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2008年2月 5日 (火)

神戸近辺の鬼は良い鬼が多い・・

先日の節分(2/3)はあいにくの雨で、社寺で行われる予定だったイベントにも大きな影響があったようだ。私は湊川神社に行っていましたが「豆まき」は雨天により撒くことはせず袋に入れて並んで年男・福娘から手渡しという形になっていた。本殿での弓の神事なども行われた後、事故など起こらないよう警備も念入りである。小雨の中豆を撒くと紙袋入りとはいえ食べ物であるだけによろしくないし、傘などを広げられて受け止めようとする人が現れると危険でもある。

さて、節分というと豆で悪い鬼をやっつけるというのがお決まりのことである。

ついな(追儺)のな(儺)はニンベンに難と書いて「おにやらい」を意味するもので、人(ニンベン)の受難を追い払う=鬼を追い払うという意味だけを示すことが一般的である。事実広辞苑をはじめとする辞書類には追儺をそのように捉えた記述しか見当たらない。そこには「鬼=悪魔のように禍をもたらすもの」という鬼のイメージがある。

しかし、神戸周辺の文化は少し違うようである。

たとえば、長田神社の節分祭で行われる「古式追儺」に出てくる鬼は、神の使いであり、節分で豆をぶつけられるような可哀想な役ではない。

くわしくは「長田神社 古式追儺」などのキーワードで検索すればご理解いただけると思うが 神の使いである良い鬼が、人を苦しめる悪魔(鬼ではない)を退治するという筋書きである。 

この良い鬼が、神や仏の使者で、悪霊を退散するという考えは 1月の神戸市西区 太山寺(国宝)の追儺でも同じである。里にはびこる悪霊による禍を鬼が退治、すなわち鬼追いとは鬼が追われるのではなく、鬼が(悪霊などを)追うのである。鬼が村人から感謝され、鬼に餅を差し上げる。鬼は喜び餅を割り切り、喜びの踊りをし、名残惜しく山に帰るという筋書きには「鬼は悪者」という意味は感じられない。先般うかがった三木市の大宮八幡神社・月輪寺の神仏習合による「鬼追い」も多くの共通点がある。これらの神社や寺院では鬼はお使いなのでVIP待遇である。さらに子鬼なども出るが、良い鬼なので出る子供たちの表情も明るく親や地域もその伝統を支援しているのである。

神戸市近辺には他にも同様な例も多く、それらは「神仏習合」の色彩も感じ取れる。長田神社の古式追儺も元は薬師堂?だったと思うが佛教寺院の行事を引き継いだと聞いたことがある

八幡神社の祭神である八幡様は「八幡大菩薩」として佛教界の地位もある。大日如来様も「オオヒルメノミコト」として祭られるなど、明治以前の神仏は境界線が限りなく無く、「神が仏を守り、仏が神を守る」世界であったという。しかも 平安以前では「鬼」も「鬼神」であり、仏の使いである。「鬼籍の意味」や「鬼瓦が魔よけの意味」もそう考えると納得ができる。

神戸の地車(だんじり)の屋根正面には「鬼板」「シシガミ」といわれる鬼が睨みをきかせているのは魔よけではないかと思った。(ちなみに、この鬼板は、岸和田など泉州のだんじりにはあまり見かけないもので、摂津ではよく見るもので、神戸の地車では鬼板はシンボル的存在である)

なお、鬼が良いものというのは兵庫県全般ではなく神戸周辺の一部であり、加古川になると「悪い鬼が仏の力で改心し、良い鬼となって悪霊退治・・」と神戸近辺の古式追儺とは微妙に鬼が悪者になったところもあったり、神戸市北区の弓の行事で的に「鬼」を封じ込める(=悪い鬼)というものもありますので伝統行事といえどもすべて鬼が良いものとして扱われているわけではないようです

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