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2011年11月28日 (月)

今週の出演は木元英治さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和46年(1971年)10月入社の木元英治アナウンサー。
ラジオ関西在職は10年間。10月入社というのは途中入社、ある東京の放送局への入社が決まっていた木元さん。何らかの理由で東京の局へ入社を逃したとき、縁がありラジオ関西の入社試験を受けたという。
広島出身で関東の大学で関西には縁がなかったため、入社試験のニュース読みで関西の地名がわからなかったという。
今回の放送で木元さんがラジオ関西のアナウンサーで鏡と思ったのが奥田博之アナウンサー。奥田さんのようなしゃべりがでできればという思いの話もあった。
木元さんは、主に洋楽番組を担当、その後FM広島開局により、FM広島に移られたという伝説的アナウンサー。
入社当時は、ラジオ関西にアナウンス部があり制作部とは別だったという。今週の展開が楽しみです。

2011年11月24日 (木)

ラジコでラジオ関西が元通り聞けるようになりました(兵庫判定に戻る)

先日話題にしておりました、自宅のパソコンでラジコでラジオ関西を聞いていたのが突然聞けなくなり、調べると京都府判定になり困っていた件ですが、ラジコにはメールしておりましたところ、兵庫県判定に戻り聞けるようになりました。(ラジコ様ありがとうございました。)

Photo
ちなみに京都判定されていたときの記事・画像は下記です。

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-4da9.html

IPアドレスで居住地判定をさせるサイトに接続しますと、現在でも京都と判定されることから、ラジコの方で独自に設定してもらえたのだと思っています。しかし、いかにIPアドレスで居住地を判定するということが難しいことなのだと実感しました。

2011年11月23日 (水)

チコとビーグルス

作曲家の奥村英夫先生がかってラジオ関西のサテライトスタジオで、小曽根実トリオのメンバーとして出演されていたことを以前紹介しましたが、その奥村先生の代表曲「帰り道は遠かった」を歌っていたのが「チコとビーグルス」もっとも、この曲はチコとビーグルス以外でも発売されていた競作だったようですが、近年の奥村先生関係のラジオ番組でかかるのは、チコとビーグルスのバージョンばかりでした。おまけに、この曲のイントロにある馬子唄のようなギターのイントロは奥村先生自らが演奏されたとラジオ関西の番組で聞いたことがあります。レコーデイングのミュージシャンの演奏ではなく、自らが演奏していたというところに思いいれのようなものを感じました。

さらに、帰り道は遠かったが大ヒットした翌年、作詞作曲が同一メンバー(藤本義一作詞・奥村英夫作曲)で、第2弾の曲が出たようです。当時のチコとビーグルスのサイン色紙を、写真家の井川宏之先生がお持ちで、写真を送っていただきました。

1


曲名は「遊びつかれた帰り道」。何か二番煎じの雰囲気というか2匹目の泥鰌を狙ったという感じです。

チコとビーグルスは、このときメンバーの入れ替えもあったようです。なお、同じく井川先生がら頂いた、さんちかサテライトスタジオ(初代・金魚鉢スタジオ)で、ゲスト出演していたチコとビーグルスが出演している放送風景の写真を紹介します。こちらは年代もののカラー写真ですね。1969年撮影ということです。

Photo

番組名は「ハローサンデーアフタヌーン」

番組名から日曜昼間の番組であることがわかります。

http://jocr.jp/timetable_50th/main_69.html

当時の番組表によれば、午後1時30分からの1時間番組で、この番組には小曽根実さんがエレクトーン奏者として出演されておられます。小曽根実トリオがサテスタで演奏している写真もありますので、当時の関係などが想像できるものです。

参考記事 1968年のラジオ関西(サテスタ写真)

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/1968-ad83.html

今回の記事の写真は昭和44年ですから、歌っているのは「遊びつかれた帰り道」を歌っていた画像かも知れません。ちょうど、現在「アナウンサーで綴るラジオ関西60年」の番組に出ておられる小柳絹代さんの時代と一致します。

ラジコでラジオ関西が聞けなくなった。悪夢の京都判定

突然ラジコでラジオ関西が聞けなくなった。

おかしいと思いラジコにアクセスするとKBSが聞けた。京都判定だ。

私にとって 京都判定はつらい。

私は神戸市内で普段ZAQのCATV接続である。

11月23日突然のことである。IPアドレスのことだからプロバイダZAQの問題もあるかもしれない。

しかし、居住地判定はラジコである。何とかしてほしいとラジコにメールを送った。ZAQにも何とかしてほしいと思う。もはやラジコはラジオを聴く手段なので突然県外判定されるIPに割り当てられるのは問題があるように思う。

Radikokyoto

証拠画像 突然京都判定された私のPC

東灘アートマンスのフォトコンに地車写真を出しています

東灘アートマンスのデジタルフォトコンテスト

いつも締め切りぎりぎりに出品しております。

今回、だんじりの写真を出しています

http://www.hn-artmonth.jp/photo/details.cgi?mode=details&camera=0&thema=4&no=39&no2=

投票は、選考と関係ないと示されています

よろしければご覧ください

先ほど見ますと上記の作品は投票5位みたいです(11/23)

作品名 優雅な宮入

全作品は下記

http://www.hn-artmonth.jp/photo/index.cgi

私も5点出しています。ハンドル:JF3MXU

2011年11月21日 (月)

今週の出演は小柳絹代さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は昭和42年入社の小柳絹代アナウンサー。
ラジオ関西在職は7年間。高度成長期らしく、給料も入社時の初任給が7年間で3倍となったという時期ということだ。
小柳さんは大学卒業後、新劇をめざし養成所に入っていたことがあるが、身長が低く子役しか貰えないと思い?転向し、試験を受けたという。
当時のラジオ関西アナウンサー入社試験は1000名ぐらいの受験で2名の合格者(女性)という時代。
もともと宝塚ファンの小柳さん。当時はラジオに人気があったという時代で、ラジオ関西はご自分の青春そのものだったという。
私は、小柳さんの番組は(昭和49年退職なので)ある程度聞いた覚えがあるのですが、この番組で声を最初にお聞きした瞬間、当時のアナウンサー上田中子さんの声と勘違いしました。

小柳さん以後の世代ですと、「深夜放送ファン」「ランラジオ」などで、そのご活躍が残っています。
ラジオ関西は、当時サンテレビ設立により、25名が出向しマンパワー不足のため深夜放送参入が遅れたという時代です。
今週の番組展開も楽しみです。何がでてくるやら。

2011年11月20日 (日)

神戸マラソンを見に行きました

11月20日(日)は、第1回神戸マラソン。

午前9時からスタートなのですが、スタート地点に近づくことがむずかしく、10分ぐらい見物後、早速折り返し地点の舞子に行きました。

舞子では、ラジオ関西が折り返し祭りというイベントをやるはずでしたが、強風のためイベントは中止ということ。残念。

折り返し地点では、結構応援で盛り上がっていまして、すでに先頭のランナーが来るということで、撮影場所を探すのに大変でした。

ここでは、ラジオ関西の中継車を撮影できました。

Dsc_5829

ラジオ関西の中継車(この車両も558ナンバー)。ユニバーシアード神戸大会以降続き、車両はかわったもののの高校駅伝などでも先導の車両(白バイ)の後に続く実況中継放送のスタイル。

ちなみに、この車両の後には報道カメラマン車両が続いていた。

神戸市垂水区舞子公園 折り返し直後(車両は東向き)撮影

11月20日10:00撮影 NIKKON D700 28-300mm 

この日は、ラジオ関西は、現地での放送や通常放送でも、随時中継を取り入れるなど地元放送局らしい対応をしていました。

サンテレビも1部、2部にわけて放送がありましたが、実況中継車などは先頭に走っていなかったように見えました。

なお、橋の科学館にはラジオ関西の車両が止まっていました

たしかに、ものすごい風でイベント中止は仕方ないものの、快晴に近い天気になろうとしていましたので公開録音中止を知らずに来た人もおられるのだろうなと思いました。

Dsc_5984

その後、ハーバーランドの神戸新聞・ラジオ関西本社前に行き、神戸サンバチームなどによる応援風景を見ました。

2011年11月14日 (月)

今週の出演は松島武雄さん(ラジオ関西60年)

今週のアナウンサーでつづるラジオ関西60年の出演者は
昭和33年入社の松島武雄アナウンサー。
この昭和33年という年は関西テレビ開局によりアナウンサーの移籍などがありラジオ神戸として10名のアナウンサーを大量に採用した年であったという。
その松島さんも、結局サンテレビ設立によりラジオ関西を離れるのですが、サンテレビ退職後は、ラジオ関西でも番組をもたれていたため松島さんは知っていますが松島武雄さんといえば、サンテレビのタイガース戦の実況中継で良く知られていますね。
松島武雄さんと同期入社は大牧暁子さんや奥田博之さんなど、今週の番組展開に期待です。

2011年11月13日 (日)

アナウンサーで綴るラジオ関西60年 今までの感想

ラジオ関西開局60年記念番組「アナウンサーで綴るラジオ関西60年」について今までの感想や気づいたことを書いてみたい。

今までに登場された方は
第1週 10/3-10/7  大中照幸さん  開局時1期アナ・スポーツ担当(ラジオ関西常務になられた方)
第2週 10/10-10/14 加藤逸子さん  1970年代・最終時代の電話リクエスト担当・後フリーに
第3週 10/17-10/21 前田隆さん   全盛期の電話リクエスト担当
第4週 10/24-10/28 中野(現:山田)真知子さん 高度成長期中期のアナウンサー
第5週  10/31-11/4   牛尾淳さん   スポーツアナで幅広い分野 音楽も洋楽から演歌まで担当 1980-2005在職:現在フリー
第6週 11/7-11/11 たぶち あきら さん 女性・3期アナ ラジオ神戸の放送劇団からのアナウンサー転身 開局初期

今となれば異色だったのが大中照幸さん。いかにもスポーツ色が濃くリクエスト曲も南海ホークスの歌やゴールデンナイターの番組テーマ曲などが放送で流れたことである。
私にとっては、なつかしい音楽が録音でき嬉しいのだが、他の方は洋楽のラジオ関西らしく往年のポピュラーソングが多く、他の番組でも聴けるのにと思ったこともあるが、時代とか趣味嗜好と一致して面白いところがある。
たとえば、中野真知子さんがリクエストした「こんにちは赤ちゃん」(現役時代にふさわしい曲であるが)、牛尾淳さんのリクエスト「酒二合」(宮路おさむさん)たぶちあきらさんのリクエストのクラシック音楽が異色な感じでした(さすが開局時のクラシック番組を担当と感じました)
もっとも、カスケーズの「悲しき雨音」なんかは、どのアナウンサーがリクエストしても不思議ではない感じなのですね。

さて、ここで問題ですが「カスケーズの悲しき雨音」は、ラジオ関西での雨の日の定番の音楽なのですが、上記どなたのリクエストだったかわかりますか?おそらく聞いてないと無理な問題です。
解答は、後日の記事にしたいと思います。

この番組は林真一郎アナウンサーの担当ですが、林さんが一緒に仕事された人は牛尾さんぐらいでしょうね
もっとも、牛尾さんが退社後はスポーツ中継は林アナウンサーか古田アナウンサーがスポーツ担当という感じになりましたが。

番組の制作担当者は、井上正之助さん。現在は退職されたOB社員ですが現役時代は報道制作部長などもされておられた方です。

 
音楽通であるが 驚くことにミュージシャンとしても十分食べていけたような方と色々な方から伺ったことがある。

「井上正之助」で検索するとそれらしき記事も多数出てくる。やはり、ラジオ関西のプロデューサともなると、同時期の方では
あの原田紀子さんがラジオ関西退職後 プロジャズシンガーでいまや関西ジャズ協会副会長という。この時代のラジオ局の人は、こういう人でなければやっていけなかったのだろうと思う
http://kjsnet.org/aboutkjs/yakuin001.html

現在の地方FM局でも、制作部門にこのような人材が揃っているところは少なく、制作は東京のキー局まかせという現状もある。

かっての音楽局ラジオ関西は、東京のキー局がラジオ関西の電話リクエストを学んだという。
ジャズの音楽評論家の油井正一さんは、ラジオ神戸・ラジオ関西の開局以来多くの番組を持った。

それは、油井正一さんが神戸出身で、昭和30年ごろまで神戸在住であったことからも想像がつくものである。ラジオ関西の末広光夫さんも油井正一と関連深く、私のもつ資料でも神戸新聞1993年4月25日記事でも「(末広さんは)現ジャズ評論家の油井正一さんに誘われ、4月に開局したばかりのラジオ神戸に音楽担当として入局した」と記載がある。

「誘う」というのは、それなりの立場になければならない表現だと思うので、油井正一氏は、ラジオ神戸と何らかの関係があったということだ。

実際、油井正一氏の著書では経歴にラジオ関西やFM東京でジャズ番組を担当した旨が記載されているものが多い。いまやJFNのキー局のFM東京と、ラジオ関西を同列に表記するのは、それだけの実績があるということだ。

それから思うと、兵庫県のFM民間放送であるKISSは「FM東京よりも歴史が古く、音楽局として伝統のあるラジオ関西」と勝負しなければならなかったことが不幸のはじまりだったと改めて思った。

ラジオ関西の不幸は、自分の局の音楽局としての伝統を自ら過小評価してしまいFMに対抗したような「AM神戸」路線に走ったことではないだろうか。
FMは儲かっているが、AMは番組は良いのに儲からないという感じで弱気になりすぎていたのではと思う。(実は、そのFM局が粉飾決算して昨年倒産したのは周知のとおり)

話は脱線したが、井上さんはラジオ関西の電話リクエストの担当者であった方だ。いわばラジオ関西の黄金期を知っていた人でもある。
こういう方たちの力で今のラジオ関西の番組のいくつかは成り立っているのだと改めて感じたことである。

局の歴史というものは怖いものでもある。

2011年11月10日 (木)

浅尾寿美さんのレコード「神ちゃん」

動物園ネタが続きます。神戸の王子動物園のチンパンジー「神ちゃん」と亀井一成さんの話に関連した内容です。

浅尾寿美さんのレコードとしては、ラジオ関西「斉藤くにおのワイドワイド関西」の中で作られた「北野坂 風見鶏の街」(森下悦伸 作詞・作曲 LK-67)があまりにも有名なのですが(これはこのブログでも記事にしました。下記参照)

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/1978-ae38.html

実は、ワイドワイド関西で、浅尾寿美 歌 森下悦伸 作詞・作曲というレコードがほかにも存在していたことを紹介します。ワイドワイド関西1978年5月の歌に「神ちゃん」(ラジオ関西音楽出版 レコード番号HLR-8917)

Photo


「神ちゃん」は王子動物園のチンパンジー。「4歳の誕生日に作りました」とあり、レコードに飼育員の亀井一成さんのサイン入りという
特別バージョンのものを、当時キャスターをされていた斉藤邦雄さんからいただきました。

今では、チンパンジーにはそれほど人気はないのですが、当時の王子動物園の人気動物でした。というのもチンパンジーの人工飼育技術が進んでいない時代で、飼育員の亀井一成さんは、ご自宅にチンパンジーをつれて帰るなど、当時としては先進的な取り組みをされていると評価され、漫画「ぼくの動物園日記」でも、主人公の西山さん(上野動物園)のライバル的存在として登場していました。

その時代から東京・横浜と神戸というのはライバルというか、先進的なものが神戸にあるという風潮があったのではと思います

亀井一成さんは、当時ラジオ関西で放送されていた「全国子供電話相談室」というTBS制作の番組があるのですが
全国版はTBSの制作ですが、関西地区のラジオ関西に限っては金曜日はラジオ関西が制作したものを放送していました。
電話のお姉さんは加藤逸子さん。亀井一成さんのほか竹博士の室井先生などが出演されていました。
http://jocr.jp/timetable_50th/main_77.html
上記の1977年の番組表を見ていただくと 午後4時30分~5時に「全国こども電話相談室」
朝の9時から11時30分までが「ワイドワイド関西」(番組表に出演者写真あり)

なお、森下悦伸さんは、ワイドワイド関西のデイレクターですが
元ジローズの方で、現在ラジオ関西専務取締役をされています
また、ワイドワイド関西のデイレクターには、このほか今崎陽吉さんがおられました
今崎陽吉さんは、ハワイアン音楽に造詣が深く、神戸ハワイアンクラブや今崎陽吉と神戸ポートアイランダーズでも活躍されていた方です
このような、プロ級ミュージシャンが、番組制作に携わり、贅沢にも毎月作詞作曲し、アシスタントの浅尾寿美さんにいろいろな歌を歌ってもらっていたということでした。
なお、レコードには、王子動物園で録音した音声(亀井さんや神ちゃんの声や客の子供の声なども)も効果音として使用されています。
興味ある方は、どこかのラジオ関西の番組にリクエストされたらいかがでしょうか。
私にとっては、レコード会社が「ラジオ関西音楽出版」というところに驚きましたが。

とくしま動物園 写真コンテスト入選(通算3度目の入選)

とくしま動物園主催の写真コンテスト(2011年10月受付)の結果発表が公式WEBで行われ、私の応募作品「アートな空間」が入選となったようですhttp://www.city.tokushima.tokushima.jp/zoo/topics/2011/topics20111109_01.html

このコンテストの入選は3回目(入選ばかり3度目)

1回目は「しか(日本鹿)」2回目は「たぬき(本土狸)」今回は人間が被写体でした。実は今回も動物写真を応募していたのですが、園内風景などもOKなので、飼育動物から離れ、園内のボランテイアで、動物園の塀に看板のような動物のイラストをペンキで描く大学生のグループがおられましたので、写真撮影の許可をいただき作業風景と製作中の作品を撮影させていただきました。

このコンテストは、同じ人が複数の賞を受賞できる(2賞までということらしい)コンテストと以前表彰式のときお伺いしました。応募数の規定はなく何枚でも応募できます。ただしお店プリントによる4切(ワイド可)ですので、(お金もかかり、また入賞の賞品などを考えると損失は確実になりますから)それほど多数は応募できません。

私は、このコンテストは入選が最高位なので、1つの賞ということになります。ただし、このコンテストの賞状は、入選以上すべて徳島市長名で発行されます。

動物園のフォトコンでは、入選では動物園長さんとか、動物園を運営する団体の理事長名による発行が多いので、これも魅力のひとつといえるでしょう。

とくしま動物園については、神戸から高速バスを利用すると日帰りで十分楽しめる便利なところにあり、私の年間定期訪問をする動物園のひとつです。

実は、私は数年前に放送大学大学院を修了したのですが、放送大学大学院は当時、全国の国公立大学等の教授陣に研究指導を求めていまして、私は鳴門教育大学教授の先生の指導を受けるため、徳島には結構行きました(平成17年度の修了・当時教育開発コース)そのこともあり、徳島にはその後もいろいろと行くことになりました。放送大学は千葉が本部なのですが、責任者の先生は東京でゼミを開くことが多く、茗荷谷の放送大学(というより筑波大学が東京教育大学時代の建物で、筑波大の大塚学舎と共同利用)でしたので、妙に写真に記録を残しておきたい気分になり、大学院と2足のワラジを抜け出してから写真を勉強するようになりました。

当初は、ネオ1眼のコンデジやD80などの入門機だったのが、写真コンテストにはまるとD300も購入、APS-Cにあきたらなくなると、フルサイズのD700、レンズも当初は普及型の暗いレンズだったものが、F2.8の明るいレンズやマクロレンズ、あげくには500mmAFから1200mmのマニュアル超望遠レンズまで何種類も集めてしまうなど、何かに取りつかれたような感じもします。写真雑誌応募も3年を経過し、まがりなりにも1席・2席、特選、入選などで雑誌に写真掲載することが増えてきましたので、来年からは、アサヒカメラや日本カメラ誌の「ビギナー部門」から脱却していくことにしました。

しかし、もともとの写真興味は「記録写真」にあるわけで、「芸術性」より「人の撮らない平凡なだんじりまつり」や「壊されていく・無くなっていく運命にあるような建物」「名も無き平凡な動物たちの写真」「今では珍しくもないが数年後には貴重な記録になるはずの町の風景」というものを撮りたいなあと思うようになりました。たとえば、震災前の神戸の町並みは当然として、味のあったJR灘駅の木造陸橋、長田にあったサンテレビ、須磨のラジオ関西、須磨浦山上遊園でもドレミファ噴水パレス。神戸深江浜にあった「新神戸大プール」など思いはさまざまですが、今となっては撮れないものの一例です。私の身の回りでも、JR摂津本山駅が改装工事に入りました。すでに写真があっても、もし一眼デジタルで良い天気に撮影できておればなあと思うことがしばしばです。

懐古趣味とはいかなくても、あの日、そのときの記憶を正確に残したいと思います。

2011年11月 8日 (火)

須磨浦山上遊園ビューフォトコンテスト入選

神戸新聞社などが主催する「須磨浦山上遊園のビューフォトコンテスト」。結果発表は神戸新聞紙上で掲載するという神戸市近辺では、少しは名の通ったフォトコンテスト。山陽電鉄の車内広告(?)や駅のポスターもあり、また、秋の一時期は、参加者はカメラ持参で須磨浦ロープウエイが無料となる太っ腹なフォトコンテストです。

Kobenp1108

11月8日朝刊の神戸新聞に入賞者の発表があり、入選となりました。
現在(11/8)のところ、入選通知は届いていないのですが、実は昨日、同僚の先輩教諭から「神戸新聞で写真コンテストの入賞者として名前が載っていた」と言われ、あわてて学校にある神戸新聞を確認したのですが、勤務先の高校は神戸市内(兵庫区)であり、当然私の見ている神戸新聞と同じことから記事は確認できずでした。
その同僚教諭は、加古川市内でお住まいで、どうやら土日は所用で留守にされていたので(まとめて新聞を読まれたらしく)掲載日はわからないが、どうやら須磨浦の写真コンテスト(?)ということらしく、もちろん身に覚えがありますから、喜んで帰宅後、早速、過去数日間の神戸新聞を調べましたが不思議なことに記事が見つけられず、夕刊まで調べたのですが結局、内容がわからず不思議に思っていました。そういえば、最近「須磨浦山上遊園 ビューフォトコンテスト」などの検索が増えていたのですが、さらに、このブログを読まれている写真関係の知人の方からも「見ました」とのメール。
そして、本日11/8の朝刊を見ますと、神戸市内版の「ニュースふぁいる」に記事がありました。自分の名前が「入選」のところに掲載されているのを確認しました。
もしかすると、地域によっては先に掲載されていたのか、それとも私が以前の記事を見落としていたのかも知れません。
最高位の「須磨浦遊園賞」には、このあいだハーバーランドのフォトコンテスト表彰式でお会いし、いろいろとお話をお聞かせいただいた尼崎市のNさんの名前がありました。さすがと思いました。そして、神戸新聞社賞には、加古川のTさん。撮影に行くとお会いすることが結構あります。神戸新聞や日本カメラ誌でもよく入賞されておられる方です。

これらの方々は、過去にこのブログに書き込みをいただいたり、ご覧いただいたこともあるようですが、こういった方々と知り合えるきっかけになるのは、ローカルフォトコンの表彰式だったりしますので、私は、勤務など時間の許す限り出かけていくことが多いのです。ただし、今回の須磨浦遊園は、表彰式などはなく、指定期間内に事務所に伺うという形式です。(過去の例では山上の展示作品も見せてもらえました)。もっとも賞状等郵送というコンテストも多いのですが。

神戸新聞の記事では、これらの方のほかにも各種フォトコンの表彰式でお見かけした方の名前が並んでおり、皆さんもよくやられておられるのだと思いました。不思議なことに名前は覚えてしまいます。

私は、このコンテストは、ラジオ関西が後援するフォトコンテスト(ラジオ局が写真コンテストの後援はめずらしいと思う)でもあり入選は嬉しく思っています。
ただ、単なる「入選」では神戸新聞での氏名掲載はありますが表彰状などはなく賞品のみ。(商品は複数ありすばらしいものなのですが)ただし、2009年に「山陽電車賞」を受賞したときは「楯」をもらいましたので上位にはそれなりのものがあると思います。
この須磨浦のフォトコンは、ローカルフォトコンテストといえ、長年実施されているコンテストです。
ローカルフォトコンでは、実施しても続いて実施されないものが結構ありますので、実施されたら、できる限り早く情報を入手し、目標を定め撮影し、一撃で応募するということを続けています。(それでなければ次が期待できないのです。ただし数年ごとの周期で実施されるものもあり情報の整理は重要と思います)
そういえば、天王寺動物園のフォトコン。今年は8月に行われないのでとうとう終了かと思っていましたら、ZAQと手を結び、インターネット応募型のフォトコン(ただし、投票でなく写真家の審査)となっていますね。
従来のフィルム・お店プリント応募という形は一般的には残ることとは思うのですが、データ応募というのも増えてきたように思います。

少なくても、今回の天王寺動物園のフォトコンテストでは写真プリントでの応募はもとより、インターネット環境がないと参加が難しくなったという印象を受けています

天王寺動物園フォトコンテスト(2011)
https://www.smartcontest.jp/system/zoozaq/pc/?contest_pk=1
全応募作品が見れます。(私も応募しています。ネームはJF3MXU)
このコンテストでは、応募=公開なので、選外でも他のコンテストには応募できなくなりますから、多くの応募は、ちょっと覚悟と注意が必要と思いました。また写真家の先生も全作品公開なので、選ぶのも大変かなあと想像したりします。

2011年11月 5日 (土)

三木金物まつりに行きました

ここ数年、毎年のように訪れている「三木金物まつり」
神戸電鉄では、三木金物まつりの企画乗車券を販売するなど粟生線存続問題もあり、いろいろと関係方面の努力がされています。
11/5は、あいにくの雨模様でしたが、会場である三木市市役所周辺は大賑わい。
雨が結構激しくなっていたこともあり、三木市役所内にある展示なども見ておりました。
以前に2回ほど、三木金物まつり写真コンテストの表彰式で来た場所でもあり、市内の小中学生の絵画コンクールの入賞作品も行われており、秋祭りの屋台(布団太鼓)や、市内の名所や年中行事が描かれていまして、金物まつりも子供たちにも人気がある行事であることが感じさせられました。
ここで、見つけたのが「神戸電鉄粟生線」のポスター。
Dsc_4507a


今年、神戸電鉄・神戸電鉄粟生線活性化協議会が募集し、私の作品が入選したことはKISS fMのホームページでも発表されましたが、ポスターになったかどうかは知りませんでした。
たしかに、入賞作品は駅ポスターになると聞いていたのですが、春に見たポスターには掲載されておらず、神戸電鉄の粟生線は結構利用しているのですが確認はできておりませんでした。
三木市役所に掲示されていた2枚のポスター(のうち右側のポスター。右下にある「鬼追」の写真が私の作品です)には私の作品が名前入りで掲載されていました。

Dsc_4506a


KISS FMのロゴの真上にあるというのはご愛嬌?

画像はクリックで拡大されます。

NIKON D700  28-75mm F2.8

2011年1月撮影 三木市大宮八幡宮

(2011年3月 神戸電鉄粟生線フォトコンテスト 入選)

2011年11月 4日 (金)

神戸波止場町TEN×TENで「港町神戸 空を飛ぶ鳥の目」開催中(11/15まで)

鳥瞰図師の青山大介さん。いつも波止場町TEN×TENや神戸港でお会いする方の一人です。
Aoyama

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mt-rokko/
鳥瞰図を描きましょう♪・美し都 神戸から(ブログ)
http://mt-rokko.at.webry.info/
神戸を海から訪れる方々に対して、国際信号旗でお迎えする「神戸ウエルカムポイント」の活動をされておられる方です。
その青山さんと、このラジオ関西ファンにも写真を提供いただいている写真家の井川宏之先生の「昭和のみなと神戸/写真展」と一緒に青山さんの「港町神戸 空を飛ぶ鳥の目」(鳥瞰図作品展)が神戸市中央区の波止場町TEN×TENで開催されています。
井川宏之先生は、かって神戸市の市民のグラフ「こうべ」のカメラマンとして、高度成長期からの神戸港の変遷を撮影されてきました。
会場には、市民グラフ「こうべ」をはじめ、神戸の写真が展示されています。

Dsc_4089

11/3会場に伺い、井川先生、青山さんとお会いしました。
会場の雰囲気を伝えたく、特別に写真撮影を許していただきました。

Dsc_4090_3

Dsc_4091


11月15日火曜日まで、神戸港波止場町TEN×TENで開催されています。入場無料です。
また、波止場町TEN×TENでは11/29まで「近畿みなとオアシス物語・公募写真展」が行われています。
こちらには、私の写真も3枚採用されております。これは、相生・宮津・神戸の3つの「港オアシス」
(国土交通省登録)の写真展で、神戸港担当がTEN×TENだったようです。

波止場町TEN×TEN

http://tenten.chu.jp/

理事長は ラジオ関西でも土曜日の長時間ワイド番組(きいてごラジろ)をもたれていた村上和子さん(元サンテレビプロデューサー・現 山手短大教授)

2011年11月 3日 (木)

須磨の旧ラジオ関西ビル解体工事・ほぼ終了か

前回2011年9月17日 (土)記事でも 状況報告をしておりました
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c604.html
神戸市須磨区行幸町の旧ラジオ関西本社ビルの解体工事
最終段階となり11月3日現在1階部分も壊され、残骸を取り除く作業の段階となっています。

Dsc_4031


国道2号線からは、建物がすべて無くなったように見えますが、歩道橋から見ますと、クレーンなどが作業していることがわかります。

Dsc_4019


いずれにしても、旧ラジオ関西本社ビルはあと少しで完全に姿を消し、今後いつかは新たに何らかの建築物が建つものだと思います。

Dsc_4017

以前の写真と比較してみてください
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-43bb.html

2011年11月 1日 (火)

歌謡ステージは奥村英夫先生の特集

10月31日深夜の 歌謡ステージ(正確には11月1日)は、奥村英夫先生の追悼番組。やはり先週の時点では収録上すでに録音が終わっていたため、今回がはじめて訃報を伝えるという形です。

ラジオ関西の深夜番組でも演歌歌手の番組が結構ありますが、奥村英夫先生と交流がある方々も多くおられます

この8月に、ヒロノツトムさんの番組で奥村先生の特集番組がありましたが、この中で自分はもっと長く生きるようなことを言われていたのが今となっては複雑な心境です。

ヒロノツトムの走れタコ!23年8月30日放送
特番 奥村英夫の帰り道は遠かった

http://www.youtube.com/watch?v=F_zTs6R40C0&feature=player_embedded

帰り道は遠かった チコとピーグルス

http://www.youtube.com/watch?v=4JAo7GPpgjM&feature=related

冒頭の馬追い歌の民謡のようなイントロのギター演奏は奥村先生

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