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2007年2月12日 (月)

サンテレビの長田時代の跡地

1_1 サンテレビの長田時代の局舎について現在その場所がどうなっているのかが気になり、その大開通りに行ってみた。神戸高速「大開駅」が最寄の駅であるが、大開には止まらない電車が多いという神戸高速鉄道の中では特殊な部類の駅であり、神戸西市民病院は大開と、長田の中間地点にあるので、とりあえず高速長田駅から歩くことにした。

写真は、西市民病院であるが、手前にあるビルが建っている場所(場所柄現在は薬局である)であり、サンテレビ時代の建物をそのまま利用しているわけでないことは明らかです。(サンテレビの開局当初の写真は公式WEBにも掲載されています)

http://www.sun-tv.co.jp/company/history.html

さて、この場所は、非常に「電波環境」としては良い条件にあることがわかりました。この道路は広く(国道だったことはこの訪問でわかったことなのですが)、サンテレビ送信所の摩耶山方向には山などの障害物がないばかりか、広い道路(=建物がない部分が広がる)がある場合は結果として、送信中継電波の減衰は少なく、アナログ波のUHFテレビ局のSTL電波というと、当時はやはりアナログ電波による中継ですから反射によるゴーストなどの懸念もあり、近くて見通しの良く障害物のないところが良かったのでしょう。

Photo_24 現在は交通量が増え、ビルが建設されたとしてもこの程度ですから、昭和40年代ではもっと条件はよかったのではと思います。

Photo_25 電波条件が良い場所であることを示す、ひとつの例として、旧サンテレビから1Km付近にある、この道路沿いの「電波塔」の存在が挙げられます。NTTの兵庫局のものらしいのですが、当然電波伝搬上の立地は検討されておられるはずです。私もアマチュア無線家(1アマ・1技)の立場・経験上からも電波の通り道のように思えます。(2/28訂正)

なお、この道は東にいくと「新開地」につきます。このあたりは戦前の神戸の繁華街の中心といえる場所でした。神戸市電も第1号線が兵庫(山陽電車の終点)から新開地、楠公前を通り、春日野までの路線から営業開始されていることからもわかります。なお、以前このブログで「岡女堂(おかめどう・・岡目堂は誤りですね)がラジオ関西のCMで「神戸福原口の・・」という特徴のある紹介と述べましたが、良く考えると「福原口」は確かに現在では地名としては死語ですが、神戸市電の停留所に「福原口」があり、おそらくこの部分が市電廃止後もしばらく通用していたからでしょうね。

なお、2/11(日)、午後4時すぎ岡女堂前を訪れましたがシャッターは閉まったままでした。しかしさすがにデジカメを向ける気にはなれなかったのです。もっとも現在「福原口」という名前のバス停もないのですが「福原」という地名のイメージの問題なのでしょうが、地図で調べても現在の「新開地東」付近であり、このあたりを歩くとすぐわかる場所に店舗がありますね。(ビルの1階です)

Photo_26 そして、さらに東に行くと湊川神社の前につきます。「楠公前」というとこの場所になりますね。この場所は新開地ができるまでは、神戸の繁華街といわれた場所になるようです。

Photo_27 そして、そのままこの道路を東に行くとJRのガードと交わり、ここが「国道28号線」の始点となるようです。

なお、ガードを過ぎるとJR神戸駅は東海道本線の終点でもあり、「蒸気機関車」が道路沿いに展示されています。

さて、この道路を利用した市電のルートですが、神戸市電の時代は、元町を経て、現在の「三宮」付近に行くのですが、停留所名は「瀧道」でした。フラワーロードの国際会館前付近なのですが、戦前にはこの場所には市役所もなく、国際会館もなく、花時計もないことからフラワーロード(花道)ではなく 布引の瀧に行く道なので「瀧道」だったのでしょうね。

(話がそれてしまいました。・・ご質問メールにおこたえして2/13追記)

国道28号線

11 先日、サンテレビの長田時代の局舎について「大開通り」の神戸西市民病院の横であったと記載した。現在その場所がどうなっているのかが気になり、その大開通りに行ってみた。(高速長田から、JR神戸まで歩いた)詳細は改めて紹介するが、私は「大開通り」とばかり思っていた道は途中から「多聞通り」となっており疑問がわいたので、道路地図帳で見るとこの道は「国道28号線」となっているではないか。おまけに「高速長田駅から西は県道21号線である。国道はというと南下し、「東尻池交差点」で国道2号線に接続されているように見え、あたかもそこで、国道28号線が終わっているように見える。起点は神戸駅のガード下であり、私が歩いた道とほぼ同じである。日本1短い国道は神戸にあるということは知っていたが、それは国道174号線である。地図ではわかりにくいのでインターネットで「国道28号線」を検索してみた。すると面白いことがわかった。

この国道28号線は神戸を始点とし、終点は「徳島」である。

http://www.kkr.mlit.go.jp/road/time/r028.html

なんと、この国道28号線はラジオ関西の旧須磨本社前を通り(つまり国道2号線でもあり、国道28号線でもある区間になる)、そして明石から、岩屋の海上ルートを経て、東浦の現ラジオ関西の神戸局送信所(558kHzD20KW)の横を通り、鳴門・徳島に向かうのである。

したがって、サンテレビの旧長田局舎、ラジオ関西の旧須磨局舎、そしてラジオ関西の現送信所は「国道28号線」で結ばれているということになる。

神戸の道路で「高松線」というローカル道路があるが勿論四国の高松まで続いているわけではない(迷馬さんのブログも参照)。しかし、旧サンテレビの長田局舎前の道は四国の徳島に続いているのですね

面白神戸学ではないが「神戸っ子も知らない」お話でした。

2007年2月10日 (土)

局舎等の再現模型を製作中

Cr43 工業高校教諭という職業柄、建築は専門外なのであるが、建築科の生徒たちが設計競技大会などで(現存しない・設計段階の)建築模型を作っているのを良く見るのだが、もともと専門外で電子・情報のハード系や通信技術が専門の私にはやったことがない分野であるのだが、ペーパークラフト的なものであれば我流で何とかなるのではないかと思い工作にチャレンジしてみた。

 題材は旧ラジオ関西の須磨局舎で、昭和42~43年頃のレストイン須磨がなく、淡路島の送信所に向けたパラボラアンテナのための大きなタワーがあった時代のものを再現しようと、とりあえずペーパークラフト作成のソフトは使わず(というより今までも使ったこともなのであるが)ローテクそのものの手法で作ってみた。初代局舎や送信アンテナ、サテスタなど作ってみたいものは山ほどある。しかし簡単なものでもかなり時間がかかるというのが問題で完成はいつのことになるやら。なお、アンテナタワーの模型は木製です。

CGはCG検定2級はあるが、得意ではなく、工作のパーツを作るのがやっとである。模型を作るとなると、記録写真だけではわからないところも多く立体感はつかみにくい。次はレストイン須磨の模型を作ることになると思うが建物より、歩道橋・ボーリングのピンのある看板タワーが難しいと悩んでいる。ペーパークラフトができればプラスチックを使いそれなりのものは出来るだろう。以前家電メーカーでパソコン開発にいたときは、これら試作品のキャビネットは専門の工房にお願いしていたが思いっきり高価なものだったことを思い出した。何かとものづくりは難しいが下手の横好きでも感じがつかめると楽しいものである。

2007年2月 6日 (火)

神戸の民間放送があった場所

(1)神戸市須磨区磯馴町7丁目3番地

(2)神戸市須磨区行幸町1丁目1番6号

(3)神戸市長田区1番町2-1

(1)はラジオ神戸時代(2)はラジオ関西の(震災前の)住所ですが、基本的に同じところである。磯馴町(いそなれちょう)7丁目というものは現在では存在しない(6丁目まで)。これは住居表示が変更になったものであろう。行幸町(みゆきちょう)1丁目の元ラジオ関西の部分が他の2・3丁目と比較すると異様な感じがします。

ラジオ神戸時代には「磯馴亭」というお笑い番組もあったようだが、これは放送局の町名からか。しかし、目の前にあった神戸市電の停留所は「衣掛町」。また、私の知る時代では、すでに放送局の郵便物宛先の表現は「神戸市須磨局区内ラジオ関西」。したがって「磯馴町」がなかなかJOCRと結びつかない。

さて、最後の長田区の住所は「サンテレビ」の開局時の本社スタジオがあった場所。ちょうど神戸市立西市民病院の隣であり、大開通りがカーブするところの南側といえばわかりやすい。市民病院の隣の放送局というのもどうかとも思うが、なぜこの場所にサンテレビができたのでしょう。できた当時は、神戸新聞の田中社長が3社の社長の時代。須磨のラジオ関西もボーリング場や駐車場を作るなら、あの場所にサンテレビのスタジオとしても不思議ではない。実際サンテレビの公式WEBでも長田時代の局舎の写真が紹介されているが、背後のビルやクレーンは、建設中の神戸西市民病院。

現在、この場所に行ってみるとそれほど大きな場所ではないことは明らかである。(少なくとも須磨のレストイン須磨・ラジオ関西ビルだった場所のほうが広い)

この写真は、神戸新聞の記念誌にも載っているものと同じである貴重な写真。なぜ、スタジオをこのような長田にしたのか、須磨の広いラジオ関西の敷地内ではなぜだめだったのか。

勿論別会社であるが、当時はラジオ関西の社員25名がサンテレビ創立に関与した時代である。疑問は深まる。そのひとつには、サンテレビは灘区の摩耶山に送信所を作ることが必要で、スタジオとは電波で安定的に中継できる場所が必要だったことも考えられる。また、このことはいろいろな角度から考えてみたい。

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