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2007年1月26日 (金)

神戸放送設立時専務に取締役を派遣していた「神港新聞社」

戦後、ラジオ関西の前身である「神戸放送」を設立したのは、兵庫県・神戸市・神戸商工会議所・神戸新聞などであるが、そこには「神港新聞」も重要な役割を果たしていた

そもそも「神港新聞」とは何者か・・
神戸市文書館WEB「神戸の新聞」によると
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/shiryou/shinbun02.html

「昭和21年(1946)4月18日創刊。神戸新聞社は戦後の新興紙隆盛に目をつけ、新しく娯楽本位の夕刊紙の発刊を計画した。しかし連合軍総司令部は同一社がふたつの新聞を発行することは認めないという意向を示したため、別会社として神港夕刊新聞社を設立し、『神港夕刊』にこぎつけた。
 創刊号の編集発行人は久保田喜一。設備、労務、編集、販売などに神戸新聞社が全面的に協力した。」とある
 神戸新聞90年史P3-4によると 別会社組織による僚誌「神港夕刊」の発行(昭和21年4月)、「関西貿易経済新聞」「デイリースポーツ」の創刊、さらに単独夕刊「夕刊神戸」の発行・・とあり、これらは新聞界における先駆的な取り組みだったという
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E5%88%8A

 戦後に入って夕刊は復活したが、当時は製紙事情が充分ではなかったことなどから政府当局からの指導で全国紙の増ページが認められなかったことを逆手に取り、その分夕刊専売の新聞を続々と創刊させた。
 神戸新聞系の神港新聞などがそれぞれ独立し、元来の親新聞と競合関係になる。と書かれている
 神港新聞は昭和25年(1950)3月1日から、夕刊のほかに朝刊を発行した。さらに同年『スポーツ・アンド・スクリーン』『オールスポーツ』を発刊「オール・スポーツ」は日刊スポーツのルーツになるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%88%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84
 ラジオ神戸開局時の「神港新聞」は神戸新聞からの独立後の全盛期だったようだ。
 このことは久坂葉子生誕75年記念出版 神戸新聞の記事でも神港新聞が登場していることなども参考になる。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/353.html
 しかし神港新聞は現在存在しない。昭和30年12月のラジオ関西第2次増資時点での神戸新聞の所有株数は2600株1.2%(ラジオ関西50年史171頁)、その後増資を重ねるなかで神戸新聞の割合は高まるのであるが、神戸放送(ラジオ関西)の初代社長は当時の神戸新聞の田中寛次社長が兼任、田中氏は、関西テレビの副社長、サンテレビの社長も兼務した放送界の偉人としても名高いが、当時の神戸放送の専務は神港新聞社取締役であり、神港新聞社社長も、神戸放送の取締役に名を連ねているのである
 

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