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2011年2月27日 (日)

この3月でサンテレビポートアイランド移転30年

サンテレビはポートピア81が開催された1981年(昭和56年)3月1日に、神戸港沖にある人工島・ポートアイランドに社屋を移転し、第二の開局を果しました。
(公式WEBから引用 http://www.sun-tv.co.jp/company/index.html )
今年2011年3月1日で、「第二の開局」から30年を迎えます。

このブログの常連であるらぶSun氏から寄稿がありましたので掲載します
(原文のまま・・最後にコメントあり )

サンテレビが、昭和56年にポートアイランドに建設された「神戸国際交流会館」ビルに本社・演奏所を移転、
その新演奏所から放送を開始してから、来月3月1日で、満30年を迎えます。
思えば、ポーアイに移ってから今日までの、サンテレビのこの30年は、
★移転による過大投資による経営危機
★テレビ東京からの番組供給の縮小、そして打ち切り
★神戸新聞出身社長の退陣、兵庫県による経営テコ入れ
★資本金の減資~再増資
★ダイエー資本による経営追加テコ入れ
★バブル経済の膨張~崩壊
★阪神大震災
★ダイエー資本の撤退
★地上波テレビ放送のデジタル化・・・・
と、まさに山あり谷ありだったのではないでしょうか。
サンテレビは、近年、全国の地上波民放テレビの中でも、番組調達環境が最も厳しい状況に置かれているといわれ、
さらに長年、サンテレビの週末データイムの番組編成を支えてきた、
KBS京都テレビ発の競馬中継番組が、今年に入ってから土曜昼3時台だけの放送になり、KBS京都とともに、その後の番組穴埋めに苦慮したのではないかといわれる状況です。
それだけに、サンテレビは、近年取り組みを強化している、独立系テレビ6社共同制作のテレビ番組や劇場映画などの製作などに加えて、
大阪の本来の系列局で放送していない東京キー局の番組をKBS京都との共同調達の上で編成するなどの新たな方策を打ち出して、
今まで以上に「期待なきところに期待を作るテレビ局」であってほしいと思います。

(以上らぶSUN氏から寄稿 2011年2月26日 (土) 17時49分)
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私は、どちらかというと長田時代のサンテレビが好きでした。
身の丈にあったローカル局の活動というところでしょうか
静止画でラジオ関西の音声を利用したようなCMは逆に新鮮でした

ラジオ関西の支援(開局当時は大株主であり、かつ、25名の社員を出向させたようです。何よりも社長が同じであった)により開局したサンテレビですが,その後のダイエー資本が入ったあたりから少し雲行きが怪しくなりました。(決してダイエーを非難しているのではありません。ダイエーが送り込んだ人材の一部の方に難があったのではと思う程度です)
このブログでも過去にとりあげたように、一昨年、KISS-FMの社長だった平澤氏があのような「粉飾決算」事件を起こし、さらに混乱を極め、結局事実上の倒産の道に行き、放送事業も事業譲渡で新会社となっているのですが、この事件で日経ビジネスにも取り上げられ一躍有名になった平澤さんですが 元々この方はダイエー時代のサンテレビで専務をされていたことがあり、MX-TV(こちらは東京FMとの関係がある企業です)とのネット関係問題などもありました。ダイエーがサンテレビへの資本撤退を期にサンテレビから、やはりダイエー系列のKISS-FMにいかれましたが、それまでKISS-FMと神戸新聞・ラジオ関西はそれなりに良好な関係もあったように思えましたが、その後は神戸新聞の番組欄にあった「アンテナ」というコーナー(地元局の番組紹介)も消え、KISS-FMも独立局からJFN加入という路線になりました。神戸新聞も当初旧KISS-FMの株主だったようですが、持ち株数減少によりKISS-FMとは縁が薄くなったようです

この平澤氏が専務時代のサンテレビはMX-TVにドル箱のプロ野球・阪神戦を中継提供するなど 方針の転換があったように思います。ただ、その後のサンテレビは神戸新聞系になりましたから、心情的に確執があったのかとも思います。

その後のKISS-FMはアンチ神戸新聞、アンチ神戸市政という感じが今よりも漂っていました。(今も本質的にかわらないかも?)

サンテレビは現在は、また神戸新聞の出資比率が高まり、ラジオ関西と共同制作の番組も「高校駅伝(県大会)」など少数ですが、ラジオとテレビの共同制作番組にも期待したいと思います

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コメント

サンテレビは、独立系民放テレビでは、開局が早かった事に加え、東京のNETテレビや東京12チャンネルから多くの番組が流れ込んでくるなど、エリアや番組編成などに恵まれていた事もあり、開局時から長田本社での12年間は、悪く言えば何から何まで恵まれ過ぎていたのではないかと思います。
結果的にサンテレビは、テレビ東京からネット番組の多くがテレビ大阪へゴッソリ移ってしまった後も、経営危機のしこりなどもあり、「小型総合テレビ路線踏襲型」から、テレビ神奈川(昭和47年4月開局)が推進した「ターゲット路線」の機動的番組編成に転換するのが、遅れてしまったのではないかと思います。


らぶSunさん いつもありがとうございます
>開局時から長田本社での12年間は、悪く言えば何から何まで恵まれ過ぎていた
結果的には、見事に言い表しておられると思いますが、当時は その恵まれていた環境も当然のように思われていたでしょうし、その後の展開もみえなかったのでしょうね。TV大阪の出現までは、大阪・神戸のUHFを制覇したのはサンテレビだと思います。

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