神戸新聞の7日間を見て
正確には『阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの戦い~」
関西テレビ系で放映された「神戸新聞の7日間」元の書籍(原作)のほうは「神戸新聞の100日間」(神戸新聞社著)。
原作のものより、震災直後の7日間とすることと、神戸新聞のカメラマンを主人公とすることで、未曾有の災害によって神戸・三宮の本社ビルが全壊、新聞製作の機能がまひする中、京都新聞の援助を受け、1日も休まずに新聞を出し続けた記者や社員たちの姿をドラマで再現。
ドラマであるが、そのモデルとなった実在のカメラマンが幾度か登場し当時の体験談を証言するというスタイルである
三津山朋彦さんは神戸新聞でも写真撮影者としてお名前を良く拝見する方だけに、身近に感じるものであった。
実は、この物語に出ている神戸新聞の販売店は、私の家に神戸新聞を配達していただいている神戸新聞東灘区森専売所がモデルとなっている。
私がラジオ関西の番組情報を得やすい神戸新聞に変更してもらったのが子供のときであるから、40年ぐらいのつきあいになる。
集金に来られていた店主が震災で死亡されたことを知ったのは神戸新聞の記事で社葬扱いのようになっていたことである。
もっとも詳細を知ったのは「神戸新聞の100日」の記事を読んでからであり、あのときはそうだったのかと感じさせられたものである。
京都新聞と神戸新聞は、ともに関西テレビ設立時の中心的な企業のひとつであり、阪急、産経と手を組み関西テレビを立ち上げたことはこのブログでも過去に話題にした通りである。
神戸新聞系のラジオ関西も開局10周年の会場は大阪のサンケイホールを利用し、阪急西宮球場ではCRの夏のナイターコンサートが行われた時代である。
もっとも今回の企画は、そのような過去の神戸新聞と関西テレビの密接な関係とは無縁なところで書かれているわけだが
さらに京都新聞と神戸新聞の関係は、戦前、神戸新聞が大阪や京都に「三都合同新聞」として進出していたが戦中の1県1紙制により、京都に進出していた神戸新聞系の「京都日日新聞」は京都新聞に統合された経過があり神戸と京都はいわば親戚のような関係になっていました。
このほかラジオ関西の前身のラジオ神戸はラジオ京都と一緒に開局キャンペーンをするなど 歴史的には非常に密接した関係でした。
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■皇太子殿下が賜られたお言葉要旨 震災15年追悼式典-追悼15周年の番組をみていて考えたこと
こんにちは。昨日は、震災15年追悼式典が行われました。震災でなくなられた方々の、ご冥福をお祈りさせていただきます。昨日は皇太子殿下が賜った有難いお言葉などを頭の中で反芻しながら、いくつかの追悼番組を見ていました。いくつかの番組をみて、私としては一番感動したのが一昨日放映された「神戸新聞の7日間」でした。これを見て、地方新聞の重要さを改めて再認識されました。最近、アメリカでは地方新聞が次々と廃業しています。日本もすぐにとはならなくても、廃業に追い込まれるところも出てくると思います。地方新聞の存続は難しいですが、何か方法を考え、市民も参加すればできないことはないと思います。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。
投稿: yutakarlson | 2010年1月18日 (月) 11時09分
yutakarlsonさんはじめまして
書き込みありがとうございました。
貴ブログも拝見いたしました
地方新聞の重要さはまったくの同感です
しかし一方新聞ばなれも起きており
地方では夕刊が出せないところもあるとか
これは 地方紙だけの問題だけではないようですが
一方、放送と新聞というメデイアについてこれを今以上に分離させようとする政策もあるようです。
東京・大阪などの都会ではそれでいいのかもしれませんが地方では、あまりうまくいかないという気がします。特にラジオ(AM・FM問わず)の地方単独局などは単独ではむずかしいように思います。
投稿: 西川 | 2010年1月20日 (水) 01時08分