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2007年3月 4日 (日)

神戸市東灘区の不発弾処理

Photo_28 この数日、ラジオ関西では頻繁に報じていた、神戸市東灘区青木(おおぎ)の不発弾処理。この写真は午後2時すぎに現地撮影したものです。本当に無事に終了してよかったと思います。第二次世界大戦中、この近くには軍需工場があったため戦災もひどかった場所とは聞いていましたが、良く今まで無事だったなあと思います。くわしくは下記、神戸市のWEBで

http://kikikanri.city.kobe.jp/ougi/index.html

Photo_29

私も東灘区民で、この近くには良く行きますが本当にびっくりでした。国道43号線も2番目の写真のように通行禁止。近くの道路の混雑や、住民避難、取材ヘリの音など、私にとっては平成7年の阪神淡路大震災のときの記憶が改めて呼び起こされた感じがします。もう12年・・同じイノシシの年だったんだって改めて思い直すと、阪神電車も止まった、阪神高速も使えなくなりますが、今回も同じだったなあとふと共通点を感じます。

Photo_30 さて、最近入手した郷土史がらみの書籍ですが、この3番目の写真は「兵庫新聞社」が昭和41年に発行した「兵庫風雪20年」という、タイトルは20年であるが主に敗戦から10年に主眼を置いた書籍です。この「兵庫新聞社」というのは、少し前このブログで紹介した、「神港新聞社」が名前を改めて出していたものです。高度成長期の前段階で、いかに混乱があったかを思い知らされる内容です。占領下の神戸で起こった事件もくわしく載せています。

なぜ、この2つの話題を一緒にしたかというと、この書籍が出されたのは、この記事の中心である戦後の混乱から抜け出した昭和20年代末から12年程度後に出版されたものであり、ちょうど阪神淡路大震災から12年の現在と経過年数を見れば同じ程度であるからです。

この、不発弾と同様60年以上も前のことになると歴史は習っていても、体験的に知る人は少なくなってしまうでしょう。

なお、この本では、神港新聞のことですから、当然、神戸新聞とともに設立した「ラジオ神戸(JOCR 当初 1490Kc 1kW)」のことも、さらに姫路の市営放送局(JODR)のことも載っていました。くわしくはいずれ紹介しますが、JODRの予備免許は別の情報では580Kc 50W。もし、姫路の開局がされておれば、その後の560Kcへの移行は難しくなっていたことと思います。

なお、この神港新聞から改名された「兵庫新聞」ですが、高度成長期の昭和43年に休刊となっており、昭和41年の発行の本書はそれなりに価値あるものだと思います。(私は単純に、ラジオ神戸や姫路市営放送が載っているので買ったわけですが、よく読むと非常にに面白く写真も豊富。)

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