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2011年5月22日 (日)

神戸市東灘区は地車30台以上を有す村落文化の残る街

神戸市東灘区の5月の祭礼で、最後になるのは御影の御影石町地区(浜石屋・上石屋)と御影塚町地区(東明地区・・とうみょう)

今年は5月21日、22日が例祭です。

ここで平成11年に私が撮影した写真と比較してみましょう
http://www.rokko.or.jp/users/danjiri/mikageishiya/toumyou.html
Dsc_0484

現在は、このような形です(平成23年5月21日 休憩中に撮影)
神戸の地車は、外ゴマ、山形提灯、播磨の祭りなどと共通する豪華刺繍の幕をつけた幕式ということがあると思います
平成11年のときは、地車復興を遂げて間が無い時代でした。
復興といっても、阪神淡路大震災ではなく、第二次世界大戦の戦災からの復興です。
神戸市東灘区は、戦時中は神戸市ではないのですが、深江には新明和などの軍需工場があり 神戸空襲の標的となった
被災地でした。したがって、旧村落でも海側の被害は著しく地車の多くが消失しました。
高度成長期には、祭りそのものが低調化し、本住吉神社では、各地区の地車小屋にあっただんじりを境内に小屋を建てて終結を考えたのも国道2号線に面しているため、交通事情で宮入が出来なくなることや、祭りが出来なくなることを危惧されたからでした。
今では、想像もつかないことでしょうが、だんじりの廃絶を危惧し、神戸市教育委員会が「神戸の民俗芸能(東灘編)」を出しているのですが、このような、当時の背景から生まれたのです。
昭和から平成になった頃から、戦災で消失した地区の地車も復興の波が寄せられ、平成の奉祝パレード、そして震災復興や区の50周年、60周年など、つらいときも、喜びのときも、だんじりで終結。大都市の区で30台以上のだんじりが曳かれているというのも珍しいと思います。それも、自治会単位ではなく、江戸時代の村単位に地車はあります。

修理をするだけでなく、元の姿に戻そうとか、幕を新調したり、地車の大規模修理が続けられていますので、毎年写真を撮るのも意味があると思います。
だんじりを撮影していたおかげで、震災前のなつかしい街の風景も残っています。
だんじりまつりがないと、民家や商店街の風景も撮影する機会も無かったと思います
Dsc_6681

その、東灘のだんじりは、今年は「震災復興・復興祈願」の提灯をつけて運行しているのですが、(上記は東日本復興祈願の山形提灯をつける東灘区本山・中野地車・・保久良神社例祭5/5撮影)
戦後復興時には法被を揃えられなくても、それぞれの工夫した衣装で祭りをしている写真が残っていたり、平成7年の阪神淡路大震災のときには5月の例祭は中止したものの、9月の秋祭りには震災復興の提灯をつけて、がれきも残る東灘の街にだんじりが通ったことを今でも忘れることができません。

心に残る伝統行事は継続して残していきたいものです。

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コメント

だんじり祭も年々過剰になりすぎるのが、不快に感じています。

派手な飾り付け!夜の10前後迄どんちゃん騒ぎ!いい加減にして欲しいですよ。

近々、町内会がだんじり新調の基金徴収予定だそうですが、もう払わない事にしますよ。

以前みたいにこじんまりとやって欲しいです。

長崎屋跡さん はじめまして


ご指摘のことは、それぞれの事情に対しコメントできる立場にありませんのでご理解ください。

地車まつりが過去に衰退した原因を見てみると、

(1)さまざまな要因により地域内の対立に巻き込まれた。
(2)事故や事件が起こったこと。(特に死亡事故や横転大破など)
(3)時代遅れ、風俗悪化の原因とされ行政等から敵視
(4)曳き手の不足
(5)戦争・天災など
(6)新設された鉄道・道路の状況
(7)近隣の他のまつり形態(ふとん太鼓・神輿)へ移行

地域の伝統行事であり、やらないとなると、伝承すべきこども達にも伝わらないという問題もあります。
私の世代では、小中学校時代に空白期があったのですが、中学校区には縮小しても続ける地区があったので回復したのだと思っています
ただ、祭りを良く思わない方にとっては、大きな負担となったり、迷惑と感じられるのもあることでしょう
私は、原住民的立場ですが、行き過ぎた内容になると、過去の「衰退した理由」につながっていくという懸念はもっています。加えて伝統行事のもつ「神事」という面と、若者のエネルギーの発散の場、新旧住民の交流という面も考えていくことも必要と思います。

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