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2009年8月 9日 (日)

高度成長期尼崎の地車夏祭りと尼崎締め

毎年8月ごろになると頻繁に私は「尼崎市」を訪れます。というのは8月1日から2日には阪神出屋敷にあるきふね神社のだんじりまつりがあり、最近では7月30日には試験曳き・町曳きも行われることから3日間の祭りとなります。

Dsc_9402

貴布禰神社境内で準備中のだんじりと

ガラス工場の大きな煙突

(2009年7月撮影)

例年、7月末になると下見ついでに工場街を見ていくという一種の「工場萌え」的なことまでしています。
実は、今年の春武庫川の桜を撮影しに行ったとき、遠方に見える大きな尼崎の煙突が見えなくなっており、昨年西宮さくらまつりの写真コンテストで入選した「工都を望む」の撮影場所を定点撮影しようと思っていたのですがそこには見えるはずのエントツが無いのです。
マンションが建ったため見えないのかなと思っていましたが、先日阪神電鉄出屋敷駅を電車で通ると確かに以前と同じような大きなエントツはあります。ということは今年の春の疑問を改めて検証しなければと思いました
そして7月のある日、下見に行ったのですが、やはり大きなエントツは、昨年路地から見えた場所には無いのです。しかし旭ガラスの工場には立派な煙突があります。昨年の写真を見ますと微妙に形も違いますし位置」も違います。ということはエントツが建て替えられ、微妙に場所がずれたのだとわかりました

Dsc_3647

平成20年8月に撮影した煙突の写真

(煙突の場所と先端の形状に注意)

Dsc_0259

 平成21年 上記とほぼ同じ場所で撮影

煙突の位置は右側で、かつ小さく先端形状も違う

そこで早速インターネットで検索すると、尼崎市会議員の吉岡さんのブログで平成21年の1月ごろに工事がされていたということがわかりました。なるほどそれで昨年の夏祭りにはそれほど気づかず春に異変を感じたのかと納得できました。
http://ameblo.jp/ugokasu/entry-10189870473.html
見慣れぬ風景(その2)-旭硝子関西工場の名物煙突新旧交代劇-
思わず感動してしまいました。このようなものを写真に撮ろうとする人がいたとは。しかしタダモノではない感じ。思わず記事を読みまくる
そこで吉岡さんのブログでNHKの大阪放送局の「関西想い出シアター」で新日本紀行で尼崎のだんじりまつりが紹介された昭和52年の映像が放映されるということを放送前日に知りました。貴重な情報でした。
http://ameblo.jp/ugokasu/entry-10310248300.html
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200997708220130020/
なお、この吉岡さん確か以前出屋敷のカメラ店でだんじりのビデオを販売されておられた「吉岡カメラ」の関係者と思いました。かなり昔購入した記憶があります。WEBで調べるとやはり写真店を経営されていたようですから感というのは侮れないものです。
ブログの写真も貴重な画像も多く政治的にはよくわからないのですがかなり地元に愛着をもった方であると思いました

毎週土曜日の早朝にNHK大阪で「かんさい想い出シアター」という番組が放送されるということは知っておりました。放送時間帯が早朝の午前5時15分。
現在は「新日本紀行」の中で関西を舞台に撮影したものを再放送しているようです。この番組は、1963年10月7日~1982年3月10日まで放送された紀行ドキュメンタリー番組です。

テーマミュージックが印象的で拍子木の音と日本民謡を連想させ、古く自然豊かなふるさとの美しい姿をやっていたイメージがあり、高度成長期の日本を描いた番組として私が注目している番組です。
ただし、尼崎のだんじりが主役で出ている番組があったとは知らず、工場街・廃線になった旧国鉄尼崎港線の映像が効果的に使われていました。
この放送で気づいた・思い出したことです
私が、はじめて尼崎のまつりを見たのは昭和50年前後、中学生のころでした。当時神戸のだんじりは復興期にあり、現在のように綺麗に修理されたものではなく、昔のまま使っていたような感がありました。
高度成長期にはだんじりなどが高度成長期の自動車の普及により邪魔者扱いされ、曳き手も仕事に没頭される人が多く旧来の地域活動が犠牲になっていた時代でした。
神戸もそうであったように尼崎でも祭りは縮小されておりました。特にだんじりの痛みは痛々しく、油で黒光りしたような地車が(神戸・大阪と比べて)きわめて単調なお囃子で「けんか」する姿はショッキングでした。
その後、私は尼崎のまつりには良く行きました。中でも尼崎工業高校勤務の昭和63年から平成3年は、尼崎市内にも所用で回るなどそれなりの思いがありました。

だんじりを水洗いするシーンもあった。

当初、尼崎のだんじりの彫刻が怖いと思った骸骨のように朽ちたような古い鬼板(今思うとそれはそれでよいものも思うのですが)のあっただんじりはいつか無くなり、だんじりも改修を重ねられたり他地区から購入されたりと大きくまつりは変わっていった気がします。
さて、このテレビ番組でも収録されておりましたが、尼崎のまつりにはご祝儀が出ると「手打ち」(手締め)が行われています。
神戸では、だんじりの前をあげて感謝の気持ちを表すことが多いのですが、大阪や尼崎は手締めをします。
昨年の尼崎のだんじりのパンフレットでは、大阪と同様な大阪締めをするのだが尼崎は3回目はしないということが書いていました。

天神まつりでは うちーましょ( ・・ ) もひとつせ( ・・ ) いおうて三度(・・  ・)
「osakauti.MP3」をダウンロード

つまり 2回+2回+(2回+1回)の手打ちである。基本2拍子、最後は+1の3回
ところが尼崎は うちーましょ( ・・・ ) もひとつせ( ・・・ ) いおうて三度(打たない)

Dsc_4629

つまり 尼崎締めでは 3回+3回 というものであり 「いおうて三度」の掛け声の意味が 祝って3回目をたたく という大阪手打ちとは違うのであり、逆に「いおうて3度」という掛け声があるのに、3回目の拍子が無いのは変であると感じたのは私だけだろうか。

もちろんそれが伝統であればそれでもよい

「amagasakiuti.MP3」をダウンロード
私の古い記憶では、尼崎では「いおうて三度」という掛け声はなくて「きふねさんで」という掛け声だったように思う。もちろんその録音の時代が間違いなのかも知れない
しかし、このNHKの番組の手打ちは「きふねさんで」となっていた。いくらなんでもNHKが収録するときに間違えることはないだろうと思う
ここで さらに私の中であることに気づいた
これは「尼崎打ち、尼崎手締め」という独自の3拍子ではないかという仮説である。
これが もし「いおうて三度」するならどうなるか 考えてみよう。最後は大阪のように1つ追加すると
3回+3回+(3回+1回)となると考えると ・・・ ・・・ ・・・ ・
気がついたと思うがこれは東京の江戸締め(1本締め)でこれを3回繰り返すと3本締め(国技館や兜町でやるやつ)である
このテレビ番組のモデルとなったのは「中在家町」もっとも尼崎のだんじりで古い歴史の街という。魚河岸などが集中する街で、尼崎の「築地」と向き合う街
東京の築地は尼崎の築地がルーツであるという俗説がある。東京の青山のルーツも大名・青山氏これは尼崎城主。佃煮の佃も大阪の佃島の漁師が徳川家康を助けた縁とかで、江戸を開くとき大阪の佃からつれてきたというが、実は大阪の佃島は尼崎の築地の隣接地

これは東京湾の漁業権も与えられた佃の漁師が魚を取引する土地・魚河岸とは切っても切れない縁である。
ましてや、大阪から将軍家康の命により漁業権を得た佃の漁師たちが魚を取引する場所として摂津の国時代も関係深かった「築地」を選んでも不思議ではない。
現に、東京の佃にも、摂津の国の佃の神社の分霊をした神社が設けられているという。
尼崎の手打ちが、江戸に伝わって変形されたという仮説であるが如何だろうか。

私は、歴史学者でもなんでもないが 尼崎手締め、尼崎打ちは存在する。それは大阪締めではなく独自の方法である。
今年の尼崎のまつりで録音したMP3ファイルを紹介する。いおうて三度という人もいるが、きふねさんでという掛け声も混じっている。

「amagasakiuti.MP3」をダウンロード

東京の築地ができたのは佃島よりかなり後、しかも築地本願寺を作るきっかけは、浅草にあったとされる寺が明暦大火?で焼失。復興にあたったのも佃島の門信徒(摂津の国の漁師をルーツの名主クラスと思われる)だったようです。もっともインターネットで調べた情報ですけど関係はありそうに思います。単に埋立地だから築地でしょうか?大阪の佃島の周辺を江戸に再現できるのも漁業権を独占できた佃漁民の移住を考えると尼崎の築地は東京築地のルーツというのは十分納得のいく話と思います

http://www.bonodori.net/zenkoku/tsukudajima/tukudajima_rekishi_jikken.html

上記のWEBには、佃島念仏踊りの起源が解説されていますが、摂津佃と築地の関係も解説されています

追記

リンク記事の尼崎市会議員の吉岡様とも連絡が取れました。吉岡様もアマチュア無線家JO3OUGということ。やはり世の中は狭い

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