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2009年12月18日 (金)

栄光のシャープMZ-80開発メンバーとの22年ぶり感動の再会

私のことを昔から知っている方にとっては良くご存知のことであるが
私は教員になるまで、シャープで黎明期のパソコン(当時はマイコンと称していた)開発に従事していた

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NECのTK-80がそうであったように、電子部品部門が組み立てキットとして発売し電子部品・アマチュア無線関係の販売ルートで世に広まった時代である。
このことは「パソコン革命の旗手たち」関口和一著(日本経済新聞社2000年発行)に詳しく関口さんもあとがきで”本書に登場する「旗手「たちと同様、筆者も中学時代からアマチュア無線に興じ・・電気街を徘徊していた・・”(同書321頁)

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という時代である。そのMZも世に出て30年が経ち、開発メンバーも定年退職、独立、転職などが多く、私も昭和63年3月に退職したため22年ぶりの再会となった。
MZ80のボスは、この書籍にも実名で出ている中西氏であり、私がシャープ在職時代の全期間上司であった。MZ80開発物語というブログには、当時のMZ関係者が集まっていることは古くからのパソコンマニアの知られるところである。
中村正三郎のホットコーナーでも取り上げられている(中村氏もまたプログラマで管理工学研究所の松や桐の初期の開発者であったはず)
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/03/19/1322822
シャープを中途退職した私が、この会に行くことができたのは、今年の夏、中西御大から私に別件で電話連絡があり、その際この会のことを伺ったことが発端である。
思えば、あの厳しい中西さんであったが、アマチュア無線に熱中する私をそれも電子技術者の素養と寛大に接していただいた。MZのBASICマニュアルにはモールス符号発生プログラムを載せていたし、DISK-BASICにいたってはアマチュア無線の交信記録を整理する業務日誌のプログラムを取り扱い説明書にプログラムリストを載せていた
私も、マニュアル制作なども担当していたので、中西さんのコールサインや私のコールサインをマニュアルに載せたものだ。今から思うと良く許されたと思うが。

Sharpham1

Sharpham2

今だから言えることであるが、1981年に神戸博(ポートピア81)に、アマチュア無線館を出展し、そこで記念局(8J3XPO)を開設し、新しい試みとしてパソコンでQSLを発行することになり、入力装置としてマークカードリーダで対応することになった。
アマチュアは金銭上の利益を目的にしないので、装置を購入することもできない事情もあった。
当時のアマチュア無線連盟の兵庫県支部長だったのがラジオ関西のY原さん。私がY原さんから伺った話をMZのボスの中西さんに相談し、関係部署の了解を取り付けていただいたことも忘れえぬ想い出である。
なお、神戸博のアマチュア無線館のソフトウエアはY原さんを中心としたアマチュア無線家の自作であり、そのプログラムリストはCQ出版発行の「ハムジャーナル誌」で解説記事とともに公開された。

このことに関連して 無線機器メーカーのアイコムのWEBで記事があるとのご指摘をいただきました

http://www.icom.co.jp/beacon/ham_life/yanagihara/001029.html

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Hamj1

特にマークカードリーダーは当時のパソコン周辺機器でも特殊な部類となり、新製品ということもあり制御プログラムも大変であった。
マークカードも、アマチュア無線のQSL印刷を手がけられていたA社の提供であったが、社長のSさんから印刷インク仕様など技術的なこと等のご相談も受け、ご苦労を目の当たりとした。
そうした一連の動きから、当時のCQ誌編集長だった宮本さんや、ハムジャーナル誌を担当されていた小磯さんに依頼され、ハムジャーナル誌へのプログラム記事作成、また、1984年には「CQハムラジオ誌」でBASICのプログラム入門記事を年間連載させていただくことになった。
しかし、シャープの社内的事情により部品事業部でのMZパソコンはできなくなり、新しくできたパソコン事業部に移管となった。
私がシャープ部品事業部で最後に担当したのがマイナーチェンジモデルのMZ-2200である。マイナーチェンジであるから第一線級のエンジニアは不要であるので、まるで敗戦処理とも思える登板であったが、私が晴れて(?)製品担当として、コストダウンと原価をみたり、量産化までの一連の業務を担当できたのはいい経験になった。
なお、部品事業部でMZを担当した技術者の多くは液晶デイスプレイ・液晶デバイスに従事され、私の同年代でも部長級になっているようだ。
シャープ在職時代にはアマチュア無線クラブの事務局をしたこともあり、何度ともなく社内報にも掲載されたことも良い思い出である

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22年もたつと顔や姿は大きく変わるものだが、声はそれほどかわらないことを改めて思い知らされた。

MZ-80パソコン開発物語は下記

http://blogs.yahoo.co.jp/nagusa_kei

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