チコとビーグルス
作曲家の奥村英夫先生がかってラジオ関西のサテライトスタジオで、小曽根実トリオのメンバーとして出演されていたことを以前紹介しましたが、その奥村先生の代表曲「帰り道は遠かった」を歌っていたのが「チコとビーグルス」もっとも、この曲はチコとビーグルス以外でも発売されていた競作だったようですが、近年の奥村先生関係のラジオ番組でかかるのは、チコとビーグルスのバージョンばかりでした。おまけに、この曲のイントロにある馬子唄のようなギターのイントロは奥村先生自らが演奏されたとラジオ関西の番組で聞いたことがあります。レコーデイングのミュージシャンの演奏ではなく、自らが演奏していたというところに思いいれのようなものを感じました。
さらに、帰り道は遠かったが大ヒットした翌年、作詞作曲が同一メンバー(藤本義一作詞・奥村英夫作曲)で、第2弾の曲が出たようです。当時のチコとビーグルスのサイン色紙を、写真家の井川宏之先生がお持ちで、写真を送っていただきました。
曲名は「遊びつかれた帰り道」。何か二番煎じの雰囲気というか2匹目の泥鰌を狙ったという感じです。
チコとビーグルスは、このときメンバーの入れ替えもあったようです。なお、同じく井川先生がら頂いた、さんちかサテライトスタジオ(初代・金魚鉢スタジオ)で、ゲスト出演していたチコとビーグルスが出演している放送風景の写真を紹介します。こちらは年代もののカラー写真ですね。1969年撮影ということです。
番組名から日曜昼間の番組であることがわかります。
http://jocr.jp/timetable_50th/main_69.html
当時の番組表によれば、午後1時30分からの1時間番組で、この番組には小曽根実さんがエレクトーン奏者として出演されておられます。小曽根実トリオがサテスタで演奏している写真もありますので、当時の関係などが想像できるものです。
参考記事 1968年のラジオ関西(サテスタ写真)
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/1968-ad83.html
今回の記事の写真は昭和44年ですから、歌っているのは「遊びつかれた帰り道」を歌っていた画像かも知れません。ちょうど、現在「アナウンサーで綴るラジオ関西60年」の番組に出ておられる小柳絹代さんの時代と一致します。
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