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2009年3月31日 (火)

ラジオ関西で作曲家奥村英夫さんの番組が・・

月曜深夜24時(正確には火曜日の0時)作曲家奥村英夫さんの番組が放送されています。ラジオをつけると懐かしい「帰り道は遠かった」チコとビーグルスだったと思いますが昭和43年ごろのグループサウンズなどがはやった時代、ピンキーとキラーズの関西版対抗グループのようなイメージで男性のグループの中に女性ボーカルという形式でした。もちろん私の記憶にある曲です。

チコとビーグルスについては「さんちかのサテスタ」に出演されている写真を写真家の井川宏之先生からみせていただいたこともあり、当時の記憶をたどっていたところでした。この「帰り道は遠かった」という曲の作曲家が奥村先生で、この曲の冒頭にある印象的なギター演奏は奥村先生ということも3月31日の放送ではじめて知りました。すると奥村先生はジャズギター奏者・・ということは私の記憶にひとつのキーワードが結びつきました。サテスタというとジャズの小曽根実さんのハモンドオルガン。小曽根さんというとYTVの11PMの小曽根実トリオ。そのメンバーにギターの奥村さんという人が・・

早速調べました やはり直感はあたっていたのではと思います

下記の小曽根実さんの記事を参照

http://kobejazz.jp/lagy_dad/vol04.html

ちなみに 帰り道は遠かったの視聴は下記

http://www.ongen.net/search_detail_track/track_id/tr0000081384/

なおラジオ関西の番組は「おっくん、リングの楽屋」という名前です。

小曽根実トリオのメンバーである奥村英夫先生が作曲した「帰り道は遠かった」を歌うチコとビークルスを積極的にさんちかのサテスタなどで出していたのもそれなりの背景があったのでしょうね

2009年3月19日 (木)

ラジオ関西の電話リクエストのテーマ曲CD

Dsc_2042

午後7時の時報とともに 電話のベルの効果音そして独特なジャズトランペット演奏による「スターダスト」のテーマ。

開局の昭和27年のクリスマスイブに日本初の電話リクエストとして知られるラジオ関西(当時はラジオ神戸)の電話リクエスト

オープニングテーマは、そのときと同じ曲をずっと続けてきたというのはある意味ですばらしい伝統です

演奏者はロイ・エルドリッジ 曲名は「スターダスト」

輸入版CDですが入手し、間違いないことを確認しています

ROY ELDRIDGE 1943-1944 フランスのCLASSICS RECORDSのものです。(CLASSICS 920)

1943から1944というと昭和18年、昭和19年ですね。

もちろんラジオ関西は開局しておらず、戦時中ですからこのレコードは当時としてはアメリカのもので敵性品(少し表現が変?かと思うが要するにきわめて入手がむずかしいはず)のはずで、いくらなんでも昭和27年のときに改めて日本に輸入された音楽というわけではないはずですから、戦後にしてもそのような貧しく物資の無い時代に戦中レコードはどうして入手できたか疑問が残りますよね。(そんなことを思うのは西川だけだろうという反応も予想できますが)

なお、おなじみ冒頭の黒電話のベル音(3回)は曲の中にはありません。念のため。日本国内で発売されたラジオデイズというCDに収録されたCR電話リクエストのテーマは電話の音のみならず末廣光夫さんのオープニングDJ入りでしたけど

Dsc_2043

そして、エンデイングはというと これもマニアでは定番ですが、LES BAXTERのAuf Wiedersen Sweetheart 恋人よさようならと邦訳されているらしくラジオ関西の番組では良く紹介されています

これもCDで出ており LES BAXTER 「THE POP SIDE」というアルバムの10曲目に収録されています。もちろん本物であることは確認しています。EMI CAPITAL MUSIC 72435-27314-2-8という番号が記載されています。

なおこの曲の録音日はCDによりますと1952/11/6ということですから、ラジオ神戸による 日本最初の電話リクエスト1952/12/24では「新曲」だったといえると思います。この曲も別れを意味する曲なのでエンデイングにはふさわしいのですがこれはラジオ神戸の開局時代の音楽なのですね。録音状態も非常にいいので戦中作品のオープニングのスターダストと差が目立ちます。

さて、ここで私が新しい視点で、この「電話リクエスト」問題に注目してみたいと思います。現在ラジオ関西は、民間放送ラジオ局では他の追随を許さない豊富な音源を所有する放送局として知られています。しかし、開局は民間放送連盟発足当時からの最古参とはいえ昭和27年4月1日。このような放送局がなぜ電話リクエストという豊富な音源を所有する局にしかできない芸当が可能だったのかという視点で調べると面白いことがわかってきたのでここで紹介したいと思う。

実は、ラジオ神戸開局時には、音楽局としての素地ができており、このことは開局時のパンフレットにも記載されています。

このことはラジオ関西の50周年記念誌でもある程度のことが書かれており、どうやら戦前からのレコード収集家から譲りうけたレコードがありこれを開局時からのセールスポイントにしていたことは明らかなようです。私の文献調査では、どうやらこれは「藤田コレクション」といわれ結構有名なものだったらしいのです。ただしこれはどのようなものか詳細はつかめておりません。

また、開局時にはジャズ評論家として有名な油井正一氏などが係わっており、油井正一氏との関係で末廣光夫氏がラジオ関西入りし、電話リクエストも末廣氏が発案しクリスマスイブの日に狙ってやった・・ということも後日の新聞記事の紹介もあります

このように、ジャズ・洋楽を中心に始まった電話リクエストは、福田一郎・八木誠・大橋巨泉など一流の音楽評論家もDJ陣に加わるなど「洋楽のラジオ関西」を不動のものにしていきました。

また、一時期は7×7電話リクエストとして、一週間すべてが電話リクエストになり、歌謡曲の曜日もあったりしたようです。ちなみに歌謡曲は浜村純さんが担当されていたといいます。

このようなことから、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」もこのラジオ関西の電話リクエストでの紹介から火がついたというわけです。それだけ、広い範囲の音楽を扱っていた人気番組が長く続いたことがレコードの在庫量を豊富にした原因と思われます。

私も、昔ラジオ関西で「この歌あげます」という番組があり、レコードをもらったことがありますが、「非売品」という印刷があり、当時のレコード会社にとっては音楽局であるラジオ関西に相当の思い入れをもって対応していたのではと思います。すなわち、FM大阪開局までは関西エリアにおいては「音楽局」のラジオ関西が存在したということということです。後発の兵庫県域局のFM民放ラジオが苦戦し、事実上東京のFM局の中継局みたいになることは喜ぶべきことではありませんがラジオ関西の存在はあまりにも高い障壁だったということはいえるのではないかと思います。

2009年3月13日 (金)

ラジオ関西「歌声は風にのって」昭和時代のテーマミュージックのCDを入手

ラジオ関西の長寿番組として有名な「うたかぜ」こと「歌声は風にのって」神姫バス提供の番組で、オープニングやエンデイングに使われた曲というとパーシーフェースオーケストラの演奏による「ピチカートポルカ」ということは、以前からラジオ関西ファンWEBでも再三にわたり話題としてきたことです。しかし、クラシックでの「ピチカートポルカ」を聞いてもとてもこの曲とは思えずある意味で暗礁に乗り上げていたのが、この曲の存在でした。しかしラジオ関西の番組録音で聞く限りでは「ピチカートポルカ」というようにしか聞こえなかったが、そのようなCDは国内では販売されていないので、ある意味であきらめかけていた。

インターネットで、最近になってもしやと思う商品を見つけ、早速注文し、本日USAから直送されてきたものが手に入った。

SONY MUSIC COL-CD-7563 PARCY FAITH これはオリジナルLP2枚をCD1枚にして売られているが Bon VoyageというLPは1960年、Carefree 1961年というから、ちょうどラジオ神戸からラジオ関西へかわるときの時代の曲であることがわかる。

Pizzicato Polkaは、このCD15曲目でありもともとCarefree (1961)というLPの3曲目にはいっていたものらしい。

早速購入したCDを再生してみた。大正解である。間違いはない!!音質は良いがこのころの音楽というのはAMラジオの音域にあわせて作られているのかと思うほどAMラジオとのマッチングがよい。

Dsc_2039

Dsc_2040

これでまた、ラジオ関西がらみの、なつかしい音楽を入手することができた

ラジオ関西マニアならぜひ入手したい1枚である。

昔のラジオ関西では、局アナの女性アナウンサーの担当する番組であったがいつの間にかニュースを読むフリーアナや帯番組のアシスタントの方々が担当されておられる番組になったようだ。

2009年3月12日 (木)

2002年須磨の旧ラジオ関西ビル

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2009年3月11日 (水)

写真クイズ

Santika2

第1問 上記の写真の場所と名称と年代

Santika1

問2 上記の写真は、ある時代のさんちかの夢広場です

現在の夢広場と大きく違うことはどのようなことでしょうか

また 時代はいつごろでしょうか

写真提供:井川宏之先生(写真家)上記2枚

Cr1_2

問題3 上記の場所と年代

(写真 西川敏弘)

もちろん すべてラジオ関西がらみの場所です

年代は「昭和50年代」などだいたいでかまいません

おわかりの方は コメントでお願いします

難易度 難問

地下鉄和田岬駅構内ギャラリー展示(3月末まで)

地下鉄和田岬駅構内ギャラリーにて、私の勤務する兵庫県立神戸工業高等学校(定時制)の展示が3月末まで行われています。

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今回は建築科の実習作品展示が大きく人目を引いています。ここは無人展示でありパソコンや電気で動くものをもちこめないため動かない作品やパネルでの展示が主体です。

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建築科 飴野教諭の指導による 建築設計コンペの入賞作品は、定時制高校としては非常にめずらしい取り組みで、平成5年以降多くの入賞実績は(手前味噌になるのですが)すばらしいものと思います。設計図面や模型の展示をしています。

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全国で上位に入賞した製図作品です。

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これら実習作品に加え、マスコミで話題になった、国語科南悟先生の「働きながら学ぶ短歌」「震災の短歌」についても、色紙での展示がされています。

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NHK-TVでの紹介

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朝日新聞での全国版記事

そして、私も ラジオ関西「三上公也の情報アサイチ」でとりあげられたことをPRするパネルを作成しました。作成にあたり、番組ロゴなどの使用についてラジオ関西にお願いしました。

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電気科は早速、第1種電気工事士(今年度3名合格)の、実技試験見本を展示。神戸新聞記事も速報として切り抜き置いています。

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家庭科の授業作品も置いています

展示は、2009年3月末までです。

2009年3月 7日 (土)

写真作品のWEBページの新設について

2007年5月に、デジタルカメラに凝りだした。
カメラは小学生4年のときオリンパスのペン(PEN)?という ハーフサイズのカメラを買ってから地元のだんじり祭りや 個人の記録写真をとっていた。

ハーフサイズというのは36枚撮りのフィルムなら 2倍の72枚が撮れるというカメラであった。

フィルムや現像代が高価と思われる子供には魅力的 であった。

ただし、大きく引き伸ばせないのが欠点。

このカメラのおかげで須磨にあったラジオ関西見学で「奥田博之」さん を撮影したり、淡路島の岩屋にあった送信所も写したりと 今ではなつかしい記念にもなっている。

小学生時代のテープレコーダーでの生録音、AMラジオの製作や遠距離 受信は、理系技術系の興味に向かうものであり、今の私を作り上げた原因であろう。その意味でカメラとの出会いも同様であると思う。

しかし、写真コンテストなんかに応募しようとすることは 一度も無かった。それは、自分とは縁の無い芸術分野と思い込んでいたせいもある。

ハーフサイズのカメラは高校を卒業するまで大切に使った。
・・といえば聞こえはいいが実際にカメラなんかにお金は 使えなかった。

私は趣味人、アマチュア無線や電子工作にはお金を使ったが それ以上の余裕もなかった。アマチュア無線は金持ち趣味と思われる人も多いが実際にはそれほどお金はかからないと思う。

カメラについては、小学生のときは、安い白黒フィルムを好んで使った。
カラーと白黒では、お金が全然違うからである。

今の時代の白黒写真用プリンタ用紙(高価)とはちがう世界である。

フィルムカメラもコンパクトで通し、デジタルカメラの時代 になってもWEBで使う画像以上のものは求めなかった。

画素数があるものでも、WEB用にわざと小さな容量となるように撮影したこともある。リサイズの手間と撮影枚数を増やすためである。今から考えると実にセコイ話であると思うが価値観の違いと今になっては思う。

そうしているうち、2007年に富士フィルムから出ていた「ネオ1眼」
なるスーパーズーム機FINEPIX S-9000を入手した。

画素数903万画素 ズームも28-300mmでF2.8-4.9(!!)
それも非常に売価が安い。スペック値に弱い私は飛びついた。
入門1眼レフの本体程度の価格で 28-300mmでF2.8がつく
違うのはレンズが交換できないのだが、ライブビューも魅力的
(結局はその違いがわかりだし、ニコンのD80、D300に走った)

ちょうど、放送大学大学院を終え、目標資格も得た後の頃で
あったので写真コンテストに挑戦することに気持ちの余裕もあった

確かに大きな明るいレンズであり、従来のコンパクトカメラとは違うことは明らかであった。これならコンテストに出せると思い応募したものが次々と入賞してしまった。ビギナーズラッキーというべきか運命の悪戯というべきか。ここで悪い結果なら次のステップには行かなかったと思う。書籍も買い通信教育も受講するようになった。

そして、お決まりのようにカメラに関する検定試験(フォト検2級)も半年後取得した。

そうして2年近くが過ぎた。
やはり、凝りだすと収拾がつかないようになった

映像素子の小ささからくるボケの悪さ、F8以上に絞れない 「ネオ一眼」から、ニコン中級機のD80そしてD300まで買った
安くなったD300購入直後にD700が出たのはショックだったが 私の腕では、まだまだD700は贅沢だろう。

ニコンにしたのは、交換レンズの規格が古くから一貫しているように見え、古いレンズが相当利用可能ということ(ズームだけでなく明るいAF単焦点などの中古レンズなども試したいという気持ちから)

写真コンテストは地元を中心に応募できるものはチャレンジした。
非常にお金がかかる趣味である。レンズも6本以上になった。

そして、今までは写真をおまけ的にあつかったWEBページを あらためて更新していく一環として、写真ブログを思い立った

題して 「神戸の地車(だんじり)&まつり」
http://blog.zaq.ne.jp/kobe/

アマチュアカメラマンとしての出発である

写真入賞も多くなり、以下にまとめた

http://jf3mxu.g-7.ne.jp/photocon/index.html

今後 祭り以外の「動物写真」などについても まとめるようにしたいと思っている

2009年3月 6日 (金)

神戸新聞の取材

先日のラジオ関西の番組出演に関連したことで

その後 神戸新聞の取材を受け

県立神戸工業高校 生徒の資格取得関係で

近日中に記事が掲載されます

神戸市内版だとは思うのですが

3/6朝刊ではないかと思います

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