2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月17日 (木)

ラジオ関西の不思議な番組

水曜深夜1時から30分間、ラジオ関西で不思議な番組が放送されています。ちょうど私はその番組を聴きながら書き込んでいます

番組の名前は「夢の続きは耳元から」(公式WEBではスペシャル?という文字もあるが・・)

なんと30分間往年の歌手(日によってかわる)の曲をノンストップでDJ無しで放送。(CMもなし、MCもなし)どこかの有線放送か、衛星放送ラジオみたい。

今日の特集は「渚ゆうこ」高度成長期マニアにはたまらない選曲である。

ベンチャーズメロデイも懐かしい。

先週は「三波春夫」さすがにこれには驚いた。東京五輪や大阪万博の曲は歌謡曲というより「民謡」「浪曲」「音頭」の類にしか聞こえない。

「オリンピックの顔と顔」「1970年のこんにちは」特徴ある歌詞にリアルタイムで聞いた記憶が蘇る

しかし、今の歌手には無いような個性や歌もむずかしく、良く聞くとうまいものだと思う。しかし、イントロだけ聞くと「東京のお方もソレソレ・・」あっこれ、某MBSの深夜番組のコーナーで使われていた曲やったと気づく。曲名は不明だが・・

何がかかるかわからない音楽番組。人間の声は「夢の続きは耳元から」という冒頭のタイトルのみ。しかし本当に不思議な番組である また聴いてしまう。

2008年1月 6日 (日)

三木市の公式ページで紹介されました

三木市金物まつりのフォトコンテスト入賞作品のページが公開されました

下記のリンク先に写真も紹介されています

http://www2.city.miki.lg.jp/miki.nsf/cf6cfa88c407676349256f23001a1a38/82abd75779b720aa492573be0081d38f?OpenDocument

画像の比較実験

Img_0115 左の画像は、前回お話した2台のデジカメ。ニコンのものは正真正銘の一眼レフ約1000万画素。それに対しフジフィルムのFINE-PIXは900万画素で外見や操作は一眼レフであるが、ネオ一眼というレンズ交換はできないもの。雑誌ではスーパーズーム機に分類されたり、コンパクトデジカメの仲間とされることもある。写真では同じぐらいの大きさに見えるがフジのは28-300mm換算(35mm換算)。それに対しニコンのD80についているのは18-70mmと表示があるが、実は35mm換算では1.5倍しなければならないので27mm-105mmとなるので、これを超えるものはレンズ交換となる。しかもフジは重量も軽い。実はこのフジの本体価格は、このニコンのレンズぐらいの販売価格である。といっても、このネオ一眼は安いといっても、いわゆる一眼の入門機+低価格のレンズキット付きより少し安い程度である。ファインダーも鏡のものではなく電子化されたもので、液晶を見ながら撮影できたり、露出補正をかけた状態を見れるというのが発売当時の売りであったと思う

これだけを見ると私がはじめこの機種を選んだ理由がよくわかると思う。

次に画像を同じものを同じ条件で撮影してみると意外なことになる。撮影モードは絞り優先でF4.5にして撮影したものです

Dscf0416

まず フジのネオ一眼から (画像の内容は私の身の回りにあったものを。。 前列にピント位置にしていますが)

--------------------------------

次に 一眼レフのものでは

WEB用ですので、かなり縮小しておりますが、クリックしますと大きくなります。

Ssc_0602_2

 

その結果フジのネオ一眼では前列の画像と後列の画像がそれほどかわらず映ります。それに対し一眼レフでは、前列ははっきり映り、後列は明らかにボケが出せています。WEBで見やすい画像と、写真プリントに出したもので綺麗な画像となるのは違うようです。

なお、ネオ一眼のレンズの明るさは開放F値がF2.8 上記の一眼レフのレンズの明るさの開放F値はF3.5という条件でやっています。しかし実際神戸港などで日中撮影しますとさすがに一眼レフは、違った良い写真になります。というのも一眼レフではF16とかF20というような絞込みが可能になるのですが、ネオ一眼ではF8やF9ぐらいしか絞れません。これは、レンズの構造などを見ればなんとなく納得できます。デジタルズームなんかですとさらにフォーカス・ピントが甘くなっているように思えます。

最近では、コンパクトデジカメでも1000万画素を越えるものもありますが、確かに大きく印刷するときは有利でしょうが、画素数の大きさときれいな画像というものも違うようです。重たい交換レンズを持ち歩くのもそれなりに意味があるのだと改めて思います。

なお、上記の2台のカメラを並べて撮ったのはキャノンのコンパクトデジカメです。私は特定のメーカーをそろえているのではなく買うときはスペックの数値を見るようです。そのため感覚的なことや、意外な落とし穴にはよくひっかかり失敗して気づくものです。しかし、失敗は成功のもと、失敗してはじめて身をもって理解することも多くありますから

(1/6 実験画像を変更しました。出来る限り同じように映っているようにしたつもりですが)

2008年1月 5日 (土)

年末の機械トラブル

やっと年末年始モードから日常に戻りつつある感がするが、この時期私は何かと機器のトラブルに遭遇することが多い。たとえば趣味の無線機やアンテナなどは普段あまり頻繁に使用していないせいか、ひさしぶりに調整すると、メンテナンス不足のため急に部品を取り替えたりしなければならないことが多い。アマチュア局も開局30年を迎え、当時の無線機が現役で使用できるものもあるのは最近のパソコンやデジカメの買い替え頻度から比べると良く修理して使っているなあと思う。真空管や初期のトランジスタ製品は回路がわかるものにとっては自分で製作や修理技術も学べる趣味で、自分で電波を出しているという実感もわく。

それから比べると今回の年末・年始は悲惨である。パソコンやデジカメの調子がおかしいのである。パソコンは何とかなるが、デジカメのような精密機械は手に負えない。「お正月を写そう」の古いTVCMが皮肉にも思い浮かぶが、そのメーカーの商品である。ただし、消耗部品ともいえるものであり私の使用頻度から言っても文句の言える筋合いではない。

ただ、メーカーの対応はすごく良かった。持ち込みで30分修理ができるとあるが、この年末にどうだろうかと疑いながら大阪の本町まで行ったのであるが即座に修理料金の見積もりが出て「修理OK」となると30分で出来たのである。このカメラはネオ一眼レフでそれほど高くはないが、性能的には(一部を除き)満足している。最近購入したサブ機は、比較的高価なニコンD80であるがレンズもあまり良いものをもっておらず、安価であるFINE PIXのネオ一眼の方をメインとして選択し続けている。もともと、写真は綺麗に写ればよいという感覚なのでF2.8の明るいレンズで28mm-300mm相当を一本でできる。それも単3電池で使えるという理由だった。レンズも変えない方が便利という感覚だったからである。結局購入してもすぐ使わず、使い出したのは昨年の5月のだんじり祭りぐらいである。それまでは、画質が良くてもWEBでは小さい容量の画像としてきたので、わざとリサイズの手間のかからない小さな容量(0.3M以下)の撮れるコンパクトデジカメを選んでいたのは今から思うと反省点も多い。これがフォトコンをやりだした(なぜかはまた後日)とたん、A3やワイド4つ切り出力が出来るよう一枚5Mバイトのファインモード(900万画素)で撮りだした。

そして、価値観も少しずつ変わった「きれいな画像」より、うまい「ボケ」の出る画像が求められ、これがフォーカス・ピントが強くハイコントラストの画像も求めるようになった。絞りもF8で十分と思った感覚もくずれてしまった。

しかし、半年に8つの入賞を与えてくれたカメラを死なすのは心苦しい。お金がかかってもいいから修理を・・修理不可能なら同じものをと、まるでペット動物の病気と思うようになった。これは今までの機械に対する感じを変えてしまったことに気がつく。古い時代の無線機器やアンテナは、自分である程度修理していたが、無理とわかると新しいものを手に入れた。

むしろ古いものを捨てるのが美徳と感じるようになっていた。

趣味についてであるが、何か価値観の変化を感じさせられる問題であった。

2008年1月 3日 (木)

明石のラジオ塔(石で作られた「ラヂオ塔」)

Radiotou

先日、知人から明石市内に「ラジオ塔」があるという話を聞いた。
明石にラジオの送信所があったという話はあまり聞いたことが無いが
ラジオ関西でも須磨時代と淡路島しかしらないし、NHKにしても話がおかしいしかも場所が「明石遊園」内にあるという。

これも今となっては謎が深まる。

そういえば、山陽電鉄の駅に「遊園地前」という駅があったということは聞いたことがあるし

その場所を調べるとどうやら、人丸前と明石の間にあったというが 現在の明石と人丸前は十分短い距離なので、ここに駅があったというのも謎が深まる。
それに、その場所は現在どのようになっているかということも興味深くなった。
結果的に、現存するラジオ塔は発見でき「明石遊園地」も少しはわかってきた。
ラジオ塔は正しくはラヂオ塔という昭和初期のもので石で出来ているもので高さは5mもないものであった。
結論からいうと 確かにラジオ塔なのであるが、ラジオ局の送信タワーではない。

石で送信アンテナのタワーが作れる訳が無く、この高さでは波長の関係からも無理がある。
どうやら、ラジオが普及していない昭和初期に、ラジオの受信機をこの灯篭のような塔に置き公衆の前に放送を流したものであるということが理解できた。

一方、この明石遊園とは、現在の山陽電鉄人丸前駅の南側、ちょうど国道28号線に沿う形で中崎公会堂の近く、住所でいうと明石市相生町2丁目~1丁目になる場所で、現在も公園のような形で残っていますが現在の「遊園地」という言葉から想像するような観覧車はおろか児童公園のような遊具さえもほとんどありません。

施設は花壇と噴水・ベンチというもので規模も大きくありません。
ラジオ体操を行う広ささえなく、なぜこの場所に設置されたのかは疑問も残ります

ひとついえることは、神戸市役所南側の「東遊園地」も、現在の感覚で言う「遊園地」とはイメージが違いどちらかというと「市民広場」というようなものです。この感覚でいうと明石遊園も「市民広場」というべきものを、「ラヂオ」の時代は「遊園地」と言っていたのではないかということです。

現在では「テレビ塔」「ラジオ塔」といえば送信タワーを想像します。

戦後、テレビが出だした頃には庶民のものではなく「街頭テレビ」なるものが人の集まるところに置かれたということは、私でもいろいろな雑誌などで知っておりましたが、ラジオが出だした頃には、街頭ラジオならぬ「ラヂオ塔」が設置されたのでしょう。外観は石灯篭のようなもので、そういえば、このようなものを塔というのもわからないではありません。

建築物の五重の塔もあれば石碑の塔なんかは史跡でもありますしね。
Dscf1100

ただ、ラヂオが出たときは、このような神格化した塔に、受信機が鎮座したのかと思うと大切にされたのだなあと思う一方で、真空管の時代ですから高圧も使いますので屋外使用としては雨風対策、電力供給など大変だったのだろうとおもってしまいます

Dscf1101

また、山陽電鉄の駅に「遊園地前」があった時代は、現在の山陽電鉄の明石駅、人丸前駅のあたりは現在と位置や軌道ルートも違っていたようです。

まだ、路面電車のような時代であったのでバスの停留所程度の間隔で走っていたことも調べるとわかってきました。

また、明石遊園は現在の国道28号線ができたとき何らかの拡張工事等で、今のような狭いものになったのかもと思うようになりました。中崎公会堂などもあり、街の人が集うことができた場所であるからこのような、ラジオ施設を設けるようになったのでしょう

現在の姿や、現在の常識だけで考えるといけないことに、ふと気がつく問題でした。

今年最初の書き込みということで、遅ればせながら新年あけましておめでとうございます

古いことばかりこだわる私ですが、今年もどうぞよろしくお願いします

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »