったように思いますね。
投稿: 西川敏弘 | 2012年1月 8日 (日) 00時57分