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2006年12月30日 (土)

岡女堂

12月29日神戸新聞朝刊24面で、岡女堂の破産手続き決定が報じられていた。(記事は下記神戸新聞WEBで読めます)

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000203656.shtml

岡女堂(おかめどう)というと私は、昔ラジオ関西でも提供番組をもっておられ「一粒ホイ ほっぺをつねって一粒ホイ(中略)みんなが知ってるおかめどう。なるほどやっぱりおかめどう」という、1980年代の放送なのに60年代以前を思わす結構レトロなテーマソングがあり、結構気に入っていました。(みんなが知っているはずなのに私はこのCMで知ったのです。甘納豆はその後入手したのですが)

橋本幸子アナや池田幸子アナなどが担当されていた日曜午前の短い番組でした(確か番組名は「おかめどう今週の歌謡ベストスリー」だったかと思います)が、住所の表し方に特徴があり「神戸福原口の・・」とか北海道での原材料にこだわったCM、その後北海道の鉄道で岡目堂という駅まであることを知りびっくりしたこともありました。神戸の名物が即無くなるわけではないでしょうけど(あれだけ評価もあったものですからどこかが支援するかも知れないと期待)この震災やそごう問題の犠牲者と考えると辛いニュースだと思います。

神戸では、そごうの倒産のほかダイエーの閉店や規模縮小も少なからず地域経済に影響を与えているのではと思います。来る年こそいい年であってほしいものです。

参考

十勝毎日新聞

4月に鉄道が廃止され、岡女堂駅も含め売却されていたようだ

不運が続いたような感じがします

(売却金額に驚き・・神戸では家も買えない金額)

http://www.tokachi.co.jp/WEBNEWS/060412.html

2006年12月28日 (木)

ラジオ関西交通情報のBGM

クリスマスバージョンから冬用バージョンになっていますが、曲名は、昨年のこの時期と同様、アン・マレーの名曲「スノーバード」のエレキギターによる演奏のもの。(演奏者不明。誰か教えてください)

他の時期は曲が変更になりますがこの時期には、このメロデイが入るとラジオ関西交通情報にふさわしい曲ではと思います。

これ以外には、過去のものでは「ティファナタクシー」が良かったですね

(春先にはいいかもしれない)

しかし、交通情報などにBGMをつけるのはどちらかというとFM的?ですが

過去(といっても相当前)にはBGMが無かったように思うのですが、

ラジオ関西のBGMは60~80年代の快適なものがほとんどですからいいのかもしれません。それ以外では天気予報のBGMはいいかもしれませんがニュースになればヘッドラインニュース以外でBGMをつけるとFM的で

あると批判的なのは私も年配者の仲間入りなのでしょうか

音楽に、大切な情報が消されるという意味では、ニュースにはBGMはあまり良くないという感じもします。FM局の派手な効果音やBGMは格好がいいから受けているのか、それともそのスタイルが若者的だからいいのかもしれませんが良く考えるとこのスタイルも10年以上もワンパターンでありますが、それなりの理由があり続いているのでしょう。年配者対象でも、ジャズやビートルズ・フォークは強くても「浪曲」のイメージはほど遠いCR。

FMとの違いを鮮明にしながら音楽局としての生き残りを果たすためにも、音質でなく、豊富な音源を活用してもらいたいものです。そういう意味では年末の特別電話リクエストはビートルズオンリー。良く考えると、あの長時間(10:05~17:00)ビートルズオンリーで持ちこたえるのには最近売られているCDだけでは無理でしょう。当時のライブ版レコードなど、日本有数のレコードを誇るラジオ関西の底力が見ものです。

2006年12月25日 (月)

姫路の名曲ラジオアワー 名盤レコードコンサートに行きました

先日このブログでも紹介しておりましたイーグレひめじの1階「FMゲンキサテライトスタジオ」で行われたラジオ関西の人気番組「名曲ラジオアワー」の名盤レコードコンサートに行ってきました。

2_ 写真は、放送風景で、用意していた椅子をスタッフの方があわてて追加されるなど大勢のファンの方々が参加されていました。3時30分のスタート予定が少し早く、三浦紘朗、加藤逸子お二人のトークが始まりました。会場の参加者の方への質問で「ラジオ関西の電話リクエストを聞いていた」というものには、かなり大勢の方々が手を挙げられておられました。参加者の方々も少々年齢が高めであり、イーグレひめじやFMゲンキのもつ若いイメージとは少し違った雰囲気だったのかもしれません。

Photo_22 ところでイーグレひめじのFMゲンキのスタジオですが、私は大きな勘違いをしていたようで、地下2階にあるスタジオ(放送大学の姫路サテライトの横にある)はオープンスタジオという本社スタジオで、ここも公開されています。

Photo_23 私はここがサテライトスタジオだと思い込んでいました。

イーグレひめじに行き、1階のフロア図にもサテライトスタジオは見当たらず、思わず地下2階に行きました。スタジオ前には椅子も用意されいい雰囲気です。fmゲンキの季刊広報誌ゲンキ79.3(7号)という雑誌が置いてあり思わず見入ってしまいます。無料配布されているB5版オールカラー印刷のもので、先日書き込みをいただいた「もわもわさん」のお名前も発見、編成マンの方と知りました。

前半のレコードコンサートではfmゲンキの放送にはのらないのですが、アナログレコードとお二人の懐かしい話題、そしてダイヤトーンのスタジオスピーカからの音響が楽しめました。なおこのスタジオスピーカは実際に須磨のスタジオで使われていたもので、1個のスピーカーボックスしか見当たりません(つまりモノラルのAM放送局仕様)しかし、すごい迫力でした。

なお、このfmゲンキのサテスタは正面や側面こそガラスがあるもののブースの上面は何もありません。つまり、防音効果は期待できません。1階フロアから公開放送という感じでした。実際に、横ではガラガラ抽選(福引)をやっており、隣のキッズコーナーからは木琴の音さえ聞こえます。

このことは下の写真(クリックで拡大)をみると良くわかります。スピーカも1つしかなく、スタジオブースの上にあるのはfmゲンキのもの

1 スタジオ横ではラジオ関西の「名曲ラジオアワー」のプロデューサでもあるIさん(「編成部長でもあるはず」と当初書いておりましたが早速コメントを頂き、現在は局長のようです。失礼しました)ラジオ関西幹部の方が自らレコードプレーヤを操作され、演奏中のレコードジャケットを展示台に置かれるなどサービス満点でした。

4時からはfmゲンキの放送になりましたが、オープニングは、なんと「スターダスト」そう、CR電話リクエストのテーマです。まるで往年のラジオ関西の電話リクエストがクリスマスに他局で再現されたようなものです

パーソナリテイだけでなくプロデューサまで当時の電話リクエストのスタッフですから前代未聞の出来事でしょうね。勿論ラジオ関西が協力(というかここまでいくと制作でしょうね)しており、加藤逸子さんはfmゲンキ初登場、このようなことはラジオ関西と県下cfm局が共同制作番組を持っている縁とはいえ全国的にも珍しいということ(三浦さんの話)でした。

なお、放送でも「歌声は風にのって」「テンミュージックアベニュー」のテーマ音楽(いずれもパーシーフェース楽団)そして電リクのテーマ2曲と、ラジオ関西ファンの方々にはこたえられない時間ではなかったかと思いました。

なお、会場では、ラジオ関西ファンwebからのリンクもしていただいているLさんからお声がけいただきました。

この日はあいにく用事が入っており最後まで見届けることができず会場を離れましたがおそらく大成功として終了されたのではと思います。

三浦さんの話で参考になったこと

(1)電話リクエストが日本で最初はラジオ関西、プロ野球中継も最初はラジオ関西(このことは勿論知っていたことであり、ラジオ関西ファンwebでも話題にしている)、ラジオ関西のプロ野球中継は試合終了までというのが特徴で、それが売りであり、これも日本で最初であった

(2)サンテレビの野球中継は試合終了までというのが売りであるが、これはラジオ関西の手法だったものが「サンテレビができたとき、ラジオ関西のスタッフがサンテレビに移り、ラジオ関西の手法を継承した。のだという

私は、テレビではネット番組の関係で試合終了まで中継できないのだが、uhf局やラジオ局は自由が利く(悪く言うとスポンサーの縛りが少ない)のでこのような形になっていると思い込んでいたが、ラジオでもラジオ全盛時代では大阪局は試合終了まで通常番組のため放送できなかったので、ラジオ関西は、試合終了まで中継というのを売りにしなければならなかったのではないかと思うようになった。いずれにしてもいろいろと参考になる話題も多いイベントであった。

2006年12月19日 (火)

放送局の大株主リスト

電波利用ホームページ(総務省・電気通信管理局)

http://www.tele.soumu.go.jp/j/media/chizyou.htm

さて、皆さんは気づかれたことはありますか?

別にラジオ関西・神戸新聞のことに限りません

FM-GENKIの方からコメントをいただきました

ブログのコメントでは見にくいと思いましたので以下に紹介させていただきます

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お世話になります。

三浦さんは、FMゲンキで2年ほど前から番組を担当していただいています。
幅広い洋楽の知識から、わかりやすく楽しい時間を提供していただいています。

この企画は、姫路市文化振興財団さんの協力で、行う事ができるようになりました。
ぜひ、沢山の方にお越しいただきたいものです!

http://fm-genki.com/topics/

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ブログを運営されている方にはわかると思うのですが、アクセス解析機能によりどこからリンクされたアクセスがあるかはわかるようになっているものが多いと思います。先日紹介した記事のリンクで、このブログの存在を知られたのではと思います。

文面から、明らかにFM-GENKIの関係者の方だと思います

FM-GENKIには、以前は矢野泰三さん、最近では牛尾淳さんなども出演されており、エリアなら是非聞きたい放送局のひとつです。

矢野泰三さんはどうしておられるのでしょうか、急に番組をやめられた感じがしまして仲間内では変な憶測や心配をしている始末です。

どうぞこれからもよろしくお願いします

2006年12月17日 (日)

再び電話リクエストネタ

最近仕入れた情報を少し、

1)12/24日クリスマスイブの日にラジオ関西の電話リクエストが姫路のFMGENKIのサテスタ(イーグル姫路)で再現される。DJは三浦・加藤のお二人で、一部はFM-GENKIでも放送されるという。ラジオ関西・姫路市・FMGENKIの協力によって実現されるという。(以前「名曲ラジオ関西/名曲ラジオアワー」土曜日の三浦・加藤さんの番組で紹介されていた。CRK公式ページにはなかなか載らないが、FM-GENKIの方ではWEBで告知があった

http://fm-genki.com/topics/

2)「名曲ラジオアワー」(三浦・加藤さんの番組)のプロデューサは興味あるところでした。先々週(だったかな)の中村ようさんの「通り抜けストリート」で中村ようさんが洋楽の話をするとき「次の番組の三浦さんと・・」とプロデューサのお名前を言われていました。やはり、往年のCR電話リクエストも担当されたベテランの方でした。これからも期待しています。

もうCR電話リクエストを担当された社員の方々も少なくなっておられるのでしょうね。

3)このような、ラジオ関西ファンWEBやブログをやっていますと、ありがたいことにいろいろな方々からメールをいただきます。「海のみえる放送局」のチューインガムの方々や「電話リクエストを担当されていた元プロデューサ」元社員の方々もおられますし、アルバイトで番組を担当されている方々本当に多くの関係者の方々からコメントをいただきます。多くの放送局がありますがファンサイトとしての歴史も古く、またラジオ関西はさまざまな形のファンサイトがあります。このようなものはどこにでもありそうでないもので、KISSやOBCはもとよりMBS、ABCも類似のものは無いようです。

今後いろいろな情報を含め紹介していきますが、私自身が「高度成長期マニア」であることから昭和(それも1960年以降)のネタを中心に扱っていきたいと思います

帰ってきたヨッパライはラジオ関西の電話リクストで世に出た

フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」の当時のシングル版レコードジャケットには
このレコードはアングラレコードで、この曲が世に出ることになったのはラジオ関西の番組で紹介されたためであることが明記されている。
このことは、広く知られている事実である。しかし、なぜラジオ関西がこの曲を広めることができたかということについては疑問の残るところである。結論としては、当時の若者に絶大な影響を及ぼした「電話リクエスト」で取り上げられたことに尽きるのであるが、当時のラジオ関西は今では想像のできないぐらい影響のある存在であったことはあらかじめ明らかにしておきたい。
なお、当初どの番組でとりあげられたかについては諸説があり、ここでは信頼性を高めるためそれえぞれのソースを明らかにしたうえで説明したい。
2002年3月20日放送のラジオ関西「OHハッピーモーニング」(MD西川録音所有)では、当時「イムジン河」の再発売があり、加藤和彦が出演した。元ラジオ関西プロデューサの西内隆氏も出演し、必然的にフォークルが、なぜラジオ関西で「帰ってきたヨッパライ」がヒットしたかという話題となったのである。
なお、西内隆氏は、サンテレビの設立時出向となりラジオ関西を離れ、サンテレビプロデューサとして、フォークライブなど音楽番組を担当されることになる人物である。西内隆氏の名前でWEB検索をすると、音楽雑誌などでフォークルに関する証言として元ラジオ関西プロデューサとして紹介されているようである。
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http://www.mosakusha.com/C_jyanru/janru_31ongaku.html
◆ロック画報 16 2004年9月を参照
 ラジオ関西ディレクター・西内隆の証言
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http://plaza.rakuten.co.jp/tmatsumoto/diary/200603230000/
t-matsu9679さんのブログ

「帰って来たヨッパライ」を電波で流したのは、
ラジオ関西のディレクター兼ジョキーの西内 隆の番組
『ミッドナイトフォーク』です。
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社会現象にまでなった大ヒット「帰ってきたヨッパライ
「宮澤一誠のフォークが好き」WEBサイトも同様のことを紹介している
http://www.ongen.net/recommend/folk/20060712/
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上記2002年3月20日放送での西内氏の話では
「正確にいえばミッドナイトフォークという番組で一番最初にかけたところ
反響がなかったと思います」
「電話リクエスト・・「電リク」という夕方の番組の中でDJの人に
「これは交通安全の曲です」とまじめに紹介してもらったんです」
次の日からリクエスト殺到したが、登録されているレコードにないということで社内はパニックになったとか?

このほかにもいろいろな説もあるようですが
いずれにしても
(1)ラジオ関西のいくつかの若者向け番組で紹介されたようだが、当初は反応がなかった
(2)ラジオ関西の看板番組である「電話リクエスト」で紹介されると火がついた
   ・・当時は洋楽の電話リクエストだけではなく、いろいろなジャンルがあった
(3)ラジオ業界の人にも「電話リクエストは注目されていたので、大阪局・東京のキー局に飛び火した
(4)オールナイト・ニッポンの関係者らも「電話リクエスト」でのフィーバーぶりを聞きつけ、(東京のレコード店にも問い合わせが多かったらしく、そのことが耳に入り)この曲を紹介し、全国区になった。

という流れには間違いはないようであると思う

(ラジオ関西からMBS/ABCそしてニッポン放送へ)

なお、ラジオ関西の開局40周年か30周年の特別番組では末広光夫さんが
同様な話(交通安全の曲として紹介した)をされており、当時の東芝EMIの方も
出演されていたようです。(録音テープは現在整理中なのですが)

なお、ラジオ関西50周年記念誌P51の記載では。番組名は「CRミッドナイトフォーク」
(時期1967年9月)とありますが、「放送するとリクエストが殺到」(ちょっとオーバーでは?)
「次週の電話リクエスト番組でたちまちベストテン1位になり、人気はたちまち全国区になった」と記載されています。

2006年12月16日 (土)

興味深い記事

http://d.hatena.ne.jp/from3/20061110

ラジオ関西電話リクエスト関係です

面白い記事を発見

ラジオ関西ファンWEBのことも紹介されています

http://d.hatena.ne.jp/from3/20061112

12月3日付クイズの写真の女性は

12月3日付け、ナマナマ大放送出演の女性写真についての答えを先ほど当該コメント欄に書き込みました。

少しむずかしい問題だったようですが、コメントやメールをいただきました皆様には厚く御礼申し上げます

2006年12月 8日 (金)

大阪スタジオとCR電話リクエスト

1970220_1 左の写真は、アマチュア無線をやっている女性ではありません。(背景の機材は、放送用中継機材の一部であり、ラジオスタジオにあるのは少し不自然のようだが)

場所は1970年2月20日の「ラジオ関西・金曜電話リクエスト」の大阪スタジオでの放送風景です。「大阪のアナウンサーは板垣晶子さんです。」「デンリクが好きで大阪と須磨によく遊びに行ってました。」(写真提供とも・井川宏之先生)

当時の電話リクエストは神戸・大阪の2元中継でさんちかサテライトスタジオもあわせると3元中継というときもあったようです。金曜の本社は奥田博之さんとマリア・リグレスティさんの担当日でしたね

Photo_21 当時の資料によると1日の平均2175人のリクエスト電話があり(出典:ラジオ関西50周年記念誌50頁)

昭和43年4月当時のデータとして)
神戸へのリクエスト 神戸市内から 703

          市外から   263
大阪へのリクエスト 大阪市内から 865
          市外から   363
となっており 合計2175とあります。

この当時は、なんと大阪の方(それも大阪市内)からのリクエストが多く、すでに「ラジオ神戸」の範疇ではなく大阪進出を果たしたラジオ関西にふさわしい番組だったようです
なおリクエストの時間は2時間程度だったようですから神戸・大阪とも電話がフル稼働となっていたようですね

電話リクエストに関する写真は井川先生、そして元ラジオ関西社員で電話リクエストを担当された複数の方々から貴重なお話をメールでいただいておりますのでゆくゆくWEBやこのブログで公開していきましょう

2006年12月 3日 (日)

1970年代のラジオ関西といえば

Photo_20 1970年代を代表するラジオ関西の番組といえば「電話リクエスト」(fm大阪の開局直後の1970年5月4日放送終了)の後番組であった「ナマナマ大放送」(月~金午後7時~9時30分)を忘れることができない。

この写真も,井川宏之先生の提供ですが、この番組に出演していた女性です。「ナマナマ大放送の始まる前に旧ラジオ関西の前で撮影1971年頃」(井川先生)

さて、ここで問題ですが この女性(ラジオ関西でレギュラー番組を持っていた)は誰でしょう。結構人気のあった有名なかたですね。
正解がわかった方は、このブログのコメント(出来る限り)又はメールでどうぞ。(私のメールアドレスは「ラジオ関西ファンWEB」に記載しています)

なお、FM大阪開局は1970年4月1日、FM東京開局が1970年4月26日で、ラジオ関西の77電話リクエストの終了が1970年5月4日。ちなみにNHK-FMの予備免許が1969年1月24日付けで全国170局のNHK放送局に交付(開局はその後となる)されていますから、1960年代は「AMラジオの時代」で音楽局のラジオ関西は1970年代にいろいろな形で脱皮を図ります。

1970年代のラジオ関西記者の取材風景

Crkisha 今回も井川宏之先生提供の懐かしいラジオ関西の写真です。

「写真は、長田神社の追儀式の取材中の、ラジオ関西の記者さん、1973年頃でマイクは今と余り変わっていませんが、デンスケはたぶんソニーだったと思います。カメラはアサヒペンタックスです。」(井川先生)

デンスケというのは懐かしい響きのある録音機のことですね。記者が持っている録音機材にはJOCRというコールサインが目立ちます

ラジオなのにカメラを持っているのはなぜでしょうか。おそらく記事の正確性を保障するためか、取材記録としているとかでしょうね。

最近のスタイルはどうなのでしょうか。気になるところです。「今では、ラジオ記者もいないのでは?」確かに民放FM局では報道部門の記者を持たない局もあるようですがラジオ関西ではニュースでも、記者の現場レポートや県庁からの中継・報告などがありますね。「先日取材に同行した時は、MDのミニでした。」(井川先生)そうか、ラジオ局でもこのような大型の録音機材を使うことはもうないのですね。このようなスタイルのラジオ局の記者の写真も今となれば貴重なものになるようですね。

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