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2009年10月13日 (火)

サンテレビ開局1年前の新聞広告

井川宏之先生から、サンテレビ開局約1年前の広告の写真を提供いただきました。井川先生によると「(サンテレビの広告については)この広告が一番古いと思います。1968年5月6月です。」ということでした

1968l

Img_8469

この元画像は、非常に鮮明で、これで重要なことがわかりました。

以下は、上記の画像を一部拡大したものです

Sunmemo

上記の説明画像で「ン」の部分の丸い点は「太陽」のデザインではないかと思います。基本的にはマトリックス昭夫さんから送っていただいたロゴと同じイメージと思いますが、これからもサンテレビの社名の由来が太陽であったということを示唆するものであり、上記の広告からも親局36chを前面にだしたものであり、瀬戸内海(s)と日本海(n)をUHFで繋ぐということを想定するような時代ではないということは明らかではないでしょうか?。wikiでは、いまだにサンテレビの社名の由来が「太陽」という説さえも、根拠なしに抹消したようで、「他は俗説」ということを平然と書いています。それが出典なくコピーペーストされたり、平然とこれが真説のように書かれています。

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コメント

やはりこれらを見せて頂いても、サン=太陽というのは明らかですよね・・・。

それだけにサンテレビ自体に、しっかりとした根拠と俗説の否定をお願いしたいのですが・・・。

それにしても明年という書き方が珍しいですよね・・・。

とくながさん。貴重なコメントありがとうございます
「明年(みょうねん)」というのは、最近ではあまり使わない感じですよね。私なら「来年」というように使ってしまいますがこれも時代の違いですかね。

井川宏之さんは、西川さんに、ラジオ関西やサンテレビに関する、本当に興味深い資料や写真を度々提供していただいているようですね。
井川さんは、おそらく、ラジオ関西やサンテレビ発行の番組表や、ラジオ関西やサンテレビの新聞広告の切抜きも、たくさん持っているのではないのでしょうかね。
西川さんは、サンテレビやラジオ関西に関する過去の資料は、さほど多く持っていないようなので、本当に井川さんに感謝、感謝といった感じではないのでしょうか。
私は、このブログで、開局から昭和60年代初頭のサンテレビ発行の番組表をいつか見てみたいと、この記事を見て、余計に感じました。
NETテレビからのネット番組が多く流れ込み、エリアに恵まれた県域局として順調なスタートをした開局から昭和50年ごろ、東京12チャンネルからの番組が増えた昭和50年代前半、テレビ東京からのネット番組のほとんどが消え、経営危機に陥った昭和50年代後半など、山あり谷ありのサンテレビの番組編成史を、いつか、このブログを通じて紹介できればいいな、と思っています。

らぶSun さん
ラジオ関西ファンWEBにも井川先生からいただいた写真もいくつか紹介しており、またせっかく送っていただきながらまだ紹介できていないもの、掲載するのを躊躇するものまでさまざまです。また、当初個人的に見せていただいたものをWEB公開をお許しいただいたという経過がありますのでこのような形となっています。
私のほうは、プロの写真家ではないので、それほど多くの写真をもっておらず、特に年齢的なこともあり昭和40年代後半からしか撮影したものがありません。特に初期のものは公開録音の有名人などが中心でした。唯一の例外が小学生時代のスタジオ見学ぐらい。資料として持っているのは各種雑誌や書籍、記念品、QSLのたぐいであり、それもラジオ関西のものがほとんどで、サンテレビは皆無です。というよりサンテレビは興味ある部分がラジオ関西との関連など限定的なものですから私にはサンテレビファンサイトを作ることは不可能ですしその気持ちもありません。
そのため、サンテレビの古い番組表は公式のは一切なく、必要があれは図書館にある神戸新聞のマイクロフィルムを見せてもらったりしています

私の資料コレクションは、あくまで調査研究資料的なもので古い番組録音、番組のテーマ音楽などのCD類、番組表も「深夜放送ファン」や「ランラジオ」「ラジオ番組表」というもので、これらはいわゆる他人の著作物ですので「引用」の範疇を超えることはできません。番組表の一部は公式WEBにありますが、これ以上の資料の情報は持っていません。
 あとあるとすれば、オリジナルグッツのたくいでしょうか
 写真の方も、よく写すようになったのは1980年代以降、社会人となって自分で使えるお金が増え、しばらくしてからだったと思います。
 カメラが趣味でもない学生には記録用途として、必要以上にフィルムを買い現像するのは無駄とおもっていたからです。もし、良質の写真が大量にあればと思いますが、その後なかにはVHSやビデオ8で録画したラジオ関西がらみのイベントは結構残っています。おそらく量が多くなると写真撮影よりビデオの方が安くつくように考えたのと音声を同時に記録したかったからでしょう。しかし、このような資料は、WEB公開なんかはできる性格のものではなく、過去の放送録音も同様でしょう。
 開局記念イベントで過去の映像が紹介されたのを撮影していますが、これは撮影というより複写みたいになり、自分の著作物とはならないのですから、いかに私の集めているものは「参考文献」「参考資料」です。

 そのほか、公式WEBで欠落されている時代のものはコピー資料程度、また各種ラジオ番組雑誌を少しずつ集めています。

井川宏之先生は、神戸に特化された写真撮影をされたカメラマンであり、年齢的にも私より相当上で、かつアマチュア時代からラジオ関西関係も撮影されておられるというこの上ない好条件の方です。
井川先生の神戸の写真は切手にもなっていますので、いくらアマチュア時代趣味で撮影されたものといえ大切な著作物をご提供いただいておりますので、本当に感謝していることはらぶSUNさんの言われるとおりです。

今回のような、サンテレビの社名の由来など特殊なテーマについては、わざわざ事務所に寄せていただきお話を伺った結果、このような情報をいただいております。本当に世間一般からみるとどうでもいいような話題のお願いにも真摯に受け止めていただきました。井川先生の資料コレクションもすごく、また、それなりの人脈をお持ちの方ですので私の質問にも的確に答えていただける方です。いつも申し訳ないなと思いつつ、甘えてばかりです。

なお、井川宏之先生の写真と田辺眞人先生の解説による「歴史の須磨」(神戸新聞総合出版)が1982年に出版されていることから、井川先生が神戸の写真家として知る人ぞ知る方だということを参考までに申し添えたいと思います。
 http://search.books.rakuten.co.jp/bksearch/nm/sv30/fA/g000000/sitem%C3%F8%BC%D4%CC%BE%A1%A7%B0%E6%C0%EE+%B9%A8%C7%B7/

なお、田辺先生(園田女子大名誉教授)は三上公也さんの情報アサイチのコメンテータ。私とも接点のある方ということはこのブログでも過去に述べたとおりです。いかに世の中は狭いものか。私も今年2月23日には三上さんの番組に出演させていただいたので・・

サンテレビの関係者にも「太陽」説でなく、瀬戸内海(s)と日本海(n)をUHFで繋ぐということをいう人がいるみたいですよ。たぶん昭和の末ごろ営業戦略のコピーでこのような語呂合わせを後で考えたのではと思います。ラジオ関西でもH宣言なんかをやっていた時代で、Hはヒューマンとか兵庫とか、あげくの果てに姫路とかいってましたけど、もう今では使われていないキャッチフレーズですけどね。おそらくその程度のことかも?。
おそらく昔のことを知らない人が変に伝えるとおかしなことになると思いますよ(そういえば私の友人のラジメニアファンの人からもこの説を聞いたことがあるようにおもうのですが?)
そういえばいつのまにかWIKIのサンテレビの社名
の由来の表現が変わりましたね

558さん この件については当方では現在再調査・再検討中です。もう少しお時間をいただきたく思います。

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