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2009年10月17日 (土)

加藤和彦さんとラジオ関西

ヤフーの記事を見て驚いた「ザ・フォーク・クルセダーズ」メンバーだった加藤和彦さん(62)=東京都港区=が首をつって死亡しているのが見つかったという報道である。テレビでも大きな報道となっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091017-00000085-jij-soci

加藤和彦といえば高度成長期を代表する作曲家といっても過言ではない。北山修作詞 加藤和彦作曲という多くの名曲も多くある。日本のフォークファンのサイトでは悲しみの声が多いのも当然だろう。

かくいう、ラジオ関西も関西を代表する音楽局として少なからず加藤和彦とは縁の深いところがある。

1965年 - 1968年の「ザ・フォーク・クルセダーズ」が世に出たのは「帰って来たヨッパライ」の大ヒットである。

フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」の当時のシングル版レコードジャケットには
このレコードはアングラレコードで、この曲が世に出ることになったのはラジオ関西の番組で紹介されたためであることが明記されていたことでも状況は想像できる。
このことは このブログでも過去に記事にしている。
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f4ff.html

加藤和彦も過去にラジオ関西に幾度も出演しており、近年で私の知るところでは

2002年3月20日放送のラジオ関西「(谷五郎の)OHハッピーモーニング」(MD西川録音所有。現在どこかの県域FM局でやっているオーハッピーモーニングとは無縁の別番組)では、当時「イムジン河」の再発売があり、加藤和彦が出演した。元ラジオ関西プロデューサの西内隆氏も同じく出演したのである。ただし、加藤和彦はラジオ関西の東京スタジオで、神戸のラジオ関西本社とを結んでの放送であった。
なお、西内隆氏は、サンテレビの設立時出向となりラジオ関西を離れ、サンテレビプロデューサとして、フォークライブなど音楽番組を担当されることになる人物である。西内隆氏の名前でWEB検索をすると、音楽雑誌などでフォークルに関する証言として登場している。

最近、サンテレビの話題を多くしていたが、サンテレビ開局も40年、「帰ってきたヨッパライ」がミリオンヒットとなったのも1968年である。
帰って来たヨッパライの最初は「おらはしんじまっただ」不謹慎であるがこの曲の最後に流れる読経(ただし、これは本物のお経でなく洋楽のパロデイと思われるような・・)そして、「エリーゼのために」が印象的だった。その後の名曲のタイトル「悲しくてやりきれない」というのがファンの心境だろう

改めて、ご冥福をお祈りします。高度成長期のラジオ関西を語る上で大切な方をなくしたことと思います

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コメント

そういえば井上大輔さんも自殺でしたね。

往年の音楽スターの自殺は、業界にも影響を与えるでしょうね・・・。

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