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2008年11月30日 (日)

神戸百景のラジオ関西とほぼ同じデザインのQSL(昭和38年頃)

Jocrs38

先日あるアマチュア無線関係の方から情報提供をいただいた

故山田耕嗣先生の「ベリーカードコレクション」(三才ムック)にも昭和38年発行と紹介があるラジオ関西のベリーカードである。

先日見た「神戸百景」(川西英 1962)とほぼ同じデザインである。

神戸百景展のものを撮影したものではありません

もちろん右下にあるサインと印は川西先生と間違い無いと思います。

ただし、印刷の色数が「神戸百景」のものとは違うように思うのと、JOCR 560Kc TNX FR UR QSL ラジオ関西という文字は神戸百景のものには無いので新たに作られたのかも知れません

疑問に残るのは この国際信号旗は「JOCR 560」ではなく「JOCR 1490」(つまり開局当初の周波数)ということです。もちろん素人には気がつくわけがないのですけど・・

その後 1970年代のラジオ関西のQSLは淡路島(松帆の浦)の旧送信所や、六甲山にラジオカー(ポップカー 開局25周年に生まれたらしい)の写真の時代が続いている。

また、ラジオ関西はエリア外にベリーカードを発行しない時期もあったのでこのあたりも少し深くみてみたいと思う

なお ベリーカードコレクションは三才ムック210「ラジオマニア2008」の別冊付録である。山田先生はアマチュア無線家でもあり、私も一度友人の紹介でお会いしたことがある。ラジオマニアの道では超有名人であった。最近訃報を知ったところであるが非常に残念である。この雑誌はぜひ一度購入されることをお勧めしたい。ラジオ神戸時代など昭和30年代までの民間放送QSLの図鑑である。

10月~11月に得た賞状(一部)

フォトコンテスト関係

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以上が写真コンテスト関係で、チャレンジ2年目ともなると少しは入選率が向上したようです。

このほか須磨浦山上遊園やとくしま動物園の入選がありますが前述の記事の通りです

本業の方も永年勤続・・ものすごく歳をとったみたいです。

2008年11月29日 (土)

お知らせとお願い

神戸 東灘 区内の魅力スポット

デジタルフォトコンテスト
(東灘アートマンスイベント)に

参加しています

http://www.hn-artmonth.jp/photo/
No66-70のだんじりまつりの写真
投稿者 JF3MXUというのは私です

投票数はコンテストの審査に影響されないと
いうことですが、締め切り近くに応募したこと
もあり、投票数的には遅れをとっています
皆さんのご支援・ご協力をいただきたく
よろしくお願いします

2008年11月25日 (火)

徳島に行ってきました

11月24日は、徳島市に行ってきました。

1つの目的は、とくしま動物園の写真コンテストの表彰式の参加です。

10月以降、結構多くの表彰式があったのですが仕事や用事で行けないものが多く残念な思いをしていたのですが、この日は都合がついたので高速バスで、途中淡路のラジオ関西送信所を見ながらという形になります。

早朝神戸を出るときは雨が降っていなかったものの、朝の9時ごろ徳島に着くと雨で、結局雨の1日でした。雨の中眉山に行き山頂のテレビ送信アンテナなども近くで見物。このあたりはまた別途報告します

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とくしま動物園 雨で残念・・・

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動物園ホール

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入賞作品展もやっています

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賞状は徳島市長のもの(賞状も徳島市のマーク入り)

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雨や霧で視界も最悪・・ 山頂付近から

2008年11月22日 (土)

マリア・リグレスティは1960年度花のプリンセスに選ばれた少女だった

先日行った川西英先生の「神戸百景」展
ラジオ関西の旧社屋ばかり気になり、花のプリンセスの記事の、「マリア・リグレスティ」さんを見落としていたことを後でパンフレットを見て知りました
このことはHiroさんからもコメントがあったとおりです
しかし、良く考えるとマリア・リグレステイさんはこの本の出版のとき(1962年)に、すでにそれなりのタレント活動をされていたのでしょうか?私が実際にマリアリグレステイをはじめてきいたのが70年頃の奥田博之・マリアの電話リクエスト時代ですから、あのとき少なくともタレント10年選手ならいったい何才だったのでしょうか。
それとなぜ、私がそのような展示を見逃したのでしょうか?

マリア・リグレスティといえばこのカタカナに私が反応しないのはなぜか?。本当に疲れて病気かとも思うようなミスと自分自身で思います。ということで再度調査しました。

結論から言うと、この「花のプリンセス」の版画を見ましたが外国人女性(子供も含まれる)が花に囲まれるというもので確かに絵は見ていました。解説は「1960年度花のプリンセス Maria Ligresti(イタリア)」よく読むと確かに・・マリア・リグレスティさん。

ここで、そもそも「花のプリンセス」というものを現在の兵庫県がやっている「フラワープリンセス」というものと混同していることに気がつきました。

現在の「フラワープリンセス」は、日本人の女性で20歳代中ごろの女性で確か主婦層まで入っておられたもので版画と少しイメージが違います。(当然なのですが)

http://web.pref.hyogo.jp/press/press_ac021_00003063.html

県立フラワーセンターなどで「フラワープリンセスプリンセス撮影会」などもあるため、そのイメージが入っておりました。

この「花のプリンセス」というのは世界のあらゆる国から神戸にやってきて、そこに住んでいる若い女性から選ばれ、神戸の特別な催しに参加するものというものであることがわかりました。

すなわち花の・・というのは若いという意味に通じるもので、この制度では外国人のみを対象とするものです。

花を直接対象とするフラワーセンターのようなものではなく、神戸まつりに以前あった「クイーン神戸」の時代に確か「プリンセス神戸」というものがあり、神戸市内在住の小学生から高校生ぐらいの外国の女の子が選ばれていたことを思い出しました。おそらく、そのような性格のものだったのでしょう。プリンセス神戸の前身なのかも知れません。

 このように名前もカタカナではなく、肩書きもラジオタレントとも書いていないのです。これが私が見落とした原因と思われます。

 文章も、このような制度のためいろいろな国の人と仲良くできて、このようなことをやることで戦争をなくすようになれば良いというような「日本語がうまい外国人の学生の女の子」のものでした。

 ただ、こうした経験が「また将来、神戸市のためによろこんで仕事を手伝いたいと思います」という将来を暗示するような文章につながっており、実際に神戸市やラジオ関西とつながっていったのでしょう。

 なぜ、川西英先生の絵の紹介に、その筋の一流どころ(多くは成功された方や大御所)ばかりです。マリアは元花のプリンセスという立場で書いており、成功したラジオタレントの文章ではないのです。

マリア・リグレスティさんが、ラジオ関西の電話リクエストに出られるようになったのは1964年ごろです。

1960年に中・高校生14-5才?で「花のプリンセス」になっていたというのなら、4年後の大学生時代にDJをするのは想像できることです。

増井孝子さんなども大学時代から活動されていたようですしね。
このあたりを少し深く追求してみたいと思います

「Hot・Dog PRESS」の昭和56年(1981)12月10日号に『風の歌を聴け』 村上春樹VS大森一樹」が掲載されているようです

原作者村上春樹氏(1949年生まれ)と映画監督大森一樹氏(1952年生まれ)の対談記事が掲載されているのです
ともに神戸・阪神間で高校生活までしている。ほぼ同年代のお2人の話題であることに注目したいと思います

村上春樹氏はこのなかで「ラジオ関西ばっかり聴いてた。」と公言しています。これだけでも驚きですが
大森一樹は「白藤丈二とか」と具体的なDJの名前をを出すのですが、これに対し
「それはずいぶん後じゃない。──電リク〟でしょう? マリア・リグレスティとか。」と発言しているようだ。さらに大森監督もマリア・リグレスティを覚えているのです。

このあたりに 重要なことが隠されているのです。これはあくまで私の推測ですが村上春樹と大森一樹はほぼ同年代とはいえ3才の年齢差があるのです。
ラジオを夢中になるのを中学後半から高校時代というのが通り相場の時代であるのですが、村上氏は1964年から66年(神戸高)、大森氏は1967-1969年(六甲高)と、阪急六甲―王子公園の学校があり
芦屋市に高校時代住んでおられたり、芦屋市在住というのも、私のローカルエリアということになる
(私は東灘区本山/阪急でいうと岡本になる)

このあたりを私なりに分析すると、電話リクエストに音楽評論家の白藤丈二さんが登場したのは1967年4月の改編ごろであるはずだ。大森一樹さん高1、村上春樹さんは高校を卒業された頃である。

 マリア・リグレスティさんは、「ラジオ関西50年史」に掲載の「電話リクエスト50年略史」(P150)によれば、1964年10月の改編から金曜日に登場し、奥田博之アナウンサーと最強のコンビを組むことになる。

このコンビは1970年5月の番組終了まで続いているので9年も続いたのである。電話リクエスト終了は同年4月1日にFM大阪が開局したことが関係深いと私は思っている。

ちなみにこの時代は10KW時代。翌年1971年11月にラジオ関西は20KWになったのである。

マリア・リグレスティ・奥田博之アナは曜日こそ別になったが、後継番組「ナマナマ大放送」で、それぞれ落語家・コメデイアン相手にワイド番組のラジオタレントとし出演している。このように20KWの増力前に「黄金期の電話リクエスト」は終了しているのである。

しかし、この道を歩んでいるマリア・リグレスティは、他局、大阪・京都のラジオにも進出した。またサンテレビでも番組をもった。

外国人DJ、ラジオタレントの草分け的存在といっても過言ではないだろう。

WEBページでは 東京紅団

 http://www.tokyo-kurenaidan.com/index.htm
の 村上春樹の世界「大森一樹と神戸を歩く」で紹介されている
検索エンジンで「大森一樹と神戸を歩く」で探すほうが早いかも知れない

当時のラジオ神戸の番組欄の紹介もあり、本当に良く調べられていると思います

風の歌を聴けのラジオNEBのモデルはラジオ関西であるということを裏付ける話だと思います

白藤丈二さんは、福田一郎さんの系列の方(弟子ということも聞いたことがあるが今となっては裏づけがとれない。アシスタント的行動が多かったことは事実)で、外国人歌手・グループの日本公演になると、福田・白藤コンビが解説をするというパターンも有名であった。結構ラジオ関西に長くDJ番組をもたれており「ラジオ関西の白藤丈二」と紹介されるWEBページもいくつか見たことがあるのでいかに、電話リクエストの影響が大きいかわかる。

なお、マリアの声は、1980年ごろには聞けなくなったのであるが、ちょうど奥田博之アナの声がラジオ関西から聞こえなくなったころの少し後ぐらいかとも思う。このあたりは記憶は定かではない

その後、私が最後にマリア・リグレスティさんの声をラジオで聞いたのは震災前の平成5年ごろであろうか?

それもラジオ関西の神戸空港開港を期待する番組で、「アメリカ在住でラジオ関西にも多くの番組をもっておられたマリア・リグレスティさん」という司会の永井典子さんの紹介に驚いたことを記憶している。あの舌足らずの低音のしゃべり方はそのままで非常になつかしい思いがした。

広告代理店か化粧品メーカーかは忘れたがどこかの偉い方と結婚されて海外におられるという噂を聞いたことがあったが真偽はわからない。神戸空港で外国にはいけないので、マリアの期待には至っていないのだが。いずれにしても、また番組をきいてみたい一人です。

2008年11月16日 (日)

須磨浦回転展望閣と六甲山の回る十国展望台などの比較

これは、私が撮影した須磨浦山上遊園の回転展望閣の写真。写真コンテストの入賞作品ではなく。応募段階でのボツのもの。ボツ供養のために掲載するのではなく、他の良く似た回転展望施設とを比較いただきたいと思い掲載するものです

1

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須磨浦山上遊園回転展望閣と良く似たものに、六甲山上に「回る十国展望台」という施設があった。現在は取り壊されもう無くなった

http://jiakinki.web.fc2.com/shitugi/jyukkoku.pdf
(社)日本建築家協会近畿支部 「六甲山上の展望台」
六甲山上に新展望台 若手建築家から案募集されています

回る十国展望台ができたときは1階だけで、その後2F.3Fと増築されたようだ

施行が昭和32年5月というと、今年2008年3月が須磨浦の回転展望閣営業開始50年
というから、おそらく須磨浦と六甲山上の良く似た2つの回転展望台は
ほぼ同時期に生まれたものと考えられます

http://club.kobe-np.co.jp/mint/photo/natsukashi/nosjikkoku.html

神戸新聞 ノスタル爺のなつかし写真館でも紹介されています(上記WEB)

それと良く似た建築物が三宮フラワーロード最南端東側にあった
神戸ニューポートホテル ビルの最上階の回転ラウンジ部分

紹介されているWEB・ブログは少なく貴重
http://memoriesofkobe.blog63.fc2.com/blog-entry-8.html
(近代建築図鑑)

これは、回転部分がビルの上にあるというもので
回転していて、景色を見るというもの
やはりこの高度成長期の建築物

その他 良く似たものは 私の知る限りでは近隣では
比叡山の回転展望閣 こちらは4F
ただし 現在は動いていないという情報があります

http://blog.goo.ne.jp/punyor/e/1c0e614e2b79bfe2119cab92b883464a

まちかど逍遥  比叡山頂回転展望閣の現在 (上記)

姫路手柄山遊園にも回転展望台(喫茶室?)があるという情報も聞いたことがあるのですが残念ながら入ったことはありません

いずれにしても、須磨浦山上遊園の回転展望閣は、現役の回転展望閣としては50年の歴史をもつもので、山陽電鉄直系のメンテナンスのよさ、適度に人が入り、かつそれほどブレークしないこと、新規の遊園地と競合しないことが現在の須磨浦が昭和カラーを残しながら存続している理由かとも思います。これが便利がよすぎたりすると、新しいタイプのレジャーランドと競合し、閉鎖となったりするのですから「自然が売り」の山上遊園はこのようなスタイルを続けられるよう頑張って欲しいと思います
阪神パークや宝塚ファミリーランドが閉鎖となるなかで残された昭和の遊園地といえるのではと思います

新たな疑問(川西英先生の『ラジオ関西」を見て)

これは国際信号旗で 1文字が1つの旗 この4つで「JOCR」と読むようです

Jocr

しかし、このような旗を掲揚していたからといって、いくら港町といえども読んでもらえるのはその道の人たちぐらいではと思うし、ほとんどの人は万国旗に見間違えるのではと思う。実在しない国旗であることは良く見ればわかるが一見しただけではこれでコールサインを示しているとはあまりも驚き・・やはり時代がちがうのだろうか このような旗を使うのは今や航海練習船の帆船ぐらいではと思うが

川西英先生の「神戸百景」88番のラジオ関西には、この旗を掲揚したラジオ関西(といっても実質は開局当時のラジオ神戸)の社屋を描いたすばらしい版画です。

2008年11月15日 (土)

川西英「神戸百景」のラジオ関西版画

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先日話題にしました、川西英「神戸百景」のラジオ関西の版画を見に行きました。

ラジオ関西は昭和30年ごろから、川西英先生の作品と思われるQSLカード(ベリーカード)を発行していることは知っておりました。

現在でも多くのラジオファンの方々のすばらしいWEBページでも紹介されています

http://www.sakai.zaq.ne.jp/plaza_hoso/cr%202.html

結論からいうと、このQSLカードの図柄とは違うラジオ関西の局舎(須磨の平屋建て)のものがこの神戸百選の版画には使われています。そういえば局舎をアップした版画も見たことがありますがこれとは違っていたように思えます

なお、この神戸港のQSLカードでは、ラジオ神戸があたかも神戸港の西となりで、現在のハーバーランドあたりにあるかのようなイメージを持ちますが、実際は須磨にありましたから神戸港のとなりにあるようなこのQSLカードのデザインはいくらデザイン上のデフォルメとはいえ、少し因縁を感じさせられています。

なお、神戸港の版画で、海岸にラジオ神戸を描いた上記のWEBぺージに紹介されたQSLは間違いなく川西英先生のものということが理解できました。というのも作風だけでなく作者のマーク(版画ですので別の印鑑を押していたとは思えませんが)が川西英先生のものと理解できたからです。展示の100枚に同じマークがあるわけですから気づいたわけですが。

是非、ラジオ関西ファンの方々にはこの機会にご覧いただくことをおすすめします。新しい発見として、当時のラジオ神戸の社屋は平屋建ての社屋ですがこの版画の説明によりますと洋風で万国旗のような旗を掲揚していたようです。万国旗というと今では小学校の運動会で見る程度ですが、当時の感覚では商船などの船舶に見られる船のマストなどにも通信用として掲げる信号用の旗があり港町神戸の放送局として庭にはこれらをデザインしたマストのようなものがあり万国旗のように見える信号の旗と当時のラジオ神戸の旗が掲揚されていたような感じであったことがわかりました。

(注 この記事を書いたときには見学時メモをとっていなかったため、万国旗みたいなものという表現をしていましたが、正確には、「国際信号旗」という解説がありました。このことはマトリックス昭夫さんからのコメントをいただいた通りです。)

ただ、このようなコールサインを示すという万国旗のような信号旗が、いつも局舎の庭に掲揚されていたかというと、正直いって確証はありません。この版画のための脚色なのか、また特別な日だけに表示していたのかもしれません。

なお、文章を書かれた方は前述のとおり坪田耕吉氏で、文筆家・歌人・新聞記者のイメージなのですがよくわかりません。当時の肩書きは「朝日ビルデイング取締役」とあるので別人か、それともサラリーマンと2足のワラジだったのかもと思います。この神戸百景には、永田耕衣氏もコメントを寄せられていますが、永田耕衣氏は俳句の世界では著名な方ですが、兵庫県立工業学校卒業で企業勤務(工場の部長職)という職業を持っておられたような時代です。

http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/marumaru20081025.html

参考までに 神戸新聞記者クラブの記事を上記に紹介します

そういえば川西英先生も兵庫県立商業学校出身者と書かれていました。戦前期の県工、県商というと、中等教育学校(旧制中学の扱いで神戸1中や師範学校などと同様に)は中等教育への進学者が少ない時代ですからそれなりに凄い、今とは違う時代だったのだと思います

また、この日は兵庫駅に寄り、山陽電鉄の「電鉄兵庫駅」跡地にある神戸市立兵庫勤労市民センターに立ち寄りました

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地図でみると良くわかるのですが、結構広い道です。昔は兵庫駅からは市電も出ており、新開地-楠公前などを通り元町・三宮を結んでいたようです。すなわち山陽電車と阪神、阪急を結ぶ交通手段として神戸市電の役割があり、神戸高速鉄道はその役割を引き継いだものということがよくわかります

川西英「神戸百景」にラジオ関西(須磨時代)が

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ラジオ関西ファンのみなさんへ耳よりなお知らせです。

神戸を代表する版画家・川西英先生の「神戸百景」(画文集)は1962年に発行されたものですが、こうべまちづくり会館の開館15周年を記念した企画展が開催されていることを神戸市営地下鉄の駅に置いているチラシで知りました。なんと、この88番に「ラジオ関西」というタイトルがあるのです!!。この画文集が発行された1962年(昭和37年)は、高度成長期、ラジオ神戸からラジオ関西になったのが1960年ですから、このラジオ関西という版画も須磨時代の平屋建ての時代と思われます。文章を寄せておられるのは坪田耕吉氏ということです。神戸ゆかりの歌人がどのようにラジオ関西を評しているのかもぜひ知りたいものです。ある意味で贅沢・貴重なものだと思います。

当時のラジオ関西は関西テレビの創設に参画し、ラジオ関西の社長が関西テレビの副社長だった時代だと思います。「電話リクエスト」など、ある意味で全盛期のラジオ関西が神戸百選に選ばれていても不思議ではありません

平成20年11月13日から25日まで神戸元町商店街4丁目にある「こうべまちづくり会館」です

詳細は

http://www.kobe-toshi-seibi.or.jp/matisen/0urban/urbantalks/ut134-0810.pdf

上記の3ページ目に紹介記事があります

残念ながらラジオ関西のことや作品一覧はありませんが。

私もぜひ近い内行ってみたいと思います

ラジオ関西は神戸百景の1つだったのですね。ひとつ賢くなりました。六甲山、有馬はもちろん、先日来話題の須磨浦山上遊園にある「須磨浦観光リフト」なども入っています。

2008年11月14日 (金)

須磨浦遊園に行きました

須磨浦山上遊園という会社名と思っていたが良く見ると須磨浦遊園株式会社。この写真コンテストの表彰式はなく、指定された期間内の都合の良い日に伺うという形である。夜間勤務ということもあり昼間の授業を引き受けていない日の早朝須磨に向かった。

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事務所は須磨浦公園駅のそばにあり、記念品などをいただくと山上の展示場もご覧になってくださいということで来賓カードを貰いロープウエイで山上に。回転展望閣は、これもなかなかの味のある建物である。昔六甲山上にも回る十国展望台というものがあったが今となれば懐かしい感じ。何か良く似ているのではないかと思うがすでに六甲の展望台はなく記憶もあやしくなっている。

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ここの須磨浦山上遊園のシンボル的存在の回転展望閣の3階にはビューフォトコンテストの展示がされています。ラジオ関西・サンテレビの後援もしっかり看板に書いてありますね。

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これは須磨浦山上から見た旧ラジオ関西の須磨本社あたりです。このすごいビルが元レストイン須磨といえばわかるでしょうか?。陸橋も元の画像ではきちんと見えますが、ここでは縮小をしていますので少しつらいかとも思います

Photo_4

最後は、帰りの高速神戸駅で見つけた看板です。これは前回の「花隈駅」にあった看板の阪神電鉄バージョンというべきもので「大石」という表示が残っています

2008年11月13日 (木)

写真作品展示のお知らせ

先日の神戸新聞記事での入選発表後、しばらくしてから須磨浦山上遊園からハガキが届きました。複数応募のためどのような写真が入選したかわからなかったのですが、やはり「神戸サンバチーム」のものでした。

良い知らせ(入選通知)は続くもので、この数日間で下記3つの写真コンテストの入選・入賞が判明しました。

作品は下記の要領で展示されますので興味のある方はご覧いただければと思います

第12回須磨浦山上遊園ビューフォトコンテスト 入選「50周年記念イベントにて」
(須磨浦山上遊園ふんすいランドでのステージで神戸サンバチームの演技を撮影したもの)
主催 神戸新聞社・山陽電鉄・須磨浦山上遊園 平成20年11月8日神戸新聞朝刊掲載
作品展示 平成20年11月10日から28日まで 須磨浦山上遊園 回転展望閣内

第11回とくしま動物園写真コンテスト 入選「慕う」(徳島市長賞状が貰えるようです)
(シカの写真です)
主催 徳島市・とくしま動物園 平成20年11月10日連絡 同11月24日表彰
作品展示 平成20年11月22日から平成21年2月1日まで 徳島市とくしま動物園内動物園センター
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/zoo/contest/shashin_11/index.html

平成20年 秋華祭写真コンテスト パレード写真賞「おまつりパレードの情景」
(神戸市中央区で毎年10月に行われる秋華祭のパレードを撮影したもの)
神戸市中央区役所・秋華祭実行委員会 後援 神戸新聞社 平成20年11月12日連絡
作品展示 平成20年11月19日から12月4日まで コミスタこうべ 
12月9日~25日神戸市中央区役所1階ギャラリー

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2008年11月 9日 (日)

2日連続「山陽電鉄」の話

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(山陽電鉄 須磨浦公園駅 2008/4撮影)

前回に引き続き「山陽電鉄」関係のネタになります
山陽電鉄は、ラジオ関西の前身であるラジオ神戸設立時にも尽力された企業で現在でも神戸新聞グループとはいろいろな意味で縁のある企業だと思います

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(須磨浦山上遊園2008/5 記事中のフォトコン作品ではありません。会場内の「旗」に注目)

須磨浦山上遊園での山陽電鉄グループと神戸新聞社が「主催」となり、ラジオ関西、サンテレビが後援となるイベントがあり、
第12回となるビューフォトコンテストは、ラジオ関西ファンでもある私が注目する「数少ないラジオ関西後援のフォトコンテスト」です(私の知る限りでは3つあります)

Photo_4

実は今年も発表の時期となり、11/10から入賞作品の展示なので、通知が郵便で届かないということは今年はダメだったのかと思いながら前回の山陽電鉄の記事を書いておりました。
そして、11/8の神戸新聞朝刊に、須磨浦山上遊園のビューフォトコンテストの入賞者氏名が発表されているのですが、私の名前が入選者として載っていることがわかり「あきらめは間違いだった」ということがわかりました

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(神戸新聞 11/8)

この写真コンテストなのですが神戸新聞社は「主催者」で、昨年の審査員は神戸新聞の写真部長さんでしたから「入選は新聞発表、本人にも通知」というのは、新聞発表というのがメインというか優先されるのだなあとわかりました。そういえば、神戸新聞読者の報道写真コンテストの入賞でも、私に通知が届いたのは新聞掲載日1日後でしたから「新聞」が最新情報になる仕組みがうまく機能していると思いました。
そのようなことで、すでに記事を見られた方々から見ましたよというメールもいただき神戸新聞記事というのは本当に良くみられているなあと思います。そのようなことで、昨日の時点では全く述べられていないのはそのような経過であったからです。

今回の記事は、ひさびさにメール反応が多かったネタでして、くわしいことについての問い合わせ(当時の写真などを含め)がありましたので、いろいろと検索した結果、下記にくわしくすばらしい解説や、貴重な写真、図表類がありましたのでご紹介させていただきます

山陽電鉄 旧線跡
http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/yumeato/sanyo/page01-p.html
山陽電鉄(神戸高速開通前夜)
http://www.geocities.jp/zouketu1/sanyo/sanyo1.htm

山陽電鉄・71年7月
http://www7a.biglobe.ne.jp/~rre/prvrm/syr1/syr11.htm

「直流1500V電化の山陽電鉄と直流600V電化の神戸市電が平面交差するため、デッドセクションが用いられていた。そのため特に神戸市電の車両は、交差地点を通過する際に立往生しない様、十分に加速させてから通過していた。」

写真が紹介されているページ

http://oimactaka.blog.hobidas.com/archives/day/20061130.html

http://satoyama.in/auto/sharyo/auto135.html

このように、山陽電鉄兵庫駅、長田の山陽電鉄と旧神戸市電のゴールデンクロスについては多くの記事があるようです。
さて、このゴールデンクロスは結論からいうと電気が両者とも流れないというか電圧の加わらない「死電区間?」があるのですが 慣性力利用としても何せ、スピードが必ず出せるわけがない駅近くの混雑区間です。電車が止まってしまうこともあったようです。

さて、このような場合どうしたでしょうか?。インターネットを検索するとさまざまな説があるようですが、私が先日ある工業高校電気系教員の大先輩にお伺いした話は、なるほどと思う話でした。

インターネットの中で流れている中にある解説と同じようなものでしたが、みなさんはどうされていたと思いますか?コメントやメールをいただければと思います

2008年11月 8日 (土)

7月21日記事の花隈駅看板の解説

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この画像はこのブログの7月21日付け記事で紹介した、神戸高速鉄道「花隈駅」にある看板です。

これについて、先日ある方から「何がおかしいのかよくわからない」とメールをいただきました。そういえば反応がなかったので解説をするのを忘れておりました。

まず、現在山陽電車は阪急の乗り入れは「阪急三宮」はあるのですが、「六甲」には行っておりません。山陽の車両は短く(普通車3両編成もある)阪急の8両編成(神戸線10両編成なら三宮で2両を切り離す)とは差があるのでこのような看板があるのです。三宮で阪急の車両に乗換えすれば六甲には行けますので、この看板は「間違い」というようなレベルではありませんが、古い事情を知っている人たちには「まだこの看板があるのか」と思うような看板だからです。

現在でこそ、阪神梅田行き直通特急は別として阪急方面行きは「阪急三宮行き」が一般的な山陽電鉄ですが、以前は「阪急六甲行き」が一般的でした。阪急六甲まで乗客を運び、方向転換は、さらに先の阪急御影駅付近にあった待機用線路まで行っていました。現在では阪急三宮で乗客を降ろしてから3-4分後には姫路行きホームで乗客を乗せますから春日野道付近の線路で折り返していると思います。現在では、阪急は「新開地」行き、もしくは「高速神戸」行きの電車しかありませんが、山陽へも乗り入れしていた時代がありました。阪急、阪神とも「須磨浦公園行き」というものがあり、現在のような阪神電鉄の姫路行き直通特急というものはありませんでした。現在でも阪神特急で「須磨浦公園行き」があり、当時の待機線路で方向転換する様子が現在でも見れます。

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(写真) 現在の須磨浦公園駅西側待機電車 

山陽電鉄は阪神へは現在の駅名でいうと「大石」までの乗り入れで「大石川」(実はそのような川の名前ではなく本当は都賀川なのですが国道電車/後の阪神バスが大石川だったので子供の私は大石川と思い込んでいました。阪神本線の大石の駅名も大石川だったかそのあたりは曖昧です)。いずれにしても同じ灘区内の駅ですが、阪急「六甲」のほうが東です。つまり、昔は山陽電鉄は、阪急の乗り入れのほうが遠くまで営業していた時代があり、その時代は阪急御影付近(東灘区)で山陽電車が折り返し地点まで走る姿が見れたのです。

なお、高度成長期時代、神戸の山陽電車を語る上で、すごいスポットがありました。神戸高速線ができてからは山陽電鉄の起点は「西代駅」ですが、それまでは兵庫駅(JR兵庫駅北)でした。その兵庫駅から長田のあたりは、道路上をあの形の電車(路面電車でなく普通の近郊用電車)が走っていたのです。ちょうど現在の滋賀県の浜大津あたりのイメージを考えていただければいいのではと思います。

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(写真) 2008.10 大津市内で撮影

さらに、それだけでも驚きだと思うのですが、実は現在の高速長田の交差点は、当時「神戸市電」が走っており、なんと神戸市電(低圧系車両)と、高圧系車両の山陽電鉄の線路がクロス交差(?なんというのでしょうねダイヤモンドクロス?)する場所があったのです

さて、その場所を通過するときどうしていたのでしょうか?

普通に電気を流していれば確実に問題がありますからね・・

かといって 電気がなければ 電車は動かないはず・・

電車の平面交差は、阪急西宮北口にあった、神戸線と今津線のダイヤモンドクロスが有名ですが、こちらは同じ阪急電鉄どうしですから 電車の型名は違っても送電系は同じタイプでしょう。なお、現在では今津線は西宮北口―今津と西宮北口-宝塚と電車そのものが別になっており神戸線とクロスしておりません。

私は、その当時には、電車や電気の知識がなく、確かめながら乗車した経験はないのですが・・最近その話を伺う機会がありました。いったいどうのようにしていたのでしょうね(またこの話は後日)

2008年11月 2日 (日)

三木に行ってきました

三木に行ってきました

昨年から非常に良く伺うようになった三木市
11月1日~2日は三木金物まつり 昨年は18万人を集めたという三木市の大きなイベントです。
昨年、三木金物まつりの写真コンテストに初回参加で入選させていただいたこともあり、今年は上位を狙いたいと思い今年も伺いました

エフエム三木吉川中継局開局
Fm

中継局は5Wで同一周波数で開局というお知らせの張り紙

公式WEBの記事
http://www.fm-miki.jp/osirase/yokawatyukei.html

しかし おかしな道具が写っています これはサスマタでは?

サスマタ(刺股)とは、あの時代劇なんかで「御用だ」と捕物で使われる道具・・・最近では防犯用具として認識されていますよね

なぜこのようなものが「金物まつり」に そういえば会場内でもいくつか見たように・・・いくら金物だからといっても少し気になります
そういえば 警備の人たちも非常に多いことに気づきました

改めて看板類を見ると 三木金物まつりに脅迫状が届いたみたいで、市は警備を強化した上で、予定通り開催したようなのです

(下記は、そのことを伝える神戸新聞記事へのリンク)

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001546718.shtml

Photo

三木の金物というと のこぎりのほか包丁など、刃物類を扱うもので
商品そのものが凶器に利用されてしまう可能性があるのです

「秋葉原みたいに…」という脅しやいたずらは、悪質卑劣なものです

さて 写真コンテストの方はうまくいっているものばかりではなく、神戸港や神戸市北区のフォトコンテストなどは地元といえどもリベンジかなわず。来年以降に持ち越しとなっています

一方 10月は その後入賞通知が1通届きました

第4回 モンキーフォトコンテスト デジタル部門賞
 財団法人日本モンキーセンター 平成20年10月連絡
 
これは犬山市にある施設なのですが、他の動物園の動物でも良い
さらに、どのような動物でもよいという懐の深いコンテストです。
私は、神戸市や大阪市の動物園で撮影したものを猿を中心に送ったのですが 入選したのは王子動物園のカリフォルニアアシカのものです。

平成20年4月中旬桜の花が散るあしか池で撮影したもの。
デジタル部門賞の3作品に選ばれたのは自分でも不思議です

私は動物写真関係は、王子動物園(平成19年)のアシカ、東京都江戸川区自然動物園(平成20年)のオタリア(アシカの仲間)と、アシカ類と縁があるようです。

調べますと今回のアシカは偶然にも王子動物園(平成19年)の入選
作品のときと同じアシカを撮影しています。勿論年度季節も別ですがまつり(ダンジリや各地の市のイベント)といい、何か縁のあるもの・・というより自分の思い入れがあるものが得意の分野になっていくのでしょうね

地域でいうと 三木市、明石市、神戸市、尼崎市に偏向している
ようで、飛び地的には東京都の入選が目立ち、逆に相性が良くないのは小野市というところです。

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