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2011年11月10日 (木)

浅尾寿美さんのレコード「神ちゃん」

動物園ネタが続きます。神戸の王子動物園のチンパンジー「神ちゃん」と亀井一成さんの話に関連した内容です。

浅尾寿美さんのレコードとしては、ラジオ関西「斉藤くにおのワイドワイド関西」の中で作られた「北野坂 風見鶏の街」(森下悦伸 作詞・作曲 LK-67)があまりにも有名なのですが(これはこのブログでも記事にしました。下記参照)

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/1978-ae38.html

実は、ワイドワイド関西で、浅尾寿美 歌 森下悦伸 作詞・作曲というレコードがほかにも存在していたことを紹介します。ワイドワイド関西1978年5月の歌に「神ちゃん」(ラジオ関西音楽出版 レコード番号HLR-8917)

Photo


「神ちゃん」は王子動物園のチンパンジー。「4歳の誕生日に作りました」とあり、レコードに飼育員の亀井一成さんのサイン入りという
特別バージョンのものを、当時キャスターをされていた斉藤邦雄さんからいただきました。

今では、チンパンジーにはそれほど人気はないのですが、当時の王子動物園の人気動物でした。というのもチンパンジーの人工飼育技術が進んでいない時代で、飼育員の亀井一成さんは、ご自宅にチンパンジーをつれて帰るなど、当時としては先進的な取り組みをされていると評価され、漫画「ぼくの動物園日記」でも、主人公の西山さん(上野動物園)のライバル的存在として登場していました。

その時代から東京・横浜と神戸というのはライバルというか、先進的なものが神戸にあるという風潮があったのではと思います

亀井一成さんは、当時ラジオ関西で放送されていた「全国子供電話相談室」というTBS制作の番組があるのですが
全国版はTBSの制作ですが、関西地区のラジオ関西に限っては金曜日はラジオ関西が制作したものを放送していました。
電話のお姉さんは加藤逸子さん。亀井一成さんのほか竹博士の室井先生などが出演されていました。
http://jocr.jp/timetable_50th/main_77.html
上記の1977年の番組表を見ていただくと 午後4時30分~5時に「全国こども電話相談室」
朝の9時から11時30分までが「ワイドワイド関西」(番組表に出演者写真あり)

なお、森下悦伸さんは、ワイドワイド関西のデイレクターですが
元ジローズの方で、現在ラジオ関西専務取締役をされています
また、ワイドワイド関西のデイレクターには、このほか今崎陽吉さんがおられました
今崎陽吉さんは、ハワイアン音楽に造詣が深く、神戸ハワイアンクラブや今崎陽吉と神戸ポートアイランダーズでも活躍されていた方です
このような、プロ級ミュージシャンが、番組制作に携わり、贅沢にも毎月作詞作曲し、アシスタントの浅尾寿美さんにいろいろな歌を歌ってもらっていたということでした。
なお、レコードには、王子動物園で録音した音声(亀井さんや神ちゃんの声や客の子供の声なども)も効果音として使用されています。
興味ある方は、どこかのラジオ関西の番組にリクエストされたらいかがでしょうか。
私にとっては、レコード会社が「ラジオ関西音楽出版」というところに驚きましたが。

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コメント

すごい記事ですね
現在のラジオ関西の人に聞いてもわかるのかと思うような内容ですね。

558さん コメントありがとうございます
これは、斉藤邦雄様から、いただいたレコードがなければわかっていない内容ですから、私自身も貴重な情報であると思います。また、多くの方からもメールを頂戴し反響の大きさに驚いているところです。浅尾寿美さんは、当初番組のポップメイトというFMカーのレポーターからアシスタントに抜擢されたようですね。したがって、浅尾寿美さんにとってもラジオ関西がDJの原点だったように思います。

質問ですが、全国こども電話相談室という番組はMBS毎日放送とラジオ関西が同時ネットと書いてある記事がありましたが、そうするとラジオ関西制作のときはMBSがラジオ関西の製作番組をながされていたのでしょうか、それともMBSも自社製作なのでしょうか。WIKIの記事参照ください

558さん ご返事が送れ申し訳ありません。資料を探すのに時間がかかっておりました。
まず、WIKIの記事から、全国子供電話相談室がラジオ関西と毎日放送が同時ネットということが記載されていることについてですが、このようなことを私が述べるのは失礼とは思うのですが「完全な誤り」と思います。常識的にも、MBSとJOCRは大阪・神戸というほぼ同じ地域をターゲットに置いており、開局当初のような電力の時代ならともかく、50KW(MBS)やD20KW(CR)という、いわゆる大電力放送局ですから、そこにCR制作の放送をMBSで流すということは疑問があります。
この番組は、昭和48年から昭和52年のラジオ関西の番組表に登場し、月から木はTBSと同じ番組、金曜日のみラジオ関西制作(他のネット局はTBSがほとんど)で、私もきいていましたが、関西はラジオ関西のみの放送で、その後MBSにネットが移ったと思います。移行にあたり、ごく短期間両局でやっていた可能性は否定することはできませんが、流れとしては、関西地区で未のネットの番組をスポンサーの意向でラジオ関西が担当したというのが私の見方です。 手元の資料「ランラジオ」NO.41(昭和49年8月発行)では、ラジオ関西では16時30分からの30分放送。TBSと同じ時間帯(担当 藤田直美さん、金曜はCRのみ加藤逸子さん)ネット局は少なく、名古屋地区でもネットがなく、独自番組。大阪局でもMBSは歌うハイウエイという春蝶や鶴光師匠が出演する1時間半のワイド番組を放送、ABCは「4時半でんな・お笑いでんな東芝アットホーム」、ラジオ大阪では「みんなでリクエストバンザイ歌謡曲」という、上岡龍太郎・浜村純などが出演する2時間半の大型ワイドというラインナップです。この時代はNRNの月ノ家円鏡師匠(先代)の「円鏡の歌謡一直線」という番組が多くネットされているのですが、ラジオ関西は当時NRNに属していたのにもかかわらず、JRN系のこの番組をネットしていました。ラジオ関西は、プロ野球の制作局だった時代からいろいろな局とネットしていたので独自の回線を所持していたのか(MBSとの競馬中継協定もしていない時代です)それとも、開局初期のテープネット時代からはTBSとはそれなりの関係がありましたから、この時期にMBSと何らかの協力関係ができ、MBSを経由してJRNを借用したのか?いずれもこのあたりは謎なのです。
なお、1980年のMBSの番組表では「全国こども電話相談室」が掲載されていますが、電話番号が大阪06-878-5171(当時) 受付時間16:00-1645 放送時間は東京と同じ16:30-17:00ですが、TBSの受付時間は放送時間と同じ、もちろん電話も東京となっています。このことから、大阪MBSでのネット時代は完全にMBS制作の独自放送になっていたと考えるのが普通でしょう。もしかすると、電話受付だけ大阪でも行い、東京で番組ということも考えられなくはないのですが、それは不自然のように思います。

したがってWIKIの記載では二重の意味で間違っているような気がします。ただし、私はこのMBSの番組は聴いたことがありませんからご存知の方はご教示ください、。よろしくお願いします


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