開局60周年番組「アナウンサーでつづるラジオ関西60年」番組開始2週間を聞いて
ラジオ関西の60年間の歩みを当時の社会状況を踏まえながら、担当したOB・OGアナウンサーを交え番組やイベント振り返るというこの番組
神戸新聞報道 「ラジ関」60年の思い出語り OBら26人登場
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0004542684.shtml
井川宏之先生、558様をはじめ多くの方々からお知らせをいただきありがとうございました。
この番組、9月時点から深夜の時間帯などで番組宣伝をしておりましたので、私としては非常に楽しみにしている番組のひとつでした。
したがって、ラジオ録音も、従来のAM放送波の録音はもちろん、ラジコ経由での音質の良いステレオ放送自動録音をチャレンジしています。
もっとも、10月3日のラジコは、新規参入の問題もあり、うまくいけなかったのですが再放送もあり、それなりに番組内容を楽しみにしています。
さて、第1週の登場は大中照幸(おおなかてるゆき)さん。ラジオ関西の第1期アナウンサーでスポーツアナということ。
番組によれば、大中さんは第1期ラジオ神戸アナウンサーとして入社した10名のうちの一人で、現在ラジオ関西のOB会長のような方らしい。
私のもつ「ラジオ関西50年史」では、アナウンサーとしての大中さんの記載は見当たらず、開局当時のアナウンサーのリストにも見当たらない。(たぶん50年史の編集上の問題でアナウンサーとカウントされていなかったか漏れた例だと思われる)
ただし、ラジオ関西50年史50頁に「プロ野球実況中継中の奥田博之アナと解説の横沢三郎さん。左端は大中デイレクター」とあるように後年は、スポーツ番組の制作に従事されておられたようだ。また、営業部門の管理職の時期もあったようだ。
この番組では青田昇さんや、横沢三郎さんという当時の解説陣の方とも出演交渉もされた貴重な話が伺えたと思う。
青田昇さんといえばジャイアンツナイターの解説陣だが、阪急引退直後はラジオ関西の解説者だったようだ。三木市出身で学校も神戸市内ということでよく考えると縁は少なからずあって当然だろう。
この番組のテーマソングが流れるは月曜日放送のオープニングのみであるが、これは1952年4月1日の開局時に流したロッシーニ作曲のガザラドラ序曲というラジオ関西ゆかりの音楽である。
それ以後の(火~金)は、同じ出演者(週代わり)であるが、前日の最後に流した音楽を改めてオープニングで流すというスタイル。あの林アナウンサーの番組タイトルの前に聞こえるドラムの音が
ガザラドラ序曲のオープニングであることに気がついた人はあまりないと思います。それほど有名な曲ではなく検索すると驚きます。
ガザラドラ序曲については、このブログでも過去記事あり(2007/1)
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4c6e.html
大中てるゆきさんの放送を聞いて改めて感じたことは、当時から大阪局のやらないことをするという姿勢であり(まあこれは予想通り)
当時の音楽局のイメージが、洋楽のポピュラーというより、ジャズでありクラシックだったということだろう。
ジャズは、末広光夫さんのイメージもあり、現在のラジオ関西に通じるものとして納得できるものであるが、クラシックというのは、さすがに違和感がある。しかし、ラジオ関西50年史をはじめとする過去の文献にはクラシックがラジオ神戸の特色のひとつであったことは間違いないことである。
クラシックのレコード収集家であった「藤田光彦」男爵が設立時のラジオ神戸に協力されたことは知っていた。
番組では、言われていなかったことであるが、クラシックの世界では有名な音楽評論家がラジオ神戸・ラジオ関西におられたことである。
その方の名前は「小石忠男」さん。52~68年、ラジオ関西音楽プロデューサーという肩書きで多くの本も出されている。
惜しくも2010年11月になくなられていることを知った。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003594625.shtml
また、FM宝塚社長だった、田口昭南さん(元ラジオ関西アナ)も昨年なくなられているようだ
ラジオ関西60年の今が、開局時の記録を残すことのできるリミットに近づいていると思うようになった。
大中さんの年齢は80歳台、ラジオのアナウンサー出身だけあってそれほど年齢を感じさせないが「証言者」としてこのような開局60年の番組に出られ、お話を聞けたことが嬉しいとさえ思った。
その意味でも、この開局60周年記念番組の企画者の方々に心から敬意を表したいと思います。
スポーツニュースや旧ゴールデンナイターのテーマソングが流れたのも嬉しい。
なお、第2週の「加藤逸子」さんは、私のラジオ関西聴取時期と重なるので、知っている話が多い。
奥田博之アナや前田隆アナの話題もありましたね。
なお、加藤逸子さんは、フリー後のFM東京での番組での活躍が有名です。
ラジオ関西ではさすがに取り上げていませんでしたけど・・
FM東京 PENTAX「 ミュージックマインド」 Openingより
http://www.youtube.com/watch?v=JSGXBrcBRHk
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いつのまにか「大中てるゆき」さんの名前が、漢字表現(大中照幸)となっていますが、よくわかりましたね
投稿: 558 | 2011年10月23日 (日) 01時00分
558さん コメントありがとうございます。
その後の調査で、おおなかてるゆきさんと読める社員の方を調べた結果です。
参考資料は1964年6月発行の「社報JOCR第8号9面 このときの大中照幸さんの肩書きは大阪支社営業部副部長。アナウンサーで入社されてもいろいろな部門を経験されるというのは、この頃から始まっていたのですね。
また、その後大中さんはラジオ関西50周年記念誌P73によると1985年には常務取締役、1987年には常勤監査役になられています。
開局時のアナウンサーではありますが経営陣まで昇られた方だったのですね。(1985年は神戸新聞社から山崎社長を迎えていますのでプロパ職員では最高の地位だったのでしょうね
投稿: 西川敏弘 | 2011年10月23日 (日) 11時10分