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2011年12月26日 (月)

今週の出演は小山美智子さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和27年入社すなわち開局時入社のアナウンサー1期生の小山美智子アナウンサー。
今週は、13週目となりますが、今年最後の週、たぶん伝説上の大物登場と予想しておりましたがその意味では予想を裏切らない感じです。
小山美智子さんは初期の電話リクエストの担当者です。
放送では言っておられませんでしたが、在職はそれほど長くはなく、後年朝日放送のプロデューサになられておられます。このことは当ブログの過去ログを検索ください。
今週も私の知らない、いろいろな話題が出ると思いますので楽しみです。

2011年12月21日 (水)

神戸新聞に名前が掲載されました。(読者の報道写真コンテスト)

神戸新聞が募集している月例「読者の報道写真コンテスト」の発表日は第三水曜日。ひさしぶりの準入賞(B)。今年は2回のみの掲載結果となりました。2010年(1.3.4.12月に掲載の4回)との比較では半減(4、12月の掲載2回)となりますが、月刊写真雑誌の応募に力が入りすぎ、こちらは4誌6部門で名前が載ったのが年間50回。写真掲載は11回でしたから、ほとんど毎月どこかの写真雑誌に掲載されたことになります。このことから考えると神戸新聞はむずかしいといわれるのもよくわかります。(神戸新聞の入賞者は全国発売の写真雑誌の月例フォトコンテストでも名前の通った方が多いのです。)

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-117d.html

神戸新聞は選者が月替わりになってから、選者の好みが理解できないまま現在に至っています。ラジオ関西ファンの私にとっては、他の写真コンテストより、こちら(ラジオ関西といえば神戸新聞ですものね)を何とかしたいのが人情なのですがこれだけはどうにもなりません。

神戸新聞「読者の報道写真コンテスト」2011年11月分
準入賞(B) 「気のせいかな」2011年12月21日付神戸新聞朝刊 掲載
選者:神戸新聞社 編集局 映像センター 金居光由氏

神戸新聞社の報道写真コンテストは、以前は写真部長の単独審査でしたが、近年は、写真部のデスクなど幹部の方の交代審査(月替わり)となっているようです
今回の作品で、ひさしぶりに名前が載りましたが、選んでいただける選者は金居光由氏が多く他の方で選ばれることは少なくなっているような気がします・・それこそ「気のせいかな」(これでは今回応募作品の題名です)。

http://www5.kobe-np.co.jp/photo/1111/23.php

2011年12月19日 (月)

今週の出演は末広光夫さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和27年5月?入社の末広光夫さん。
開局当時のラジオ神戸でジャズアメリカーナという番組を担当しておられた油井正一さんに誘われ音楽担当者として入社。
アナウンサーというよりプロデューサ、ワンマンDJというイメージ。
末広さんを、この時期に登場させたのも、クリスマスと重なる時期であるからということは想像できた。
本年は24日が土曜日で25日が日曜日で、ラジオ関西60年の放送が無いため、今週の放送になったのだと思う。
というのは、昭和27年のクリスマスイブの深夜に、わが国最初の電話リクエストが放送されるが、その番組担当者が末広さんだったからだ。
現在はジャズ評論家として、神戸ジャズストリートの運営にも携わる末広さん。お声がかわっていたように思えましたがお元気そうでしたね。
今週の展開が楽しみです。

ラジオ関西の「全国こども電話相談室」は、当時本当にMBSと同時ネットだったのか?(WIKIの誤りと思われる。皆さんの見解をお伺いしたいと思います)#WIKIの記事が訂正されました(感謝!)#

先日、当ブログの常連である558さんから、次のような質問を受けました。
このことについては、新しく記事とした方がよいとも多くの方から申し入れがあり558さんのご了解のもと新記事として作成・公開します。(以下の青字の部分が質問です)

質問ですが、全国こども電話相談室という番組はMBS毎日放送とラジオ関西が同時ネットと書いてある記事がありましたが、そうするとラジオ関西制作のときはMBSがラジオ関西の製作番組をながされていたのでしょうか、それともMBSも自社製作なのでしょうか。WIKIの記事参照ください

元記事
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8d1a.html#comment-67780669

参考 Wikipediaの記事

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E7%9B%B8%E8%AB%87%E5%AE%A4

(ベルト番組時代には毎日放送が、放送開始から1990年までネットしていた)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E9%96%A2%E8%A5%BF
(元々JRNに加盟していた実績はないが、1973 - 1978年頃の一時期、TBSラジオより「全国こども電話相談室」を同時ネットし(MBSと同時放送)、金曜日はラジオ関西から送り出していた(神戸市立王子動物園のスタッフが、動物に関する質問に答えていたらしい)ことがあった。)

558さん ご返事が送れ申し訳ありません。資料を探すのに時間がかかっておりました。
まず、WIKIの記事から、全国子供電話相談室がラジオ関西と毎日放送が同時ネットということが記載されていることについてですが、このようなことを私が述べるのは失礼とは思うのですが「完全な誤り」と思います。常識的にも、MBSとJOCRは大阪・神戸というほぼ同じ地域をターゲットに置いており、開局当初のような電力の時代ならともかく、50KW(MBS)やD20KW(CR)という、いわゆる大電力放送局ですから、そこにCR制作の放送をMBSで流すということは疑問があります。
この番組は、昭和48年から昭和52年のラジオ関西の番組表に登場し、月から木はTBSと同じ番組、金曜日のみラジオ関西制作(他のネット局はTBSがほとんど)で、私もきいていましたが、関西はラジオ関西のみの放送で、その後MBSにネットが移ったと思います。移行にあたり、ごく短期間両局でやっていた可能性は否定することはできませんが、流れとしては、関西地区で未のネットの番組(もしくはMBSでやっていたのかもしれませんが)をスポンサーの意向でラジオ関西が担当したというのが私の見方です。

Dscf0481


手元の資料「ランラジオ」NO.41(昭和49年8月発行)では、ラジオ関西では16時30分からの30分放送。TBSと同じ時間帯(担当 藤田恒美?さん、金曜はCRのみ加藤逸子さん)ネット局は少なく、名古屋地区でもネットがなく、独自番組。大阪局でもMBSは歌うハイウエイという春蝶や鶴光師匠が出演する1時間半のワイド番組を放送、ABCは「4時半でんな・お笑いでんな東芝アットホーム」、ラジオ大阪では「みんなでリクエストバンザイ歌謡曲」という、上岡龍太郎・浜村純などが出演する2時間半の大型ワイドというラインナップです。

Dscf0480

MBS 昭和49年

Dscf0486a

ラジオ関西 昭和49年

この時代はNRNの月ノ家円鏡師匠(先代)の「円鏡の歌謡一直線」という番組が多くネットされているのですが、ラジオ関西は当時NRNに属していたのにもかかわらず、JRN系のこの番組をネットしていました。ラジオ関西は、プロ野球の制作局だった時代からいろいろな局とネットしていたので独自の回線を所持していたのか(MBSとの競馬中継協定もしていない時代です)それとも、開局初期のテープネット時代からはTBSとはそれなりの関係がありましたから、この時期にMBSと何らかの協力関係ができ、MBSを経由してJRNを借用したのか?いずれもこのあたりは謎なのです。
なお、1980年のMBSの番組表では「全国こども電話相談室」が掲載されていますが、電話番号が大阪06-878-5171(当時) 受付時間16:00-1645 放送時間は東京と同じ16:30-17:00ですが、TBSの受付時間は放送時間と同じ、もちろん電話も東京となっています

Dscf0494_2

MBS 1980年(昭和55年)

このことから、大阪MBSでのネット時代は完全にMBS制作の独自放送になっていたと考えるのが普通でしょう。もしかすると、電話受付だけ大阪でも行い、東京で番組ということも考えられなくはないのですが、それは不自然のように思います。

したがってWIKIの記載では二重の意味で間違っているような気がします。ただし、私はこのMBSの番組は聴いたことがありませんからご存知の方はご教示ください。よろしくお願いします

2012/1/5追記

確認しますと、Wikipediaの記事は両方とも、このブログの議論に沿った形で改訂されております。JRNからのスポンサードネットであったのが、ラジオ日本ジャイアンツナイター(ラジオ関東)のネット問題に関連して、ラジオ関西がネットを外されたという印象が強くなりましたね。

いろいろな方が見ておられるのだなと、ありがたく思いました。今後ともよろしくお願いします

2011年12月18日 (日)

写真雑誌の月例コンテスト年間の結果のまとめ(※追加訂正。予選通過率70%に)

今年の目標として、有名写真雑誌の月例フォトコンテストに参加して、なるべく多く予選通過・できれば入選し写真掲載がされるようにと思い毎月、各写真雑誌のいくつかの部門に参加してきました。
アサヒカメラと日本カメラには、それぞれファーストステップとかビギナー部門があり私は、このような月例写真コンテストに参加しはじめて3年目になりましたので、2011年度は初心者部門の最後の年として参加しました。

2011

  記載漏れミスにより表を訂正しました。(12/20)

というのはビギナーズは3年未満の初心者対象とあります。私の場合、コンパクトカメラでの記録写真の期間はそれなりにあるのですが、雑誌を見ますと写真の腕前があり・それなりの年齢の方がビギナーズに応募されていますので、1眼レフを購入し、作品を作り出してからの期間を「写真歴」と決め、これが短い現在でしかビギナーズ・ファーストステップでの参加のチャンスはなく応募をはじめました。昨年までも数回入選はさせていただいているのですが今年は、日本カメラ誌が新美敬子先生の担当になり、特選2回、入選2回という、写真掲載が1/3(33%)、予選通過以上となると10/12(83%)という多くの作品を選んでいただき、アサヒカメラも写真掲載2回次点2回を含み予選通過以上で6回(50%)というそれなりの成果を得ることができました。
新美敬子先生が以前(かなり前)この日本カメラのビギナー部門の選者のとき、参加されていた人が、現在でも参加されていたという話を苦言としてされておられたように、あまり長い間参加するのはどうかということ、それに年間優秀作品賞などに選ばれますと次年度の応募資格は無くなります。私は結果的に選ばれることはなかったのですが(年間優秀賞は特選から選ばれるので一応チャンスはあった)特選2回の受賞は自分には十分な出来であると考え、新年度からはビギナー・ファーストステップへの応募はやめ、一般部門へ移行することにしました。
他の雑誌では、CAPAやカメラマンでは、ビギナー部門ではないものの入賞・写真掲載もありますのでこちらは今まで通りの参加です。
今年は、予選以上の月例雑誌で合計50回、写真掲載は11回でしたので、ほぼ毎月どこかの雑誌に写真や名前が掲載されたことになります。
ただし、CAPAについては、最上位がスポーツ部門での1席、生き物部門での2席でしたので、今年は良くても入選止まりという結果です。
また、ローカルフォトコンは応募する回数が減り、ほとんどが雑誌向けという形になり、以前のような神戸新聞ばかりに応募していたのが、これだけの種類の雑誌に応募とありますので「薄くなってしまった」という感もあります。
なお、この12月中旬で写真雑誌2012年1月号が発売されました。日本カメラ、アサヒカメラとも選者も新しくなったようですが、私の応募作品は予選にさえ入らないのですが掲載作品を見ますと、このような作品はまだ私にはむずかしいなという感じです。
一方CAPAは、今までどおりと変わらない感覚です。もう少し他の写真雑誌に手を広げることも考えるべきなのでしょうが、仕事を犠牲にもできませんから、自分のできる範囲でこれからもゆっくりとやっていこうと思っています。

写真コンテストの入賞記録

http://jf3mxu.g-7.ne.jp/photocon/index.html

趣味のアマチュア無線関係での知り合いの方が、数名写真コンテストでも有名な方がいたと最近知りました。このあいだお手紙もいただきまして驚いていました。

追記

11月号「カメラマン」の予選通過をカウントするのを忘れておりました。これを追加すると予選通過以上は50回となりました。画像(表)も改訂いたします。(12/20)

これにより、写真雑誌の月例フォトコンテストのほとんどが予選通過6回以上となりましたので、単純に予選通過率50%以上となりました。計算すると約70%となるのですが、これはCAPAの影響が大きいと思います。写真掲載率となると全体では16%になってしまします。

月刊雑誌「カメラマン」2011年11月号 月例フォトコンテスト 予選通過「親子」
作品名・氏名のみ掲載 171ページ (エキスパート部門)
モーターマガジン社 2011年10月19日発売

2011年12月17日 (土)

ラジオ界の動向・・FM802が2波を保有へ

このニュースを聞いた時、来るべきときが来たという感がしました。法令の改正で、放送局の統合という時代も来たといえるのでしょうか・・。少し寂しい感じもします。

産経新聞によると「関西のFMラジオ局大手のFM802(大阪市)は15日、関西インターメディア(同)からFM放送「FM COCOLO(ココロ)」の事業を2012年4月1日付で取得する、と発表した。」くわしくは下記
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111215/ent11121519300010-n1.htm

関西インターメディアは消滅ということか。昨年のKISS-FMは、兵庫エフエムに事業譲渡でしたが放送局の名称としては残った格好です。FM COCOLOも名称は残るようですが事業者がかわるのですね。放送局といえどもラジオの状況は厳しいのですね。

2011年12月12日 (月)

今週の出演は橋本幸子さんと池田幸子さん(ラジオ関西60年)※一部追記有※

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は、実に変則的な2人の女性アナウンサーの登場。
このお二人とは、昭和44年8月入社の橋本幸子さんと、入社年は初回番組中に直接的に言われなかったが8月入社で昭和49(1974)年(?私の推測・逆算によるとですが)入社の池田幸子さん。
池田幸子さんは、「奥田博之登場ごきげんジョッキー」(昭和50年)の初代のアシスタントで当時、奥田さんが新人と紹介していた録音がありますので昭和49年と推定しました。
林アナウンサーは、番組中、池田幸子アナウンサーのほうが、ひさしぶりではないかと言われていましたが、確かに池田さんは早期退職で震災後3年後ぐらいに相当早く退職されているようです(新社屋で3年ぐらい・在職期間26年といわれていましたので2000年ぐらいには退職されていたということになります)
一方、橋本さんは6年前定年退職といわれていましたので2005年の退職だと思います。したがってラジオ関西の社員としては池田幸子さんの方が5~6年前には辞められていることは事実です。

しかし、橋本さんは、アナウンサーから結構前に報道部門へ異動されており、橋本さんのお声が聞こえなくなったのは震災前だったと思います。(ただし私自身の個人的な記憶ですが、平成15年ごろのラジオまつりのラジオ関西ブースでは橋本さんを見た記憶があります。顔は知らなかったのですが、話しておられる声でわかりましたので橋本さんですかとお尋ねしたことがあり、ご本人であることを確認した記憶もあります。このようなことから社員として残られたことはわかっておりました。)このようなことからお二人を電波で声を聞いたのは池田さんより橋本さんが懐かしい感じでした。(私の感覚では)

また橋本さんがアナウンサーから報道に代わられ頑張っておられる様子を矢野泰三アナウンサーがエールを送られる番組を作られ、放送されていたような記憶もあります。(もしかすると何かの放送コンテストだったのかも知れません。感動的な番組でした)

調べてみると1990年ごろには、番組表から橋本幸子アナウンサーの名前が見られなくなっています。1989年まででは、うたかぜのところに名前があるのですが、1990年以後は丸子由美さんなどフリーアナウンサーがニュース・天気予報を担当しながら、うたかぜを担当するということを試行されています。若手の女性アナが半分ぐらい残っていますが、現在では、ワイド番組のアシスタントの女性がうたかぜ(歌声は風にのって)をされています。

時報や「うたかぜ」が女性アナの入門だったのが、新人アナが少なくなり契約アナや中堅アナの仕事になり、女性アナもプロデューサや報道部・事業部などへ異動という方向になったのが感じます(2011/12/14追記)

実は、このお二人、おふたりの名前を冠した同じ番組を担当されていとことがあります。
「幸子・幸子で歌いちもんめ」という番組で、同時出演ではなかったと思いますが、まるでお二人は漫才師のコンビのようなノリというか仲のよさでしたが、このような背景もあります。

この番組は、昭和の末期ですから昭和62年ごろ、月曜日~木曜日の正午過ぎから午後2時ぐらいまでの帯番組で、月火が池田幸子さん、水木が橋本幸子さんでした。
さすがにこの時期になりますと、私自身の記憶にはリアルタイムまっさかりの時代ですが、この番組は仕事の関係もあり休みのときぐらいしか聞けなかった番組です。
その他、女性アナウンサーの番組として、共通するのは「歌声は風にのって」、今回のリクエストは、テーマ曲のピチカートポルカ(パーシーフェース)。先週の大西文子さんもリクエストされていました。重複はいいみたいですね。そういえば加藤逸子さんのときもBGMに利用されていましたので登場は3回目です。
いかにこの曲のインパクトが強いかがわかりますね。
それと変則的と思ったのは2人のアナウンサーの登場ははじめてだったのと、出演は、女性・男性の交互というスタイルが続いていたので今回は男性だと思い込んでおりました。
そして「今週はこのおふた方です」と言われたとき男性2人かと思ってしまったのですが女性で驚きました。
なお、橋本幸子さんは低い声のアナウンサーで、70年代のジングル「海のみえる放送局」の中で「ラジオは(というアナウンスに続き音楽スタートし)558KHzラジオ関西です」というアナウンスを担当されていました。
また、池田幸子さんは、入社当初の写真が「ランラジオ」に掲載されておりました。「今こどもたちに」という兵庫県教育委員会提供の番組をされていたこともあり、初任者の研修で社町(現加東市)の教育研修所でインタビューに来られていたとき一度お会いしたことがあります。
今週の番組展開も楽しみです

12月13日放送では、池田幸子アナウンサーが新人時代、当時アナウンス部長だった奥田博之さんに「歌声は風にのって」の番組で、放送後注意を受けるというエピソードが紹介されていました。「原稿を読んでいる」ように間違われた池田さん。実は原稿ではなくアドリブ。その機転のよさが結果的に認められたのか、新番組「奥田博之登場ごきげんジョッキー」のアシスタントに社員アナとして唯一採用されます。この頃から、社員アナ+外部契約アナウンサーのような組み合わせとなるのですが、それまでは「ジャストナウ関西」の時期では社員アナ男女2人が普通で、その他の番組でも 社員アナウンサー+落語家・コメデイアン・歌手などの「タレント」というパターンばかりでしたが、高度成長期後半になると、女子アナにかわり契約アナウンサー・フリーアナという組み合わせがラジオ関西では増えてきます。

この時期でラジオ関西の放送を語るうえで欠かせないのが奥田博之さんや斉藤邦雄さん。ご本人の出演はなくても、他の方が話題にされるという感じがします。奥田博之さんの話題は木元英治アナウンサーがされていたのですが、今回のお二人は揃って「奥田部長」という表現だったのが印象的でした。なお、池田幸子さんは木元英治さんの大学の後輩にあたるようです。

(2011/12/14追記)

 

2011年12月11日 (日)

ラジオ関西ファンWEBトップページの写真を改訂

思い出のラジオ関西シリーズ
トップページの写真を変更しました

http://jf3mxu.g-7.ne.jp/jocr-fun/

今回の写真は、神戸市北区有馬小学校講堂での「ラジオ神戸公開録音」(昭和32年)
番組名は、「お国自慢のど自慢」

Radiokobes32

この番組は、当時のラジオ局で放送されていた番組・公開録音方式で、各局の分担・交代制かと思いますが当時はラジオネット(JRN、NRN)が存在しない時代です。
それとも、別の同名番組が各局別に放送されていたのかもしれません。
(現在も続く「歌のない歌謡曲」(主にJRN加盟局で放送)も各局別の番組です)

写真提供 井川宏之先生

過去にトップページを飾った写真は下記にあります。
http://jf3mxu.g-7.ne.jp/jocr-fun/index_old.html

2011年12月 7日 (水)

須磨浦山上遊園・カーレータBGMとラジオ関西※一部追記訂正有※

少し前の話ですが、12月3日(土)、須磨浦山上遊園に行ってきました。
先月の須磨浦山上遊園主催の「ビューフォトコンテスト」の作品展示を見ていなかったので(前回受賞に伺ったときは荒天候の日だったため駅の横にある公園事務所に伺ったのみ)

Dsc_7485


少し早いクリスマスイベントを見るのを兼ねて行きました。(ラジオ関西の後援のフォトコン・今回入選で、どのような作品が上位かも見たいので)
今年の審査は、神戸新聞の写真部長の福田晃一氏と説明されていました。例年通りですが、肩書きにデイリースポーツの写真部長も兼務されておられたのも初めて知りました。

Dsc_7484


さて、この須磨浦山上遊園ですが、日本でただひとつという「カーレーター」という珍しい乗り物があります。

Dsc_7496


これは、乗り心地がそれほど良くない乗り物としても有名らしいのですが(これは当日のイベントで言っていたことで自虐的な冗談と思っていましたが、公式WEBでも「乗り心地の悪さは有名」ということを記述しています。滋賀のサンケイバレイ(びわこバレイ)が撤退した現在、日本(世界)で唯一の現存する「カーレータ」みたいです)

http://www.sumaura-yuen.jp/facilities/entry-35.html
12月の改修休業中に一部カーレータの改修するらしいのです。

この日気づいたことなのですが、カーレータのBGMはすごく年代ものなのですが、これはどうやら季節によっていくつかのバージョンがあるのではと思いました。
というのは、私は春から夏にかけては良く伺うのですが、10月から2月ぐらいはあまり行きませんので、BGMに懐かしさを感じたのです。
もしかすると、季節ではなくいくつかのバージョンがあるのかも知れません。
今回耳にしたのは、ビリーボーンの曲だということは直感的にわかったのですが
イントロ部をつなぎ合わせたような感じというか、イントロ部のみのBGMに、注意のアナウンスが載せられている年代物です。
おそらく開業以来のものだと思うのですが、聞き覚えのある曲です。
そして、今回たまたまですが、ある方からお問い合わせがあり、私も興味があるので調べてみました
こういうときはインターネットで、演奏者を予想して曲を聴くことで曲名を調べるというのができるのは新たなチャレンジができるように思いました。

星をもとめて ビリーボーンオークストラ
Look For A Star - Billy Vaughn

http://www.youtube.com/watch?v=ciJ1DAilu0s&feature=related

この曲は、上記のレコードジャケットの画像では峠の幌馬車という有名な曲のシングルレコードのB面に収録されているように見えますがこれは、ベストヒットもので、本来は別のシングル盤。1960年のヒット曲でイギリス映画「殺人鬼登場」の主題歌ということですが、まったく曲名にそぐわないような美しいもの。オリジナルより、日本ではこちらのほうがヒットしたという。どこかで聞いた曲と思ったら「リスナーが選んだラジオ関西洋楽100曲」第2集DISC5の20曲目に収められております。最近では三上公也アナのCMのBGMにも使われている中のひとつです。

(2011/12/13追記・改訂)

なお、別バージョンのBGM(少ない)の動画は下記

http://www.youtube.com/watch?v=NJhzy60Dd-o&feature=fvwrel

最近はこちらが多かった この曲は不明

なおBGMなしというのも存在

2011年12月 6日 (火)

木元英治さんの写真が公式WEBに載せられていました

ラジオ関西の公式WEBにある「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」 出演アナウンサーの写真が載せられており、すでに先週の木元英治さんの写真も載せられています。髭がないので驚きました。
http://jocr.jp/60th/index.html
ちなみに現役時代は 番組表に載っています
http://jocr.jp/timetable_50th/main_77.html
(午後5時からの「夕空にヨイショ」参照)

収録と放送には、かなりの時間差があることは、以前神戸新聞で牛尾淳さんの写真が載せられていたのですが実際の放送には、かなりのタイムラグがあるように思えました。1日15分の週5回ですから、1週間分まとめて1回で収録するというのはわかっていたのですが、やはり、相当先まで収録されているのだと思いました。

したがって、放送を終えると、すぐにWEBも更新できるのでしょう。

できれば、どのような方が今後出演されるのかということを予告していただけると嬉しいと思います。

もしかすると予定していた方が、急に入院とか、かなり年齢の方もおられるみたいなので、貴重な音源となることは間違いないように思います。

ラジオ神戸・ラジオ関西でご活躍された方がおなくなりになるという話は、この数年でもいくつかお聞きしました。
音楽評論家の小石忠男さん クラシック全盛期のCRのプロデューサ
http://bohyo.blog84.fc2.com/blog-entry-3281.html
ラジオ神戸の開局の音楽が、ジャズでなく、クラシックの「ガザラドラ序曲」だったというのもわかります。
アナウンサーの田口昭南さんも、退職後FM宝塚の社長をされていましたが、昨年になくなられたようです。

これらのことからも、すでに高度成長期に活躍された方々が鬼籍に入られたこともめずらしくはなくなってきたように思います。
その意味でも、この特別番組はタイムリーというか今でしかできない貴重な放送だと思います。
木元さんもFM広島を定年退職したので、この企画に参加できたのだと思いますが、お体のことや、退職のときの問題などで、出演できない(または出演できる気持ちになれない)アナウンサーの方もおられると思います。
いずれにしても、今後の番組にどのような方々が出演されtるのか楽しみです。

2011年12月 5日 (月)

今週の出演は大西文子さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和35年(1960)3月入社の大西文子アナウンサー。
退職は1964年12月ということですが、社員の4年間に加えその後はアルバイトとして勤務されていたということだ。
さすがにこの時期になりますと、私自身の記憶にはリアルタイム的には無い時代ですが、大西さんのことは過去の資料で拝見したことがあります。
この昭和35年という年は、1月1日に神戸放送株式会社から株式会社ラジオ関西に社名変更し出力10kWに増力した年です。
大西さんが在職した時期である昭和35-39年というと関西テレビ開局により、いったんはテレビ放送開局をあきらめたように思われたラジオ関西でしたが、1964年の社報JOCR第8号に掲載された当時の組織表によるとFM放送やTV放送を視野に入れた「FM・TV準備委員会」(委員長 関口寿一氏)が設けられたり、「ラジオ関西音配」という子会社の設立が行われたという時期である。この子会社は朝日BGMと契約し、神戸以西の兵庫県の企業・学校・病院などのBGM販売だが、将来のFM開局を見据えた動きだったという。

当時神戸新聞の社長で、ラジオ関西社長だった田中社長は、もともと朝日新聞出身であったことは以前記事にした通りで、ラジオ関西を設立した企業のひとつである「神港新聞」も、神戸新聞と朝日新聞の関係がある企業だったことにも注意しておきたい。

当時の社報JOCRによると、大西文子さんは 電話クエストの金曜担当ということである。
この時代のラジオ関西は意外と思われるかも知れませんが本当に強く、1964年は「電話リクエスト」が1週間とも大阪・神戸でも最高の聴取率を上げた年だったようです。いわゆる電話リクエスト黄金期です。
また、ラジオ関西のナイター中継の解説陣には後藤次男氏が起用され、ラジオ関西制作のナイター中継は、対象は、東海・中国・四国・九州の基幹制作局5社とネットを組んでいたようだ。
社報JOCR第7号によると当時はJNN系列とFOLラインがラジオ関西のライバルだったようだ。JNNとはTV局のネットですが(ラジオはJRN)、この1964年当時JRNというのは出来ておらず、テレビのJNN系列が成功したため、これをラジオの系列に応用しようとしたものだと考えられる。ラジオのネットがTVに移行したわけでなく、TVの成功により、ラジオのネット化が進められたということだ。

FOLラインとは、参加局のコールサインからとったもので(福岡RKBのJOFR、大阪MBSのJOOR、東京ニッポン放送のJOLF)。すなわち、この時代はNRNもできていない時代であった。
今では、ラジオ関西はNRNを脱退した独立局という感じであるが、NRNができるまでの時代では、JNNやFOLに対抗した時代があるということだ、したがってラジオ関東(RFラジオ日本)のRFラジオネット加盟の背景には、ラジオ関西のこういった歴史もあることは見逃せない。事実ラジオ関西はラジオ関東と野球中継のネットを1960年代当初組んでいたが、NRN開設直前は、ラジオ関東はKBS近畿放送をパートナーにしていた。つまり、NRNが出来たことにより、ラジオ関西が、得意としていた野球中継の他局への番組販売が見直されたということだ。NRNができるまでは「プロ野球」と、シーズンオフの「電話リクエスト」としていたが、NRN設立以後は、一年中「電話リクエスト」に移行してきたのである。

ラジオ関西は電話リクエストが強すぎたため、音楽局のイメージだが、日本で最初のプロ野球中継をしたのもJOCRであることはあまり知られていない。
(その伝統と技は結局サンテレビ開局により、サンテレビのプロ野球中継に移行したようなものである。このことは、「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」での松島武雄アナウンサーの証言でも明らかになっている。)

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