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2011年1月22日 (土)

月刊「日本カメラ」2011年4月号入選通知

2011年になって初めての日本カメラの入選通知が届きました。
昨年は4月、9月、12月の3回でした。
今年に入っての日本カメラは初応募で今年はじめての入選。選者が新美敬子先生となってはじめての入選です。
といってもすでに4月号、現在発売中の雑誌は2月号ですから1~3月は入選とはならなかったということです。
1月号は昨年12月17日発売で 2次予選通過 「おんぶしてよ」
2月号は今年1月19日発売で3次予選通過 「秋祭りの犬」
3月号は未発売ですが、入選通知は届いておらず、良くても予選通過となります

日本カメラは入選していないことがわかっていても「予選通過作品」かどうかを確かめる楽しみがあります。
一方、アサヒカメラは次号の入選作品発表のときに予選通過作品も発表されますので、逆に予選落ちもすぐわかります。
またCAPAは1席以外は発売日までわからないようで、「カメラマン」や「神戸新聞読者の報道写真コンテスト」も紙上発表です。

今回入選となった作品は「水浴び」神戸王子動物園のフラミンゴを撮影した動物写真です。

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2011年4月号 ビギナー部門入選 「水浴び」
日本カメラ社 2011年1月22日 入選通知受領 平成23年3月19日発売予定 選者:新美敬子先生

2011年1月20日 (木)

広島市安佐動物公園動物写真コンクール 入賞通知(園長賞)

この数年、毎年応募しています広島市安佐動物公園動物写真コンクールの入賞通知が来ました
今回は、はじめての「園長賞」(昨年までは朝日賞(朝日新聞)が2回)、作品は安佐動物公園の象を撮影したものでした、まさかこれが入るとはと思っていませんでした。

Asa201101

今年は 例年ではすでに発表となっている時期のはずなので、今年はだめだったと思っていました。

昨年は安佐動物公園に1回訪れただけですがこちらは応募点数に制限がないので良いと思う作品をいくつか選び送りました。
選者は神戸市立王子動物園の写真コンクールの選者と同じ動物写真家の田中光常先生です。
王子動物園は応募点数が一人3点と決まっているため、応募写真選択の下手な私は入選止まり。王子動物園は月2回は最低行きますのでそれなりに数はあるのですが、広島は訪問も少なく一発勝負。動物相手ですので演出や動作をお願いすることができず また写真そのものも動物写真をやられる方とそうでない人には評価に大きな違いを感じるところです。

いずれにしても、もう少し写真を見る目を養わないといけないようです。

平成22年度安佐動物公園動物写真コンクール 入賞(園長賞)「食事中」(選者 動物写真家 田中光常先生)
 広島市安佐動物公園 朝日新聞社後援 平成23年1月18日付文書連絡 (安佐動物園の象が被写体でした)
 作品展 平成23年4月29日~5月29日(日) 
広島市安佐動物公園 動物科学館1階企画展示室 (例年公式WEBでも公開されます)

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト(生きものの部)入選

昨日1月19日は写真月刊誌の発売日。

今回はCAPA(学研)の写真コンテスト(生き物の部)のみが入選となりました。CAPAは1席以外は事前通知がなく雑誌写真掲載が発表となっていることは以前からの経験でわかっていましたが、CAPAの生き物の部は12月号で2席(1月号は応募せず)そして、今回は入選となりました。スポーツの部は昨年7月号で1席をいただいてからというもの毎号のように予選通過となっており、CAPAとの相性はいいのかもしれません。CAPAの入選者は他の写真雑誌と比較して年齢的に若い人の入選が目立ちます。

また、日本カメラ2月号は3次予選まで残っていたようでした。あと1歩のところで残念。

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(入選)雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年2月号 いきものの部入選「湖畔のヌートリア」 写真・コメント掲載
平成23年1月19日発売(学研パブリッシング)181頁 選者:海野和男先生

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年2月号 スナップの部 1次予選通過「泣き相撲」作品名・氏名のみ掲載
平成23年1月19日発売 2月号紙面 137ページ(学研パブリッシング 選者:ハービー・山口先生

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2011年2月号 スポーツの部 1次予選通過「親子演武」作品名・氏名のみ掲載
平成23年1月19日発売 2月号紙面 137ページ(学研パブリッシング 選者:水谷章人先生

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2011年2月号 ビギナー部門 3次予選通過 「秋祭りの犬」作品名・氏名のみ掲載
平成22年12月17日発売 2月号紙面 263ページ(日本カメラ社) 選者:新美敬子先生

2011年1月11日 (火)

新年企画(3)青春ラジメニアと岩崎和夫さん

ここで青春ラジメニアの話題をするのは、フェローズカードを持たず、またハガキも出さないアニメに無知な私が話題とするのは不謹慎で、熱心なファンに対して失礼であるとの感覚からあえて積極的にしなかったのだが
すでに岩崎和夫さんも、昨年来こちらで数回コメントをいただいたこともあり、新年企画の3回目として、岩崎さんの番組についてとりあげても許されるだろうと思うようになった。
ラジオ関西をBGMにする私にとって、岩崎さんの担当しておられた「歌謡曲まかせなさい」「アニメ玉手箱」「青春ラジメニア」は当然ながら私は聴いており、ラジオ関西開局40周年キャンペーンソング「愛しいとき」が
収録されたCD(1992年KICA-104キングレコード)も発売後すぐ購入している。
しかし、私は古いテレビ番組の主題歌は知っていても、それは子供のときのもので最近のものはほとんど無知であることはくどいようだが繰り返しておきたいと思う。

情報技術科の工業高校教諭をしている関係もあり、こちらの分野に進路を考える生徒も少ないわけではありません。
たとえば、いまや有名アニメーターになった「りょーちも」さんも高校卒業後、さらに私の勤務校で学ばれて卒業されたという縁もあります。

このブログの過去記事
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c9a8.html#comments
私の別ページにある「澤良輔さん(りょーちもさんの本名)」のCG検定の合格証書は下記
http://jf3mxu.wisnet.ne.jp/licence/cg.html
最近も活躍されておられるようですね。アニメータというより監督なのでしょうか
http://www.amgakuin.co.jp/contents/?p=7941
りょーちもさんには高校のPRに画像をもらいまして名前も出してPRさせていただくことも了解していただきました

さて、話は脱線してしまったのですが
私が岩崎さんを知ったのが1981年前後ではないかと思います
手元にある「ヤングコネクションポップアイランド」の会員証です

Dsc_8889
この地図にあるように、私は火曜日の住人で住民登録は
BLOCK TUESDAY ADDRESS BUVERLYVA HILLS?とあります

Popisland2
火曜日はどのような人が担当されていたというと「泰葉 岩崎和夫」
私も最近になるまで気がつきませんでした。この番組ではシールやトレーナも貰ったのですよ。

Popisland1
ラジオ関西のアナウンサーや番組制作の関係者は音楽通なのは当然のような方々が多くスポーツ・文化面にも必ずといっていいほど得意分野を持っておられました。
元・現役ミュージシャンとしてハワイアンの今崎陽吉さん、ジャズの原田紀子さん、フォークソングでは元ジローズの森下悦伸さんなど有名な方がスタッフにおられ
ジャズ評論家で神戸ジャズストリートを作り上げられた末廣光夫さん
アナウンサーでも、当然得意分野があり、三浦ひろあきさんは洋楽のほか自動車分野、矢野泰三さんは演歌アナウンサーと称され独特の雰囲気と人脈をもっておられました。
このようなことは一例であり、このようなことを書き出すときりがないほどです。
このように、ラジオ関西は神戸というの一地方局でありながら番組の質はきわめて高いことは、神戸を離れ旅行先でラジオをつけてみると、その差は歴然でした。
これは開局以来、朝日放送や毎日放送という「準キー局・ラジオテレビ兼営局」と競争してきた歴史があり、番組を担当する社員には大阪の一流局と向かい合ってきたからです。
ネット全盛の現代では不思議に思われるかも知れませんが、大阪局も東京のキー局に頼るわけではなく、ニュースとプロ野球中継以外は自前とする風潮があったわけです。
1970年代当時にはオールナイトニッポンも関西地区ではラジオ大阪とKBS京都(近畿放送)ぐらいで、MBSは「MBSヤングタウン」(JRN系のヤングタウン東京とは全く別)
ABCの「ヤンリク」、OBCの「バチョン」などの看板番組があり、これらに代表されるよう自社制作がほとんどであったわけです。
当時はラジオ関西は「電話リクエスト」ただし、これは他社がプロ野球の時間帯。
サンテレビ設立などで、マンパワー的な問題もありラジオ関西は深夜放送参入が遅れたといわれています。
「ラジメニア」は、このような過去の背景もあり、若者向け番組の大成功例といえるものです。

岩崎さんのポップアイランドは1981~2年ごろと思います。

夜の10時半から約1時間半のもので、この番組は人気タレント・歌手と、局アナのコンビの形式で、神戸博(ポートピア)後、大阪局に対抗していたラインナップだと思います。

このような若者向け番組が、ラジメニアの前段階にあったことは特筆すべきものと思います。
また、かっての「電話リクエスト」が東京局にノウハウが移転されたと同様に、今や東京のラジオ局がラジオ関西のアニメラジオ路線に追従されているようにも思います。

さて、インターネットで検索しますと、青春ラジメニア関係でもいろいろな動画が見れます。

青春ラジメニア
http://www.youtube.com/watch?v=B1n4_gY4l9c
SRLB
http://www.youtube.com/watch?v=Edk-n2D73nE

お見かけしたような方々が写っているように思います

2011年1月 8日 (土)

新年企画(2)マリア・リグレステイさんと奥田博之さん

ラジオ関西が生んだ女性外国人DJの草分け的存在の方というと
奥田博之アナと電話リクエスト金曜日を担当していたマリアリグレステイさん
このブログでも、過去にも数回話題にしたことがありますので、検索も相当多くなってきました
今回も、千石岩さんから 'ラジオ関西の「電話リクエスト」の放送風景の写真' にコメントが寄せられました
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-200b.html#comment-59437509
過去の記事は2006年9月ですから、かなり前のことで
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/19_4db7.html
実は上記の写真は奥田博之アナとマリアさんだそうです。
写真提供は写真家の井川宏之先生で、お伺いしたところそうだったようです。

2008年11月には「マリア・リグレスティは1960年度花のプリンセスに選ばれた少女だった」
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/1960-d218.html

2009年4月「ラジオ関西の「電話リクエスト」の放送風景の写真」
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/index.html

少し写真が小さかったので、今回はもう少し大きくしてみます。

19702

そして、今回別の写真を出してみたいと思います

Maria

こちらの写真は、ラジオ関西の須磨時代の本社で撮影されたもので
元の写真は井川宏之先生が撮影されたものを許可を得てトリミングしたものです
いろいろな人が写っており、以前加工を条件に掲載のお許しをいただいていたものですがタイミングを失ってしまい、今回紹介するものです。
井川先生のオフィスに伺ったとき、サンテレビに出演するマリアさんなど貴重な画像を見せていただいたことがあるのですが、時代によってかなりお顔が違うようにも思います。

この写真はラジオ関西金曜電話リクエストのスタッフの方々とともに写されたものですから1970年頃の写真と思います

1987年のKBS京都の画像が下記にあり(土曜日担当です)
http://www.youtube.com/watch?v=oI5fywJYgB8

当然1970年からですと17年後ですから・・相当変わられておられます(しかし声が違うように。上記はラジオ番組のTVーCM)

さて、このラジオ関西の局アナだった奥田博之さん。
洋楽やバラエテイ・ワイド番組に強いアナウンサーのイメージでしたが元は、野球中継の実況もこなすアナウンサーでした。
1961年のオールスターゲーム 第2戦:7月23日(甲子園球場)には
ラジオ関東系(ラジオ関西製作) 実況:奥田博之 解説:青田昇、横沢三郎とあります

http://findwiki.info/p-916f4731460998297242196c4e356bc865b626.html
ラジオ関西50周年史には奥田博之さんが実況し横沢三郎さんと写っている写真が掲載されていますが、おそらくこのときのものだと思います。(想像)
このときのラジオ関東が現在のRFラジオ日本です。1961年当時はラジオ関東ができたての時でラジオ関西とネットしても1978年のNRN問題のようにならなかったようですが、なぜかというとNRNが出来たのは1965年であるからです。

この1965年のNRN誕生を境に、ラジオ関西はプロ野球中継をやめ、音楽局として「電話リクエスト」を1週間(月~日)午後7時からはじめるという7-7電話リクエストなどをやっているのですが、1978年のNRNの事実上の除名になったジャイアンツナイター問題の頃、奥田博之アナはフリーになったというのも因縁深いものです。

その後は読売TV制作の全国ネット「2時のワイドショー」の司会者
http://www.youtube.com/watch?v=3sl9V6ER1Jw
朝はFM大阪の朝の帯番組 JOBUポップサロン「あなた」
http://fmosaka.net/35arc/archives/2005/07/jobu.html
そして夜は サンテレビのタイガース戦のプロ野球実況中継
サンテレビボックス席
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%B8%AD
サンテレビ開局時(1969年)にはラジオ関西の放送制作・技術陣やアナウンサー(松島武雄さんなど)約25名が出向されており
1965年にプロ野球中継撤退したラジオ関西の放送陣がサンテレビで活躍したといっても過言ではないだろう。
試合開始から試合終了まで中継するという手法はラジオ関西時代のラジオ的手法の名残りというか伝統であった。
また、ネット番組に縛られない新UHF局で、大阪にはUHF局が設けられなかったことも幸いしたのだろう。
奥田博之アナにとってはサンテレビは身内のようなものだったのだろうが、元々ラジオ関西で実況もされていたのでこのような芸当が可能だったのだろう。いずれにしても朝はFM大阪、昼はYTV、夜はサンテレビと全く違う種類の分野で活躍されたのだからすごいものです。
私が小学校の時、ラジオ関西のスタジオに見学に行き奥田さんの写真を撮り番組にメッセージと写真を送ったら、放送に採用されてご丁寧にも礼状とサインを頂いたことがある。

なぜ奥田アナがフリーになったかということは疑問のあるところです。引き抜き説や国政選挙出馬予定だったという噂も流れましたね。いずれにしてもフリーで成功された方だと思います。しかし、その基本はラジオ関西の人気アナウンサーだったということです。

もうスタジオ見学に行ったときから40年もの時間が流れた。自分ながら時の流れの速さに驚いている。
しかし、40年経過しても、当時はじめてラジオ局を見学した須磨のラジオ関西の思い出は今でも鮮明に蘇る。地元神戸のラジオ局であることを身をもって知ったときであった。
兵庫県の民間放送のラジオ局で関西TVやサンテレビ設立に貢献しながらNRNを脱退(事実上の除名)の道を選ばなくてはならなかったラジオ関西。
独立局として開局したがJFNに加盟に転じ、挙句の果て粉飾決算疑惑や経営陣もおかしくなってJFN除名・民事再生法申請・新会社兵庫エフエムでJFN再加盟し新経営陣が努力を続けられるKISS-FM。

AM局とFM局の違いはあるにせよ大都市大阪に隣接する放送局の戦略には非常に興味と地元への思いなど惹かれるものがある。

2011年1月 4日 (火)

新年企画(1)年末年始のラジオ関西を聴いて思うこと-吉本新喜劇のテーマ曲など

年末年始の休暇中は普段聞けない時間帯のラジオ関西の番組を聴いています
番組でいうと、たとえばCRK MUSIC H.E.A.D.S.は普段は23時以降、へたをすると終了直前に聴くことになるので
22時台などは祝日や、このような年末年始の休暇のみということになります
今回、気がついたことについて少し書いてみたいと思います。
「新春吉本お笑いバラエティーショー (神戸国際会館 こくさいホール)」の紹介が連日のように行われ
もっとも神戸新聞記事(下記)もかなりの力の入れようなので、それはそれでいいのですが
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0003677038.shtml
ラジオ関西で「吉本新喜劇」のテーマソングがその紹介中に流れていました
曲名は「Somebody Stole My Gal」といって 演奏は  Pee Wee Huntという人のものです
女を誰かに取られちまった」みたいなタイトルだと紹介されていました。

現在の吉本新喜劇でよく使われているもので
吉本新喜劇のテーマ といえばこちらを思う人がほとんど
http://www.youtube.com/watch?v=uFn0XUOoYis&feature=related
トロンボーン奏者でディキシーランドジャズになるようです。

ディキシーランドジャズ ホット・ジャズ ニューオーリンズ・ジャズ
といえば ラジオ関西でも末廣光夫さんの得意とする分野

そういえば、大御所ベニーグットマンもこの曲を演奏しているようです
http://www.youtube.com/watch?v=-3SkT8Nl32I&feature=related

しかしこの曲だけが吉本新喜劇のテーマソングかといえば少し疑問が残ります
この曲は自分の彼女を誰かに取られてしまったが、明るく笑い飛ばして騒いでいるような曲で昔はたしか朝日放送のときにこちらが流れていたようでMBSは良く似た別の曲があるという気がしました。そこで少し調べて見ますと

MBS-TVの土曜日昼の吉本新喜劇の劇場中継で流れてい­た分は
曲名「生産性向上のためのBG音楽 工場向け第一集その5」
演奏 Columbia Orchestra 

http://www.youtube.com/watch?v=n98T1npgy8o&NR=1
私にはこちらの方に思い出があるのですが曲名は知りませんでした
関西の工場でこの音楽は採用されても・・と思うのは私だけではないはず
いい音楽なのですが、このような目的とは知らずジャズ関係かなあと思っていました

それ以外にも吉本新喜劇のテーマ音楽はあるのですが なかなか曲名も知らないものが多く
唯一私の記憶にある曲名が「ポップコーン」

ホット・バターというグループの「ポップコーン」という曲
http://www.youtube.com/watch?v=YK3ZP6frAMc&feature=related

もしかするとPopcorn Makers という演奏者の方かも?
http://www.youtube.com/watch?v=i04jzqGbqHY

「ポップコーン ホットバター 吉本新喜劇」 という検索をしますと
いろいろな方が思い出を語っておられますので間違いないと思いますが。どなたかご存知の方おられませんでしょうか?

少し無理やり思い出話をしてしまいましたが
ラジオ関西は吉本の比率は少ない感じがします(目立つのはラジオ大阪)ラジオ関西は松竹系が目立ちます
しかし古くは桂三枝師匠なんかも毎週土曜日、芹洋子さんと番組を持たれたこともありましたが(かなり昔)
「桂三枝のズバリ大番組」土曜朝の2時間半のワイドでした(1973-74)
http://jocr.jp/timetable_50th/main_74.html
もっとも三枝師匠は1970年ごろ「桂三枝の歌謡曲だよ歌謡曲」(月~土の正午から30分)という帯番組を持っておられ
昭和43年(1968)から45(1970)年の3年間ですから、かなり早期の段階から発掘登用されていたように思います

なお、私は実際にきいていたのは「桂三枝のズバリ大番組」は学校の休みの時のみ聴いた記憶があります。
「桂三枝の歌謡曲だよ歌謡曲」は昼間の時間帯で、1968年当時は、ラジオよりテレビの時期だったためか記憶にはありません。
ラジオ関西の「番組表で見るラジオ関西50年」に掲載されています
http://jocr.jp/timetable_50th/index.html
ということは 2012年が開局60周年ということですね。
正月早々 来年の話をすると鬼が笑いそうですが
2011年は60周年を迎える前年度ですからそれなりの動きがあってもいいように思います

新年おめでとうございます
今年もよろしくお願いします

西川敏弘

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