2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月30日 (月)

今週の出演は山田健人さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和36年の入社という山田健人さん。
お名前の読み方は「やまだきよたみ」さんが本当らしいのですが、私が聞いていた頃には「やまだけんじん」さん。
「やまだけんじんの俺だってサラリーマン」というワイド番組タイトルもありました。今から思うと不思議なタイトルですが。

この方も「しばらく、番組ではお声が聞けてないなあ」と思っていたアナウンサーの一人でした。専門はワイド番組というよりスポーツ中継という感じ。昔の資料では野球のほか競馬番組も担当されていたようです。
私が山田さんのお声をひさしぶりに聞いたのが、阪神淡路大震災のときの震災報道のシンポジウムで登場されたのが、当時の取締役報道制作局長の山田さんでした。
 
在職は長く、さらに現在はコミュニテイFMのFM三木の局長をされておられます。
そのようなこともあり、ラジオのプロとして50年のキャリアをもつ山田さん。
入社は昭和36年の4月の予定だったが、昭和36年3月から1ヶ月間、ニッポン放送の新人アナウンサー教育を、ニッポン放送社員とともに受けたという山田さん。ニッポン放送との良い関係の時期だったとつくづく感じます。(ニッポン放送の研修を受けていたのは他社ではラジオ関西だけとか)
もっとも当時は、テレビの普及も少なくラジオが「まだまだ元気」だった頃。当然ラジオ関西も元気でした。

高度成長期を背景にラジオ一筋の山田さんのお話が聞けるこの一週間の展開が楽しみです。

2012年1月25日 (水)

ラジオ関西アナウンサーリストを改訂しました

ラジオ関西アナウンサーリスト(神戸放送劇団員リスト付属)を改訂しました。

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9f37.html

初期のアナウンサー・劇団員の方が朝日放送・関西テレビなど新設のテレビ放送局に移られていたことがよくわかります。

特に、当時の神戸新聞社の田中社長(ラジオ神戸社長でもある)が、朝日新聞出身であることや、関西テレビもラジオ神戸が設立母体のひとつであること。またラジオ関西田中社長も関西テレビ副社長だったことも背景にあります。

2012年1月23日 (月)

今週の出演は高橋美子さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和28年入社すなわちアナウンサー2期生の高橋美子(たかはしよしこ)アナウンサー。
番組の話によりますと、同期には玉井孝アナウンサー(後の朝日放送)、藤井万里子アナウンサー(かなり早期に退職とか?)と高橋さんの3名でした。
番組ではいわれていませんでしたが、高橋さんは、ご結婚後も(神崎美子という名前で、小山乃里子さんの回で登場される上司の副部長)ラジオ関西で報道制作に携われ管理職アナとなっておられます。
こちらの調査では1968年6月ごろに退社されておられます。ご夫婦でラジオ関西におられた時期もあったようですがご主人がラジオ関西から、YTVに行かれた方ときいたことがあります。
(このようなことは放送では言われないと思いますが、いかに当時のラジオ神戸の方が他局に迎えられたかということがわかる話題と思います)
いずれにしても実力のある女性アナウンサーとお伺いしたことがあります。今週の展開も楽しみです。

2012年1月20日 (金)

広島市安佐動物公園動物写真コンクール 入選通知

この数年、毎年応募しています広島市安佐動物公園動物写真コンクールの入賞通知が来ました。(2012/1/19)入賞はこれで4年連続となりました。
今回は、はじめての「入選」過去には朝日賞(朝日新聞)が2回、昨年は園長賞、今回は入選なので昨年より落ちたのかと思いましたが園長賞の上位に入選があるということらしく、改めて驚きました。
特選、準特選、入選、園長賞・・の順みたいです。応募総数458点。
選者は動物写真家の田中光常先生。(神戸市立王子動物園の写真コンクールの選者の先生です)
またとうぶん動物園めぐりは続きます。

2012年1月18日 (水)

神戸新聞読者の報道写真コンテスト 準入賞(A)

神戸新聞が募集している月例「読者の報道写真コンテスト」の発表日は第三水曜日。
今月は準入賞(A)。先月は準入賞(B)でした。氏名と作品名の掲載結果となりました。

新聞発表日のうちには、神戸新聞のホームページにも記載されます。
WEBでは、準入賞でも写真が公開されます。
雑誌などでは予選通過というものがありますが、写真雑誌は作品が掲載されない場合が多い(一部入賞以外でも掲載される雑誌もありますが、主にビギナーに対するアドバイスがほとんどです)ので、公開扱いには普通なりません。(したがって未公開作品として他のコンテストに応募は可能な場合が多いのです。その作品を応募して入選するかしないかは別として)
神戸新聞の場合は準入賞なので、賞品などは出ませんが作品は公開されます。(したがって公開扱いですので、他のコンテストには応募できません。他に上位入賞しても取り消されることになった例もあるようです。)
今回の選者は、神戸新聞写真部次長の富井雅人氏、過去にも一度選んでいただいた記憶があります。
写真部デスクによる交代制の審査ですから傾向もなかなかつかめません。このコンテストは入賞・準入賞者には各種フォトコンテストや写真雑誌の月例コンテストの常連の方の名前が並んでいますので、準入賞でも光栄なことだと思っています。

今回の作品は「つめ切りも大変」という題名で、王子動物園のアジアゾウのつめ切りの様子を撮影したものです。この時期は祭りやイベントが少ないので、この時期撮影が多くなる動物写真でした。(NIKON D700 ニッコール 80-200mmF2.8ED)

http://www5.kobe-np.co.jp/photo/1112/12.php

2012年1月16日 (月)

今週の出演は吉田秀子さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和44年8月1日の入社という吉田秀子さん。在職は長く、2年前まで在職なのでご存知の方も多いはず。ただし、最後のほうはアナウンサーという仕事ではなくプロデューサとして王様ラジオキッズという子供向け番組を作られておられました。女性ならではの感性とラジオ関西の特性を知り尽くした感がありました。たしか報道制作部長だったと思います。
8月入社ということで、試験は前年度短期大学在学中に受験したが最終の3名まで残っておられたが、その年は2名採用。結局大学に編入するが、合格者2名のうち1名が辞退ということで、再募集があり、(繰上げ合格ではなく)再度受験することにしたという。結局編入した大学はお辞めになったといわれていました。
ちなみに、その2名の合格者という中で入社されたのが森山かずみさんということらしいのです。
短期大学卒業で入社した吉田さんと、退職がそれほどかわらない森山さん。森山さんは大学生での入社とどこかで聞いたことがあるのですが・・・。ラジオ関西は、短大卒や大学在学中でも採用していた時代もあるので今と事情が違うのかもしれませんね。
そういえば、小山乃里子さんが広島の放送局を受験したとき最終まで残ったのに「若い子に負けた(高卒の子が採用されたので)」という時代(理由は優劣ではなく、都会からきた大卒は早く辞める?というためらしい)なのでこのあたりは、興味あるところです。

今週は、阪神淡路震災の週、したがって1月17日分の放送はありません。(当然再放送も無いのです。)理由は、この番組が早朝5時35分から5時50分という番組の時間とも関係があります。
(阪神淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分発生。平成7年ですから17年前ですが、この放送の時間中になってしまいます。当日はその時間帯にイベントがあるため三上さんの番組になるようです。誰かが中継に行かれるのかも知れませんね)
この番組は、録音で登場アナウンサーの年代はランダムです。というより、クリスマスや正月には、電話リクエストの話題にふさわしい人が選ばれていました。
ということは、今回登場は阪神淡路大震災のとき活躍されたアナウンサー。早朝の谷五郎モーニング(当時谷五郎がCRの朝の顔であった)谷五郎さんのアシスタントが藤原正美さんと吉田秀子さん(曜日別)でした。震災日は藤原さんの曜日でしたので例の放送再開は藤原さんの声によるものでした。
藤原正美さんは、フリーアナですから、この番組のコンセプトからいくと吉田さんか、アナウンサー出身で当時の報道制作局長の山田健人さんのどちらかと予想していました。

今週も私の知らない、いろいろな話題が出ると思いますので楽しみです。

2012年1月11日 (水)

特別企画 ラジオ関西アナウンサーリスト(試作品 一部改訂3/29)

○ラジオ神戸専属放送劇団員  

(試作版2012.1.30改訂)

角野源平 (代表・プロデューサ その後関西テレビのドラマ制作に)
武 周暢  (TVドラマへ)
夏目俊二 (初期のTV番組「遠山の金さん」などの主演:全国区の俳優に 神戸新聞でも紹介記事があった)
徳久勲   (ラジオ神戸社員に。1964年3月放送部副部長で休職・以降今のところ調査できず)
木本英二  (「少年ターザン」の主役)
溝江初子
服部長明
松本美弥子
田淵あきら
(劇団からアナウンサーに転向)

谷口完(ラジオ関西60年 10/7放送で紹介)

■開局以来のアナウンサー  

試作版2012.3.29改訂
昭和40年代以前入社の人は定年を迎えている
定年退職以外のこと(他社移籍・フリー化)を特記

皆川儀太郎(開局第一声のアナウンサー 元はニュース映画のアナウンサー)

鷲尾巌(ラジオ関西 経営陣へ:専務・監査役(1977/6退職・数年前に死亡) 

松川謙次(昭和30年業務課長に、その後は調査中)

正井巧(3周年記念誌の記載、1964年社報では姫路支社次長となっており営業部門へ転出?:ただしラジオ関西50周年記念誌では「正井功」)

松井政和(ラジオ関西経営陣へ 専務(1985/6)退職)

高城禮子(たきれいこ:1期女子アナで神戸女学院出身:1年で退職ニッポン放送へ?60周年放送1/25より推測)

前田昭子(まえだあきこ)1期女子アナ

小山美智子(1期女子アナ:朝日放送へ) ラジオ関西60年出演

殿村收史(薬剤師からラジオ神戸アナへ転身、その後関西テレビへ移籍。殿村収史という表記も見られる。とのむら なおちか ラジオ関西60年出演

大中照幸(神戸大在学中にスポーツアナとして1期入社:後にラジオ関西常務取締役・監査役(1991/6退職)ラジオ関西60年出演

平野健次(営業部門へ1960年代副部長・以降調査中)

末広光夫 (厳密にいえばアナウンサーではないが、番組出演も相当あるため 当初レコード室勤務・プロデューサ・番組出演多数ラジオ関西60年出演

藤井万里子(萬里子・満里子?)(1953/4-1955/11:2期女子アナ:「今日の栄養料理」を担当)3/12ラジオ関西60年出演 漢字の万里子はラジオ関西50周年記念誌 萬里子は公式WEB 満里子は別情報による 山口まりこと同一人物と思われる

玉井孝(1953/4-2期生:電話リクエスト2代目担当者1954年10月より1957年7月末まで担当:その後朝日放送へ CR退職時期不明であるが4代目との交代は1957年7月は社史の記載による。在職期間は現在調査中だが1953/4-1957/7?長くはないが極端に短い期間ではないと考えられるラジオ関西60年出演

高橋美子(1953-1968:2期女子アナ:後の神崎美子 1968年副部長で退職 ラジオ関西60年出演

田淵あきら(1954/8入社-3期女子アナ:「アベック社会見学」を担当:退職後フリー・サンテレビで活躍 その後イベント会社、アナウンススクールの経営者として成功した人。ラジオ関西60年出演

山口まりこ (田淵あきらさんの放送11/9で名前が出たアナウンサー 藤井まりこさんと同一人物と思われる)

松本 暢章(関西学院大学在学中にラジオ神戸アナウンサーに:開局3周年記念誌、50年史にも登場。記念誌ではいずれも正規のアナウンサーとして扱う記事があり単なる学生アルバイトではないと判断できる。1期生の大中さんも神戸大在学中にアナウンサーになったという本人の証言があったので同様と思われる。関西テレビへ移籍となるが、競馬中継で後輩となる山田けんじんさんが世話になったという証言がラジオ関西60年の放送の中で語られた。物故者)

○関西テレビ設立にはラジオ神戸から出向:移籍者が多く存在することは「ラジオ関西50年史」でも記載あり。

山田孝子(1955/5-1958/9 退職後よみうりTVへ)
安斉斐子(1951/1-1958/8)
香西美登里(1955/5-1957/9

乙川幸男(電話リクエスト3代目担当者 番組担当は1957/7から約1年)

井上貞子(1957/9-1958/5)

宗国博一 (むねくにひろかず)1957年(昭和32)年入社-昭和37年ごろに西日本放送へ移籍。ラジオ関西在籍中はプロ野球の実況中継などを担当された ラジオ関西60年3/15出演

奥田博之(1958入社。1979年頃アナウンス部長で退職しフリー ラジオ関西では当初スポーツアナとしてスタート。当時からプロ野球地元県の放送局であったラジオ関西は日本シリーズの中継を担当し、当時のラジオ関東に逆ネットされたという今となれば皮肉な話も。「電話リクエスト」でマリアリグレステイ、「ナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなる。YTVでは「2時のワイドショー」・FM大阪「あなた」・サンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍。ちなみにサンテレビ第1号アナウンサーとなった松島武雄さんの番組証言によれば、サンテレビの中継陣はラジオ関西の野球中継陣である放送1課が移籍したものであるから、奥田アナの起用はその実力を熟知したものであったと考えられる。朝はFMの音楽番組、昼は全国ネットのワイドショー、夜はタイガースナイターと異分野の番組を担当した奥田博之のフリーアナとしての成功はラジオ関西の経験と実績に裏づけられたものであった)ラジオ関西60年出演(最終第26週)

斉藤ヒデオ※(電話リクエスト4代目担当者。関学放送部OB。開局10周年記念電話リクエスト・全国ネット放送時の司会 1968/12/31副部長で退職・物故者)

山田和雄(やまだかずお 1958年入社 1/27ラジオ関西60年 高橋美子さんの話に登場した。奥田博之さんの話では山陽放送出身。 また3/13ラジオ関西60年出演

村上とおる(1958年入社 3/13ラジオ関西60年 山田かずおさんの話に同期として登場した)奥田博之さんの話では関学OBで入社2年目頃交通事故でお亡くなりになられた

松島武雄(1958年(昭和33年)入社サンテレビ設立時に出向後・サンテレビ第一号アナウンサーとなる。サンテレビ社員とはならずフリーアナとなり、30年以上サンテレビのプロ野球実況を担当した。晩年ラジオ関西でも兵庫県の広報番組を担当した。ラジオ関西60年出演

大牧暁子(1958/7~1965/10退職後・フリーアナ ジャズイベントの司会でも有名。テンミュージックアベニューなど、末広光夫プロデューサと多くの番組を担当。大牧焼子は誤字ラジオ関西60年出演

山口則子 S33-S37 大学4年在学中に入社 クラシック番組を担当。その後クラシック音楽担当の小石忠男プロデューサと結婚された ラジオ関西60年出演3/16

西内春美 (女性アナ) ごみょうゆみこさんの3/14放送で登場.

奥田博之さんが同期の女性アナと証言3/28放送

1958年採用のアナウンサーは男子5、女子5(関西TV開局による移籍があり大量採用)したがって、残り女子2名が不明

田中邦臣(※未確認情報※ラジオ大阪を経てFM大阪編成部長。元ラジオ関西という話は元FM大阪の方からの情報)

五明由美子 ごみょうゆみこ昭和35年入社2年間在籍。斉藤ヒデオさんと結婚  ラジオ関西60年出演3/14 

井本智博 入社年月不明(190年代?)-1964/1/20退職 電話リクエストも担当 他局(山陰方面?)へ

高林幸子 たかばやしさちこ

饗庭幸子 あえば さちこ三浦紘朗さんの放送で紹介。ただし高林幸子さんと同一人物と思われる)

大西文子(1960/3-1964/12 退職後、インドネシア国営放送 日本語放送アナ・ラジオ関西60年出演

前田隆 (1962/3-1996/3 「電話リクエスト」などを担当。アナウンサーから報道記者へ 1996年定年退職・ラジオ関西60年出演

白石公子 電話リクエストなどを担当

下山英三(1964年頃よみうりテレビへ よみうりテレビでアナウンス部長)

森本喬樹(ラジオ関西経営陣へ 取締役・監査役(1998/6退職))

河野春美 映画、映画音楽に造詣が深くそのような番組を多く担当、プロデューサとなる、退職

山田健人(1961/3?-1999/6 山田きよたみ・山田けんじん※1961年3月?入社・ラジオ関西経営陣へ 取締役(1999/6退職その後FM三木局長へ・ラジオ関西60年出演

渡辺淑子 (1962/7-1966/12)ショップガイド「神戸クーポンアワー」などを担当

大木猛生 「電話リクエスト」「声の神戸新聞」などを担当 1970年代在職中に病死

久保慶子 (1962/8-1964/3)オリエンタルメロデイ」「朝の歌謡曲」などを担当

 

寺井春枝 「電話リクエスト」「モーニングエコー」「くらしの歌」などを担当

 

久保浦重紀 「おはよう農事メモ」などを担当

 

南里義彦 「エベレストランチタイムミュージック」などを担当

中野真知子(1963/4~1968/8:山田真知子として、ラジオ関西60年出演 「一曲どうぞ」「ランチタイムミュージック」などを担当

斉藤邦雄(斉藤くにお※)「斉藤くにおのワイドワイド関西」「電話リクエスト」「ナマナマ大放送」などに出演。ドラ金小曽根カンパニーのプロデューサ。局長級・早期退職 

矢野泰三 「ときめいて昼下がり」「テレテレ三度笠」「いい日朝立ち」他演番組などを担当。定年退職後 一時期フリーアナとしてラジオ関西でも活躍した演歌アナウンサー ラジオ関西60年出演

(※以下 昭和40年代入社)

小山乃里子(1965/1-1971/?) 在職時は、「電話リクエスト」「ミッドナイトフォーク」などを担当。フォークルの帰ってきたヨッパライを世に出したとき木崎義二と電話リクエストでコンビを組み、木崎がニッポン放送のオールナイトニッポン(当時のADが亀淵さん:ラジオ関西CD第2集にも証言有)に橋渡し全国的にブレークした。その後フリー 現在も関西各局で活躍する)三浦紘朗さんが同期と証言・ラジオ関西60年出演

田口昭南(田口しょうなん※田口あきなみ 早期退職後FM宝塚社長に・死去 三浦紘朗さんが同期と証言)

三浦紘朗(三浦ひろあき※)「電話リクエスト」「おはよう神戸から」「JAFスポット」などを担当。定年退職 フリーとして現役・ラジオ関西60年出演

高田敏子(三浦紘朗さんが同期と証言) 2/13追記

加藤悦子(三浦紘朗さんが同期と証言) 2/13追記 加藤逸子(1972入社)さんとは別人と判断 漢字名がわかり変更(3/25)   

橋本幸子 (1969/8-2005?)報道記者異動後定年退職ラジオ関西60年出演

森重貴美子 (1967/4-1970/11退職) 第23週ラジオ関西60年出演

小柳絹代 (1967/4-1974/6退職) ラジオ関西60年出演

木元英治(1971/11~1982/5退職:FM広島で活躍その後FM広島退職)ラジオ関西60年出演

森山和美(森山かずみ※)プロデューサ定年退職

富本孝子(とみもとたかこ 昭和46年入社 退職後 いりえたかこという名前で「三上公也の朝は恋人」時代、「おはようコープです。」のレポータを10年ぐらい続ける。ラジオ関西60年10/10放送で加藤逸子さんが同僚と証言。その後ラジオ関西60年第23週出演

上田中子 退職

加藤逸子(1972~1985?退職・フリー・FM東京などで活躍)1985年退職はラジオ関西60年の放送出演のお話から。ラジオ関西60年第2週出演。) 

吉田秀子 (1969/8-2009?)報道製作部長で退職 ラジオ関西60年出演)

池田幸子 (1974/8-2000/?退職ラジオ関西60年出演

(※以下 昭和50年代入社)

国広正夫 定年退職 現在契約プロデューサ兼アナ 

牛尾淳  退職 スポーツアナ。フリーアナとして現役 ラジオ関西60年出演

三上公也 ◎現 報道制作局 専任局長 

岩崎和夫 退職 フリー 現役 ラジオ関西でも活躍 ラジオ関西60年出演

林真一郎 ◎現 報道製作局 報道制作部長(2012/1/1付)ラジオ関西60年に番組担当アナウンサーとして出演

(※以下 昭和60年代以降入社)
石井節子 退職 フリーで活躍されていたが現在不明

佐藤淳  ○現 東京支社 あにたま番組プロデューサ

古田彰満 ○現 報道記者・ニュース・スポーツ中継担当

池田奈月 ○現 事業部勤務(フリーからラジオ関西復帰 番組も担当)

注記

敬称略 試作版です 

※印のひらがな表記は、当時の番組表などで、そのような表記をしてた時がある。
田口昭南アナは「たぐちあきなみ」とも呼ばれているが、番組では「しょうなん」表現
山田健人さんも同様、本来の名前の読み方は{きよたみ}であるが、放送では「やまだ けんじん」という表現もしていた。

変更履歴

2012/1/14 田中邦臣氏を昭和30年代前半に未確認情報として追加しました。現職 林真一郎氏の肩書きを昇格により改訂しました

2012/1/25 情報追加・訂正

2012/1/27 追記訂正 この日のラジオ関西60年の放送では、高橋美子アナウンサーの証言で、初期のアナウンサーはテレビ局(民間放送新設による)に移られたという全体像が明らかになった。

2012/1/30 下山英三アナウンサー、大牧暁子アナウンサー等の記載内容追記

2012/2/13 高田敏子、加藤えつこ (三浦紘朗さんが同期と証言) 

あえばさちこさんを追記。その他修正

2012/3/1 小崎くに子 ※未確認情報として追記 元ラジオ関西ア ナウンサーという表現のWEBが複数あるため追記しましたが3/25誤りとわかり削除しました。アナウンサーではなく当時関西芸術座所属のタレントという当時のラジオ関西関係者の方からご教示いただきました

2012/3/3 山口まりこさんを追加 2011/11/9 ラジオ関西60年の放送(田淵あきらさん第3回の証言)録音を確認

2012/3/5 とみもとたかこさんについて、いりえたかこ表記を追加・開局60年記念番組「アナウンサーでつづるラジオ関西60年出演アナウンサーについて、「ラジオ関西60年出演」表記を追加

2012/3/13 村上とおるアナウンサーを追記 ラジオ関西60年3/13放送内容

2012/3/14 ごみょうゆみこ 井本智博 西内アナウンサーを追記

2012/3/16 宗国博一 (むねくにひろかず)アナウンサーを追記 ラジオ関西60年3/15放送による 山口則子さんを追記 3/16同放送による

2012/3/25 小崎くに子さんについてはラジオ関西アナウンサーではなく当時関西芸術座所属のタレントという当時のラジオ関西関係者の方からご教示いただきました。お詫びして訂正します

お願い

WIKIPEDIAのラジオ関西過去アナウンサーと比べても相当量があると思います。

情報募集中 なお、局アナ以外の契約アナ・タレントなどの判断はむずかしく、誤りも当然あるはずです。

WIKIPEDIAなどに転載しないようにしてください こちらの過去の誤字(ラジオ関西ファンWEBを含め)、たとえば「大牧暁子さんを大牧焼子」などがそのまま使われたこともあります。アンチWIKIPEDIAではなく 誤った情報を当然のようにあたかも正しい情報として使われるのが問題なのと考えるのと、リンクされないとこちらの最新版を提供できません。

なお、ブログやWEBでは 出典を明記されるとか リンクをされれば 最新版を参照できるので問題はありません。リンクは大歓迎です。承諾を取る必要はありません。

参考文献

ラジオ神戸 開局記念パンフレット/小冊子(ラジオ神戸 S27)

ラジオ関西50年史(ラジオ関西 2002)

ラジオ神戸3周年記念「CR手帳」特別号(ラジオ神戸 昭和31)

社報JOCR (ラジオ関西 1963/1964) 

ラジオ神戸・ラジオ関西 番組表(ラジオ神戸/ラジオ関西)

関西テレビ10周年記念誌(関西テレビ)

深夜放送ファン ランラジオ ラジオパラダイス ラジオライフ別冊ラジオ番組表 神戸新聞ラジオ番組欄 など

神栄赳郷著「電話リクエスト物語」(S43/8/1 ラジオ関西 自由席社)

2012年1月 9日 (月)

今週の出演は玉井孝さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和28年入社すなわちアナウンサー2期生の玉井孝アナウンサー。
こちらも伝説上の大物登場となりました。玉井孝さんは朝日放送出身でTBSに出向し全国放送を担当したアナウンサーのように思われており、Wikipediaでも(この記事の時点では)ラジオ神戸・ラジオ関西の記述はありませんが、私はラジオ関西50年史で玉井さんがラジオ関西・ラジオ神戸出身ということは存じていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E4%BA%95%E5%AD%9D

その後修正されたようです

このような記事もあります

http://f-age.jugem.jp/?eid=2451

本ブログでも、松島武雄さんのときに話題にしましたね。

小山美智子さんと同様初期の電話リクエストの担当者です。放送では言っておられませんでしたが、小山さんは在職はそれほど長くはなく1年ぐらい。それに対し玉井さんは約4年間の在籍です。ともに電話リクエストの担当者で、同様に、後年朝日放送アナになられておられますがこれも玉井さんと小山美智子さんは同じというところに因縁を感じます。朝日放送テレビは関西では2局目の民間放送TVですので開局時には、人材の移動があったのでしょう。(同様に読売テレビ開局時にも数名ラジオ神戸からの移動も確認されています。このような話題は別途)
また、現在アナウンサー養成のアクト・アカデミー芦屋の校長をされており、同じく2期生の田淵あきらさん(第2週放送に出演)か経営者であることからも縁があるようですね。ラジオ神戸つながりともいえるのでしょうね。80歳台とは思えない現役アナウンサーのようなお声で、有名アナウンサーの貫禄を感じます。
NHK徳島放送局でアルバイトをしていたという玉井さん。徳島放送局にやってこられた、ラジオ神戸アナウンサー1期生の大中照幸さん(第1週放送担当)の話を聞き、ラジオ神戸の入社試験受験を決意したという。
今週も私の知らない、いろいろな話題が出ると思いますので楽しみです。

2012年1月 4日 (水)

帰ってきたヨッパライと小山乃里子さん

ラジオ関西60年で小山乃里子さんの証言を聞いて気がついたこと。
かって、このブログでも紹介した通り、フォークルの帰ってきたヨッパライはラジオ関西の西内隆プロデューサが仕掛け人であり、その番組は「ミッドナイトフォーク」ということを紹介した。

(参考) 2006年12月17日 (日) ラジオ関西ファン ブログ
帰ってきたヨッパライはラジオ関西の電話リクストで世に出た

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f4ff.html

今回、小山乃里子さんの話題で、入社1年目の昭和41年~42年に「ミッドナイトフォーク」という番組を担当し「ヤングフータナニー」というサブタイトル曜日を担当されていたようだ。
デイレクターは、西内さんといわれていたので間違いは無いはずだ。毎週2組のアマチュアを呼び、話を聞き歌を演奏してもらうというスタイル。
「高石ともや」や「ジローズ」なども出た番組。京都で活躍していたフォークルも大学卒業間近となり解散を決め、解散記念に作成したレコードを、この番組に持ち込んだという。
その後、ラジオ関西の電話リクエストで放送され、その電話リクエストでDJをされていたのが木崎義二さん。木崎さんは昭和42年8月から電話リクエストを担当されており、この電話リクエストを木崎さんと担当されていたのが小山さんであることは、2012/1/3放送の小山さんの話題で気がついていたところだ。
その木崎さんの友人がニッポン放送の亀淵昭信さん。オールナイトニッポンのDJもされ、後年ニッポン放送の社長となった人だ。
2012年1月3日放送では、木崎義二さん(東京在住で音楽評論家兼洋楽雑誌「TEENBEET」編集長)の誘いを受けて、小山乃里子さんが東京に遊びに行き、そこで、亀淵さんと出会う話が紹介されていたが、その背景にはこのような事情がある。
なぜ、このことを私が気がついたのかというと、ラジオ関西の洋楽CD第2集の「ご挨拶」(p2-3)に紹介されている。

(参考)2010年7月16日 (金) ラジオ関西ファン ブログ
ラジオ関西の洋楽100曲CD第2弾を購入しました

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7a99.html

もちろんこの中で小山さんの名前は無いがミッドナイトフォークと、電話リクエストで木崎さんとのコンビの小山さんが情報を伝えたということが想像できる。
なお、帰ってきたヨッパライがラジオ関西で紹介されたのが昭和42年9月下旬で10月13日に亀淵氏に音源を渡し、10月14日の「高崎一郎のオールナイトニッポン」で放送され、全国的にブレークしたようです。
ミッドナイトフォーク(深夜12時から1時間の録音帯番組)という番組は、ラジオ関西では1年で消えてしまいます。その理由は小山さんは「ベトナム反戦」のイメージが強かったことが原因と考えられているようです。
スポンサーの意向といっても、このミッドナイトフォークにどれだけのスポンサーがついていたかはわかりませんが、若者を対象としていたのは小山さんの曜日。もっとも当時は小山さんも若く、大学生たちとそれほど年齢はかわらなかったようです。番組でも言われていましたが高石ともやさんと同年齢のようです。
さて、番組が消えた理由として、私の視点からいえることは、サンテレビ開局により、ラジオ関西社員が25名の出向を出しますので、マンパワー的に大打撃を受けてしまいました。このことは、深夜放送という分野に挑戦したいはずのラジオ関西が出来なかった大きな理由のはずです。
事実、この番組担当者の西内隆さんも、サンテレビに出向され、音楽番組などを担当されます。

Photo_4


当時のラジオ関西労働組合がさんちかサテスタ前に張り出した窮状を訴える文章(上記写真・井川宏之先生提供)や、5年後に深夜放送ファン1972年(昭和47年)2月号に掲載された記事「20KW増力を機会に一次中断していた深夜放送を復活するプランを立てていたが諸般の事情で。再び延期」とい記事(下記写真)を紹介しておきたいと思います。

Dscf0512

(深夜放送ファン1972.2 JOLRはJOCRの誤り)

なお、小山乃里子さんのラジオ関西時代の話題について、(1)王子公園での公開番組で森山良子さんが高校生の頃出演していた話題(2)当時加入していたNRNの全国放送で大晦日の夜神戸港から10分間中継に2時間前から待機していた局アナ時代の話題

などがあり、良い思い出として話されていたことが印象的でした。

なお小山さんは、現在でもラジオ関西で「ビバ!タカラジェンヌ」という番組を担当されていますが、この番組は長寿番組で、かっては、ラジオ関西をキー局として、RFラジオ日本、大分放送、信越放送、静岡放送でも放送されていたことがある。阪急電鉄はラジオ関西の株主であり、かっては、関西テレビ開局のときにも良好な関係があり、阪急西宮スタジアムでもラジオ関西主催のナイターコンサートを開催したり、プロ野球の阪急戦の中継を多くしていた時期もありました。ラジオ関西が関西テレビ設立に大きく関与したということを知る人も今では少なくなっているような気がします。(文化放送とニッポン放送がフジテレビを作り上げたことは結構知られているのですけど)

2012年1月 2日 (月)

今週の出演は小山乃里子さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和40年1月11日の入社という小山乃里子さん。在職は約6年半というが、その後フリーとなり、現在でも大活躍。かって林真一郎アナウンサーともラジオ関西で番組を持たれ「しんちゃん」と「のこさん」と呼び合っておられました。
1月入社ということで、試験は前年10月に実施。大学卒業後、松下電器の広報でアルバイトをしていたという小山さん。ラジオ関西の募集を知り大学の放送部の後輩と受験するようになったのは、前年広島の放送局で最終まで残っていたこともあり「最後の砦」としての受験となったみたいである。
当時入社試験は、他の方の話にあったように1000名を超える受験者数だったようである。
この時期に入社試験をしているのは、たぶん退職者の関係だと想像している。
今週は、14週目となり、今年最初の週、先週と同様大物登場と予想しておりましたが予想を裏切らない展開です。
小山乃里子さんといえば、放送業界・特に関西地方では知らない人がいないぐらい有名な方で、女性フリーアナの大御所的存在。
今まで出演された歴代アナウンサーの方は、一部の例外(牛尾淳さん、木元英治さんなど)を除き、かなり高齢の方が多く、現役引退後ひさしぶりのマイクという人が多く、それでも元アナウンサーだけあってしかりされているなという感がありました。
しかし、小山乃里子さんの場合は、年齢を感じさせないといえば言いすぎかもしれませんが独特の小山節というか、話のテンポにも独特のスピードの流れがありました。
北海道小樽出身で小学生の頃大阪に来られ、ラジオ関西の電話リクエストにも憧れ、実際に電話リクエストも担当された小山さん。ラジオ関西現役時代6年半の話題が聞けると思います。
今週も私の知らない、いろいろな話題が出ると思いますので楽しみです。

2012年1月 1日 (日)

新年おめでとうございます

少し以前の時代の神戸のことを取り上げるラジオ関西ファンブログ。

震災後の1996年頃から、WEBページではじまり、BBSやブログなどいろいろな形を変えながら現在に至っています。もっと古くはパソコン通信のNIFTYラジオフォーラムへのラジオ関西の話題提供から考えるといろいろな方々のご教示・ご支援を受けながら現在に至っています。

今年は、ラジオ関西開局60周年記念の年。

ファンとしても盛り上げるところは盛り上げるのに一役をかいたいというところです。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

ラジオ関西ファン 管理者 西川敏弘

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »