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2009年9月25日 (金)

サンテレビジョンの社名の由来についての一考察

WIKIでは現在サンテレビの社名の由来について下記の説明がされています
これについての質問メールが複数の方からきましたので

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3

これによると
<引用開始>
社名の「サン(SUN)」は、兵庫の瀬戸内海側(S)と日本海側(N)を放送で繋ぐ(UNIT)に由来する。また、SはSouth(瀬戸内海は県の南に位置する)、UはUHF、NはNorth(日本海は県の北に位置する)にもかけている。なお、社名の由来についてはいくつか俗説が存在するが、いずれも誤りである[要出典]。
</引用終わり>

私の見解としては、サンテレビのサンの由来は
「太陽」と「3」を引っ掛けたではないかと思うのです

なお神戸新聞社史(80/90/100周年を見る限りWIKIのような由来は一切書いていないのです。
それをもって誤りだとするのは言いすぎだと思いますので、少なくとも「なお、社名の由来についてはいくつか俗説が存在するが、いずれも誤りである」という根拠は明らかでなく、下記の「太陽」&「3」説の根拠を示すことにしよう

(1)開局当時のサンテレビテーマソングは「みんなの太陽」

大きな街にも 太陽はひとつ (SUN SUN SUN)
小さな街にも 太陽はひとつ
JOUHサンテレビジョン
みんなの太陽 サンテレビジョン~(SUN SUN SUN)
みんなの太陽 JOUH サンテレビジョン~ (SUN SUN SUN)

参考 音声・画像
http://www.youtube.com/watch?v=NeIelDZFI-g
<同サイトから引用>5月1日放送の、開局40周年記念特番より録画しました。長田に あった開局当時の社屋や田中寛次・初代社長の挨拶を始め、歴代ニ ュース番組、懐かしのアナウンサーや谷口英明アナの若かりし頃の 姿など、貴重な映像が盛り沢山です。開局当時のサンテレビのテーマソング「みんなの太陽」のBGMも 一部登場します。</引用終わり>

この画像提供者はこのラジオ関西ファン常連のマトリックス昭夫さん?

当時の電波事情から 「大きな街にも 太陽はひとつ」でしたが、現在では大きな町ではサンテレビ中継局が数局写るところも多く
この部分の歌の歌詞はわざとカットされているものが多く、ラジオ関西では歌入りではなく演奏のみのものがBGMとして震災前ぐらいまで使われていました

(2)サンテレビコンバータ(3ch)の存在

開局当時、テレビといえばVHFのみのものがほとんどで、特に大阪平野部ではUHFの存在価値が皆無でした
NHK神戸放送局でもUHF県域放送をしていない時代です。
そのためサンテレビではサンテレビコンバータを作り、球場などで配っていたようです。
私も、これをもっておりました。このブログでも過去に記事にしました
このことを、私以外でインターネットに記事がないか調べると、サンテレビの公式ブログにも

http://www.sun-tv.co.jp/announcer/taniguchi/diary0506.html

<引用開始>
ところで、この日球場入り口でコンバーターなる小さな機械をいただいた。
聞くと、間もなく開局するという神戸のサンテレビの職員が、お客さんに配っていた。
半信半疑で持ち帰り、家のテレビにセットすると試験放送中の新しいチャンネルを見ることができた。新鮮な驚きと喜びがあった\(^o^)/これがサンテレビとの初めての出会いである。
以来、阪神戦の完全中継にのめりこみ、阪神タイガースというチームの不思議な魅力に惹かれていった。手前味噌ながら、何があっても最後まで放送するサンテレビを見て阪神ファンになった一人である。
</引用終わり>

http://blog.nikkansports.com/baseball/asaoka/archives/2006/04/post_65.html
<引用開始>
昔 昔 父に連れられて甲子園球場に行ったときに
UHFサンTVしか見ることのできないコンバーターを無料でもらいました。(甲子園開幕初戦だったと思う)
まだTVはVHFオンリーでUHFを見るには別なハードが必要だったのです。その年がサンTVが開局でした。
父はすぐに電器屋を呼び、UHFアンテナを設置し、それから毎日毎日タイガース戦を見てきました。
当然 家族はみんなタイガースファンに。。。。
</引用終わり>

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024878715
<引用開始>
3チャン=SUNサンテレビ(36chですが、開局当時のUHF受信用コンバーターのVHF変換が3chを使ってたため浸透)
</引用終わり>

(3)開局当時のマークも太陽やビデオテープをイメージしているようにも見える
少なくても 瀬戸内海や日本海をネットするイメージではないように思う

当時の電波事情からいうと、現在のような中継局ネットワークを県域民間放送のU局が構築することを想定するのが不自然
サンテレビは、民間放送なのでできる限り中継局を増やさず、本局36CHの大増力を狙うのが当然。
摩耶山の大電力局が実現しているおかげで大阪府にも良質の電波を届けている。同様の例でKISS-FMは摩耶山では同居するNHK神戸FM(500W)の2倍の電力(1kW=1000W)が免許されている
これは、中継局を減らすというのが考え方の基本にあり、ラジオ関西の豊岡局(1kW)と豊岡周辺のNHK小電力中継局数局のパターンも同様
なお、サンテレビの中継局は多数あるがサンテレビ独自の中継局というものは皆無のはずで、民放共同のものや、NHK以下全局が同じ中継局というパターンも多数です。
局舎の建物だけ共通としているのではなく、アンテナも送信機も一緒というパターンも一般的らしいですよ
何せ、兵庫県は山間部が多くUHFテレビ中継網はNHKの努力が多くあるはずです。
第一、開局時に親局36をいかに阪神間に浸透させるかが課題であったことはサンテレビコンバータからみても明らかで、「日本海から瀬戸内海までUHFネット」なんておこがましいような状態だったように思いますし
これを実現できたのも昭和50年代後半のように記憶しています

なお、なぜサンテレビコンバータが3チャンネル出力だったかというと、私は次のように考えています
(1)VHFテレビは1から3のローチャンネル、4から12のハイチャンネルと実は2つの周波数帯に分かれております
   当時の技術力からいって、ローチャンネル出力方式の方が安く作れ安定する

(2)大阪・兵庫県南部では 2チャンネルはNHK総合テレビ、1チャンネルには徳島県の四国放送が放送していた。
   阪神間で、四国放送は受信無理であるが、逆に徳島では大阪の放送局を見ることが行われていた。
   淡路島などでは1チャンネルの四国放送受信をする地域もある。

(3)上記のことから、受信周波数UHF36チャンネル 変換周波数VHF 3チャンネルというサンテレビコンバータが開局までに作られた。

サンテレビは、設立時には兵庫テレビジョン放送で、設立後すぐ社名変更をしサンテレビジョンとし、開局をしている。開局時からの目玉商品は阪神タイガース戦の完全中継であり、この試合完全中継という放送テクニックはラジオ関西のお家芸というべきものであった。それもそのはずサンテレビにはラジオ関西から25名もの出向者がおり、そのためラジオ関西では深夜放送などでは遅れをとった感があった。あの奥田博之アナがタイガース中継もしていたのは、当時のサンテレビの制作陣にはラジオ関西出身者も多く、松島武雄アナも実はラジオ関西出身といえばわかっていただけるのではないかと思います

さて、長々とサンテレビの社名の由来についての話を書いたのですが、これ以外にも私自身が子供のときサンテレビに問い合わせた記憶があり「太陽と3」だったと覚えているからです。もちろん、録音なんかはしておらず正確な日時などの記憶も曖昧です。しかし、私は小学生時代ラジオ関西にも問い合わせし、海のみえる放送局の入ったチューインガムのLPを購入していることはラジオ関西ファンのWEBでも公開している通りです。残念ながらサンテレビの長田時代は局には立ち入っていないのですが結構いろいろな放送への質問をする小学生だったのです。

 インターネットは便利ですがWIKIに書かれたことを当然としてブログに書く人も多く、これが続くといつの間にかこれが真実のように広がっていきます。一度サンテレビにも問い合わせしたいと思うのですが、私はもう小学校時代のような小学生なら許してもらえる質問はしにくくなりました。しかし、いつかはこの問題についてそれなりの結論を出したいと思っています

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コメント

サンテレビだけで単独で置局されている中継局は1か所だけあります。
それは淡路島の「津名」サテライト局で、比較的新しく、
平成4年に開局しました。
津名町のその周辺の一部に、サンテレビだけ難視聴だった地域があったようで、地元の要望を受け、建設したそうです。どういうわけか、NHKや広域民放の中継局は設置されなかったそうですが、多分これらの局は生駒からの電波が受かっていたのかもしれません。
兵庫県内では、佐用、篠山、南淡、川西北などといった中継局では、初めNHKとサンテレビだけ置局されていましたが、後に広域民放の中継局が置局されました。
その一方で、上郡、淡路三原などでは、広域民放の中継局は設置されず、今日に至りました。

らぶSunさん 貴重な情報ありがとうございます
サンテレビの県内中継網で単独設置は津名サテライトの1局ですか それも平成4年というと明石海峡大橋がらみか微妙なところですね
また、WIKIのサンテレビ社名の「サン(SUN)」は、兵庫の瀬戸内海側(S)と日本海側(N)を放送で繋ぐ(UNIT)に由来する。ということについてご存知のことがあれば情報をお願いできればと思います(これはお読みになった皆様へのお願いでもあります)

すばらしい文章で感服いたします。

実は私も神戸市民でありながらサンテレビに関してはわからないことが多かったのです。
サンテレビ=3chの理由もまさにそれでした。

公式にはどこにも3CHと唄われていないにも関わらずどうして3CHでサンテレビが映るのかが不思議でしたが、そういうことだったのですね・・・。

勉強になります・・・。

ちなみに私はWIKIに関してはお読み頂ければわかりますが、使用させて頂く際は必ず引用としており、後日できる限り事実関係を確認しています。

そこから事実関係が確認できなかったものに関しては、その旨も記載しております。

先日某企業がWIKIの文章をそのまま使っているのには驚きました。

そして一般の単行本でも、そのような事実を確認しました。

なかなか難しい問題です。

とくながさん いつもありがとうございます
結局 サンテレビとつながりがある友人に頼みサンテレビに問い合わせたところ公式には「太陽」ということで、現在のところ3CH云々は知る人ぞ知る話題です。とくながさんは神戸在住だったのですね失礼しました。このあたりの話題となると(同じ神戸でも)昭和40年代前半に物心ついていないと少し別世界の話題かもしれません。
山陽電車の終点が現在のJR兵庫駅北にあり、神戸高速鉄道の開通までは、新開地にもそれなりの地位があった時代です。
しかし、いくら昔でもテレビのコンバータを球場や繁華街で配るなんて、まるで黎明期のヤフーBBがモデムを配っていたことを連想しますが四半世紀前にもサンテレビが同様な戦術を実践していたことに驚かされます。おかげで大阪市内などの大半の地域ではVHFは生駒、UHFは麻耶山というのが通り相場となりUHF電波の「制空権」を手にしたのです。
阪神の試合終了まで放送というのは、大阪の放送局には真似ができないのは、それだけしっかりしたスポンサーの全国配信の人気番組を抱えていたからであり、弱点を強みにするというのはラジオ関西時代からのお家芸というべきものでしょうね

実は、サンテレビが開局して2年後、NHKが神戸局の総合テレビUHF基幹局を開局し、県域ローカル放送を始めました。
ところが摩耶送信所の位置関係や、六甲山など高い山に阻まれて、生駒からの広域放送の電波が受かっていてもサンテレビやNHK神戸の県域放送が届かない地域が阪神間にあり、その地域の改善のため、
阪神間では「北阪神」「山芦屋」「神戸生田」「宝塚」の各中継局を、NHK神戸総合とサンテレビだけを置局する中継局として、昭和46年ごろに相次いで開局しました。

らぶSun さん。貴重な情報をいただきながらご返事を忘れ失礼しました。どうもありがとうございました。これらの局はNHKの中継局と同居という形になり、NHKはNHK法上受信困難な地域に関しては中継局の設置などの措置を採算度外視で行い、民間放送の中継局を同居させるのも、普通は民間放送の設備投資になり経営上問題になるところを地元自治体の要望や当時の監督官庁であった郵政省のテレビ電波のインフラ整備というか社会基盤整備事業と関係しながら、UHFテレビのネット網が整備された・・という認識なのですが、このあたりの裏づけというか文献調査がうまくできておりません。
もしよろしければ、どのような文献を探せば良いのかをお教えいただけるとありがたいと思います。
何せ、趣味のアマチュア無線でも耳学問的なイメージはわかっていても、自分が幼少の時代となるとそれなりの記録がある書物に頼らざるを得ませんので

「独立局の経営は、今や地方自治体が住民の税金で賄っているようなものである」
これは、昭和58年の元日付けの朝日新聞(東京本社版)のテレビ特集記事に書かれていた一文です。
このころ、サンテレビは6億円近い赤字を出して経営危機に陥り、神戸新聞出身の社長や会長が退陣、いったん減資のあと増資する際、兵庫県や神戸市、兵庫県内市町村が増資を引き受け、兵庫県主導による経営再建に乗り出していました。
サンテレビのような独立U局に限らず、それ以外の地方民放会社の中には、今でも県が筆頭株主だったり、県内地方自治体が株式を保有しているケースがまだまだ多くあります。
ところが、自治体財政難が深まる中で、地方自治体や地方公共団体が民放局の株式を保有する事への批判が一部でくすぶる中で、自治体の中には、保有している民放会社の株式を早く売却したい、というのが本音なのではないでしょうか。
サンテレビも、兵庫県や神戸市がサンテレビ株の一部を売却したそうで、再び神戸新聞社が実質的に筆頭株主になっているようですが、
兵庫県や神戸市などの自治体が今も保有する「虎の子」のサンテレビ株が、全株売却を決めたところで、どこの企業などに渡るのか、ここ1~2年先の動向が、にわかに注目されそうです。

らぶSun さんコメントありがとうございます
総務省のWEBなどの公開されている情報では、たしかに神戸新聞が筆頭株主であると思うのですが、サンテレビの場合、ダイエーがかなり支援していた時代があったようですが最近はダイエーの持分が減り、そのぶん神戸新聞などが増えたという認識をしておりました。
そういえば神戸市は、サンテレビやラジオ関西へは相当力を入れているようですが、KISS-FMには以前株主で役員も派遣されていたはずだったのが、最近では役員を派遣することがなくなったという話を聞いたことがあります。地元の自治体を捨てて、FM東京など県外資本に頼ろうとするのは、KISS-FMの社長もいい根性をしていると思いますが、増資の結果既存株主の権利低下であれば、兵庫県民や神戸市民の権利が県外資本に奪われたのではという印象をもちます。兵庫県のような電波がまともに飛ばない山岳地帯の多い県や地元にとって放送網インフラの整備は地元住民・自治体の要望でもあるでしょうからこれら、設備投資段階などで支援するのはいいとしても、経営難で、それだけ投資されていた放送設備・ネットワークというインフラを1から作るのから比べると破格値の金額で県外の放送資本に移るというのは地元にとって不幸なことと思うのですが。

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