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2006年10月 8日 (日)

ミント神戸は大賑わい(ミントにどっと)

Mint 10月7日土曜日の午後、元町の大丸から三宮方面に向かい、ミント神戸に行きました。オープン最初の土曜日ということもありすごい人手でした。

この写真は10月8日(日)撮影ですが(土曜日はデジカメを持っていなかったので撮影はできず)、撮影場所はJR元町の東口で、東に向けて撮影したものです。この場所からですと道路の中央にある緑色の大きなビルがミント神戸で、神戸新聞の文字も確認できます。

さて、この現在のJR元町駅とJR三ノ宮駅はこの写真からも想像できるようほとんど距離が離れていません。本日はこの2つの駅の話題です

Motomati 昭和初期の神戸市の地図を見ると恐ろしいことがわかります。当時には、「現在の三ノ宮駅」には駅がなく、開業しておらず、「現在の元町駅の場所が、当時の三ノ宮駅だった」のです。阪神は元町までではなく、現在のフラワーロードを南下する形で、地上に「終点:三宮駅」を作っています。神戸市役所はもちろん現在の三宮フラワーロードの場所にはありません。

阪急電車は、現在の王子公園の少し西の「上筒井」が終点でした。上筒井から、布引・現在の新神戸を通る形で神戸市電が通っています。その後、阪急は高架で三宮へ乗り入れ、阪神は地下で三宮乗り入れを実現します。

こうして、阪神・阪急の三宮-梅田間を競う2つの電鉄会社は、球団・放送局をはじめいろいろな形でライバルになることはご存知のとおりですが、その両社も経営統合となることなんて予想もつかなかったことです。

さて、このように神戸を語る上で、三宮(JRは三ノ宮だが)は、昭和初期以後開けた街で、その三宮の由来は大丸の隣にある三宮神社が由来なので、現在の元町駅がさんのみや駅でも不自然は無いわけです。むしろ神戸新聞会館・ミント神戸の場所は三宮でも東側ともいえる場所です。

なお、神戸の繁華街の中心は戦前は新開地といわれましたが、新開地は湊川の改修工事・つけかえ工事で明治中期にできたものです。

それでは それまではどこが神戸の繁華街であったのか?

「湊川神社周辺」すなわち、神戸駅なのですね。このことは、初期の映画館は湊川神社付近にあり、火災や手狭になったことで広い場所=すなわち埋立地であった新開地への進出となったみたいです

ちなみに神戸放送の開局記念番組(昭和27年当時)でも新開地で行われ、開局5周年では、神戸新聞会館、その後KTVと密月時代はなんと大阪のサンケイホールが使われたり、阪急系列の西宮球場でラジオ関西のナイターコンサートなどが行われたりしています。

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コメント

サンテレビの「金曜いただき」で中継込みで紹介していました。一度神戸に来たときはぜひ行ってみたいです。(元町の高架下のレトロ物一杯の商店街にも久し振りに行ってみたいです。)

情報ありがとうございました。
金曜いただきは、ラジオ関西とも関係深い番組で、神戸情報も多い番組ですね
これからもよろしくお願いします

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