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2007年1月 7日 (日)

電話リクエストはなぜ消えたのか

古くからの神戸の人は「指が覚えている0123」というと引越しセンターではなくラジオ関西の電話リクエストではなかったかと思います。震災のときのラジオ関西への安否情報なども、この電話リクエストの受付電話番号も使い速攻で対応できたのも「栄光のCR電話リクエストの経験」だったのでしょう。このようなことは東京に頼りすぎる民放地方FM局では太刀打ちできないことでしょう。さて、このような栄光あったラジオ関西電話リクエストがなぜラジオ関西から消えてしまったのでしょうか?。この課題は非常にむずかしいことなのですが私は1つの説をもっています。くわしくは又機会があればお話したいとおもうのですが、実はラジオ関西の電話リクエストには大きく分けて性格の違う3期の時代があるのです。1つはラジオ時代の昭和27~35年頃(1950年代まで)。2つめは、家庭にテレビが普及していくがラジオというとAMでAMラジオで音楽番組が放送された時代(1960年代から1970年代途中まで)。そして3つ目は民放FMが出だし若者の音楽放送がFMに移り、AMは深夜放送やワイドに移行し、AMが特殊な音楽を扱う時代となったと思います。すでに私のWEBやブログを良く読んでおられる方はわかると思うのですがラジオ関西は1970年代にはサンテレビ創設にそれまでのマンパワーを分割され、他局が深夜放送の時間帯を充実させるときにも唯一のドル箱ネットの「大学受験講座」を放送し、それで放送終了(1時ごろ)という形にならざるを得なかったのでしょう。
実際、当時の「ヒットでヒットバチョンといこう(OBC)や「ヤングタウン(MBS}」と出演者層が良く似たラジオ関西「ナマナマ大放送」をプロ野球時間帯に放送したのも諸事情がからまったものとはいえ、他局が深夜放送帯の番組で出す出演者(吾妻ひなこさんはバチョン。鶴光はMBSヤンタン)をラジオ関西は違った形で音楽一辺倒からの移行を試みた・・ということになるのではないかと思います。
ちなみに、当時のラジオ関西の財政力は豊富で、商業ビルのレストイン須磨(須磨ボウルなど)などを建設(ラジオ関西ビルとなっていた)事業の多角化も図るほか、サンテレビ等いくつかの企業にも出資されていたように現在の姿とはかなり違う状態だったと思います。

最近、電話リクエストに関する書き込みをいただいたり、http://jf3mxu.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cfb5.html

メールもいくつかいただきました。

皆さんもなぜラジオ関西は栄光の電話リクエストをやめることになったのかをご存知の方はお教えいただければと思います

少なくとも(70年代当初の時点では)、番組の聴取率が不振となったわけではないと思うのですが。実際FM大阪ができた年に、「7-7」電話リクエストから「ナマナマ大放送」になるのですが「若いおとなエンジョイヤング」を経てまた70年代後半には「電話リクエスト」が復活します。こちらは、森山かずみさん、三浦紘明さんなど局アナが中心で大阪との2元というスタイルも踏襲するのですが「7-7時代(60年代・高度成長期)とは違った」電話リクエストになります。なぜ一旦はやめた電リクを復活したか?それは当時のFM大阪をはじめとするFM番組は、現在と違い一般書店で販売されるFM放送番組表雑誌(FMレコパル等いくつか出版されていた!)に、放送される音楽まで公表されていた時代であり、現在のようなリクエスト番組は皆無でした。というのも、当時はFM放送を録音するエアチェックというのが今以上に大事なことだったように思うのです。つまり、その意味では、FM大阪が開局したからといって、その年の5月に看板番組の電話リクエストを終了するのはその必要が無かったのかも知れないのです。しかし、当時のラジオ関西はそれだけの苦悩の選択をしたということなのでしょう。

いずれにしても、FM大阪の開局は音楽局のラジオ関西にとっては脅威であったはずで、同じことは兵庫FMの開局でも同様だったはずです。(しかし、現在では地域のコミュニテイFMとラジオ関西は連携し共存共栄を図る時代のようです。)このように、現在のものさしでは測ることの出来ない価値観・時代背景があるようです。

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コメント

こちらからご挨拶させていただきます。
(遅ればせながら)新年あけましておめでとうございます。今年も西川さんのサイトを楽しみにしています。よろしくお願いします。

ちわ〜。最近、CRKの番組ばっかしか聞かなくなった未勝利牝馬っすw
これは私の邪推かもしれませんが、考えられるひとつの要因に、放送電波に乗せて流す音楽の“著作権”絡みのゴタゴタがあるのでは?某掲示板でよく聞かれる“JASRACの横暴”説や海賊版に対する規制論、更には過去の著作に関する“盗作”等、ここいらへんが民法放送開局ラッシュ時は問われなかったものの、コレが“商売になる”と践んだ一部のレコード会社による“自己規制”が、結果としてラジオ(特に電リク番組)を通じて音楽を楽しむファンンの権利を阻害したのではないでしょうか?
そういった部分を考えると、電リクそのものは音質のイイFMラジオへ移行し、中波(AM)ラジオでの役割はニュースやスポーツ中継等の“情報番組”に移行せざる得なかったのではないでしょうか?

るんるんさん、どうぞ今年もよろしくお願いします。私のほうほそちらの掲示板を楽しみにさせていただいております。

Stray Horseさん。未勝利牝馬??
やっと気づきました。以前メールでいただいていたお名前は本名だったのですね。
失礼の段お許しのほどを・・どちらが冗談かわからなかったもので(たとえば似顔絵のイラストなどを見て信じ込んでいたところがあり)よく読みますとそうですよね本当にすみません。
なお、著作権の扱いについては私もわからないところがいろいろあり、今後の課題としたいと思います。
FMラジオの音質がAMに比べ良いことについては疑いの余地はありません。しかし、FMはその原理上占有周波数帯が広く必要であり、このことは同じ電力でも、到達距離がAMの方が有利であること(周波数の違いによる到達距離とは別としても)、変調方式の簡易性、送信電力や受信器消費電力の経済性などはAMが有利ですし、中波帯のもつ、電離層反射波による広域性も魅力あるものです。特に防災面から中波AMは見直されておりニュースだけでなく高音域の伸びがない昔の音楽ではFMの優位性はあまりありません。というのも高度成長期以前の流行歌や、洋楽でも戦前あたりのものであれば録音そのものの音域とAMラジオの変調が実にうまく調和します。むしろ音質の良さだけで生きていたアナログ放送のFM局も今後デジタル放送になると、そちらにリスナーが流れるのではと思います。

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