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2009年10月31日 (土)

神戸市北区フォトコンテスト入選通知

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神戸市内で行われている数あるローカルフォトコンテストの中でも、役所や電鉄会社など公共交通、マスコミ系・有名施設などは一度は入選したいと思うフォトコンテストが多くあります。神戸市北区のフォトコンテストも毎年行われておりまして過去2年は入賞を果たせませんでした。

今年からは、応募数規定が変更になり応募作品数が1人2枚までとなりました。

今回は農村歌舞伎と、森林植物園の正月の「とんど」をとりあげ、とんどの作品が入選となりました。

今回の応募作品「燃え上がる希望の灯(あかり)については、点火直後のものです。これは森林植物園の名誉園長でもある真野響子さんが、松明のようなもので周囲から点火しているところを写したものですがこの灯は、阪神淡路大震災の追悼イベントで使われる「希望の灯」を使用しています。作品に写っている緑色の作業服の女性は点火の最中ということで、火は大きくなっていませんが「燃え上がる」ときを撮影したものです。

この日の作品は、数多く撮影し、全体が火に包まれたものや、飾りつけが燃え落ち消えるときなど、主題や構図をかえつついろいろなコンテストに応募しました。月例の神戸新聞も応募したのですがだめだったのですが、月刊誌では入ったこともあります。もちろん、今回の作品とは違う作品で、真野響子さんが点火しているときのものではなく時間も違い雲の様子も違うのですが同じ行事での作品です。そういえば、神戸まつりのパレードも「サンバ」を狙うので、同じ日の同じテーマのものが数多く入賞してしまう一方、被写体の魅力が乏しいものでは、いくら応募しても無駄となるケースが増えています。たとえば、今年の大阪天神祭りでも「ギャル神輿」を狙いましたが、しょせんコンテスト狙いのにわかファンの悲しさで被写体そのものに思い入れがないためか平凡すぎるものになっており雑誌の予選通過もありません。それに比べ 神戸のだんじりや動物写真といった長年こだわりをもって接したものが結果として評価が高いことに気づきました。私も兵庫県、とくに神戸近郊のイベントには写真以前から興味関心がありそれなりの人間関係もあるところも少なくありません。このことは別稿として「地車」のことを例として過去の実践などを紹介したいと思っています

平成21年 神戸市北区フォトコンテスト 入選「燃え上がる希望の灯(あかり)」
神戸市北区区役所 平成21年10月30日付連絡 
区民広報誌「きた」12月号審査結果掲載

2009年10月29日 (木)

神戸市北区農村歌舞伎

先日、用事の合間に伺った神戸市北区の農村歌舞伎

今年の4月にも谷上の天満神社に行きましたが、今回は山田町原野にある天津彦根神社。天津彦根神社は近隣にいくつかあり、原野天津彦根神社。地図によっては別の名前(八王子神社・・昭文社神戸文庫版都市図など)になっています。八王子というのは山田町原野八王子という地名からなのだろうか?実にややこしい感じ。

神戸市西区にも「大歳神社」が多くみられますが、東灘区では「○○八幡神社」が目立ちます。

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最近はいろいろと多忙な毎日で予定がたてられず、空いた時間がみつかると情報をもとに出かけます。

普通の仕事の人なら大丈夫と思われる時間帯(平日の夜など)はだめであるため、人との約束は休日などに集中するため予定が満杯。とても写真を写すためだけの時間には使えません。神戸の伝統行事の見物は30年以上続けている興味関心分野。メインの舞台に興味を示さず、準備作業や化粧中の撮影ばかりを撮影するアマチュアカメラマンの人は多くそのような作品が評価されているようですが、正直そのような世界にはついていけないと感じています。

今年の4月の北区区役所主催の農村舞台公演は、「舞台以外撮影禁止」でした。どうやら楽屋裏ばかりを撮る人が多く、こども歌舞伎を狙う人のマナーでも問題があったからだと思います。今回の公演はこども歌舞伎は無くそのような張り紙はありませんでしたが。

北区区役所の主催のものは市の広報などで見れますが、今回のものはそれほど大々的にPRしているようなものではありません。

歌舞伎の演技を学ぶ方々の発表という色合いもあるのでしょう。観客は歌舞伎を演じる方々の関係者、地元の方々、そして写真愛好者といったところでしょうか。

神戸電鉄箕谷駅近くに張り紙がありました。私は所属写真クラブであるPICKの資料で知ったのですが、行くことになったのは当日のこと。神戸市長選挙の投票を終えてからのことでした。

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2009年10月27日 (火)

よく似た名前・名称

はやし しんいちろう アナウンサー編
林 真一郎さんは、ラジオ関西の局アナ 時間です林編集長
林伸一郎さんは、朝日放送の局アナ もちろん別人

演歌歌手の原田悠里(はらだゆり)と原田有望(はらだゆみ)編
90年代からラジオ関西「スィングウェーブ」に出演していたのは神戸出身の原田有望(はらだゆみ)さん。「北の浜唄」など
現在、原田のり子と改名、『のり子とひさしのスィングウェーブ』に出演
http://www.omoshirosou.com/harada-yumi/song.html
http://www.senhime.com/harada-noriko/

原田悠里(はらだゆり)さんは熊本出身のメジャー的演歌歌手。別人。

はらだのりこ編
原田のり子さんは 上記に説明した演歌歌手
原田紀子(はらだのりこ)さんは 関西ジャズ協会副会長の肩書きをもつベテランヴォーカリスト。元ラジオ関西・サンテレビのプロデューサ
http://ag-beauty.kir.jp/haradanoriko/

小鹿ミキさんと小鹿みきさん
ラジオ関西「ナマナマ大放送」など10歳代でDJをしていた小鹿ミキさん
女優の「小鹿みき」さんは女優であるが、同一人物

「奥田ひろゆき」さんと「奥田博之」さん
ラジオ関西で、午後の帯番組「奥田ひろゆき登場 ごきげんジョッキー」をしていた奥田ひろゆきさん
読売テレビで、午後の全国ネット「2時のワイドショー」をしていた奥田博之さんは同一人物
スポーツアナの奥田博之(サンテレビ)も同一人物。元ラジオ関西アナ

ラジオ関西の野球中継で出ていたせんだ かずよしラジオ日本アナと、現在MBSで出ているせんだ かずよしアナ
仙田和吉アナは現在MBSの局アナであるが「ラジオ関西 パーフェクト競馬! 」はMBS制作でラジオ関西で放送という異色の番組を担当
1990年代の「ラジオ関西ジャイアンツナイター」は ラジオ日本制作の「ジャイアンツナイター」をネットしており、当時仙田和吉アナはラジオ日本の局アナであった。
したがって同一人物であるが、近畿・関西地方ではこれらのネットの関係からラジオ関西の電波に乗る「他局の局アナ」として異色の存在

ジローズの森下次郎さんと ラジオ関西やサンテレビで番組を持たれていた森下悦伸さん
同一人物。森下悦伸さんは現在ラジオ関西の報道制作を担当される役員であるが「ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー! 」プロデューサーも勤める。
杉田二郎や、北山修などかっての関西フォーク黄金時代を築きあげたアーチストと独特の人脈があるようだ。

「海のみえる放送局」と「海の見える放送局」
同じラジオ関西のテーマ曲であるが別物 作詞・作曲・歌手とも別
「海のみえる放送局」(みえるがひらがな)は1970年代前半 小中学生の女の子2人組のチューインガムの曲。「・・こっこは海のみえる放送局・・」CBSソニー SOLJ40「風と落ち葉と旅びと」LP他に収録
「海の見える放送局」(見えるの見が漢字)は1997年のAM神戸時代、ボサノバカサノバによって歌われた男性2人組の曲。「心の扉開く、ゆるやかなハーモニー・・」ビクターVIDL-10847「花を買って帰ろう」に収録
ラジオ関西がラジオ神戸として開局したのは昭和27年(1952年)
チューインガムのは1972年(昭和47年)ごろなので開局20周年関連かも知れない。当時の田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表。大阪万博も終わり2年経過(FM大阪開局は大阪万博と同じ年)、高度成長期、
ボサノバカサノバのは1997年なので開局45周年関連であろう。震災から2年後の平成9年なので、現在ではすでに発売12年経過。この曲も今聴くと懐かしい部類なのかも。

2009年10月25日 (日)

明石西部の大太鼓だんじり、布団屋台

地元兵庫のお祭りネタです。

山陽電鉄が発行する山陽沿線GUIDE「エスコート」2009年10月号によると「山陽沿線秋祭り」の最後として10月第4土日に行われる明石市西部の秋祭りとして住吉神社(山陽魚住駅下車)の「大太鼓だんじり」と、御厨(みくりや)神社(山陽東二見駅下車)の「布団屋台」が、それぞれ特徴的であったり、珍しいものとして書かれていたので興味をもった。山陽魚住駅下車南徒歩5分の海岸沿いに住吉神社があり、いきなりこのような看板を見た

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大太鼓だんじりの表記ではなく「屋台」。もっとも看板にはこれでないと一般的に通じないからであろうか?

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早速巡行中の屋台を発見。どうやら宮本の地区らしく「宮本」の文字の入った衣装を着た世話人の方に話を伺うこともできた。巡行地図を見せていただくと江井ヶ島あたりまで回られるみたいで結構広範囲。担ぐのではなく、車輪をつけで曳くため、子供のロープまである。演奏は大太鼓のみで、垂水区のような半鐘を使ってはいない。ここでは確かに「大太鼓だんじり」という呼び方を耳にしたが屋台という呼び方も聞こえた。

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一方、魚住駅とは隣の駅の関係になる東二見駅西500m付近にある御厨神社には「布団太鼓」があり、大半は平屋根で少しだけ反りがあるタイプであるが、1台だけ「曽根天満宮」の布団屋台と似た大きな反り屋根の「布団屋台」があった。背中に「上西」という地区名と思われる文字が書かれたハッピを着ておられた。ここでも祭り関係者に聞いたところでは2009年に新調された屋台があり、新聞にも紹介されたという。

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ここも 担ぐ方式の屋台であるが、車輪を取り外しできる構造としており、御厨神社も演奏は大太鼓のみで半鐘はない。

ただし、拍子木を使い、太鼓にのせた音頭を歌いながら行幸するという方式である。彫刻も細かく、金糸をふんだんに使った飾り幕や昼提灯など、神戸の地車と共通するデザインも多い

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2009年10月23日 (金)

布団太鼓・播州屋台

神戸でだんじりというと、地車のことをいい、4つの車輪、2つの屋根をもつ一種のダシ(山車)をいう。祭礼につかうヤマであり、広辞苑でも壇尻として、神戸・大阪の地車がイラストで載っている。関東では屋台というとも紹介されている。

ところが、だんじりの生産地というべき淡路島では、だんじりというと「布団だんじり」という、屋根が1つで何重かの布団が重ねられているもので、車輪は基本的にはなく神輿のように担ぐものである。神輿と違うのは神輿は文字通り神様を乗せ巡行するものであるが、「布団壇尻」は、布団太鼓ともいわれるように、太鼓が乗り、これを演奏する人間、運行を指揮する人間が乗るものである。

これが、播州地域となると明石・三木・神戸市西部等の播州地区では布団ダンジリの形状であるが「屋台」と呼ばれるようになる。

神戸電鉄の情報誌「すずらん」75号で、先般紹介した三木の岩壷神社のまつりは「播州型の布団屋台」と表記されている。

また、山陽電鉄の駅置きパンフレット「山陽沿線 秋祭り 祭り屋台」では、垂水区の海神社のものを櫓太鼓と表記している。

明石・魚住の住吉神社は「大太鼓だんじり」、高砂の曽根天満宮のものは「布団屋台」、姫路の「灘のけんかまつり」は「屋台」の表記となっている。

今回は、過去に撮影したいくつかの地域のものを比較してみたい。

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まず、「灘のけんかまつり」として知られる松原八幡神社の写真です。屋台の屋根は神輿のような形状となっており「布団」ではありません。

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神戸市北区の淡河八幡 古く伝統のある布団屋台と思われます

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この写真は加西市北条町住吉神社の「春祭り」です桜の咲くころの布団屋台で布団の色、反り屋根の形状に着目ください。

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上記の写真は三木市の大宮八幡神社のもの、布団は赤色で反り屋根、平屋根が混在していることがわかります

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↑この写真は東大阪の枚岡神社の秋祭りです。「大阪型」といわれる「布団太鼓」です。兵庫のものは幕の刺繍に金糸などが使われ、若干形状も違います。平岡神社も地車・布団太鼓併用地域ですが布団太鼓が圧倒的に多数です

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上記の写真は三田市三輪神社の秋祭りの様子です。

布団太鼓と地車が共存しています。

地車は完全に神戸型のものが数台あります。なぜなら東灘区で使われていた先代地車がこちらに来ているからです

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この写真は曽根天満宮の「布団屋台」です。反った屋根は、金色も多く使われており姫路の「屋台」と近いイメージです。しかし青色や赤色に美しく重ねられているのは布団であることはよくわかると思います

このように、現在では多くの「祭り」がさかんに行われています。

しかし、かって東灘区の地車も「祭り」が衰退し危機に瀕した時代がありました。それは「高度成長期」。自動車が増え、神戸の市電がそうであったように自動車の交通が優先され、交通の邪魔になるという理由がありました。私の拙い経験では、それ以上にだんじりが出しにくい状況にあったのは、「なぜだんじりなんか出すのか」という、経済優先の合理主義、「時代遅れ」という伝統を真っ向から批判、そして何より「仕事優先」の風潮があったことです。これらは、例祭の日を「休日」であるゴールデンウイークに変更したり、地域によっては交通事情を考え、地区にあった地車小屋(倉庫)を神社に集めたりして対策をしたところもありました。これらについては「地域の温度差」というものがありました。特に神戸市地域は、第二次世界大戦の神戸空襲での被害が大きく、家、神社、そして地車までを失った地域も多くまつりの復興には、幸いとして戦災を逃れただんじりをもつ地区から復興し、だんじりは時代遅れの声をも跳ね返す地域コミュニテイの伝統を守る姿勢があったことを忘れてはいけないと思います。

時代の波によって、その存在が危機に瀕するものがあるのは、これら伝統的なものだけではありません。定時制高校も、貧しい時代の高度成長期には多くの生徒が学んでそれなりの成果をあげられましたが、現在では「不要なもの」として統廃合されることが増えています。しかし一方では、貧困率の上昇という問題もあり、今後はどうなるか心配するところです。高校授業料は無償ということになるのでしょうが、義務教育になったわけではなく、現実には働きながら学ぶというスタイルは今後も必要になります。話はかなり脱線しましたが、今後、ここでもこれらの話題も少しまぜたいなと思っています。

最近、いろいろなメールをいただくようになり、説明不足だったことをいくつか述べました。今回はその第1弾です。ご参考までにしてください。

最後にこの話のオチとして、下記の写真をご覧ください。

「播州の秋祭り」は サンテレビの野球シーズンオフ直後の定番メニューでしたよね

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2009年10月22日 (木)

ラジオ情報雑誌の比較検討

テレビ番組の情報雑誌があるように、ラジオ番組にも情報雑誌というものは存在する。しかし、放送そのものがラジオからはじまり、テレビへと移っていったのに対し、情報雑誌の創刊はその順序ではなかった。日本初の週刊テレビ情報誌「週刊テレビ時代」(旺文社)創刊が1960年「週刊TVガイド」創刊が1962年、「グラフNHK」が1965年、そして関西版の「週刊TVガイド」ができたのが1966年であるのに対し、ラジオはAMのものは開局そのものは早いのにもかかわらず専門雑誌は広まらなかった。戦時中や戦後という貧しい時代では新聞紙上での番組表紹介などで十分であったからかも知れない。

ラジオについてはNHK-FMを意識した 「FM-FAN」誌の創刊が1966年というのが古く、その後民間放送FM開局ラッシュ前後の1971年「週間FM」創刊など、FMは音楽録音という用途が開局当初リスナーから要求されたため単なる番組表でなく、かかる曲名、演奏者などの詳細情報が提供されたのである。

一方AMラジオ分野は、ラジオが家族全体というか茶の間の中心から、車の中や、個人のもの(パーソナルユーズ)へという移り変わりがあり、こどもや学生は勉強しながら夜中の放送を聞き、ご年配の方は早朝の浪曲や宗教関係を求めるというようにラジオの役割が変化していった。特に「深夜放送」という分野、さらに夜間電離層伝播を利用したBCLをはじめとする無線趣味が盛んになった。

科学技術の興味は、「子供の科学」「初歩のラジオ」「ラジオの製作」などの入門雑誌から、これらの延長にオーデイオ雑誌、アマチュア無線雑誌があるが、これらのほかにもフォークや洋楽など若者の音楽情報雑誌もあったが、これらの要素を含めながら「深夜放送ファン」というAMラジオ番組を主体とする雑誌が登場した。1970年(昭和45年)のことである。この雑誌は「現代用語の基礎知識」で知られる「自由国民社」の発行であった。したがって、この雑誌には「用語解説」が多く「現代用語の基礎知識」と連携したような紙面づくりであった。当時の雑誌には投稿者の氏名はおろか住所まで入っており、DJの住所なども質問に答えていたのも驚きで、そのような時代であったと改めて感じるところがある。この雑誌はランラジオと改題されて事実上季刊誌となっている。1974年のことで 写真の8月号には編集後記に「創刊号をお届けします」とあるが、深夜放送ファン7月号やランラジオ9月号はあったのか疑問である。

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上記写真は、深夜放送ファン、ランラジオ、ラジオパラダイス

季刊ランラジオは1981年に休刊となっており、その前年1980年に「ラジオライフ」が創刊、なおラジオライフ発行元の「三才ブックス」の社長、和田洋一氏は自由国民社出身者であるといわれている。

そして1982年には「ラジオ新番組速報版」が出され、1985年には「ラジオパラダイス」が創刊されているが1990年ごろ休刊(?)となっている。

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同じ雑誌に見えるが「ラジオパラダイス臨時増刊(1987春)」「ラジオライフ臨時増刊(1991春)」と微妙に性格がちがう

このように このラジオ情報誌にはそれなりの関係がある。

深夜放送ファンの番組表は午後8時以降のみを掲載

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それに対しランラジオでは全番組表を掲載。

ただし、活字を使っているのでミスもある。

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ランラジオの番組表と深夜放送ファンの番組表(黄色)

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「ラジオ新番組速報版」 なんと局の印刷物をそのまま掲載するスタイル

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そして現在は「ラジオマニア」

ラジオ関西・田中さなえさんの記事もありますから、ファンの方はお求めいただくことをおすすめします。

この特集号では10年前、20年前の全ラジオ局の番組表が掲載されています。

2009年10月20日 (火)

10月19日(月)PICK写真展準備・写真雑誌の発売日

この日は、昼間職場に年休をいただき、神戸市役所(1号館)で行われるPICK写真展の準備作業。広い市民ギャラリーに35点の作品を展示。私の作品も2点展示していただくことになりました。すでにこのブログでご案内のように10月20日(火)から11月1日(日)まで。もちろん入場券などは必要ありません。

PICK主催、後援は全日本写真連盟兵庫県本部、朝日新聞神戸総局

この日は、日本カメラ、アサヒカメラ、フォトコン、CAPA、カメラマンなどの月刊写真雑誌の発売日。朝は書店に行き雑誌購入。

月例フォトコンテストもスランプになり、先月は雑誌は私と相性の良い「日本カメラ」だけに応募(もちろん神戸新聞や各種地方フォトコンテストは参戦を続けているのですが)先月問題になったフォトコン事件を機会に、「下手な鉄砲数うちゃ当たる」方式では、類似作品を知らず知らずのうちに応募してしまうのではという意識が働き、誤解をされてはいけないと見直しをして、結果的に先月は「日本カメラ」だけに応募という形になりました。もっとも私は同じ原版から多数のコンテストに応募するということをしておりませんが、どの程度が類似になるかは厳密に考えたことはなく、連写(1秒間で6コマは写せます)はその中で1つのみ選ぶぐらいで、動かない風景などは別として、動きのあるだんじり祭りやよさこいの舞台などは、同じものを対象としていても上記のような連写で同じ秒付近でなく、30秒以上離れ踊りの格好が違ったり、野球のホームベース上のようなところで、ボールを打つ瞬間やホームスチールで滑り込んできたところであれば、選手が違えば別物、だんじりでも同じ神社の背景でも違う地区のだんじりであれば別物と私は今まで解釈していたのです。もちろんこれは正しいと私は思うのですが、動物園でペンギンが飛び込むときを考えると、どのペンギンが飛び込もうが類似ではと思ったり、また、神戸のポートタワーなんかではどこかの写真と似ているだろうし、同じ撮影会やまつりで一緒に撮影した人とは類似となるのは当然かとも考えるようになりました。とくに「フォトコン」誌9月号の類似作品OR NOT(P92~95)の記事では あまりにも厳格と思われる例があります。確かに風景ではトリミングしてしまえば別作品ではいけないのですが特徴的な石垣があるだけで、そこに目が行ってしまえば類似とは風景写真では1枚でしか勝負できなくなるように思いました。

そんなことで一旦は「日本カメラ」に絞ろうとしていたところ、今回の日本カメラの月例は「予選落ち」。そして意外にも「月刊CAPA」のスナップ部門(選者 ハービー山口先生)の予選通過(もうひといきでした)に名前が掲載されていることを知りました。作品名は「うまくできたぞ」題名だけでは作品がすぐに思い浮かばなかったのですが、調べると今年8月名古屋の東山動物園で撮影した動物と人間の写真でした。9月はCAPAには応募しませんでしたが、次回締め切りが10月末なので、この分野はこの雑誌というように工夫して応募したいと思うようになりました。作品名は「うまくできたぞ」ですが、この様子では「うまくいかない」というところでしょうか

雑誌「CAPA」(学研)2009年11月号 月例フォトコンテスト スナップの部1次予選通過 「うまくできたぞ」 149頁に作品名・氏名等掲載 2009年10月19日発売

 

2009年10月19日 (月)

秋祭りの屋台(神戸と三木の比較)

昨日10/18は三木市の岩壺神社の秋祭りを見た。

私の知る人を2~3名見かけたような気がするが他人の空似かも知れない。

三木の布団太鼓・屋台は平屋根と反り屋根の屋台が混在する地域
布団太鼓といわれるよう布団が屋根にあり、演奏は太鼓のみ

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 三木市岩壺神社 境内にて

一方、今年10月11日に見た垂水区海神社のものは平屋根で太鼓のほか半鐘が鳴らされる

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垂水区 東垂水  垂水漁港付近で

海神社の祭礼には東垂水・西垂水・高丸の3台の布団だんじりが出るといわれている。今回秋祭りでは国道2号線で東・西垂水の2台を見た。東垂水は現在播州型の布団太鼓・屋台というべきかきだんじりであるが以前は神戸型地車が引かれていたという
海神社のある垂水区は「播州 播磨の国」であるが須磨の関で摂津との国境になる。
海神社が播州のほぼ東端として、ここがもともと神戸型地車(摂津の国 上地車に分類)の東垂水と播州型屋台の西垂水との混合地帯だったということが興味深いものである。

現在の神戸市東灘区本住吉神社の「西区地車」は昭和30年台に垂水区の東垂水より購入したものといわれている。

海神社の布団太鼓に半鐘がつくのは地車時代の名残なのだろうか

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垂水区の布団太鼓には半鐘がつく

(外付け型/東垂水・西垂水も同様)

東灘の地車は太鼓に半鐘、二丁鐘の3種類による演奏、兵庫区の和田宮地車は太鼓に半鐘、垂水区では布団太鼓に半鐘がつき、三木や高砂・姫路等では太鼓という形になる

兵庫県は明治以後、旧の国がいくつかあつまってできた県である。

神戸市でも、垂水区・西区は播磨、北区でも淡河町などは播磨なのでやはり布団太鼓か金色に輝く屋根の神輿型の屋台(かきだんじり)。旧攝津の国地域では神戸型地車(曳きだんじり)、北区でも摂津の国地域では曳きだんじりである。

このように文化の違いというのは、神社の祭礼などでも見られるもので、大阪府でも東大阪市あたりになると河内、摂津、泉州それぞれのまつりが混在するところがある。

くわしくは「神戸のだんじり&まつり」で番外編として、昨年の東大阪の六郷のだんじりパレードを紹介しているのでご覧ください。

2009年10月17日 (土)

加藤和彦さんとラジオ関西

ヤフーの記事を見て驚いた「ザ・フォーク・クルセダーズ」メンバーだった加藤和彦さん(62)=東京都港区=が首をつって死亡しているのが見つかったという報道である。テレビでも大きな報道となっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091017-00000085-jij-soci

加藤和彦といえば高度成長期を代表する作曲家といっても過言ではない。北山修作詞 加藤和彦作曲という多くの名曲も多くある。日本のフォークファンのサイトでは悲しみの声が多いのも当然だろう。

かくいう、ラジオ関西も関西を代表する音楽局として少なからず加藤和彦とは縁の深いところがある。

1965年 - 1968年の「ザ・フォーク・クルセダーズ」が世に出たのは「帰って来たヨッパライ」の大ヒットである。

フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」の当時のシングル版レコードジャケットには
このレコードはアングラレコードで、この曲が世に出ることになったのはラジオ関西の番組で紹介されたためであることが明記されていたことでも状況は想像できる。
このことは このブログでも過去に記事にしている。
http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f4ff.html

加藤和彦も過去にラジオ関西に幾度も出演しており、近年で私の知るところでは

2002年3月20日放送のラジオ関西「(谷五郎の)OHハッピーモーニング」(MD西川録音所有。現在どこかの県域FM局でやっているオーハッピーモーニングとは無縁の別番組)では、当時「イムジン河」の再発売があり、加藤和彦が出演した。元ラジオ関西プロデューサの西内隆氏も同じく出演したのである。ただし、加藤和彦はラジオ関西の東京スタジオで、神戸のラジオ関西本社とを結んでの放送であった。
なお、西内隆氏は、サンテレビの設立時出向となりラジオ関西を離れ、サンテレビプロデューサとして、フォークライブなど音楽番組を担当されることになる人物である。西内隆氏の名前でWEB検索をすると、音楽雑誌などでフォークルに関する証言として登場している。

最近、サンテレビの話題を多くしていたが、サンテレビ開局も40年、「帰ってきたヨッパライ」がミリオンヒットとなったのも1968年である。
帰って来たヨッパライの最初は「おらはしんじまっただ」不謹慎であるがこの曲の最後に流れる読経(ただし、これは本物のお経でなく洋楽のパロデイと思われるような・・)そして、「エリーゼのために」が印象的だった。その後の名曲のタイトル「悲しくてやりきれない」というのがファンの心境だろう

改めて、ご冥福をお祈りします。高度成長期のラジオ関西を語る上で大切な方をなくしたことと思います

2009年10月13日 (火)

昭和39年のラジオ関西の広告

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提供 井川宏之先生

新聞の広告ではと思うのですが、写真については広告文章との関係がもひとつ掴みきれておりません。

送信所のアンテナだと思うのですが、昭和39年なら、すでに淡路島の岩屋に送信所が移転し10kWになっていた時代で、当時はサンテレビはなく、関西テレビとラジオ関西の関係が深かった時代。西宮球場でラジオ関西がナイターコンサートをやっていた時代。もっとわかりやすくいえば、ラジオ関西の電話リクエストの黄金時代だったと思います

サンテレビ開局1年前の新聞広告

井川宏之先生から、サンテレビ開局約1年前の広告の写真を提供いただきました。井川先生によると「(サンテレビの広告については)この広告が一番古いと思います。1968年5月6月です。」ということでした

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この元画像は、非常に鮮明で、これで重要なことがわかりました。

以下は、上記の画像を一部拡大したものです

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上記の説明画像で「ン」の部分の丸い点は「太陽」のデザインではないかと思います。基本的にはマトリックス昭夫さんから送っていただいたロゴと同じイメージと思いますが、これからもサンテレビの社名の由来が太陽であったということを示唆するものであり、上記の広告からも親局36chを前面にだしたものであり、瀬戸内海(s)と日本海(n)をUHFで繋ぐということを想定するような時代ではないということは明らかではないでしょうか?。wikiでは、いまだにサンテレビの社名の由来が「太陽」という説さえも、根拠なしに抹消したようで、「他は俗説」ということを平然と書いています。それが出典なくコピーペーストされたり、平然とこれが真説のように書かれています。

2009年10月11日 (日)

PICK写真展のご案内

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全日本写真連盟(全日写連)兵庫県本部・PICK支部の写真展が、神戸市役所1号館2階市民ギャラリーで開催されます。

PICK(EXIBITION OF PHOTO IMAGING CIRCLE AT KOBE:相薗泰生会長 指導者:牧野慎三先生)は、神戸・明石を中心とした写真愛好者のサークルで、私も昨年6月ごろから出入りさせていただいています。

会期 平成21年10月20日(火)~11月1日(日)

時間は AM10時からPM6時までです。

ラジオ関西まつり2009に行きました

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今年は、ハーバーランドの高浜岸壁で実施となった「ラジオ関西まつり」、この日は、早朝から大津まつりを見に行き、神戸に戻ったのは昼過ぎで、約2時間程度会場におりました。

会場では、リスナー関係では、はばちょん(じんかげ)さんにお会いしたほか、他の趣味であるアマチュア無線仲間や写真関係の人に声をかけてもらったぐらいでした。ラジオ関西の方では、三上公也さんの番組デイレクターであるS川さんをお見かけしたので、少しお声がけをした程度。今年2月の番組出演のときお世話になった方です。お忙しそうなときだったので迷惑になったかなと後で思いました。

DJやMC、アナウンサーの方はステージでお見かけしたのは当然としましても、はねっこ広場のあたりアジメニア関係と思われるリスナーの集団と、アンプを通さず肉声で語りかける岩崎和夫さんを見たのが印象的でした

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会場のメインステージの様子

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サンテレビの展示には貴重な画像も

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岩崎さんを取り囲むリスナー

会場は少々手狭な感じで、あえて混雑が予想されるアニメ声優系のラジオ番組の公開録音が午後3時過ぎからと、かなり後だったためか、この時間を見る限りではいつもよりアニタマショップは寂しそうな感じでしたね。

それとラジオ関西のグッツ販売を見つけられず残念。サンテレビもチョロQしか残っておらずタイムテーブルも売り切れていたので、ラジオ関西も同様だったかもわかりません。

この日はその後垂水区海神社、明石市の稲爪神社の例祭に。芦屋市もだんじり祭り。前日の10月10日は、河内長野から加古川、明石と秋まつり一色の連休でした。

2009年10月 7日 (水)

尼崎市農業祭「農業写真コンテスト」

11月に行われる「尼崎市農業祭」ここには、農業の写真コンテストがあり、写真コンテスト応募をはじめた3年前から毎年応募しています。

平成19年は佳作(賞状・記念品をいただく)、昨年平成20年は「入選」、昨年は、金賞・銀賞・銅賞のほか入選10点というのがあり賞状・記念品がありました。本年の募集要項では賞は、金賞から銅賞までということでしたが、結果は「佳作」。作品展示会には展示してもらえるようです。工業の街の尼崎での農業ですので、毎年アイデアに困ります。今年は、5月の「富松」の農作物である富松一寸豆に着目し、富松神社の一寸豆まつりを狙いました。結果的にイベントのスナップみたいなものは全滅、選ばれたのは稲刈りの時期の水田風景でした。この数年上位入賞作品はポスターにもなっているのですが、子どもたちが農業生活でいきいきとした姿を撮られているほほえましい作品が多く、このような作品は農村地域に生きる人たちの縁者など、それなりのコネクションや、農業知識が必要なものではと思いますが、それなりのアイデアが必要だと思いました。

平成21年尼崎市農業祭写真コンテスト 佳作 (審査委員長:有野永霧大阪芸大教授)
 尼崎市農業祭実行委員会(尼崎市農政課) 平成21年10月連絡

2009年10月 6日 (火)

マトリックス昭夫さんからサンテレビの画像を提供いただきました

Sun

マトリックス昭夫さんから1970年代初期のサンテレビのロゴらしき画像を提供いただきました。

もしも色が紫でしたら、なにか歓楽街の看板みたいな感じがするというか、女性や子供にはもひとつ受けない(怖がるかも?)という、少し他のシリーズと趣が違うデザインで驚きました。見たことがあるような無いような感じですが、私はカタカナの太い文字のやつと英文のSが広がったもの、それとゴシックの単純なSUNというパターンを知っています。しかし開局当時の1960年代後半のものにはカタカナの太い文字だったような気がしますが一度いろいろと調べます。ありがとうございました。

2009年10月 5日 (月)

1970年代のサンテレビに関する画像資料

Sanrogo

上記は、写真家の井川宏之先生からメールで送っていただいた1970年代のサンテレビのロゴと当時のキャラクタです

ご存知の方もおられると思いますが井川先生は、長年神戸市の「市民のグラフこうべ」をはじめとする広報物の写真を担当され、当然ラジオ関西・サンテレビの神戸市関係の提供番組の撮影もあるようで、以前サンテレビの神戸市番組の田中さなえさんのかなり若い時代?の写真も見せていただいたこともありました。

その井川先生も、今回の私の質問に対しサンテレビの社名の由来は「太陽と思います。」と「瀬戸内のsと日本海のnは、おかしい」といわれています

それ以外にも、いろいろな方からメールもいただくのですが

いくつか共通する指摘があります。

(1)「山陽」のイメージからくる 山=サン=SUN=陽

もちろん、ここでいう山陽は 岡山の山陽放送ではなく、神戸と姫路をつなぐ「山陽電車」のイメージです。

山陽電鉄の本社も長田、姫路は開局当時からの受信エリアです。

さらに深読みすると 神戸と姫路は、師範学校、工業学校等の県立施設などで競合をくりかえした歴史もあり、ラジオ放送も神戸放送(JOCR)に対し姫路市営放送(JODR・・予備免許のみで開局せず)と競争意識もあり、神戸と姫路を結ぶ太陽?

山陽電鉄は神戸放送設立時にも参画しており当時の山陽電鉄社長が神戸放送取締役になっているぐらいですから、サンテレビ設立時にも関係があったことは十分考えられますね。山陽放送は先に岡山にとられ、兵庫県は山陰側=但馬地方もあることから山陽は無理 したがって共通する概念で 太陽というのだという説も伺いました

ようするに「太陽」は、その通りなのだが「なんで太陽やねん」という論議の範疇ですね

(2)政令指定都市化で、兵庫県と神戸市の関係が悪くなっていった時代なので兵庫県と神戸市をつなぐ太陽?

まあ、上記2つは、的を得たものかもしれませんね。

ただし、仮にそうだったとしても説明できませんよね。

ただ、少しおかしいなと思う「太陽」説も寄せられています

太陽神戸銀行・・・・・たしか開局当時は神戸銀行は地元で関係あっても、太陽銀行は関係なかったのですが、後で合併したのではと思います。 結構このような俗説があったので、「太陽」説そのものを俗説と決め付けられたのではないでしょうか

また、最近の「おっサンテレビ」のおっさん太陽は最近のマークであるとの指摘があり、それはその通りなのですが、過去・開局当時にも太陽をイメージしたキャラクタデザインがあり、最近むりやり太陽を関係づけたものではありません

この記事は、WIKIのサンテレビの社名の由来の記述に不信感があり、他の説は誤りだとするのですが、親会社の神戸新聞の社史にもそのような記載はなく、またいろいろなルートを使って調査し、サンテレビにも聞きましたが、現在のところ「太陽」ということ(このあたりはあたりまえすぎて逆にWIKIのSが南、瀬戸内海、Nか北の日本海をUNITするという説で他は俗説で誤りということが広がっているため、調査しているものです。WIKIについてはラジオ関西についても問題がありますが、この執筆者には、当初「ラジオ関西ファン」が参考リンクされていたものの、なぜか途中で削除されるという気分の悪い思いをしました。ラジオ関西ファン年表からの参考を疑われるためかもしれませんが、私は過去に一切WIKIのラジオ関西の記事を作成したことはありません。また、ラジオ関西ファンサイトは、本家ラジオ関西の公式サイト開始以前から出していたものです.。WIKIのラジオ関西より古いことは当然です。

さらに、インターネット以前のパソコン通信のNIFTYのラジオフォーラムでラジオ関西系情報の発信をしていましたことで、結構その時代の人は私のことを覚えていただいているものです。

WIKI以前には、ラジオ関西が関西テレビやサンテレビの設立に寄与した話題は真実で、社史などの参考文献を調べると明らかなのですが当時はそれが信用されなかったこともありました。ネット人口も増え便利になったのですがWIKIに書かれると逆に真実のように伝わったり、これがすべてと思われることが問題です。

なお、WIKIにラジオ関西ファンがファンサイトとしてリンクされたことに私は一切クレームを申し上げたことは無く、逆にリンクをはずされたことはさびしく思いました。WIKIでは奥田博之アナの項目が過去に存在しましたがここの常連であった迷馬さんのWEBの盗作?として項目自体が削除になりました。このことも真相はよく知らないので一度尋ねようとおもっていたところですが、おそらく私のときと同様本人の知らないところで話が進んでいた可能性もあると思います。

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2009年10月 4日 (日)

同僚南悟先生のWEBができました

私の勤務先県立神戸工業高校(定時制)の同僚教員に、「働きながら学ぶ青春の短歌」の指導・教育実践で有名な南悟先生がおられることはこのブログでも紹介しました。NHKのドキュメンタリー、岩波ブックレット、朝日新聞の連載など多くのメデイアでも取り上げられております。

今回、WEBサイト「青春短歌コム」を開設されました。ぜひ一度ご覧いただきたくご案内します

http://www.seisyun-tanka.com/

Seisyuntankaweb

内容は、短歌だけでなく、定時制工業高校で働きながら学ぶ生徒の作文なども掲載されています。

南悟先生は、現在62歳、すでに定年退職を迎えられ、現在「再雇用制度」での勤務をされておられます。

教育実践の出版のほか、多くの各種講演会を引き受けておられ、今年の朝日新聞連載では、私が担任しておりましたベトナム人生徒(卒業後日本の上場企業である部品メーカに入り、現在ではベトナム語・日本語・中国語ができる才能を生かし、ハノイの現地法人のジェネラルマネージャー・日本人社長に次ぐNO2となり700人もの部下をもつ 私の生徒の出世頭)の取材のため、ハノイまで朝日新聞社が取材され、記事になりました。

下記はその記事です(朝日新聞社WEB)

http://www.asahi.com/kansai/mini-rensai/OSK200901140037.html?ref=recc

新聞掲載後、彼の来日の機会があり定時制工業高校で学んだ製図や情報技術のことや、苦労して学んだ日本語が役立っていると、私や南先生、朝日新聞記者のMさんと神戸で会ったとき伝えてくれました。彼の工場ではプリンタの部品を作っているため、このような本校で学んだ生徒が立派に活躍していることが報道されたことは、後輩にも励みにもなったものです。

南先生とは、私が神戸工業高校情報技術科勤務となった平成4年からですので18年ものつきあいになります。私が担任したクラスのホームルームに映画監督の山田洋二さんが入ったことも大きな思い出のひとつです。

なかなか日が当たりにくい世界にいる生徒たちですから、南先生のような光を当てて、励ましていくというスタイルはそれなりに意義あることなのですが、残念ながら普通の教師にはできません。

マスコミへの影響度など、比較的私の勤務校にはその分野では有名な教員もおられますが、第一線を退く時期に来たともいえる南先生のノウハウやきめ細かい対応ができることを学びとらなければならない時期にきたように思うのですが、私は工業教育。国語の短歌で生徒の気持ちの中に入っていくようなことはできません。その意味では私は資格検定取得や各種作品コンテストでの個人的力量でもって情報・電子・通信というものを語れるようにならなければなりません。私は小学校時代、あのラジオ関西でもおなじみの田辺眞人先生が県立高校教諭時代から存知ているのですが、神戸市民俗芸能調査団で東灘だんじりを調査されておられた関係です。その当時から非常にわかりやすく面白いお話をされ、小学生の私でもその世界の魅力に引き込まれた記憶があります。やはりそのような人を引き込み納得させる技術の必要性を強く感じます

なお、私のこのブログでの紹介記事を参考までにお知らせします。

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-fb6e.html

2009年10月 3日 (土)

明石市民まつり2009宮嶋茂樹写真賞 受賞連絡

今年の夏にあった各市民祭り等写真コンテストの結果は、8月30日(日)実施の明石市民まつりの結果を残すのみとなっていました。

小野まつりは、少しあきらめていたところがあったことは以前にも書いた通り相性がよっぽど悪いためか3年連続選外になったのですが、明石市民まつりは昨年度優秀賞をいただいたこともあり、昨年も選者は大物写真家の宮嶋茂樹先生でしたので、今年も期待はしておりましたが、9月中に連絡があるかと思っていたところ、昨日10月2日(土)電話で連絡があり、ファクシミリで宮嶋茂樹さん直筆の(ワープロでない)コメントなどA4版3枚がNPO法人明石・まちとまつりプロジェクト事務局から送られてきました。

今年は賞品などがなく、5名に選ばれると宮嶋茂樹さんのコメントがいただけるのと、WEBに発表がされるというものでした。

参考 明石市民まつり 事務局ブログ(氏名・作品名掲載)

http://blog.goo.ne.jp/akashi-matsuri/e/b0aa085929bff34b7b45d8f97352a202

5名というと昨年の入選数より大幅に少ないので大丈夫かなあと思っていましたが何とか受賞となりよかったです。

この写真コンテストは、応募時点でCDRも出し、応募した作品は入選・選外にかかわらず著作権(使用権)は、主催者に行き、今後のまつりに役立ててもらうという趣旨ですから 高額な賞金とか賞品は何も書いていないので何もないというボランテイア的な精神で成り立っているのでしょう。私の同僚で建築科の教諭であるY先生も電話があったということでした。ちなみにY先生も今年の神戸まつりフォトコンテストで私と同じく入選となっています。写真のキャリアも長い方でフィルム・デジカメとも使いこなせる方なので羨ましい限りです。

さて、明石まつりフォトコンは期待していたのに小野まつりのフォトコンを早々とあきらめた気持ちになってたのは、過去に2年連続選外だったという理由だけではありません。ただ、誤解されては困るのは、実施団体を信用していないという意味ではないのです。(それなら応募しない方がいいのに決まっています)

今年は、2日間見物に行きましたがメインの日曜日に行くとキャノンの白い高級レンズをつけた方々が、高級フィルムカメラで陣取るのが目立ちました。神戸まつりのように広い範囲、パレードも1駅分はあるのと違い、その手のカメラマンがやたらと気になります。

ちょうど西宮のさくらまつりのモデル撮影会などと同じような感じです。

さらに展示されていた昨年の入賞写真も見ますと 自分には出せないフィルムの色(これはデジカメが悪いのではなくフィルム・銀縁写真の色がありデジカメ+プリンタではそれをめざすのがおかしいと思う一人です。)背景・構図とシャッターチャンスで勝負しているような私では分が悪いのですね

それに、午後に突然の雨があり、ステージのよさこい・踊りか、短い距離のパレード等、被写体の良さが大きなウエイトを占めるように思いました。過去の入選作品もステージや花火が中心ですからかえって難しく、機材と時間の勝負では、小野まつりのフォトコンは私には無理だと思ったわけであり、決して審査についてどうのこうの言う筋合いもないものです。フォトコンというものはあくまで趣味、ゲームのようなもの。芸術論争なんかするつもりもありません。地元の人が入選率が高くても、地元のことをよく知った人が、その祭りを知る人が応募するのですから多少の差があっても、とやかく言うべきではないのです。

ただ、今回結果的に私が首をつっこんだのは、このブログで小野まつりフォトコンテストの根底をゆるがす問題が指摘され、確認ができず収拾がつかない事態に追い込まれたことからです。私は、他人のトラブルに介入するのが好きではありません。しかし、このようなことを真偽を確かめず、匿名発言を鵜呑みにすると、それはそれで問題があります。最悪の場合「濡れ衣」に手を貸してしまうからです。

それでは、黙っていたら自分の中でも何ひとつ解決できず、損得勘定だけで動くことは、それはそれで困ります。私自身意見を寄せたことによって「来年のフォトコン選考が不利になる」なんか考えませんから。もし、理不尽なことをいわれたら3倍返しぐらいする覚悟を持っていますからね。このあたりが普通ではないのかも知れませんが。

このことから、文句をいった者が繰り上げ入賞なんかになっていたら、私の立場もなかったでしょう。その意味で立派に再審査が行われたことはよかったことだと思います。ただし、タイミングが悪いといったん「選外」となった作品は写真雑誌などに応募されているケース(いったん選外になると二重応募とはいえない)もあるので、再審査が第二の悲劇となり、またの二重応募事件になる可能性もあるからです。選外となると早速他へ応募される方も多いと思います。

さて、本日はデカンショまつりフォトコンテストの表彰式があり、早朝から出かけます。昨年は都合で欠席となり残念でしたが、今年はなんとか都合がつきました。受賞者の方々のリストを拝見しますと結構存じている方がおられます。お祭りの撮影のとき表彰式でお会いしましたねと声をかけてくれる方も増えてきています。

10月はラジオ関西まつりもありますが、同日にいろいろなまつりがあり、現在予定計画中です。

2009年10月 2日 (金)

このブログで紹介した電波法違反FMラジオ局は、その後2ヶ月後に「廃局」になっていた!!

4月13日「コミニュティFMの送信電力規制緩和問題の雑誌記事を読んで」で 電波法違反FMラジオ局の話題を紹介しましたが

http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/fm-632d.html

このFM局は、このブログで紹介した当時は放送は継続されていたみたいであるが5月29日から放送局の運用を休止し、6月11日をもって廃止となっていたということに気づきました

6月の話題をいまさらという感もありますが、あまり知られていない話題と思いますので、ここであらためて紹介します。

放送局の経営難による廃局というのは近畿初?でしょうね。次は兵庫県の・・ということにはなってほしくはありませんね。

B-WAVE廃止 近畿で初 近江八幡コミュニティー局、経営難で(京都新聞WEB)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009061500148&genre=B1&area=S00

滋賀県近江八幡市コミュニティ放送局の廃止届を受理
http://www.soumu.go.jp/soutsu/kinki/new/2009/090615_01.html
総務省近畿総合通信局WEB

不法行為による11日間の放送停止がどのように影響されたかは明らかではありませんが、11日も放送できなくなると当然その間のCMもできず、スポンサーも離れたのか?。それともこの事件とは別に不況の影響があったからか
いずれもルールを守らないことや、虚偽の事実が明らかになることでこの放送局の運営がむずかしくなったのではと思います

もしも単純な経営不振であれば、地域が守ろうと努力したかもわかりませんが事情が複雑だったのかもしれません
兵庫県も、民間放送は昭和27年にはラジオ神戸(ラジオ関西)1局だったのが、TV、CATV、FM、コミュニテイFMとさまざまな放送メデイアと広告を奪い合う構図(TVは別かもしれませんが)になりました
今後の動きも目が離せません。

最近、ルールを守らないというさまざまな問題についていくつか話題にしたことがありましたが、疑惑コミュニテイFM局もそのような結末だったとは正直驚いてしまいました。

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