今週の出演は橋本幸子さんと池田幸子さん(ラジオ関西60年)※一部追記有※
今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は、実に変則的な2人の女性アナウンサーの登場。
このお二人とは、昭和44年8月入社の橋本幸子さんと、入社年は初回番組中に直接的に言われなかったが8月入社で昭和49(1974)年(?私の推測・逆算によるとですが)入社の池田幸子さん。
池田幸子さんは、「奥田博之登場ごきげんジョッキー」(昭和50年)の初代のアシスタントで当時、奥田さんが新人と紹介していた録音がありますので昭和49年と推定しました。
林アナウンサーは、番組中、池田幸子アナウンサーのほうが、ひさしぶりではないかと言われていましたが、確かに池田さんは早期退職で震災後3年後ぐらいに相当早く退職されているようです(新社屋で3年ぐらい・在職期間26年といわれていましたので2000年ぐらいには退職されていたということになります)
一方、橋本さんは6年前定年退職といわれていましたので2005年の退職だと思います。したがってラジオ関西の社員としては池田幸子さんの方が5~6年前には辞められていることは事実です。
しかし、橋本さんは、アナウンサーから結構前に報道部門へ異動されており、橋本さんのお声が聞こえなくなったのは震災前だったと思います。(ただし私自身の個人的な記憶ですが、平成15年ごろのラジオまつりのラジオ関西ブースでは橋本さんを見た記憶があります。顔は知らなかったのですが、話しておられる声でわかりましたので橋本さんですかとお尋ねしたことがあり、ご本人であることを確認した記憶もあります。このようなことから社員として残られたことはわかっておりました。)このようなことからお二人を電波で声を聞いたのは池田さんより橋本さんが懐かしい感じでした。(私の感覚では)
また橋本さんがアナウンサーから報道に代わられ頑張っておられる様子を矢野泰三アナウンサーがエールを送られる番組を作られ、放送されていたような記憶もあります。(もしかすると何かの放送コンテストだったのかも知れません。感動的な番組でした)
調べてみると1990年ごろには、番組表から橋本幸子アナウンサーの名前が見られなくなっています。1989年まででは、うたかぜのところに名前があるのですが、1990年以後は丸子由美さんなどフリーアナウンサーがニュース・天気予報を担当しながら、うたかぜを担当するということを試行されています。若手の女性アナが半分ぐらい残っていますが、現在では、ワイド番組のアシスタントの女性がうたかぜ(歌声は風にのって)をされています。
時報や「うたかぜ」が女性アナの入門だったのが、新人アナが少なくなり契約アナや中堅アナの仕事になり、女性アナもプロデューサや報道部・事業部などへ異動という方向になったのが感じます(2011/12/14追記)
実は、このお二人、おふたりの名前を冠した同じ番組を担当されていとことがあります。
「幸子・幸子で歌いちもんめ」という番組で、同時出演ではなかったと思いますが、まるでお二人は漫才師のコンビのようなノリというか仲のよさでしたが、このような背景もあります。
この番組は、昭和の末期ですから昭和62年ごろ、月曜日~木曜日の正午過ぎから午後2時ぐらいまでの帯番組で、月火が池田幸子さん、水木が橋本幸子さんでした。
さすがにこの時期になりますと、私自身の記憶にはリアルタイムまっさかりの時代ですが、この番組は仕事の関係もあり休みのときぐらいしか聞けなかった番組です。
その他、女性アナウンサーの番組として、共通するのは「歌声は風にのって」、今回のリクエストは、テーマ曲のピチカートポルカ(パーシーフェース)。先週の大西文子さんもリクエストされていました。重複はいいみたいですね。そういえば加藤逸子さんのときもBGMに利用されていましたので登場は3回目です。
いかにこの曲のインパクトが強いかがわかりますね。
それと変則的と思ったのは2人のアナウンサーの登場ははじめてだったのと、出演は、女性・男性の交互というスタイルが続いていたので今回は男性だと思い込んでおりました。
そして「今週はこのおふた方です」と言われたとき男性2人かと思ってしまったのですが女性で驚きました。
なお、橋本幸子さんは低い声のアナウンサーで、70年代のジングル「海のみえる放送局」の中で「ラジオは(というアナウンスに続き音楽スタートし)558KHzラジオ関西です」というアナウンスを担当されていました。
また、池田幸子さんは、入社当初の写真が「ランラジオ」に掲載されておりました。「今こどもたちに」という兵庫県教育委員会提供の番組をされていたこともあり、初任者の研修で社町(現加東市)の教育研修所でインタビューに来られていたとき一度お会いしたことがあります。
今週の番組展開も楽しみです
12月13日放送では、池田幸子アナウンサーが新人時代、当時アナウンス部長だった奥田博之さんに「歌声は風にのって」の番組で、放送後注意を受けるというエピソードが紹介されていました。「原稿を読んでいる」ように間違われた池田さん。実は原稿ではなくアドリブ。その機転のよさが結果的に認められたのか、新番組「奥田博之登場ごきげんジョッキー」のアシスタントに社員アナとして唯一採用されます。この頃から、社員アナ+外部契約アナウンサーのような組み合わせとなるのですが、それまでは「ジャストナウ関西」の時期では社員アナ男女2人が普通で、その他の番組でも 社員アナウンサー+落語家・コメデイアン・歌手などの「タレント」というパターンばかりでしたが、高度成長期後半になると、女子アナにかわり契約アナウンサー・フリーアナという組み合わせがラジオ関西では増えてきます。
この時期でラジオ関西の放送を語るうえで欠かせないのが奥田博之さんや斉藤邦雄さん。ご本人の出演はなくても、他の方が話題にされるという感じがします。奥田博之さんの話題は木元英治アナウンサーがされていたのですが、今回のお二人は揃って「奥田部長」という表現だったのが印象的でした。なお、池田幸子さんは木元英治さんの大学の後輩にあたるようです。
(2011/12/14追記)
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こんにちは。
夕方の再放送を聴きましたが、今週は阪神・淡路大震災でラジオ関西が経営苦境に陥った事情など厳しい部分にも触れていくみたいですね。
アナウンサーの新規採用もこの十年ほどされていないですし、過去にも不景気で空白期間があったとのこと。これは知りませんでした。
社員アナウンサーが数十人いらした時代があったかと思えば、いまや国広さん、三上さん、林さん、古田さんだけですか。
隔世の感というより、いまの民間放送はほかの業種と同様、非常に厳しい状況に置かれていることが浮き彫りにされる番組になってきましたね。
投稿: じょーでん | 2011年12月12日 (月) 19時12分
じょーでんさん
ラジオ関西の経営悪化は、ラジオ関西を取り巻く環境の悪化で、震災前には「増資」による財務体質の改善などが行われていたようです。
その増資の直後の震災で、須磨の社屋が全壊したため、ハーバーランド移転・旧社屋やレストイン須磨などの土地売却、さらに震災後の不況・地元企業の被災などで、いったん良くなった業績も悪化し、ラジオ関西では早期退職制度を設け大幅な人員削減もされたようです。子会社のいくつかは解散し、新しい子会社への事業譲渡などの整理もあったようです。
震災時の社員数は86名で、出向者も入れると100名程度の規模だったラジオ関西も現在ではその1/3ぐらいの規模いなっていると思います。
さらに全盛期ではもっと多くの方がおられたようですから、全盛期のラジオ関西と比較すると寂しい思いがします。
国広さんも、お仕事はされておられますが、社員としては定年退職を迎えたのではと思います。もっとも国広さんはアナウンサーというよりプロデューサという感じですが、ニュースも読んでおられるみたいですね。
もっとも、この番組(アナウンサーでつづるラジオ関西60年)も井上元制作部長のプロデュースでしょうが、OBとして協力勤務されておられるという感じですが、現在でも結構多くの古い方が現役のように活躍されておられるようです。
投稿: 西川敏弘 | 2011年12月13日 (火) 00時01分
バブル経済の崩壊もあって経営環境が急激に悪化していたところへ起きた阪神・淡路大震災。これが追い打ちをかけてしまった格好なのでしょうね。
経済状況が激動するもとでの企業経営はとても難しいものとつくづく痛感します。
憶測ですが、須磨の旧社屋の売却益もさほど大きくはないのでしょう。16年以上も塩漬けのようになっていたことからみても、かなり買いたたかれたのではないかと。
メディア集中排除原則が事実上撤廃されました。
先ごろも、栃木放送がとちぎテレビの子会社になるという報道があり、さらに栃木県はエフエム栃木とも経営を集中させる意向を持っているとのことでした。
ラジオ関西も最近サンテレビからひんぱんにスポット出稿を受けるようになりましたから、さらに関係を密にする可能性も考えられますね。
愛知国際放送が廃局、九州国際エフエムはコミュニティーFM局へ吸収されるような時代です。
十数年前までの経済状況、特にメディア業界における泡沫的な経営環境がおかしすぎたわけで、これからはゼロ成長、マイナス成長でも耐えられる事業形態にしなければ、生き残りはますます難しくなってくるのかもしれません。
この番組も、おそらくこんなにまで厳しい声が出てくるとは企画段階で想像していなかったことでしょう。
ある意味、OGやOBだからこそ、愛着あるであろう元職場が厳しい状況に置かれている、なんとか役に立てるよう一言いいたいという思いはみなさんお持ちなのでしょうね。
今週の放送は、かなりの貴重なものになるかもしれないと感じています。
長文、失礼しました。
投稿: じょーでん | 2011年12月13日 (火) 01時36分
初めてコメントさせていただきます。
「アナウンサーがつづるラジオ関西60年」と云う番組、10月放送開始から毎回聴取・録音させていただいております。
大中照幸さん出演の第1週第2回放送分(10/4)がオープニングから1分52秒ほど欠落、松島武雄さん出演の第7週第1回分(11/14)がオープニングの17秒が欠落、大西文子さん出演の第10週第1回分(12/5)が1分57秒欠落、本放送(朝)録音失敗・再放送(夕)録音成功等、毎回ヒヤヒヤしながら、録音しております。
私が小さい頃、修学旅行で「京都・奈良」や「福岡・長崎・熊本」等は行ったことが有るのですが、近畿圏内は通過したのみで、神戸にも行ったことが有りません。
実は、私は関東圏内に居住しております。
或る事情(恩恵)から、ラジオ関西の番組をクリアに聴ける様になりました。
昔BCLに凝っており、その当時から長期間、ラジオ関西の「名曲ラジオ 三浦紘朗です」をラジオで長距離受信をして聴いておりました。
ラジオ関西の歴史、洋楽のラジ関と云われる経緯やアナウンサー(OB・OG)の方々の苦労話等を聴くことが出来、地方局とは云いつつも東京・大阪等のネット局に負けない人材や報道魂、財産が備わっているのだと感じ取ることが出来ました。
現在聴取させていただいている「アナウンサーがつづるラジオ関西60年」の放送音源が、ラジオ関西で既に発売されている「ラジオ関西洋楽CD(第1弾・第2弾)」や、ラジオ関西60周年記念盤としてもう間もなく発売される「ラジオ関西洋楽CD(第3弾)」の様に、CD化されると非常に嬉しいと思っております。
1週間で70分(14分×5回)の番組ですから、2012年3月末までの放送だと、凄い枚数になりますね。
出来れば、TOKYO FM系列で放送されたスタジオジブリの番組を編集して長時間(40時間分くらいだったと思います)を静止画像・音声のみで1枚のDVDで発売したウォルトディズニー(Japan)社の様な形で発売していただけると、非常に嬉しいです。
ただ、音楽も多数収録となると、「ラジ関CD」と同様に著作権・著作隣接権等をクリアーさせなければならないので、大変な作業になると思いますが、何とか実現していただきたいですね。
他愛もないコメントを長々と、大変失礼致しました。
ラジオ関西のこれからの益々のご発展をお祈り致しまして、コメントを閉じさせていただきます。
では、失礼致します。
投稿: なべ | 2011年12月13日 (火) 14時49分
お二人からコメントいただきありがとうございました。まとめてのご返事で失礼します
まず、じょーでん さん 貴重な情報ありがとうございました。栃木の動向は要注意ですね。
ラジオ関西については、おおむねご想像・ご指摘の通りだと思いますが 須磨の本社ビルについては東側のレストイン須磨部分は、商業施設だけで、ラジオ関西が経営多角化のため経営していたのですが、これは早期に売却され、また、スタジオのあった部分の上階は公団住宅が入っており、ラジオ関西のスタジオ部分がなくなっても改修され実際に使われておりました。このビルは3階以上は公団でしたので、すべてがラジオ関西のものではなかったように感じました。もっとも、この敷地は広大で送信所があり、テニスコートまであったようですから、ビルを建てるときも上階を公団住宅にしたのも有効活用だったかもしれません。神戸新聞のビルに入るのも震災で急遽決まったような感があります。したがって、このような状況から、平成8年の移転によって、いったんは売却できたからこそ、新設備導入もできたのではと思っています。
今回取り壊されたのは公団住宅の判断(撤退)と思われます。このあたりま調査したわけではないのですが 結果として震災で須磨の財産は失って、売却益でハーバーランドに入ったが、その後の不況で希望退職などを募集し、古き時代の財産をなくしたという悲しいイメージを想像しています。
なべさん はじめまして
関東圏にお住まいで、ラジオ関西がクリアに入ることは非常に興味があるところです。
私は、ラジコで聞きステレオ録音するのと、AM中波放送のエアチェックを2種類ダブルでしておりますが、なにぶん録音してまで毎日聞くというのはひさしぶりの経験でいろいろ失敗もしています。ラジオの録音機能はそれなりにいいのですが、PCでのラジコ録音はタイマー的に良いソフトといえず、毎日定時録音などは想定しておらず、使用の度設定しますので、このような単純なことを間違えて失敗しますと非常になさけない思いでいっぱいです。
特に、ラジコが急に聞けなくなったことは、このブログでも話題にしましたが、その後も、プロバイダがZAQというCATVの常時接続なのですが、DHCPで、グローバルアドレスを割り振るのですが、突然IPがさらに変更されてしまい、改めてラジコにお願いするなど苦労しながら、受信しております。したがって、すべてステレオ録音で揃っておりません。
録音はMP3ですのです。
ラジオ関西も、いくつかのラジオ番組を1番組210円程度で、インターネット販売されているものもありますから、今後考慮してほしいと思います。
MP3ですと、CD1枚でも相当入りますから、DVDにMP3収録なら大丈夫でしょうが、問題は音楽の著作権ですね。
このブログでは、ラジオ関西の方のみられておられるでしょうし、今後私も折を見て提案できればなあと思っております。林アナウンサーとは以前放送の収録でお世話になったことがあり、メール交換もしたことがありますから、一度お伝えできればとも思っています。
どうぞ今後ともよろしくお願いします
投稿: 西川敏弘 | 2011年12月14日 (水) 00時45分
西川敏弘 様
コメントありがとうございました。
私の地域では深夜なら「ラジオ関西」のラジオ波(中波558KHz)を割りと良好に聴くことは出来ますが、「アナウンサーがつづるラジオ関西60年」の時間帯は、早朝では何とかやっと聴ける程度(冬季のみ)、夕方はほぼ絶望(困難)と云うことで、このクリアに聴ける今の状況が正規の状態に改善(私にとっては改悪ですが…)されてしまったら、また元の深夜にしか「ラジオ関西」の番組を聴くことは出来なくなると思います。
なので、現在が非常に貴重な時間、有効に番組を聴かせていただこうと思っております。
「アナウンサーがつづるラジオ関西60年」ですが、大変貴重なお話しを聴くことが出来、「ラジオ関西」のほんの一部の番組しか耳にしておりません私が聴かせていただいても、凄く興味沸いてくる処です。
この貴重な『開局60周年記念事前番組』の音源を1日2回の放送(本放送・再放送)を流すだけで終わらせてしまうのが、凄く勿体無い気がするのです。
各アナウンサーOB・OGの方々のプライバシー(個人情報)、各関係者個人様のお名前(実名)、音楽の著作権・著作隣接権など、クリアーしなければならない点が多々発生してしまうとは重々承知しておるのですが、是非後世に残していただけたら(お話しも音楽も凄く貴重だと思います)と、今回、CD化・DVD化要望をブログに投稿させていただいております。
既に「ラジ関CD(第1弾・第2弾)」は購入させていただいておりますし、来年2月14日(バレンタインデー)頃に発売される予定の第3弾も購入させていただく予定にしております。
これに続く形で発売されたらと期待するばかりです。
そして、「アナウンサーがつづるラジオ関西60年」は26週放送が有るのですか?
三浦紘朗フリーアナウンサーの登場がいつ頃になるのか気に掛かる処です。
早くお話しを聴いてみたいですね!
では、失礼致します。
投稿: なべ | 2011年12月14日 (水) 15時44分
なべさん どうぞこれからもラジオ関西を応援してくださいね
ラジオ関西60周年の記念番組は来年4月までの予定だということですが、番外編なども期待したいところですね
私もラジオ関西プロダクツのCDは両方購入しており、次も購入するつもりです。
このプロデューサの今林清志さんは、元電話リクエストの担当者ですが、最後の世代の方のようです。非常に博学でかつユーモアのある方で、番組をもたれているときはリスナーフレンドリーな方でした。このラジオ関西ファンにもBBS時代書き込みをいただいたこともあります。何度かお会いしておりますが、本当に尊敬している方の一人で、今後の企画に期待している方です。この方がおられたからこそ、このCDが出来たといってもよいのではと思います。CDをお持ちなら第1集に今林さんが、「電リク黄金時代を作った音楽プロデューサ・井上正之助さんに聞くという記事があると思いますが、その井上さんが現在の「アナウンサーで綴るラジオ関西60年」の担当者です。また、三浦さんの洋楽番組のプロデューサは当初今林さんでした。現役の編成局長時代も担当されておられました。ラジオ関西プロダクツに移られた現在もたぶんそうなのではと思いますが・・
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 西川敏弘 | 2011年12月15日 (木) 03時07分
西川敏弘 様
貴重なコメントありがとうございます。
これからも、「ラジオ関西」を応援致します。
今後ともよろしくお願い致します。
追伸:神戸新聞社のホールだったかと思いますが、名機で再生されるアナログレコードを聴く催し、神戸の観光を兼ねながら、将来、是非、お伺いしたいなと考えております。その節はよろしくお願い致します。
投稿: なべ | 2011年12月15日 (木) 03時57分