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2009年8月26日 (水)

民放県域FMについて思うこと

ラジオ関西は兵庫県の民間放送である。AMラジオ局の単営局であるが関西テレビやサンテレビの設立には神戸新聞グループの放送企業として親会社の側に立った。当時の神戸新聞社長が、関西テレビの副社長を兼務したラジオ関西の田中社長であったことは各社の社史を見ればよくわかり、県域UHFの開局によりサンテレビへと軸足を移すのは サンテレビの経営をするのには同じテレビ局である関西テレビの経営に携われないという政策の関係であったはずだ。

テレビ・ラジオは別物として考えるためラジオ・テレビの両方を免許を受けることはできるが、新規参入を保護するためか、新しく与えられた放送局の枠組みには古くからの放送局とは別の会社、別の株主構成とせざるを得ず別会社であるサンテレビが設立されたという面があると思っている。というのは放送局設立をしたい企業を一本化する過程で、株主となるチャンスが生まれ、黎明期の放送局が儲かるものという前提では経営に参加したい企業が多いのは当然であっただろう。

しかし、現実には放送局が必ず儲かるものではなく、地方の放送局は苦労されており、サンテレビもいったんダイエー系列となって、また神戸新聞のグループになっていることは周知のとおりである。

一方FMラジオについては、AMラジオと同じラジオカテゴリーとして、民間放送AMラジオ局にFMラジオ局を免許することはなかった。ただし、かってのAM局の極東放送(たしかここはRFラジオ日本の野球中継をしていたと覚えている)がFM沖縄に移行すなわちAM免許を捨てることがFM開局の条件のようになった。ただし、中波AMの放送周波数は混雑しており、これ以上中波AM局は作れないぐらいになっており、AM局でも一部地域ではFM放送による中継局が認められるようになってきている。

ラジオ関西は音楽局であり、社史でもFMラジオ局の免許申請もしている。もっとも当時はAM局はそのままでFMを別に開局したいという意味であったと考えられる。

FM大阪の開局のとき、また、KISSが開局のときラジオ関西は今以上に音楽放送局であったと思う。もし当時の田中社長がめざした AM放送事業をしながら、FM放送局を開設できれば もう少し様子が変わり、現在のようなFM東京の支局みたいな県域局ではならなかったようにも思う。FM東京が大株主として地方のFMを支配しているのであれば1社に複数の同種類放送局免許を与えていることになり、地方にとっても好ましいことではないのではと思う。

現在のような放送業界にとって不況期は厳しい時期であり、事実このブログの検索キーワードでも ○○FM経営危機・ラジオ○○経営危機なども非常に目立っている。これらは事実とは違うと思うようなものが多いが検索するとそのような話題もあり、また最近のその放送局の動向がリスナーの憶測を呼んでいるのではないだろうか。

地方において地方新聞社を中心としてAM・テレビのグループと、地方新聞以外の企業とFMの組み合わせの現状では、報道部門どころか制作部門も持たないFM局では魅力がなく、むしろ地方AM局とか地方新聞社、県域UHF局の力を県域FMの経営をさせないと結局営業力のある大都市部FMしか残らないのではと思う

すでにAMとFMは同じラジオとするのは無理があり、極端なことをいえば 兵庫県域のFMをラジオ関西のサイマル放送+独自にしたほうが競争力が増えると思うのは私だけだだろうか

もっとも 現在は民間放送には大変な時期なので考えられないようなことかも知れませんが・・

あくまでラジオ関西ファン視点なので割り引いてお読みください

結論 現在の各地の県域FMの経営がもしも今後むずかしくなったときはFMの統合ではなくAMとか地元メデイア等にゆずることも考えるべき。

参考事項

総務省 電波利用ホームページ
マスメディア集中排除原則について
http://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/media/index.htm#4000028
一般放送事業者(委託放送事業者を除く。)の議決権を10分(じゅうぶん)の1を超えて有する者及び委託放送事業者並びに電気通信役務利用放送事業者の議決権を3分(ぶん)の1以上有する者
http://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/media/index/chizyou.htm
(株)ラジオ関西の大株主は神戸新聞49.6%
(株)サンテレビジョンの大株主は神戸新聞45.4%兵庫県18.6%、神戸市17.3%
(株)Kiss-FM KOBEの大株主は(株)エフエム東京と個人1名であり、10%以上の県下自治体、企業名はない

 
ところがKiss-FM公式WEBでは
http://www.kiss-fm.co.jp/pc/company/company_index.php
兵庫県・神戸市・姫路市・尼崎市 兵庫県下主要企業
とあり、郵政省発表のものと違いがあり、筆頭株主(株)エフエム東京を隠しているようなイメージを受ける。

なぜFM東京が大株主か 規制緩和の影響か

まず以下の参考リンクをお読みください

米国で進む“メディア集中排除規制”の緩和,本音は早期のデジタル放送化
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/ITPro/USIT/20030608/1/
「一つの企業がたくさんの放送局や新聞社を,一手に所有することを禁止する」というのが,この趣旨である。「テレビ局や新聞社はなるべく,バラバラに分かれて存在するのが望ましい」という意味。
この「集中排除原則」が,日米共に緩和される方向に動き出した

やはりFM東京のKISSーFM支配は 米国流をめざす新自由主義小泉改革の影響なのか。そういえば竹中平蔵氏も私的諮問機関で集中排除原則の緩和を言っていたのではと思い出した

話は違うが 家電量販店の上新電機(この店は私は好きな店であるが)では「地元関西資本は上新だけ」という店内放送が目立つ。その観点からいうとKISS-FMのWEB表示も地元志向・地元重視であるという現れなのか?。このあたりの判断はお読みになった方々の判断におまかせするしかない

2009年8月25日 (火)

イベントなどで見かけたラジオ関西のDJたち

最近の趣味の傾向でカメラをもって各種イベントなどに行くことが多くなり、「ラジオ関西まつり」以外の各地域のまつり・イベントのステージなどで「これはラジオ関西の番組でおなじみだった方だ」と思われる方々を撮影しました。いづれも一般公開されているイベントであり写真撮影なども禁止されないものを選んでいくつか紹介します。もちろん中にはご本人の了解を得て特別に撮らせていただいたものもあります。すぐ名前がわかる方もありますが特にむずかしいものもあります。皆さんはどれだけわかりますか?

Asaiti

写真1 尼崎運河際のイベントステージ

2人まではわかっても4人すべては難関

Fujishun_2

写真2 小野まつり2009ステージ

Miura

写真3 ハーバーランドのジャズイベントで

案外これはやさしい問題

Sugitaayumi

写真4 これは一番難しい人 魚吹八幡神社で

ヒント クイズじゃこまつハニオの女性MC等で活躍

Tanabemakoto

写真5 神戸市北区の農村歌舞伎特別公演で

神戸の歴史を語る先生といえばこの人

Tanakasanae

写真6 今年の2月 私が三上公也アナの番組

情報アサイチに生出演したとき控え室で

朝の7時ごろにエレベータでご一緒になり

ものすごく早く来られているのだと知りました

一番やさしい問題かも

また、写真を整理しておき別途企画しますね

おわかりの方はコメントをつけていただければありがたく思います

相生ペーロン祭フォトコン入賞・推薦・サンテレビ賞

今年はインフルエンザ騒動のため7月に実施となった相生ペーロンまつり。こちらもペーロン競漕部門の写真コンテストはだめだったようですが、陸上パレード部門の方で「推薦」という結果通知をいただきました。

Aioi

推薦という言葉からは、高校教員の私にとっては一部の大学の推薦入試のようなイメージがあり、「何かもひとつ良くない・正規の競争ではないお情け選考」という感じのネーミングなのですが、実は特選の上位に位置づけられているコンテストも多くあり、本コンテストは1部(ペーロン競漕・海上)2部(花火)3部(陸上パレード)の3部別構成になっており「推薦」(1点)は各部門の最高位賞になるようです。

1部の「推薦」には本賞のほか神戸新聞社賞、2部にはデイリースポーツ社賞、そして3部には「サンテレビ賞」が与えられるとなっており、サンテレビからの賞状と楯がいただけるようです。本賞は相生ペーロン祭協賛会からということで、今までの最高はハーバーランド10周年フォトコンテストの準グランプリでしたから自己最高記録更新ということになりそうです。賞品の豪華さも最高レベルかと。

実は、この知らせがあった日、以前ここでお知らせした大津まつりの記念切手に採用されていたのが諸事情で「お流れ」になったお詫びの連絡が入っていた直後でしたので良い方向への転換でよかったと思っています

この夏は、デカンショまつり、そして明石市民まつりと昨年入賞した2つのコンテストを残しています。また、小野まつりにも行きました。こちらの方は相性が良くなく今まで入賞したことはありませんが性懲りもなく今年も小野まつりも応募しました。小野まつりのステージではフジシュンらしき司会者を見ました。昨年もそうでしたからたぶんそうかと思っていますがどこにも司会者の名前が見当たらず・・というところでした。(昨年は浜平恭子さんもいたようでしたが)なお、小野まつりの後援にラジオ関西が入っていました。

2009年相生ペーロン祭写真コンテスト 第3部(陸上パレード部門)推薦 「みんなで龍舞」
ペーロン祭協賛会長賞・サンテレビ賞
相生ペーロンまつり協賛会 相生商工会議所 平成21年8月24日付発表
入賞作品展 道の駅・海の駅 相生白龍城1階ホール 2009/9/18(金)~10/5(月)
      コープデイズ相生1階催事コーナー 2009/10/6(火)~ 10/20(火)
      JR相生駅構内(改札口外北側通路) 2009/10/21(水)~ 11/4(水)

2009年8月19日 (水)

日本カメラ9月号も3次予選通過止まり

本日8月19日はカメラ雑誌「日本カメラ(9月号)」の発売日。

日本カメラの場合は、入賞しておれば事前に賞状が届くので、9月号も入賞していないことはわかっていたのですが「予選通過」かどうかはわからない(少なくても私の応募している部門は作品返却もないので)。しかし、5月号の入選以来、6、7,8はすべて予選通過ということになっているので、今回も「選外」ではないような気がしていた。やはり予感は当たった。それも3次予選通過。もう一歩で入賞であったと思うと残念という気持ちと、嬉しいという不思議な感覚が交じり合う。神戸新聞の応募も残念な結果だった。こどもたちのサンバに絞ったのがよくなかったのかも知れない。今回は各雑誌にも送ったので被写体も大きく変えて出しているので、それぞれも同じような写真を送った結果となったみたいだ。ただし7月の神戸まつりは、神戸新聞は7月末締め切りで8月19日の朝刊に発表だが、日本カメラには同じ7月末に送っても8月15日締め切りで11月号(10月19日発売)である。そういうことを思うと神戸新聞の写真コンテストはタイムラグが少ないというか勝負が早いという感じである。まあもっともこの神戸まつりの写真も日本カメラの入賞かどうかというところは8月末までにはわかるということだ。5月号の写真も雪の六甲山上でのとんどの写真だから季節はずれもいいとこである9月号でも桜の写真があるから半年まえみたいなものだ。

したがって、日本カメラ9月号は5月中旬のJR六甲道北側で行われた灘区のだんじりパレード(インフルエンザ騒ぎ前)の写真を応募したものである。よく似た題名で神戸新聞で準入賞しているものがあるが別のだんじりである。入選しておれば写真掲載されるが3次予選通過なので題名や作者名のみの掲載である。

今年は5月4日の東灘区のまつりが曇り空でもうひとつだった感じで、入選となるのも「灘区」のだんじりを取り上げたもののほうが何かと評価が高い。

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2009年9月号 ビギナー部門 3次予選通過 「神戸・灘の地車」作品名・氏名のみ掲載
平成21年8月19日発売  9月号263頁 日本カメラ社

2009年8月16日 (日)

デカンショまつりに行きました

築城400年を迎えた篠山。デカンショまつりも、昨年の写真コンテストに入選していたこともあり案内なども郵送していただいておりました。

ことしは、パレードが復活したことと おどりの櫓が木造の立派なものになっていたこと。古いものでも変化するのですね

Dsc_2325_2

写真 篠山城跡 

石垣にもデカンショまつりの装飾が

Dsc_2331

写真 15日昼間に行われた櫓コンサートで

木造櫓としては日本最大級のものになった

屋根の形は篠山城の大書院と似ていると思う・・

のは私だけだろうか(リクエストに応え写真追加)

(ニコンD300 ニッコールズームAF-S18-200mm)

デカンショまつりの録音も追加しました(8月19日)

「dekanshomatsuri.MP3」をダウンロード

東京に3日ほど行ってきました

職場から休暇をいただき3日ほど東京方面に行っていました。

ところが、いきなり例の地震にあってしまい宿泊のホテルも12階ということもあり結構驚きました

今回行ったのは放送関係では渋谷のNHKぐらい

ラジオ関西の電波は結構強いといことが都内数箇所で実験

気分はBCL小学生といったところ

Dsc_2290

平成21年・第39回神戸まつりフォトコンテストに入選(2年連続の入選)

Dsc_4630

昨日(8月15日)神戸市民祭協会から大きな封筒が郵送されてきました。中にはCDらしきものも入っておりましてこれは良い知らせで、昨年より2倍以上大きい封筒なので期待した開封してみたのですが、結果は「入選」これは昨年と同じ結果です。

第39回 神戸まつりフォトコンテスト  入選 「ダッシュだ」
 神戸市民祭協会 神戸市国際文化観光局 平成21年8月14日付発表
 神戸市元町アートギャラリー展示 2009/8/28(金)-8/31(月)

今年の夏も、大阪天神祭りフォトコンテスト(帝国ホテル主催)でも2年連続「地車講賞」(講社賞)、そして地元神戸まつりのフォトコンテストも昨年と同じ入選と、2つ全く同じ結果になってしまいました。

神戸まつりには、サンバとダンシングチームKIRARAのものを応募しましたが、結果としてKIRARAのものが入選になったようです。

神戸まつりは神戸新聞の月例コンテストにはサンバの写真などを送っており、さらに各写真雑誌にもテーマ被写体をかえて応募しております。(昨年はカメラ雑誌には一切応募していないので、今年の結果に期待しているところです)

だんじり写真は神戸新聞だけでなく、結構採用されていますので、神戸まつりや天神まつりもうまく選んで応募すれば良い結果が得られるのではないかと思っていますが、さてどうなることやら。これらの結果は8月末ぐらいから現れてくるのではと思います。

2009年8月 9日 (日)

高度成長期尼崎の地車夏祭りと尼崎締め

毎年8月ごろになると頻繁に私は「尼崎市」を訪れます。というのは8月1日から2日には阪神出屋敷にあるきふね神社のだんじりまつりがあり、最近では7月30日には試験曳き・町曳きも行われることから3日間の祭りとなります。

Dsc_9402

貴布禰神社境内で準備中のだんじりと

ガラス工場の大きな煙突

(2009年7月撮影)

例年、7月末になると下見ついでに工場街を見ていくという一種の「工場萌え」的なことまでしています。
実は、今年の春武庫川の桜を撮影しに行ったとき、遠方に見える大きな尼崎の煙突が見えなくなっており、昨年西宮さくらまつりの写真コンテストで入選した「工都を望む」の撮影場所を定点撮影しようと思っていたのですがそこには見えるはずのエントツが無いのです。
マンションが建ったため見えないのかなと思っていましたが、先日阪神電鉄出屋敷駅を電車で通ると確かに以前と同じような大きなエントツはあります。ということは今年の春の疑問を改めて検証しなければと思いました
そして7月のある日、下見に行ったのですが、やはり大きなエントツは、昨年路地から見えた場所には無いのです。しかし旭ガラスの工場には立派な煙突があります。昨年の写真を見ますと微妙に形も違いますし位置」も違います。ということはエントツが建て替えられ、微妙に場所がずれたのだとわかりました

Dsc_3647

平成20年8月に撮影した煙突の写真

(煙突の場所と先端の形状に注意)

Dsc_0259

 平成21年 上記とほぼ同じ場所で撮影

煙突の位置は右側で、かつ小さく先端形状も違う

そこで早速インターネットで検索すると、尼崎市会議員の吉岡さんのブログで平成21年の1月ごろに工事がされていたということがわかりました。なるほどそれで昨年の夏祭りにはそれほど気づかず春に異変を感じたのかと納得できました。
http://ameblo.jp/ugokasu/entry-10189870473.html
見慣れぬ風景(その2)-旭硝子関西工場の名物煙突新旧交代劇-
思わず感動してしまいました。このようなものを写真に撮ろうとする人がいたとは。しかしタダモノではない感じ。思わず記事を読みまくる
そこで吉岡さんのブログでNHKの大阪放送局の「関西想い出シアター」で新日本紀行で尼崎のだんじりまつりが紹介された昭和52年の映像が放映されるということを放送前日に知りました。貴重な情報でした。
http://ameblo.jp/ugokasu/entry-10310248300.html
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200997708220130020/
なお、この吉岡さん確か以前出屋敷のカメラ店でだんじりのビデオを販売されておられた「吉岡カメラ」の関係者と思いました。かなり昔購入した記憶があります。WEBで調べるとやはり写真店を経営されていたようですから感というのは侮れないものです。
ブログの写真も貴重な画像も多く政治的にはよくわからないのですがかなり地元に愛着をもった方であると思いました

毎週土曜日の早朝にNHK大阪で「かんさい想い出シアター」という番組が放送されるということは知っておりました。放送時間帯が早朝の午前5時15分。
現在は「新日本紀行」の中で関西を舞台に撮影したものを再放送しているようです。この番組は、1963年10月7日~1982年3月10日まで放送された紀行ドキュメンタリー番組です。

テーマミュージックが印象的で拍子木の音と日本民謡を連想させ、古く自然豊かなふるさとの美しい姿をやっていたイメージがあり、高度成長期の日本を描いた番組として私が注目している番組です。
ただし、尼崎のだんじりが主役で出ている番組があったとは知らず、工場街・廃線になった旧国鉄尼崎港線の映像が効果的に使われていました。
この放送で気づいた・思い出したことです
私が、はじめて尼崎のまつりを見たのは昭和50年前後、中学生のころでした。当時神戸のだんじりは復興期にあり、現在のように綺麗に修理されたものではなく、昔のまま使っていたような感がありました。
高度成長期にはだんじりなどが高度成長期の自動車の普及により邪魔者扱いされ、曳き手も仕事に没頭される人が多く旧来の地域活動が犠牲になっていた時代でした。
神戸もそうであったように尼崎でも祭りは縮小されておりました。特にだんじりの痛みは痛々しく、油で黒光りしたような地車が(神戸・大阪と比べて)きわめて単調なお囃子で「けんか」する姿はショッキングでした。
その後、私は尼崎のまつりには良く行きました。中でも尼崎工業高校勤務の昭和63年から平成3年は、尼崎市内にも所用で回るなどそれなりの思いがありました。

だんじりを水洗いするシーンもあった。

当初、尼崎のだんじりの彫刻が怖いと思った骸骨のように朽ちたような古い鬼板(今思うとそれはそれでよいものも思うのですが)のあっただんじりはいつか無くなり、だんじりも改修を重ねられたり他地区から購入されたりと大きくまつりは変わっていった気がします。
さて、このテレビ番組でも収録されておりましたが、尼崎のまつりにはご祝儀が出ると「手打ち」(手締め)が行われています。
神戸では、だんじりの前をあげて感謝の気持ちを表すことが多いのですが、大阪や尼崎は手締めをします。
昨年の尼崎のだんじりのパンフレットでは、大阪と同様な大阪締めをするのだが尼崎は3回目はしないということが書いていました。

天神まつりでは うちーましょ( ・・ ) もひとつせ( ・・ ) いおうて三度(・・  ・)
「osakauti.MP3」をダウンロード

つまり 2回+2回+(2回+1回)の手打ちである。基本2拍子、最後は+1の3回
ところが尼崎は うちーましょ( ・・・ ) もひとつせ( ・・・ ) いおうて三度(打たない)

Dsc_4629

つまり 尼崎締めでは 3回+3回 というものであり 「いおうて三度」の掛け声の意味が 祝って3回目をたたく という大阪手打ちとは違うのであり、逆に「いおうて3度」という掛け声があるのに、3回目の拍子が無いのは変であると感じたのは私だけだろうか。

もちろんそれが伝統であればそれでもよい

「amagasakiuti.MP3」をダウンロード
私の古い記憶では、尼崎では「いおうて三度」という掛け声はなくて「きふねさんで」という掛け声だったように思う。もちろんその録音の時代が間違いなのかも知れない
しかし、このNHKの番組の手打ちは「きふねさんで」となっていた。いくらなんでもNHKが収録するときに間違えることはないだろうと思う
ここで さらに私の中であることに気づいた
これは「尼崎打ち、尼崎手締め」という独自の3拍子ではないかという仮説である。
これが もし「いおうて三度」するならどうなるか 考えてみよう。最後は大阪のように1つ追加すると
3回+3回+(3回+1回)となると考えると ・・・ ・・・ ・・・ ・
気がついたと思うがこれは東京の江戸締め(1本締め)でこれを3回繰り返すと3本締め(国技館や兜町でやるやつ)である
このテレビ番組のモデルとなったのは「中在家町」もっとも尼崎のだんじりで古い歴史の街という。魚河岸などが集中する街で、尼崎の「築地」と向き合う街
東京の築地は尼崎の築地がルーツであるという俗説がある。東京の青山のルーツも大名・青山氏これは尼崎城主。佃煮の佃も大阪の佃島の漁師が徳川家康を助けた縁とかで、江戸を開くとき大阪の佃からつれてきたというが、実は大阪の佃島は尼崎の築地の隣接地

これは東京湾の漁業権も与えられた佃の漁師が魚を取引する土地・魚河岸とは切っても切れない縁である。
ましてや、大阪から将軍家康の命により漁業権を得た佃の漁師たちが魚を取引する場所として摂津の国時代も関係深かった「築地」を選んでも不思議ではない。
現に、東京の佃にも、摂津の国の佃の神社の分霊をした神社が設けられているという。
尼崎の手打ちが、江戸に伝わって変形されたという仮説であるが如何だろうか。

私は、歴史学者でもなんでもないが 尼崎手締め、尼崎打ちは存在する。それは大阪締めではなく独自の方法である。
今年の尼崎のまつりで録音したMP3ファイルを紹介する。いおうて三度という人もいるが、きふねさんでという掛け声も混じっている。

「amagasakiuti.MP3」をダウンロード

東京の築地ができたのは佃島よりかなり後、しかも築地本願寺を作るきっかけは、浅草にあったとされる寺が明暦大火?で焼失。復興にあたったのも佃島の門信徒(摂津の国の漁師をルーツの名主クラスと思われる)だったようです。もっともインターネットで調べた情報ですけど関係はありそうに思います。単に埋立地だから築地でしょうか?大阪の佃島の周辺を江戸に再現できるのも漁業権を独占できた佃漁民の移住を考えると尼崎の築地は東京築地のルーツというのは十分納得のいく話と思います

http://www.bonodori.net/zenkoku/tsukudajima/tukudajima_rekishi_jikken.html

上記のWEBには、佃島念仏踊りの起源が解説されていますが、摂津佃と築地の関係も解説されています

追記

リンク記事の尼崎市会議員の吉岡様とも連絡が取れました。吉岡様もアマチュア無線家JO3OUGということ。やはり世の中は狭い

2009年8月 8日 (土)

東京渋谷のNHK放送センターで私の写真が展示されることになりました

作品名 「神戸御影の地車」

展示 平成21年9月3日(火)から8日(火)まで 
東京都渋谷区神南2-2-1NHK放送センター

「スタジオパークギャラリー」半切版パネルにて展示

第16回 「NHK学園カメラメイト傑作選」 入選

主催 NHK学園  後援 NHK 

NHK「旅の写真展」と同時開催

審査 児島昭雄先生 佐藤正治先生 他   
   

NHK放送センターに、私の神戸のだんじりの写真が展示されます

放送マニアの私にとってはうれしいことです

名古屋に行ってきました

数日間名古屋に行きましたので、ついでにアンテナや放送局を見に行きました

Dsc_0619

大須のTV愛知 長田のときのサンテレビみたい・・

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栄の名古屋テレビ塔

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東山公園 動物園入り口から見た東山スカイタワー

テレビの電波塔は東山タワーというのが別にあるようです

その後の写真雑誌掲載(8月現在発売中のもの)

7月中旬~8月上旬に発売された写真雑誌の結果です

雑誌「日本カメラ」コンテスト 2009年8月号 ビギナー部門 2次予選通過 「芦屋のさくらまつり」作品名・氏名のみ掲載
平成21年7月19日発売  8月号287頁 日本カメラ社

雑誌「日本カメラMOOK 楽しく覚える写真の教室」37号
すてきな写真コンテスト -もう少しです- 「神戸のだんじり」写真・コメント・氏名・撮影情報掲載
平成21年8月25日発行 第37号 110ページ 日本カメラ社

写真の教室#37に送付したのは、本年5月の東灘区本山だんじりパレードの写真。すでにこれはと思う作品は応募していたので、余りモノで6月になって締め切り直前に応募。だんじり以外も応募しているがこのだんじり写真がカラー掲載となった。ただし入賞ではないので賞金ではなく記念品。日本カメラ社のレンズクロスをいただいた。

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