神戸新聞でラジオ関西の電話リクエストの記事が
11月4日(土)神戸新聞朝刊23面(地域ニュース)に、ラジオ関西の「電話リクエスト」についての記事がありました。
青空主義「ノスタル爺の懐かし写真館」に電話リクエストの全盛期である1964年(昭和39年)の電話リクエストの受付風景が掲載されています。
場所は須磨のラジオ関西ですが旧社屋でも2世代ほど前ではないかと思われる写真でした。黒電話(といっても後期に見られた600型ダイヤル式ではない!)が9台ほど写っており(おそらく1台は制御用か予備用)8台の電話に4人ずつ2列で向かい合った女性がボールペンでリクエストのメモを撮っておられます。会議室のように正面には黒板があり曲名がかけれていたりします。黒板の横には「77電話リクエスト」のポスターも写っている貴重なものですね。
なお77(セブンセブン)電話リクエストというのは、おそらく7時から開始するもので、7日間(1週間すべてが電話リクエスト)というものだったのではないかと思います。なお、ラジオ関西の50年史では当時の電話リクエストに関する資料も多く掲載されていますが、1日で受け付けるリクエスト電話の平均総数が書かれていますが8台の電話となると電話は当然ながらフル稼働ということになりますが、大阪支社でも電話受付がされていたのですが、大阪受付が神戸と同じ規模であり、当時の様子が伺えるものです。
なお、電話リクエストの第一次黄金期が終わるのは「FM大阪」が開局した年度、それも年度途中の5月頃に電話リクエストが土曜日のみに縮小(その土曜日担当がたしか三浦アナ)、その他の曜日は「ナマナマ大放送」という伝説のワイド番組で在阪局の「プロ野球阪神戦路線」に対抗します。
このようにFM放送が一般化されるまでの間、音楽放送もAM局が担ってきたのは事実でFM局も現在とは違った放送形態がありました。それはFM局の放送は当初「番組で流す音楽は雑誌であらかじめ公開される」もので、たとえば「恋はみずいろ・・ポールモールアグランドオーケストラ」というように曲名まで専門雑誌に載り、音楽ファンはエアチェックという放送録音を楽しんだ時代だったのです。FMではCR電話リクエストのような放送形態は当初行われなかったようでした。したがって電リク元祖のラジオ関西は70年代後半頃にも、再度「電話リクエスト」を復活します。音質での勝負ではなく電話リクエストというコンテンツに含まれた「独特のメッセージの交換」が売り物のようでした
森山かずみアナ、薗田涼子コンビはこの70年代後半の復活時のもので、「マリアリグレステイ・奥田博之アナ」というのはFM大阪開局前の時代の黄金コンビ、60年代では八木誠さんや大橋巨泉さんなど電話リクエストというとラジオ関西というのが定着していたようです。その後のラジオ関西午後7時代は「プロ野球巨人戦路線」に走るのですが、その前にはこのような「プロ野球中継以外での番組」により、大阪局と対抗していたのです。その影響で深刻な影響を受けたのが兵庫県のFM民放でしょう。大阪のFM局だけでなく兵庫のAM局と実質上競合することになりました。
電話リクエストもこの秋に一度復活したと思うと、金曜のばんばひろふみさんの番組でも11月3日に「電話リクエスト」を復活。そして今回の神戸新聞の記事です。これは「本格的復活」への一里塚と見るのは早計でしょうか。
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コメント
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「バンバン」は
メールでリクエストしてしまいました。
よく考えたら電話でリクエストって
チャンスは少ないのだから
電話でした方がよかったですね。
思い出にも残るし・・・(汗)
「名曲」は電話で挑戦しましたが
ずっと話し中でした。
次に電リクに挑戦する番組はどこかな?
ちなみに「逆」電リクならラジメニアで
数年に一度やっていますよ。
投稿: 仕事人のMASA | 2006年11月12日 (日) 02時55分
「ノスタル爺の懐かし写真館」
これ土曜日の神戸新聞の楽しみです。
改題する前のこのコーナーも含め
本にならないかな~
といつも思いますね。
もし発刊されたらすぐに購入したいです。
投稿: 仕事人のMASA | 2006年11月12日 (日) 02時59分
MASAさんいつもどうもです
「ノスタル爺の懐かし写真館」
確か、本になるようですよ。11月発売のはずですから・・私も購入しようと思っていますよ
神戸検定の本も入手、検定試験マニアの私はもちろん受験する予定ですよ(ただし、神戸新聞・ラジオ関西系の実施団体のもの)
投稿: 西川敏弘 | 2006年11月12日 (日) 23時42分