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2010年3月31日 (水)

大石吾郎のコッキーポップのテーマソング

大学受験ラジオ講座の後で流れていた「大石吾郎のコッキーポップ」
ラジオ関西もネットしていたが、NRN脱退により消えた番組である
1978年のテーマソングの曲名は「白いページの中に」・・これを歌っていたのは「しばたまゆみ」さん。
http://www.youtube.com/watch?v=y-ZkE0Ue5VE
しばたはつみさんが死去されて、追悼されるブログも多いのだが、しばたはつみさんが、この「白いページの中に」を歌っていたと思い込んだ書き込みが非常に多く、「白いページの中に」が好きでしたとかいう書き込みも多い
勝手に死んだとされるのも困ったものだが、確かに良く似た名前である。

一度 「しばたはつみ 白いページの中で」とわざと誤って検索してみると良くわかるものである。

ラジオ関西と関西テレビも同じ放送局と思う人もいるが、全く無縁と思う人もいる。
しかし、関西テレビは、もともとラジオ関西の前身の神戸放送が設立母体のひとつなので、古くは関西テレビと設立母体であるラジオ関西、近畿放送、その後開局したラジオ大阪が組み、AM数波のステレオ放送+テレビ画像の立体放送実験をやったようだ。
これは東京では、フジテレビの設立母体が、文化放送、ニッポン放送のラジオ2局だったこととも偶然ではない。
当時のラジオ局はこぞってテレビ進出を考え、一本化のなかでこのようにテレビ局の大株主がラジオ局という構造が生まれた。
関東でのAMラジオのステレオ放送実験も文化放送、ニッポン放送だったというものも興味深いところである。
文化放送、ニッポン放送というとNRNのキー局であるが、本来は商売敵のはずがテレビ局開局で手を結んだという見方もできる。
ラジオ関西はもともと、TBSや文化放送の番組を導入していたこともあるが
「百万人の英語」や「大学受験ラジオ講座」という2つの旺文社系の高度成長期のラジオ教育番組を関西地区でネットしていた。これは旺文社が文化放送の株主であったという関係もあるが、関西地区ではラジオ関西がNRN除名後も続けている
しかも後継番組「アルシェくらぶITEMAERADIO」はラジオ関西が制作(しましまんず等が出演)し、文化放送に逆ネットした。
大学受験講座が終わった年は、阪神淡路大震災の年であり、ラジオ関西と文化放送で「アルシェくらぶITEMAERADIO」を行ったのも震災復興支援か、それともそれまでの功労賞的な意味合いかもしれない。
なお、ラジオ関西がNRNからネットしていた番組は、このほかでは「ニュースパレード」ぐらいで、これも文化放送の制作であった。
ニッポン放送の制作では「円鏡のモシモシ歌謡曲」「コッキーポップ」ぐらいだろう。
このように、文化放送とラジオ関西のつながりは非常に深く、NRN脱退後も、「百万人の英語」や「大学受験ラジオ講座」は続いていた。
さらに、両局は「アニメラジオ」分野の東西の雄といわれているが、過去においても「百万人の英語」や「大学受験ラジオ講座」を深夜にするという編成方針は似通っていたといえる。

追記

下記の画像もご覧ください

http://www.youtube.com/watch?v=w4wUSGykAOQ&feature=fvw

2010年3月30日 (火)

さんちかの古い画像・サンテレビの「ボンジュールさんちか」

使われている曲は2代目さんちかのテーマソング「Santica Town」チェリッシュ
http://www.youtube.com/watch?v=oV5tchuGDp8
このテーマソングは」1975年に制定 1985年頃まで使われました
この画像にもありますが、夢広場にモニュメント(金色の女性像)があったのですね
これは、現在さんちか入口付近の屋外にあります。夢広場は毎月いろいろな展示がされています。
なお 初代さんちかのテーマソングは「サンティカ・デ・ラマンテ」1965 和田弘とマヒナスターズ(ビクターレコードから発売)作詞:井田誠一、作曲:鈴木庸一、編曲:寺岡真三
また 3代目さんちかのテーマソングは「夢気分パーフェクト」松原みき(1985~2005)作詞:竜真知子/作曲:熊谷安廣
現在は、4代目さんちかのテーマソング「風にのって」ばんばひろふみ (2005-)作詞:やすみりえ・ばんばひろふみ/作曲:ばんばひろふみ キングレコード PKCP-2012

神戸の恋人 サンテレビ

http://youtubo.pya.jp/dl.php?vid=0c5Ob6u5A_U

ある方に教えていただいた サンテレビで一時期流れていた「神戸の恋人(サンテレビ)タグを見ますと 歌手はしばたはつみ さん・・ということ。ご冥福をお祈りします。

2010年3月28日 (日)

ダイエーとコープこうべを扱った本

面白い本があったので購入した
「ダイエー コープこうべ 生活をめぐる競争と協同」田井修司・久保建夫・奥村洋一 著 大月書店

1
この本が出版されたのが1991年9発行というからバブル経済の時期。
ちょうどKISS-FMができた年が1990年10月であるからその時代の経済の書籍と考えてよいだろう
コープこうべは灘神戸生協時代から、ダイエーとは地元神戸でも競合関係にあり、高度成長期のスーパーマーケットの全国展開で日本有数の企業となっていた。
コープこうべは生活協同組合という組織ではもっとも古く、また規模については震災前では全国でもすぐれた実績を持っていた
ただし、コープこうべは、兵庫県の組織であり従来は県内に限定した活動がされていた。
ダイエーは、サンテレビの経営にも参加していたが、ラジオは1960年ごろにはラジオ関西での番組提供はあったものの、いつの間にかサンテレビに向かい、
ラジオについてはKISS-FMへの出資に向かった。
コープこうべについては、ラジオ関西の朝の番組のコーナーの担当を続けられた
コープこうべの店舗に行くとラジオ関西の三上アナウンサーの声がテープから流れている。番組宣伝である。以前は谷五郎さんであった。
同書には、放送局などの話題は無いが、ダイエーの行っていた不動産の戦略や、M&A戦略、グループ運営などがくわしく紹介されている。
土地の含み益に見られる成長期の特徴が、バブル崩壊と震災により大きな痛手となったことがわかる。
生協は生協法により、その事業や運動を通じて国民のくらしの向上、生活文化の向上を目的としているため、事業計画はその拡大を目的ではなく
それによって何を実現するのかが問題となるようだ。ラジオ関西のコープの番組を聞いてみても独特の理念が感じられる、商品を売るために広告をしているのではなく
たとえばエコについても生協の取り組みを前面に出しているように思う。

2010年3月27日 (土)

現在の神戸市東灘区本山の写真を撮ってみた

地元の町並みを写真に撮るということは、だんじり祭りの背景としてしか撮ったことがない私であるが、現在の記録写真としていくつか撮影してみた。フォトコンテストには出せるようなものではないが、記録写真としてはいいのではないかと思っている。というのは本山駅や岡本駅などは新しくなるという噂も多く、JR灘駅が新しくなった今,市内最古級の木造建築で瓦屋根の駅とういのも珍しい部類になったのではと思う。

Dsc_2089

現在の、摂津本山駅付近の写真を撮影した

Dsc_2087

駅の東には踏み切りが現存する。名前はいまだに「田辺村踏切」である。

神戸市になるまで、このあたりは「本山村」、田辺村というのは、江戸時代にあった旧村落の名称である。田辺村が本山村に編入されるのは明治20年代後半である。東海道本線開通当時からの名称をそのまま使用しているとしか思えないものである。

Dsc_2088
このあたりも、ビルが立ち並び、私が小中学生の頃から思うと大きく町並みも変化した。摂津本山駅北交差点。山手幹線である。

Dsc_2090

Dsc_2091

高層のビルは「二楽園」、老舗の園芸ショップである。

Dsc_2092

岡本坂 阪急岡本と攝津本山駅を結ぶ道路。本山と岡本はきわめて距離が近く乗り換えもできる距離。地下鉄三宮と花時計前駅ぐらいか?

Dsc_2093

摂津本山駅から、少し東に行くと「本山市場」があった。昭和27年創設というからラジオ関西と同じ年に生まれた公設市場であった。
華やかな学生の街である岡本の街から少し取り残された感があり、多くの店がシャッターをおろしていた。

その本山市場も一部取り壊しがされているが、「やっています本山市場」という看板がなければ勘違いするところであった。

Dsc_2094_2

なお、本山付近にあった「小路市場」「保久良市場」「三和市場」は震災で姿を消した。また、「森市場」はずいぶん前にセルバという商業施設になった。東神戸サテイがメインテナントに入っていたが、サテイが会社更生法申請となった折、東神戸サテイも閉鎖された。

Dsc_2109

この本山市場あたりは、阪急岡本駅が車が入りにくいという問題もあることから都市計画・再開発という話があった。
岡本駅前は、狭く、いつも荷降ろしや積み込みをするトラック、ビラを配布する人たちを見かける

駅前の岡本坂一帯は石畳が敷き詰められ良い雰囲気である。この石畳は重いだんじりが通っても大丈夫なようになっている。
阪急岡本駅も震災後は特急停車駅となったことが数少ない良いことである。

撮影の日、岡本駅前の民家のモクレンの木に花が咲き誇っていた。

撮影機材 ニコンD700 28-75mm F2.8

2010年3月26日 (金)

街で見かけたポスターを見て

雨で破れかけた街角のポスターに・・・思わず反応してしまった

下記写真参照

Dsc_6211

KISS-FMはどうなるのだろう。

2010年3月24日 (水)

1968年ごろの小曽根実さん(写真:井川宏之先生)

小曽根実さんが、読売TVの11PMに出演されておられた時代、ラジオ関西のサテスタでご活躍のころ写真家の井川宏之先生が、さんちかサテスタに通い、小曽根実さんにモデルになってもらい写真を撮っておられたようです
このことは先日のブログ記事でも紹介しましたが、早速その様子を撮影した写真をいただきました。掲載許可もいただいております。

Photo

当時井川先生はアマチュアでしたが、その後レコード会社から依頼され、さんちかサテスタやサンテレビ、市内のレコード店前などでプロ歌手も撮影されていたようです。さんちかのサテスタで写真を撮っているとレコード会社からカメラマンとしてスカウトされたということなのでしょう。その後井川先生は神戸市の広報紙である市民のグラフこうべのカメラマンになられるのですが、デビュー当時の田中さなえさん(当時サンテレビで神戸市の番組担当)など現在のラジオ関西関連の方々とも交流があるようです。

井川宏之先生については下記に紹介があります

http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05797-2.jsp

いつも貴重な写真のご提供ありがとうございます。

2010年3月23日 (火)

1968年のラジオ関西

ラジオ関西1968年ごろのさんちかサテライトスタジオ
日曜日 午後1時30分から2時29分の「ハローサンデーアフタヌーン」(兵庫トヨタ提供)

Photo

ラジオ関西公式WEB「番組表で見る50年」の昭和43年を参照
http://jocr.jp/timetable_50th/index.html
左端は、アシスタントの井口真知子さん。左から2人目は司会の高橋さん?ラジオだから原稿をモロに読んでいる感じ。
左から3人目はゲスト歌手、後ろのギターはひげの奥村英夫さん、エレクトーン?の小曽根さん、右奥は西野さん?
すなわち、番組表では エレクトーン小曽根実とあるが、実際には小曽根実トリオが演奏を担当するという豪華な内容であった。
ゲスト歌手も後年のカラオケテープで歌うということではなく、小曽根実トリオの演奏で歌っていたという証拠でもある。
小曽根実トリオは、読売テレビの11PMの放送のために結成されたらしいが、実際にはラジオ関西のサテスタの日曜日の顔であった。
この写真からもわかるようさんちかサテスタの前は黒山の人だかり状態であった。
なお写真の右端にある赤いラジオ関西の看板は「現在の放送」と「次の放送」が表示してある
ただし、写真では現在の放送の部分にはランプが点灯しているため文字は白とびで読めない
なお、次の番組は「サテスタで歌おう」(大関提供)午後3時~3時30分、
さらに午後6時~7時までは「さんちかサンデープレゼント」出演は、西條遊児・笑児さん。
日曜には、3つの番組で合計2時間30分もさんちかサテスタからの放送でした。
平日のサテスタ番組も凄く、12時30分から13時は「サテスタお昼のプレゼント」
月曜:笑福亭仁鶴、マリアリグレステイ 火曜:三浦ひろあき、白石公子 水曜:高橋丈二 鈴木美智子 木曜:木村忍 吉見祐子? 金曜:高橋丈二、川野春美、小曽根実
15時~15時15分は「さんちか サテライトジョッキー」 木村忍が月~金担当 彼はKBS近畿放送等でも番組を持っていた
毎日さんちかで放送しているのでラジオ関西のアナウンサーかと思ったことがあった。この番組は長く続いた
18時からは、他局がプロ野球中継に入る中、サテスタから「サテスタで逢いましょう」逢いましょうという単語が凄い
月曜:森野福郎 河野春美 火曜:大牧暁子 他? 水曜:西川ひかる 他? 木曜:夢野タップ 他? 金曜:いソノてルオ 他? 土曜:栗原令児 小柳絹代
出演者のなか 三浦ひろあき、河野春美、大牧暁子、小柳絹代はラジオ関西アナウンサー
さらに 18時45分から19時までは サテスタ ニュースブレイク 西沢あきらさんが毎日担当
その後、19時からは電話リクエストという時代でした。
また、サテスタから放送ではないのですが、12時から12時30分の平日(月~土)は「桂三枝の歌謡曲だよ歌謡曲」という帯番組を担当されていました。
1回30分といえ、1週間で計3時間、桂三枝さんが ラジオ関西で帯番組を持たれていたというのは意外に思われるかも知れません。

ラジオ雑誌の「ランラジオ」では、桂三枝を世に出したラジオ関西という記事も見た覚えがあります。
ラジオ神戸の時代では、桂米朝師匠も「神戸寄席」という番組に出ておられたようで、過去のラジオ関西の番組は、大阪局に対抗して勝負できる番組を作られていたことがわかります。

先日、写真家の井川宏之先生にお話を伺うことがありました。この日曜日のサテスタの放送にいつも遊びに行き、小曽根実さんにカメラのモデルをお願いしておられたようです。井川宏之先生と小曽根実さんは現在でも良くご存知の仲だそうです。井川先生は神戸市の「市民のグラフこうべ」などの広報印刷物の写真を担当されておられたので、神戸市提供のサンテレビ番組を小曽根さんが出られておられましたから、おそらくつながりはあるかと思っていましたがラジオ関西のサテスタ時代からの縁なのですね。驚きました。

2010年3月20日 (土)

雑誌「日本カメラ」「CAPA」4月号月例コンテスト

3月19日、多くのカメラ月刊誌が発売となった。
すでに、このブログでも既報のように、ビギナー部門 入選 「ゆりかもめがやってきた」が掲載されました。
この作品は、神戸港で、驚く少年と、とびつくゆりかもめの必死さ、柔らかな光を浴びて宙を舞うスナック菓子を写したものです。
かもめの下には、このブログでも最近話題にしておりますKISS-FMを背景にしています。ぜひご覧ください。268ページです。
今月は、日本カメラが入選していたので、これで終わりかと思っていましたら、予選通過欄にも名前が掲載されています。
それも1次予選と2次予選通過作品にそれぞれ名前が入っており、入選とともで3つの作品がはいttことになります。
また、学研発行の写真雑誌「CAPA」の月例写真コンテストのスポーツ写真部門でも3次予選通過というものがあった。
CAPAには、4月号からスポーツ写真はこちらに応募するようにした。
今回は1回目の応募ということで、空手と野球にした。こちらはスナップの部もあるが、応募はしていない。

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2010年4月号 ビギナー部門 1次予選通過 「エサをキャッチ」作品名・氏名のみ掲載
平成22年3月19日発売 4月号紙面 279ページ(日本カメラ社)

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2010年4月号 ビギナー部門 2次予選通過 「これはトリック写真」作品名・氏名のみ掲載
平成22年3月19日発売 4月号紙面 279ページ(日本カメラ社)

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2010年4月号 ビギナー部門 入選 「ゆりかもめがやってきた」作品写真掲載・氏名・撮影データ掲載
平成22年3月19日発売 4月号紙面 268ページ(日本カメラ社)1月25日入選通知受領 既報

雑誌「CAPA」月例フォトコンテスト 2010年4月号 スポーツの部 3次予選通過「全国優勝決定」作品名・氏名のみ掲載
平成22年3月19日発売 4月号紙面 145ページ(学研パブリッシング)

2010年3月19日 (金)

写真コンテストの二重応募問題について〈質問への回答)

昨年このブログに小野まつりフォトコンテストの二重応募事件の話題がありました。問い合わせてみた処、すでに、他の方から二重応募の指摘があったようで、結局応募者は失格コンテストの結果も見直され、せっかくの金賞受賞も他の方になったという事件でした。
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-4d5a.html
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-057f.html
今回、二重応募のことについて、おさむ様より、昨日次のような投稿がありました。
<以下投稿内容を改めて記載します>
この前、応募は未発表の作品に限ると書かれていましたので、教えていただけませんでしょうか?
高砂の実家に帰った時に気づいたのですが、BANBANテレビカレンダーで、今月の教信寺の桜の写真が、タイトルは変えていますが「あなたに会いたい兵庫がいます」のはばたん賞の写真と全く同じです。
すでに受賞した写真を応募出来るのであれば、いくらでも重ねて応募出来ると思うのですが。
私には、不正のように思えるのですが、どうなのでしょう?
<以上引用おわり>
結論からいうと、ルールはコンテストごとに異なります。
私は、「あなたに会いたい兵庫がいます」のコンテストルールと、その結果について知識がないのですが、普通は、二重応募は禁止されており、どのようなものが二重応募になるかが判断に困るところです。
たとえば、雑誌「フォトコン」では、個人のWEB掲載などでもすでに発表済みになるようです
http://www.photo-con.com/getsurei_contest/index.html
二重応募・類似作品について 応募される作品が以下の項目に該当していないかどうかを確認してください。
①現在、ほかの写真コンテストに応募していないか。
②過去に、ほかの写真コンテストに入選、入賞していないか。
③個展やクラブ展、ブログなどで発表したことはないか。
④過去に印刷物に発表、または今後、印刷物などに発表する予定はないか。
⑤応募作品と類似した作品(同条件で同時期に撮影した作品)が上記4項目に該当していないか。
⑥同一作者が同じ対象を同じような条件で連続して撮影した作品は類似作品とみなします。

逆に言うと、コンテスト応募して落選したものであれば「未発表」となるということです。
しかしWEB、ブログはコンテストでもなんでもないのに、掲載=発表済みとなってしまいます

それに対し、日本カメラ社は、「応募作品は未発表、市販目的のない出版物、無報酬のクラブ展、個人のホームページなどへ発表したものはかまいません。」と明らかに月刊フォトコンと見解、ルールが違います。

また、写真クラブの組織である全日本写真連盟に至っては、

「2008年以降に撮影した未発表の写真。ただし、全日本写真連盟(全日写連)地域本部以下で主催したコンテストの入賞作品は未発表として扱います。」(いつまでも守り続けたい「日本の自然」写真コンテスト)
http://www.photo-asahi.com/contest/jn2009/fb6a3b0000005xsg.html
のように、入賞した作品でも、下部組織(地域本部以下)主催のものは入賞していない未発表として扱うのですから複雑です。
また、二重応募だけでなく、撮影禁止のものを撮影したのは失格にされてもおかしくないものといえるでしょう
たとえば、危険な場所への立ち入り撮影、競艇場や、ラグビーの試合は撮影禁止というののが多いはずです。このあたりも注意しなければと思います。

BAN-BANテレビのものは、単純に未発表とありますので、すでにどこかのコンテストで入選しているものはだめということと理解しています。
一方「あなたに会いたい兵庫がいます」の作品を見たことは無いのですが、同じ方の作品でなければ、たまたま同じような風景を撮ったことになり
私が、ポートタワーを撮影していても、たまたま隣の人が同じ写真コンテストに応募していたら起こりうる「類似」、有名な作品をまねしても意図的な「類似」ですが、このあたりは、偶然ということもありますので、同じコンテストなら少しでも良い方が選ばれることになるか、有名作品のまねであれば選ばれないでしょう。
問題は、同じ人が同じ被写体を撮影して応募することで、これが問題になることが多いようです。
同じフィルム・デジタルデータファイルの原版から使いまわししたものであれば文句なしにアウトでしょうが、同じ構図のようでも、桜にフォーカスしたものか、建物にフォーカスしたものかで、どこに着目したかの違いがあれば別物となるでしょう。

撮影日が違い、季節や天候が快晴と雨では違う作品になるように思います。
また、焚き火をしていても、点火の最中、燃え上がるとき、火が消えかけでは別物でしょう。このあたりになると、月刊フォトコンの規定にある
⑤応募作品と類似した作品(同条件で同時期に撮影した作品)が上記4項目に該当していないか。
⑥同一作者が同じ対象を同じような条件で連続して撮影した作品は類似作品とみなします。
動いていない物体に連写して、ファイル名は別だが誰が見ても同じ・・であれば類似作品の二重応募といわれるでしょうね
いずれにしても、コンテストが同時期なら疑われることがあります。
ご不審があれば、主催者に直接言われた方が良いというのが私の見解です。なぜかというのは、結局そのコンテストのことは主催者の判断によるからです。

2010年3月18日 (木)

さんちかサテライトスタジオの今と昔

ここでは、井川宏之先生からいただいた昔の写真と、現在の姿(私の撮影した写真)を紹介します。
このシリーズは大好評をいただいており、過去に紹介した写真もまとめてみます。
初代さんちかサテスタは、三宮センター街入り口付近から地下に入る階段を降りたところにありました。

Photo
これは現在の画像です。キャッシュコーナーや店舗になっていますが、昔はちょうどお客さんが北向きになるように座席も用意されていました。
しかし、その座席だけでは足りず、階段が見学席のようになっていました。
Photo_2

スタジオは金魚鉢のように前面ガラスがありました。

Photo_3
ここにチコとピーグルスのような大勢のグループでも入って歌い、後ろにはミキサーの操作卓などが置かれていました。後ろには別室(楽屋的な小さな部屋)もあったようです。

19694

スタジオのガラスには、カーテンが引かれており、放送をしていないときはスピーカからラジオ関西の放送が聞こえていました。

Photo_4
1969年5月のサンテレビ開局のときには、ラジオ関西から大量の出向者が出たため、当時のラジオ関西労働組合は、サテスタの前に張り紙をして
このままでは、サテスタの放送もできなくなるかも知れないと、市民に訴えていたようです。
そして、さんちかが改修工事がされて、さんちかビジョンシアターというスペースが設けられました

Photo_5
上記は、現在の写真なのですが、これは、さんちかの南北に走るメイン通りの中央付近にあり、現在ではさんちかインフォメーションとなっている付近にステージが設けられ現在の夢広場の所にはテレビモニターが置かれ、国際会館に向かう通路にもモニタースペースがありました。

Photo_6
上記の写真は、ありし日のさんちかビジョンシアターで、ラジオ関西の番組を放送しているところです。さんちかのサテスタのラジオ放送の様子がテレビモニター画面を通じて配信されていたのですね。

1

これが、さんちかビジョンのモニターです。現在の夢広場です。
これが、阪神淡路大震災まで続きます。

Photo_7
震災後は、さんちかビジョンシアターは潰され、店舗となり、夢広場にあったモニター置き場がサテスタとなりました。
場所は、神戸交通センタービルから降りたところで、さんちかの入り口ともいえる場所です。
いつも、夢広場では面白い展示やイベントの告知がされています

Photo_8
現在では「昭和の文具展」というイベントがあるようです。(3/18-23)私もぜひ行きたいと思っています。神戸新聞とサンテレビが後援しており、今年で2年目(2回目)ということです。

2010年3月17日 (水)

神戸新聞「読者の報道写真コンテスト」2010年2月分 準入賞

今朝の神戸新聞朝刊で発表がありました「読者の報道写真コンテスト」で準入賞(B)となりました。
今年になってから、毎月審査員の方が交代となるので傾向が掴めない感じがするのですが、あいかわらず準入賞どまりで、入賞までいけません。
神戸新聞公式WEBへのリンクは下記

http://www5.kobe-np.co.jp/photo/1002/21.php

神戸新聞「読者の報道写真コンテスト」2010年2月分
準入賞(B) 「こたつでイルカショー」2010年3月17日付神戸新聞朝刊 掲載

私の写真コンテスト入賞・入選等の記録

http://jf3mxu.g-7.ne.jp/photocon/index.html

小曽根実トリオは4人?

先日、小曽根実トリオの懐かしいCD 11PM を紹介した
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-fc0c.html
すると、思いがけない反応があった(CDの写真を見て)「トリオなのに4人いますね」と。
確かに、トリオは3名であるはずだ。音楽だからボーカルがいたのか?
チコとピーグルスのように、○○と小曽根実トリオというように女性と組んでいたのかと思ったが
このCDには歌入りというものは存在していない。しかも、この女性が歌を歌うようには見えない。
しかも、このCDにはもう1枚写真があり、これはLPレコード時代のアルバムのため、写真は複数ある。

Ozone1

解説の印刷物から想像すると、この女性は「安藤孝子」さんではないだろうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%AD%9D%E5%AD%90
11PMの初代アシスタントであり、京都の芸妓出身という雰囲気、インターネット検索で出てくる画像からも、おそらく間違いではないはずだ。
WIKIでも11PMについて、安藤孝子、藤本義一などは明らかになっているが、黎明期の9年もレギュラーであった小曽根実さんの記載はない。
また、このアルバムの名称にもなった11PMのテーマ(読売製作分 火・木)についてもWIKIに記載がされていない。もちろんこのCDにはYTV製作の11PMのテーマと明らかにされている
http://ja.wikipedia.org/wiki/11PM

なお、このアルバムはLPのときA面が舶来の曲、B面が和製の曲と「まるで三の宮ショッピングセンターのバーゲンセール」と解説に書かれている。
実に「神戸的」な解説があちらこちらに見られる。
私は、どちらかというとラジオ関西でやっている「歌のない歌謡曲」の演奏に近く、ジャズの演奏としてではなく、11PMの番組内でもポピュラーや歌謡曲をハモンドオルガンの演奏として聞いてもらおうという
きわめて万人うけを狙ったものといえると思います。
ただ、この当時の地方の音楽タレントは、実業家であり、音楽活動もされているというイメージがあります。
CDのあちらこちらにも神戸を感じるものがあり、YTV=大阪ですが、この11PMの関西製作は神戸色、京都色などもあったという感じがします。

アサヒカメラから入選通知が来ました

3月7日、入手したD700の試し撮り&練習のため神戸市立王子動物園に雨の中行きました。
カバの赤ちゃん(ナナミちゃんというそうです)が、親子で楽しそうに遊んでいましたので,明るい望遠レンズ70-210mmF2.8のレンズで、思い切って開放で撮影しました。早速作品を、月刊雑誌「アサヒカメラ」に速達で応募しました。(3月10日が締め切りでしたので)
そうしておりますと、3月15日付速達の往復はがきが3月16日に届きました。

Asahi6

往復はがきになっており、くわしいデータを書いて提出しなければならないようです。
何せ、はじめての経験なので非常に嬉しいです。全日写連の支部に入っておきながら、今まで全日写連関係とは相性が悪くアサヒカメラも応募をしばらくやめており、2月から再開していたところでした。
D700で撮影したもので、ファイルネームはDSC_0052.JPGでしたから、52枚目の撮影ということになります。
初のD700作品応募が、難関と思われるアサヒカメラに入選ですから「開運」のカメラだと喜んでいます。
入選発表は5月号、作品掲載は6月号(5月19日ごろ発売)の予定です。
4月号の日本カメラ、5月号のフォトコン、6月号のアサヒカメラとカメラ雑誌に写真掲載が続きます。いずれも動物写真です。

雑誌「アサヒカメラ」コンテスト 2010年6月号 ファーストステップ部門入選 「親子」
朝日新聞出版 2010年3月16日 速達にて入選通知受領 入選発表5月号 作品写真掲載6月号

2010年3月16日 (火)

ラジオ神戸(ラジオ関西)の電話リクエストは当初深夜放送だった?!

当時ラジオ神戸のアナウンサーで、電リクの初代DJの小山美智子さんへのインタビュー記事がWEBで掲載されています
http://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10346049716.html
ラジオ神戸(現ラジオ関西)が、電話リクエストを日本で最初に行ったといわれるのが昭和27年のクリスマス・イブ。深夜の午前1時から5時までの4時間放送だったという。
ラジオ関西の電話リクエストは午後7時からとなっていたのは、高度成長期の話で、当初は午前1時からという「深夜放送」だったのですね。間違い電話であれば大変な時間帯といえますが。
電話リクエストの話題は、末広光夫さんなどがよく話題にされておられるのを聞いたことがありますがそれとは、少しだけニュアンスが違うところもあるのですが「放送が深夜帯」であったことは共通しており、放送が前もって決まっていたのか、実施直前に役員のOKを貰ったのかというところだけが違うところです。
いずれにしても、非常に参考になる興味深い内容です。ぜひご覧ください。

【ラジオ深夜放送の時代(1)】ラジオ関西『電話リクエスト』編①
http://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10346049716.html
【ラジオ深夜放送の時代(2)】ラジオ関西「電話リクエスト」編②
http://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10346666506.html
【ラジオ深夜放送の時代(3)】ラジオ関西「電話リクエスト」編③
http://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10347333340.html

『電リク』の全盛期はやはり、団塊の世代が受験期にさしかかった昭和40年代です
7-7電話リクエストといって 7日間午後7時から開始というスタイルです。
しかしラジオ関西は、サンテレビ開局に全力をあげ、深夜放送対応は遅れていました。
その後FM大阪の開局、オイルショックによる深夜放送開始は遅れてしまい、本格的な深夜放送はRFラジオ日本のジャイアンツナイターをネットし、東京支社のスタジオから放送した「真夜中ギンギラ大放送」(24時から3時間の番組)の開始1982年ごろまでは、短い録音番組が多く放送終了は午前1時という時代でしたから、開局当時のラジオ神戸のほうが斬新な企画をしていた感があります。

2010年3月15日 (月)

近江八幡市の左義長まつりに行ってきました

奇祭「左義長まつり」(国選択無形民俗文化財)は14日夜、えとの飾り物を付けた13基の左義長を燃やして奉納するという火の祭り「とんど」の左義長である。
しかし、ここの左義長は、固定式ではなく「かきだんじり風山車」というべきもの。日牟礼八幡宮に集まった左義長同士をぶつけ合う「組み合わせ」も行われ
地元ではこれを「けんか」ともいうようだ。尼崎市のだんじり、たつの市の夏越祭にも通じる荒っぽい祭り。
地元では、この日のために大金と相当の労力を要した作品を「ぶつけ」、最後には燃やしてしまう。近江商人の心意気にも通じるらしい。
この日は早朝からD700を持参、とんどの点火も見ましたので帰りは遅くなってしまいました。

Dsc_0996
写真は、写真コンテストに応募しますので、これはと思うものはあえて出していないのですが(応募作品は未発表に限るのです)、尼崎のだんじりまつりのけんかをご存知の方はなるほどと思われるのではないでしょうか?

ニコンD700&70-210mmF2.8ズーム

2010年3月14日 (日)

KISS-FMの現在と過去の栄光

KISS-FMは相田勲氏が社長に就任されましたが、あいかわらず「合同通信」「文化通信」ではいろいろな報道がされています。

相田勲氏は、今までの報道によれば日本福祉放送の方。社会福祉法人視覚障害者文化振興協会関係(代表者ではないようですが)
インターネット検索をすると、過去にさきがけ・民主党から出馬された方と
同年齢・同姓同名・放送関係者という点で一致するがご本人かどうかはわからない
なお、KISS-FMは佐々木海部俊樹私設秘書など異色の新取締役布陣となっている。海部俊樹さんは前回の選挙で引退された元自民党議員。元私設秘書といえ政治色が濃厚な布陣です
このことがKISS-FMにとって吉と出るか・・ですね。
下記報道によれば 相田勲氏はJBE絡み(ジャパン・ボルネオ・エネルギー?)

合同通信
http://www.godotsushin.com/backnumber_nikkan/2010/2010_3.html
2010年3月9日(火) 第55巻 第13305号
JBE絡みの相田新社長化で動向依然微妙視
Kiss―FM神戸、城田取締役化・坪井・吉崎氏辞任

3月5日のKISS-FM記者会見前日の3/4にはこのような報道が

2010年3月4日(木) 第55巻 第13302号
経営存否焦眉急のkiss神戸FM情勢
週末乃至来週にも城田社長進退発表?
「新たな出資者」見えぬ中「更正法申請」視野か
TFMデューデリで「粉飾」など実態把握後建直しへ

3月6日には神戸新聞などで報道され、このブログでも紹介しました
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/--cd4f.html

文化通信 3月8日付記事
http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=38532
Kiss‐FM増資、ボルネオ・エネルギー社の引受先変更が難航
Kiss‐FM神戸の増資引受先の決定が難航している模様

さて、KISS-FMの良き時代の話題も・・。
KISS-FMについては、もともとダイエーグループが良かった頃には
それなりの勢いがありました。新神戸のOPAなどはその代表例です。
開局4年目の資料を、井川宏之先生からいただきました。
先日お話しておりました、小曽根実さんのラジオ関西の番組でいうところのドラ金ジュニアこと小曽根真さんがKISS-FMでサウンドクルーをされていたことを示すものです。なつかしいサウンドクルーの名前も見えますね。

Kissfm4

なお、震災前は神戸新聞の「アンテナ」欄には、サンテレビ、ラジオ関西、そしてKISS-FMが掲載されていました。地元メデイアの番組紹介欄です。

神戸新聞も、関係会社を通じ出資していた時代で、経営者もそれなりに地元の特性を理解されてやっておられたように思います。

しかし、ある時期を境に、急に地元との縁が切れ、JFNを向いた経営に。そうすると、やはりその後の経営が現在の姿を招いたということになりますね。

2010年3月13日 (土)

1961年(昭和36年)オールスターゲームラジオ中継(日本プロ野球)

ウイキペデイアの記事によると昭和36年のオールスターゲームのラジオ中継記録を見ると非常に参考になる記録があります。
この年、第1戦は7月22日の中日球場
ラジオはNHK、日本短波放送、ニッポン放送(東海ラジオ製作)、そしてラジオ関東(昭和33年設立)が中継しています。

第2戦は、7月23日の甲子園球場
ラジオは 3社の中継があったようで、中継陣は
日本短波放送 実況:田島喜男 解説:清原初男
NHKラジオ第2 実況:岡田実 解説:苅田久徳
ラジオ関東(ラジオ関西製作) 実況:奥田博之 解説:青田昇、横沢三郎
ラジオ関東というのは現在のRFラジオ日本(読売系)で、現在ラジオ関西は、RFからのネットを受けているのですが昭和36年の時点でその前兆はあったということなのですね。
なお、実況の奥田博之アナは、ラジオ関西を退社後、読売テレビの2時のワイドショーの司会をやりながら、サンテレビのタイガースナイターの実況をされていましたが、奥田博之アナはCR電話リクエストなどワイド番組カラーが強い方でしたが、ラジオ関西のスポーツアナとしての時代があったのでサンテレビの実況もできたのでしょうね。もっともサンテレビの試合終了まで完全中継という手法は、ラジオ関西のナイターの手法で、サンテレビ設立時には元ラジオ関西の中継陣がサンテレビの放送をしていたわけですので、サンテレビの野球中継が後発局なのに成功しているのはラジオ関西の影響大ということなのでしょうね。
そういえば、日本最初の民間放送でのプロ野球中継もラジオ関西〈当時は神戸放送)でした。
なお、このときのNHKの実況の岡田実さんも、サンテレビの中継ではおなじみでしたよね。偶然といえども怖いものがありますが。
なお、ラジオ関西50年史で、若き日の奥田博之さんがプロ野球中継をしている写真が掲載されていますが、解説者で写っているのはたしか横沢三郎さんだったと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1961%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83)

http://findwiki.net/p-916f4731460998297242196c4e356bc865b626.html

2010年3月12日 (金)

小曽根実トリオの懐かしいCD

懐かしいCDを購入した。
昭和アーカイブシリーズ11PM小曽根実トリオ -ハモンドオルガンの魅力-(COCB-53791 コロムビア2500円)なんと40年ぶりの復活、CD化というもの。

11pm1
懐かしの11PM。日本テレビ系の深夜番組黎明期というべきもので、関西製作のときには小曽根実トリオがハモンドオルガンを弾いて、藤本義一さんなどと出演されていた時代のものである。このアルバムは小曽根実がコロムビアにただ1枚残した「11PM」のテーマ曲を含む貴重なアルバム
小曽根実さんとラジオ関西は縁が深く、さんちかの初代サテスタには、小曽根実さんが出演されておられ長らくハモンドオルガンでの
サテライトスタジオでの放送テーマにも使われていたように思う。1991年ごろには担当番組「ドラ金小曽根カンパニー」(金曜午後ワイド)の中で「ドラ金ジュニアの・・」というコーナーで、息子さんの小曽根真さんを登場させ、ラジオ関西とKISS-FMの変則コラボを試みたこともあった。今のKISS-FMではとうてい考えられないものである。
小曽根真さんも、かってはKISS-FMにレギュラーを持つ時代があり、小曽根実さんとラジオ関西に出ることもあった。
さて、このCDはLP版の復刻で、解説も「いソノてルオ」さん、藤本義一氏とのインタビューも掲載されている。
ミー坊(小曽根実さん)とのインタビューで マスコミは「ラジオ関西開局以来」と答えられています

11pm2

CDの中身は、レコード時代の印刷物・・ラジオ関西の記述部分

そういえば、小曽根さんファミリーの写真は過去にいろいろと公表されていたのを見たことがあるのですが、ラジオ関西のアナウンサーたちと
小曽根さん親子が写っている写真も見たことがあります。
なお、小曽根実トリオのギターは奥村英夫さん。現在ラジオ関西「おっくんリングの楽屋」という番組もされています
http://okumurahideo.com/intro.html
なお、「帰り道は遠かった」(チコとビーグルス)は 作詞は藤本義一さんで作曲が奥村英夫さん

これからもわかるよう11PMでの演奏がヒットに結びついた。このCDでは小曽根実トリオの演奏が収録されています
なお、オリジナル版は下記から視聴できます
http://www.ongen.net/search_detail_track/track_id/tr0000081384/
小曽根実トリオのメンバーである奥村英夫先生が作曲した「帰り道は遠かった」を歌うチコとビークルスを積極的にさんちかのサテスタなどで出していたのもそれなりの背景があったのではないかということはこのブログでもたびたび取り上げていたが、この復刻版CDを聞いて改めてそのように思うようになった

11PM 小曽根実トリオ の視聴はこちらでできます
http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=COCB-53791

参考記事 小曽根実のレイジーダット 第4回 11PM

http://kobejazz.jp/lagy_dad/vol04.html

当時の僕は「11PM」とラジオ関西のサテライトスタジオの2つ3つぐらいしか番組に出ていなかったと思う・・・という記述があります。

2010年3月 9日 (火)

日本カメラ社「写真の教室」40号に掲載

日本カメラ社MOOK編集部から茶封筒が届きました。

内容は、季刊「写真の教室」40号フォトコンテストで作品が掲載されるというお知らせと掲載記念品(クリーニングクロス)が同封されていました。今回は掲載されますが 残念ながら「もう少しです」ということになりました。

Photo

選ばれた作品もわからず、3月11日の発売を待たねばならないということです。

写真の教室には、昨年から応募しておりまして

第37号 7月27日発売分 もう少しです(写真掲載)

第38号 9月14日発売  入選(写真掲載)

第39号 1月10日発売分は、応募を忘れておりまして

第40号 3月11日発売分 もう少しです(写真掲載)

と、非常に私にとっては良い結果?が残っています。

なお、第39号の入選のときには「はがき」で入賞通知が来ました。

入賞の場合は、はがきに作品名が記載されておりますが、クリーニングクロスのような掲載記念品の送付はありませんが別途1ヶ月後にはきちんと送られてきます。月刊誌の日本カメラは入賞の賞状は封書で送られてきますが、「写真の教室」の場合、封筒(これは入賞ではないので掲載通知文という扱いなのでしょう)より、はがきの方が良い結果みたいですね。次回も応募締め切りに間に合うようちゃんと準備しておかなければと思います。

なお、37号は神戸市東灘区のだんじりまつり、38号は王子動物園のペンギンでした。今回も動物写真&まつり写真両方の応募でした。どちらが掲載されるか楽しみです。

なお、写真の教室は推薦1名、特選4名、入選12名、もう少しです18名ですので合計35名が選ばれ、写真が掲載されます。

2010年3月 7日 (日)

入手しました

ニコンD700入手。35mmフルサイズ相当はやはり違う感じ。

今までのD300、D80も現役。

D700

2010年3月 6日 (土)

KISS-FM粉飾疑惑報道・さらに社長交代へ(神戸新聞報道など)

本日の神戸新聞朝刊 社会面29によると「粉飾疑惑のKISS FM 新社長に相田氏昇格 真相解明チーム設置」と報道がされています
 神戸新聞のWEBではこの記事作成時点では見つけることができませんでしたが以下のURLに記事全文が掲載されています

http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0002762410.shtml

同社は「経費削減が予定より早く進んだ。新体制で営業強化に臨みたい」と・・・
前任の城田社長は代表権の無い非常勤取締役に退いた。
会見でキッス社は城田前社長や弁護士による不明朗会計の真相解明チームを設けたことを明らかにした。
今月末をめどに報告、内容次第で旧経営陣の刑事告訴も検討
真相解明の後、あらためて資源採掘会社に出資要請ということ (要点のみ)

ますます驚く内容です。やはり東京FMの監査結果などはなかったみたいですね
すでに、このWEBの常連の方々から下記2点の情報が寄せられていました。
ここで改めてお知らせし、感謝を表したいと思います。早速の情報提供ありがとうございました。
兵庫県の放送局に戻ってほしいものですね。

Kiss―FM社長交代 (Hiro さんから記事掲載情報をいただだきました)
http://www.sankei-kansai.com/2010/03/06/20100306-021238.php
 FMラジオ局「Kiss―FM KOBE」(神戸市中央区)が売上高を水増ししたとされる問題で、同社は5日、城田渉社長が退任し、取締役の相田勲氏(49)が社長に就任したと発表した。城田氏は退任の理由について「経費削減に区切りがついた」としており、取締役にはとどまるという。

聴取者の皆様へ Kiss-FM 公式WEB(仕事人のMASAさんから記事掲載情報をいただきました)
http://www.kiss-fm.co.jp/pc/company/company_infomation_20100305.php

平成22年3月5日午後5時より、市内ホテルにおきまして、株主及び報道関係の皆様に弊社が経営不振に陥った経緯や今後の経営再建の方針につきましてご説明をさせていただきました。併せて、聴取者や広告主の皆様に対して、本スペースをお借りしてご報告をさせていただきます。
元社長をはじめとする旧経営陣時代に生じた不公正、不明朗な会計処理などによって経営不振に陥り、経営陣の刷新による経営再建を余儀なくされるような事態を招きましたことにつきまして、改めて心よりお詫び申しあげます。(以下略 公式WEB参照)

新社長 相田 勲氏についてどのような方であるかインターネット検索しますと、

同じ年齢で、放送プロデューサーで「さきがけ出身 民主党」大阪14区、15区の候補者の方がおられますが同一人物かどうか不明です。また、元タレントや横浜市議候補者にもおられましたが・・

http://tohazugatali.at.infoseek.co.jp/seiji/anohitohaima.html

2010年3月 4日 (木)

KISS-FM粉飾疑惑問題はどうなった?

日刊合同通信 2010/3/3 Headline News

6億円強不明金に揺れ止まらぬ神戸FM
http://www.godotsushin.com/

KISS-FMの粉飾決算疑惑。FM東京の監査はどうなったのでしょうか
神戸新聞もその後の記事が見当たりません。FM東京も公開しないのかもしれません。

私は神戸新聞を購入しておりますので、インターネットに流れなくとも
見れるのですが、複雑な動きがあるのかと思います
2月中に刑事告訴といわれていたのはどうなったのでしょうか
JFNの現職監査役である(辞任しているかもしれませんが、WEBでは記載あり)
KISS-FMの元社長であれば、問題が大きくなるので穏便な処置なのかなと感じます
しかし3月3日付けの合同通信では、まだ「6億円強不明金に揺れ止まらぬ神戸FM」という記事がでているようです。見出しだけでは判断できないのですが、まだわからないということなのでしょうか。
神戸に住むものとして非常に心配する事件です 。

2010年3月 3日 (水)

KISS-FM設立のころ

KISS-FMについては、ファンサイトも皆無であり、独立局時代の話題を取り扱うWEBサイトも多くは閉鎖されている状態である。
私はラジオ関西のファンサイトを作る関係で、かってのKISS-FMの栄光も知っているが今までこれを広く取り扱うことをしなかった。
しかし、この数ヶ月、JFN加盟後の醜聞や粉飾決算疑惑も広まる中、開局直後のKISS-FMを取り上げることも、地元兵庫のメデイアを愛していたものとして思い出を語ることも良いことではないかと思うようになった。私がKISSの記事を書くと悪意があるように取られることもあるが、これらはきわめて心外なことである。
私から見ると、JFN加入は正気の沙汰とは思えないものであり、良くエリアを同じくするFM大阪がJFN加入を承認したものだと思ったものである。
これは、かってのラジオ関西が、NRNに加入しておきながら良いプログラムは大阪局に取られ、プロ野球も、RFラジオ日本の巨人戦を選びNRNを事実上除名されたという歴史の背景を
考えると、また神戸放送がラジオ関西として大阪進出をしたことはどのような意味があるかを考えれば、わかることであろう。

1991kissfm1

1991年KISS-FM会社概要転載
KISS-FM編成コンセプト Seaside Oasis tha't Kiss
For Your mind Cruising
(1)女性的感性 (2)普段着の国際性 (3)洗練された快適性
人間の気分は曜日や時間・天候などさまざまなファクターによって左右されるもの
こだわった音質はレコーデイング・クオリテイ イギリスの二ープ社の製品を導入したということです。
なお、開局当時のサービスエリアは少なく、それでも1573万人
これは、大阪府をほとんどをエリアにし、これは東京エリアをはるかに凌ぐ数字で女子大生の比率が高い(当時神戸が全国1位)・短大大学進学率も全国2位というデータが出ています。

Kisseria

この頃の会社概要のパンフレットは非常に立派なものです。番組表と同様、写真家の井川宏之先生の写真が使われているようです。

このころ発行されたKISS-FMのステッカーの画像は次の通りです

1

ただ、忘れてはならないのが、KISS-FM開局の頃は、いわゆるバブル経済のころです。兵庫県でもラジオ関西などは最高益を出していたころなのですが、その後バブルもはじけてしまいます。

2010年3月 1日 (月)

ポートピア81 アマチュア無線館の内部写真とそれを見た感想

先日ポートピア81のアマチュア無線館(8J3ⅩPO)の話題をしたところ、数名のアマチュア無線家の方から反響をいただいた。
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-87a7.html
そうしているうち、写真家の井川宏之先生からさらに当時のアマチュア無線館の内部写真も送っていただいた。
この写真は、もともとモノクロ撮影だったのかという素朴な疑問を質問したのですが「この写真はすべてモノクロの、未使用写真です。」とのご返事。
貴重な写真のご提供に感謝いたします。ポートピア81は高度成長期ではなく、安定成長期ですがラジオ関西やサンテレビという神戸メデイアにとっては大きなイベントであり、アマチュア無線家にとっても自力でのパビリオン参加という意義あるイベントでした。

Naibu_3

Naibu2

この写真を見て驚くのは、写っている人々が「若い」ことです。当時は中学・高校・大学生のアマチュア無線家が結構多くの割合を占めていました。
現在はというと、定年退職後の趣味のようになっています。もちろん当時は若者趣味だった、ハムも、就職などでアマチュア無線という趣味を離れてしまい、
定年退職を機会に再開され、その変わりように驚かれる方も多いようです。私は開局33年になりますが、ハムの資格免許取得は、それより前でした。
学生で、無線機を揃え開局するということは、金銭面だけでなく周囲の理解が必要だったからです。
写真にしてもアマチュア無線と同様、昔の理系趣味と芸術趣味が混ざったようなものですが、写真の場合は免許資格はいらないのですが、カメラ・現像・プリントは高価で、
さまざまな設備を必要としたものである程度財力が必要なものでした。
私のやっているアマチュア無線は、普通のアマチュア無線のイメージとは違うもので、無線機やアンテナ、周辺機器は自作するという電子工作の類から発展したものです。
小学校でテスタを買い、ラジオを作り、中学校でオシロスコープを買いテレビやオーデイオを作る・修理するという技術・技能を遊んで学んだものです。
結構、お金は消費してしまいましたが、それが自分の技術となり職業につながったと思っています。
そうしたアマチュア無線家の知人の中には、現在写真コンテストで入選される常連のなかにもおられました。
私は、アマチュア無線の方では交信局数が延べ2万局に及ぼうとしていたり、無線雑誌での執筆、無線連盟での委員経験もありますので2つの趣味で共通する友人・知人も多いのです。
しかし、ポートピア時代のアマチュア無線家は若いです。現在の写真や無線の趣味は平均年齢が非常に高いように思いました。

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