2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月27日 (日)

この3月でサンテレビポートアイランド移転30年

サンテレビはポートピア81が開催された1981年(昭和56年)3月1日に、神戸港沖にある人工島・ポートアイランドに社屋を移転し、第二の開局を果しました。
(公式WEBから引用 http://www.sun-tv.co.jp/company/index.html )
今年2011年3月1日で、「第二の開局」から30年を迎えます。

このブログの常連であるらぶSun氏から寄稿がありましたので掲載します
(原文のまま・・最後にコメントあり )

サンテレビが、昭和56年にポートアイランドに建設された「神戸国際交流会館」ビルに本社・演奏所を移転、
その新演奏所から放送を開始してから、来月3月1日で、満30年を迎えます。
思えば、ポーアイに移ってから今日までの、サンテレビのこの30年は、
★移転による過大投資による経営危機
★テレビ東京からの番組供給の縮小、そして打ち切り
★神戸新聞出身社長の退陣、兵庫県による経営テコ入れ
★資本金の減資~再増資
★ダイエー資本による経営追加テコ入れ
★バブル経済の膨張~崩壊
★阪神大震災
★ダイエー資本の撤退
★地上波テレビ放送のデジタル化・・・・
と、まさに山あり谷ありだったのではないでしょうか。
サンテレビは、近年、全国の地上波民放テレビの中でも、番組調達環境が最も厳しい状況に置かれているといわれ、
さらに長年、サンテレビの週末データイムの番組編成を支えてきた、
KBS京都テレビ発の競馬中継番組が、今年に入ってから土曜昼3時台だけの放送になり、KBS京都とともに、その後の番組穴埋めに苦慮したのではないかといわれる状況です。
それだけに、サンテレビは、近年取り組みを強化している、独立系テレビ6社共同制作のテレビ番組や劇場映画などの製作などに加えて、
大阪の本来の系列局で放送していない東京キー局の番組をKBS京都との共同調達の上で編成するなどの新たな方策を打ち出して、
今まで以上に「期待なきところに期待を作るテレビ局」であってほしいと思います。

(以上らぶSUN氏から寄稿 2011年2月26日 (土) 17時49分)
------------------------------------
私は、どちらかというと長田時代のサンテレビが好きでした。
身の丈にあったローカル局の活動というところでしょうか
静止画でラジオ関西の音声を利用したようなCMは逆に新鮮でした

ラジオ関西の支援(開局当時は大株主であり、かつ、25名の社員を出向させたようです。何よりも社長が同じであった)により開局したサンテレビですが,その後のダイエー資本が入ったあたりから少し雲行きが怪しくなりました。(決してダイエーを非難しているのではありません。ダイエーが送り込んだ人材の一部の方に難があったのではと思う程度です)
このブログでも過去にとりあげたように、一昨年、KISS-FMの社長だった平澤氏があのような「粉飾決算」事件を起こし、さらに混乱を極め、結局事実上の倒産の道に行き、放送事業も事業譲渡で新会社となっているのですが、この事件で日経ビジネスにも取り上げられ一躍有名になった平澤さんですが 元々この方はダイエー時代のサンテレビで専務をされていたことがあり、MX-TV(こちらは東京FMとの関係がある企業です)とのネット関係問題などもありました。ダイエーがサンテレビへの資本撤退を期にサンテレビから、やはりダイエー系列のKISS-FMにいかれましたが、それまでKISS-FMと神戸新聞・ラジオ関西はそれなりに良好な関係もあったように思えましたが、その後は神戸新聞の番組欄にあった「アンテナ」というコーナー(地元局の番組紹介)も消え、KISS-FMも独立局からJFN加入という路線になりました。神戸新聞も当初旧KISS-FMの株主だったようですが、持ち株数減少によりKISS-FMとは縁が薄くなったようです

この平澤氏が専務時代のサンテレビはMX-TVにドル箱のプロ野球・阪神戦を中継提供するなど 方針の転換があったように思います。ただ、その後のサンテレビは神戸新聞系になりましたから、心情的に確執があったのかとも思います。

その後のKISS-FMはアンチ神戸新聞、アンチ神戸市政という感じが今よりも漂っていました。(今も本質的にかわらないかも?)

サンテレビは現在は、また神戸新聞の出資比率が高まり、ラジオ関西と共同制作の番組も「高校駅伝(県大会)」など少数ですが、ラジオとテレビの共同制作番組にも期待したいと思います

2011年2月26日 (土)

名曲ラジオで三浦ひろあきさんが サイマル放送について(RADIKOがらみか?)

2月26日の「名曲ラジオ」の番組の中でDJの三浦ひろあきさんが
リスナーの質問に答える形で「サイマルラジオ」について4月1日から実験開始?10月から本格放送といわれていました。

技術の方に確認したらという感じで、ラジコ(RADIKO.JP)のこととは明言されておりませんでしたが?どうなるのでしょうね
CRKの公式WEBで発表はされていないと思ったのですが

どなたか情報ありませんでしょうか?

ラジオ関西の番組が良音質でサイマル配信されることに期待します。

ラジコはエリア・局数も30局以上拡大ということは報道されていますが具体的にどの放送局かとは報道されていなかったようですが

RADIKO.JP 「新たな放送局の参加および・・・」(以下 下記へ)

http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110203_radiko_panasonic.pdf

2011年2月25日 (金)

「ラジオガール」・・ラジオ関西ファンWEBトップページ写真を改訂しました

ラジオ関西ファンWEBのトップページの写真を改訂しました。
http://jf3mxu.g-7.ne.jp/jocr-fun/
今回の写真は「思い出のラジオ関西シリーズ 神戸まつり公開放送(1989年)」

1989cr1

1989cr2

ラジオ関西は、古くから神戸まつりにステージを出していました。
この年1989年は、神戸市制100周年のときでした。

写真は「憧れのラジオガール」森山かずみアナウンサーと中村泰士先生です。
ラジオ関西の森山かずみさんの当ブログ記事は約1年前の2010年2月13日付
「憧れのラジオガール」森山かずみさん退職か
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-f5e0.html
も参照ください。

写真提供は、いつものように神戸在住の写真家である井川宏之先生です。 
ありがとうございました。

往年の神戸系女性DJ・・というより「憧れのラジオガール」ですね

2011年2月24日 (木)

日本カメラコンテスト5月号特選決定通知を受け取りました

応募を続けている日本カメラの5月号「特選」決定通知がきました。
はじめての特選通知で嬉しいのですが、今年はビギナー部門に参加する
最後の年となりますので、うまく修了(終了?)できるといいのですが。
作品は、武庫川のヌートリアを撮影した作品です。
いろいろな作品を送っているのですが、動物写真ばかりが入選しています

Nipponc201105

(特選)雑誌「日本カメラ」コンテスト 2011年5月号 ビギナー部門特選 「ヌートリアがやってきた」
日本カメラ社 2011年2月24日 決定通知受領 平成23年4月19日発売予定 選者:新美敬子先生

2011年2月21日 (月)

カメラ雑誌各誌の3月号月例写真コンテストは次点・予選通過ばかり・・

2月18日~19日に各写真雑誌(月刊誌)が発売されましたが,あいかわらず私は 性懲りも無く応募を続けています。

数多く応募を続けることが上達の秘訣といわれているのを信じているのですが、入選がないと寂しく、予選通過になっていないとへこんでしまいます。

Dsc_0549
今月は、アサヒカメラが次点、CAPAが1~2次予選通過、カメラマン誌が予選通過です。このところ「フォトコン」は応募をしておらず、先月から復活
しましたので、結果は来月にわかります。

そのほか「デジキャパ」も購読しているのですが、こちらは応募したことさえありません。
なお、アサヒカメラは入選したことはあるのですが、はじめての次点でした。
カメラマン誌も佳作はあるのですが「予選通過」ははじめてでした。
カメラマン誌は、入賞も10点なら予選通過も10点と少なく、CAPAや日本カメラは1次予選通過から3次予選まで紹介されますので、このあたりが、私の現状だなあとつくづく感じます。
救いだったのが「日本カメラ」で4月号入選作品の作品名と作者氏名の掲載があったことです。来月3月19日発売日本カメラ4月号では私の作品「水浴び」が写真掲載される予定です

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年3月号 スナップの部 2次予選通過「ゆりかもめにつかまった」作品名・氏名のみ掲載
平成23年2月19日発売 3月号紙面 141ページ(学研パブリッシング 選者:ハービー・山口先生

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年3月号 スポーツの部 1次予選通過「ゴール」作品名・氏名のみ掲載
平成23年2月19日発売 2月号紙面 141ページ(学研パブリッシング 選者:水谷章人先生

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年3月号 いきものの部 2次予選通過「神戸港のゆりかもめたち」 作品名・氏名のみ掲載
平成23年1月19日発売(学研パブリッシング)141頁 選者:海野和男先生

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2011年3月号 ビギナー部門 1次予選通過 「やられた」作品名・氏名のみ掲載
平成23年2月18日発売 3月号紙面 261ページ(日本カメラ社) 選者:新美敬子先生

雑誌「アサヒカメラ」コンテスト 2011年3月号 ファーストステップ部門 次点 「アシカファミリー」 選者:織作峰子先生
朝日新聞出版 2011年2月19日発売 231ページ  

月刊雑誌「カメラマン」2011年3月号 月例フォトコンテスト 予選通過「鬼やらい」 選者:大塚雅貴先生
作品名・氏名のみ掲載 155ページ (エキスパート部門)
モーターマガジン社 2011年2月19日発売

2011年2月18日 (金)

明石市長賞を受け取りに行きました

先日、受賞連絡のあった明石市の消防出初式写真コンテストの市長賞について、職場のある先生から新聞に大きく写真と名前が出ていたと聞きました。
その先生は明石の地元消防団に所属し、出初式当日も写真を撮っているのを見ておられたとかでびっくりしました。誰が見ているかわかりませんね。

どうやら購読されているのは神戸新聞で明石市内版のようです。私は神戸市内なので記事を知らないこともあり、そのことを伝えると早速、その掲載新聞記事をいただいたのですが、上位入賞の5点が掲載されており、市長賞が最高だったようです。最優秀賞などはなく、市の行事なので市長表彰が重みがあるようです。
神戸新聞明石版平成23年2月15日(火)朝刊26面(地域ニュース)に結構大きく作品が5枚もカラーで掲載されており驚いた次第でした。
2月17日は朝から明石に行き明石市防災センターに賞状を受け取り、明石市役所で行われている展示会を見に行きました

Dsc_0210

奨励賞と入選を含め23点が展示されており、写真雑誌や新聞で名前を良くお見かけする方が多い中で、よく選ばれたと思いました
Dsc_0211

Dsc_0219

昨年は、ローカル写真コンテストより写真雑誌の月例コンテストの主要雑誌掲載に力が入ってしまいました。
いずれにしても、市長賞という最上位賞を受賞できましたのでこちらにも力がはいってしまいそうです。

2011年2月16日 (水)

「出初めを写そう」写真コンテスト 明石市長賞受賞通知

この3年間、毎年応募している明石市の消防出初式の写真コンテスト

21年は「佳作」、昨年22年は「防火協会長賞」をいただきましたが、今年は連絡がなく、昨日2/15の神戸新聞朝刊の地域ニュースひょうご(28面)の「地域版から」では明石市版では「市消防本部が実施した写真コンテストの入賞作品が市役所2階のロビーに展示・・」という記事の概要が記載されているので今年はだめだったのかと諦めていましたが今日の郵便で見覚えがある緑色の明石海峡大橋の封筒が来まして選外かなと思って開けてみると「市長賞」の文字がありまして驚きました。もしかすると市長賞というのはかなり上位かなあと思いました。早速時間を作り見に行きたいと思いました。

Akashidezome2011_2

なお、この日に発表のあった神戸新聞の写真コンテストは残念な結果。すべてうまくはいきません。

(市長賞)明石市 第31回「出初めを写そう」写真コンテスト 明石市長賞「チームプレイ」
明石市消防局・明石防火協会 平成23年2月14日付文書連絡
入賞作品展示 平成23年2月15日(火)から2月20日(日)まで。
展示場所 明石市役所2階ロビー(明石市中崎1-5-1)

神戸市西区魅力再発見写真コンクール入選通知

「神戸市・西区魅力再発見写真コンクール」の発表があり、押部谷住吉神社の秋祭りを撮影した作品「獅子舞」が入選しました。

この写真コンクールは毎年行われているのではなく、前回からは3年ぶりの開催となります。前回は「佳作」でしたが、今回は「入選」といいましても、「佳作」という区分が今回はなく、ぎりぎりの入賞という感じです

(入選)神戸市・西区魅力再発見写真コンクール      入選「獅子舞」
 神戸市西区役所       平成23年2月15日付文書連絡
 神戸市さんちか「花時計ギャラリー」にて展示 2011年3月4日~16日
 神戸市役所2階 「市民ギャラリー」にて展示 2011年3月18日~25日
 神戸市西区役所「なでしこギャラリー」にて展示 2011年4月1日~25日
 神戸市西区区民センター「区民ギャラリー」にて展示 2011年5月18日~23日
 神戸市西区広報誌「なでしこ通信」平成23年4月号に記事掲載予定

2011年2月15日 (火)

三木ホースランドパーク写真コンテスト 入選通知

三木ホースランドパーク写真コンテストの入選通知が届きました。

昨年来、三木市とは相性がよいのかも知れません

(入選)第12回三木ホースランドパーク写真コンテスト 入選「こわくないよ」
 財団法人三木山人と馬のふれあいの森協会(兵庫県三木市別所町高木)平成23年2月13日付文書連絡 
 作品展示 平成23年3月6日からの予定(三木ホースランドパーク馬事センター) 

ラジオ放送とコールサイン

ラジオ関西のコールサインはJOCR
元々ラジオ神戸(神戸放送)に割り当てられたコールサイン
周波数は開局当初1490kC(KHz)から560kC(kHz)から558kHz
周波数のkCはキロサイクル、kHzはキロヘルツ 単位Cは古い周波数の表現方法であるが、元々中波帯のダイヤルが右端から左端への移行があったが、560KHzの周波数が確保できたことにより
中波のうち、もっとも長波に近い伸びの良い電波の周波数で、国内では他の放送局には免許されない単独の電波を使用でき、当初1kWの電力が3kW、10kW、20kWと増力が認められ現在に至っている。
送信所も当初須磨にあったものが淡路島の岩屋に移転、そして明石海峡大橋ができることにより、現在の淡路島東浦町に移転など変化があった。愛称もラジオ神戸からラジオ関西、一時期はAMKOBEを名乗ったが再びラジオ関西となっているように周波数、電力、送信所の位置、放送局の愛称さえ変化している。

そのラジオ関西で唯一かわらないものがある。それはコールサインJOCRである。

ただし、但馬局JOCEが生まれてからJOCRというコールサインそのものもあまり使われる機会は減ったように思う。

但馬局に別コールサインが与えられているのは「別放送が可能」という意味であり単純な中継局ではないということである。

もともとAMラジオ局は放送局の名前をいうだけでなくコールサインを放送することが多かったが現在は少なくなった。

開局したときは神戸放送だったものが社名変更によりコールサインも継続された。したがって同じ会社であるということは明らかである。
このあいだ、古いカセットテープを整理しているとラジオ関西の古い録音も懐かしく感じ取れた。コールサイン入りのジングルでお気に入りのものがあった。

「jocr558.MP3」をダウンロード

放送局という会社に放送免許が与えられるのだが、その会社が継続されている限りそのコールサインは続く。
そしてその放送局という企業が違う会社になったとすればコールサインが変わるのかというとそうでもないようだ。
TBSなどではラジオ・テレビが同一企業だったがラジオを10年前に別会社(子会社)にしてコールサインはテレビの方を変更した。
JOKR-TVはJORX-TVに変更、TBSラジオの免許人が(株)東京放送から子会社の(株)ティ・ビー・エス・ラジオ・アンド・コミュニケーションズに免許承継
ラジオのコールサインはJOKRで変更はなかった。
昨年のKISS-FM KOBEの倒産では、新会社兵庫エフエム放送に免許継承されたがコールサインの変更はなかった。
ただしKISS FMという愛称は新会社でも使うという。
無事うまく移行するのかと思っていたらまた、昨年のトラブルが続いているようだ。

神戸新聞記事 FM局キッス社前社長ら、現社長を提訴 2011/01/13
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003736130.shtml
神戸新聞は購読しているのですが 気がつきませんでした

2011年2月 9日 (水)

神戸の地車研究家・太鼓奏者 清水均氏のご逝去を悼む

すでに、このブログでもコメント・トラックバックをいただいているのですが
http://cameraboy.at.webry.info/201102/article_2.html
神戸のだんじり研究家 清水均氏のご逝去を悼む cameraboyのブログ(Biglobe版)

兵庫地車研究会会員で岡本地車仲での太鼓奏者であった清水均氏が1月末におなくなりになられました。
私の家に清水さんの奥様から電話が入ったのは1月31日(月)ですが、すでに葬儀は終えたという内容の伝言でした。
しかし私は、その少し前(記憶では1月21日か28日?の金曜日の早朝)にご本人から電話をいただいたところでしたので信じられないという気持ちでした。
このときは、夜間定時制高校勤務の私に対して早朝の電話でしたから、よっぽど急用があるのかと思いましたが内容は世間話程度で、「暖かくなったら又遊びにおいで」と
いった内容。インターネットでこのブログに自分の記事を見つけられて喜んでおられ、次回は以前撮影させていただいた写真を公開させていただくことをお約束し、ゆくゆくは清水さんのWEBサイトをといったことや、今年は、夏の湊川神社の奉納太鼓演奏を再開するのだと意欲的に述べられておられました。
一報を聴いたとき、あのときの電話は入院先の病院だったのか?それにしては朝から一杯やっていそうな雰囲気。私に何かを伝えたかったのではと、早々に電話を切って(といっても30分は話していたのですが)しまったことを後悔していました。
その日の夜、勤務中の私の学校に清水さんの息子さんから電話をいただき事情がわかりました。土曜日に旅行中、バスの中で倒れられ、救急車で運ばれたということをお聞きしました。
そして、先日2/5ご自宅にお伺いし、お参りをさせていただきました。
清水さんとは、私が小学生のとき 当時地元のだんじりが出されなかった事情から私の祖母の実家である北畑地区のだんじりで、やはり岡本のだんじりが出せなくなったときで北畑地区のだんじりの鳴り物をやっておられた清水さんと知り合い、それ以来頻繁にご自宅にお邪魔し地車のことをいろいろと教えていただきました。
地車のお囃子は地区ごとに微妙に違うのですが多くの地区の地車囃子を叩けるようになったのは清水さんの影響が大きいところでした。
ご自宅には大太鼓、二丁鐘、半鐘という神戸の地車囃子に必用な楽器は揃えられておられました。
地車囃子を演奏して欲しいという高等学校等の話は私に結構ありましたが、私がするわけにはいきませんので清水さ んにお願いすることが多くありました。
私にとって兄のような存在であり、地車の道での師匠でした。
このブログでどうしようかとも悩みましたが、キーワード検索の分析をすると清水均氏での検索も増え、今回コメントいただいたこともあり、以前清水さんと約束しました撮影した写真をブログに掲載することにより、心よりご冥福をお祈りします。

なお、清水さんはご自宅のかかしが有名で神戸新聞でも取り上げられたたことがあります。
いずれも、ご本人の撮影・掲載許可をいただいているうのですがこのような形で公開することが残念でもあります。

Dsc_3034

Dsc_1393

ご自宅で 手作りだんじり模型を手に

Dsc_1423
清水さんは 美術の才能がありこのような作品も新聞で紹介されました

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »