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2006年10月30日 (月)

サンテレビとラジオ関西ネタ

このブログを開設し1ヶ月以上がたち、リンク以外でどのような形でこのブログを訪問したかを調べますと意外にも「ミント神戸のディスプレイ」や「ミントビジョン」「さんちかタウン」「サンテレビ」「サンテレビ 生駒山」などが検索ワードの上位にあることがわかります。ミント神戸はホットな話題なのですがミントビジョンを扱うのは少なく、訪問のきっかけになったのではと思います。

またデジタル放送がはじまったものの、生駒山向けUHFデジタルアンテナのみではサンテレビ(送信所は神戸市の摩耶山にあり生駒ではない)が受信できないということからサンテレビのデジタル波受信方法を調べる方が多いという「心配」が現実になってきていると思います。

特に大阪府などでサンテレビのデジタル波を受信する場合「神戸・摩耶山向けデジタルUHFアンテナが別途必要ということは知らない人が多いのではと思います。サンテレビや神戸新聞グループの方は危機意識をもって欲しいと感じます。サンテレビはUHFアナログ時代、TV大阪より早く開局したこともあり阪神間のUHFはサンテレビ方向(摩耶山)を向いておりましたのでTV大阪開局時には、生駒向けUHFを新たに必要としましたのでサンテレビには有利に働きました。しかし今度は逆です。ほとんどの局は「生駒」でUHFデジタルを出す時代、サンテレビの立場は不利とも思います。おっさんテレビ路線もいいのですが「サンテレビデジタル受信ガイド」なども充実すべきです。このことは過去の放送の歴史から学ぶことと思います。

さて、本題ですが、さんちかビジョンシアターのあった場所について現在どうなっているのかと問いあわせが複数ありましたので現在の写真を紹介したいと思います。

Photo_16 さんちかインフォメーションの横、現在は店舗です。

ただし、柱の構造など当時の俤(おもかげ)も残っています

兵庫のまつり-ふれあいの祭典「工業教育フェア」

昨日(10/29)Photo_13は丹波市柏原町にある「丹波の森公苑」に行きました

兵庫のまつり-ふれあいの祭典で兵庫県高等学校工業教育フェアが行われており、ひさしぶりに早朝から福知山線の単線区間の乗車となりました。左の写真は篠山口駅で乗り換えた福知山行きワンマンカーの電車です。2両編成で手動ドアです。

篠山口駅も新しく綺麗でこんな駅だったのかと驚くことばかりです。

Photo_14 目的地である柏原(かいばら)駅は特急停車駅ですが、単線区間であり、列車の本数は多くありません。普段10分もすれば電車がくる生活の私にとって ひさびさのカルチャーショック?です。1時間以上待たねばならないとか、乗車券の金額以上の特急券を払うというのも少し抵抗があります。

この写真は、福知山方面行きの柏原駅ホームを撮影したものです。単線といえども特急停車駅ですから、規模も大きく風景そのものは想定の範囲です。問題は広告の看板です。画像をクリックすると拡大しますのでわかっていただけると思うのですが、この自動車教習所はなんと「市立自動車教習所」なのです。もちろん公立学校というカテゴリにはならないのでしょうけど「公立自動車学校」というのも私はあまり聞いたことも無いのですが、自動車を不可欠とする場所では行政サービスの一環として生活に必要な運転免許取得も支援の対象になるのでしょうね。おそらく、平成の大合併により小さな「ローカル色ある町」が「市」となった地域なのでしょうけど、こうやって「市立自動車教習所」という名称になったのだろうと思いました。これが駅に看板があるのも、ニーズに応えるもので「なるほどなあ」と思うところもありますが少し複雑です。

__1 工業教育フェアは、兵庫県下の工業科の置かれる工業高校、総合高校が、普段の授業の成果を発表したり、実習作品の展示実演なども各学校ごとのブースを展示しています。またロボットコンテストも行われます。

以前ラジオ関西の「てつやの爆談放送」でも姫路で行われた工業教育フェアを取材いただいていたようですが(決して私が操作したのでもなく偶然なのですよ)そのときには単独開催だったのですが、昨年からは兵庫のまつり-ふれあいの祭典の中で行われています。したがって「工業教育」を見ることを目的にした人のみでなく一般の方々と交流を図ることも大切になっています。私の勤務校でも小学生を対象とした工作教室をしています。ものづくりの楽しさを体験していただくということで結構好評です。写真は準備中のものですが「ポンポン船」を作って、実際に動かしてもらうためビニールプールをテント前に用意しています。

会場全体はこういう感じで、丹波の祭りに使われる山車が展示してありました。祭りの録音も流されていましたが「伊勢音頭」などはある程度、神戸東灘のものと共通したものがあることを見つけました。もしかすると丹波杜氏の里でもあるわけですから、そのことも関係があるのかもしれません。

Photo_15 画像を大きくしていただくと山車の展示が見えると思います。

なお、昨年の三木の会場ではラジオ関西がイベントを開催しておりましたので、三上アナウンサーなどにお会いできましたが今年はラジオ関西ネタは無かったように思います。

2006年10月22日 (日)

日本教育経営学会関西地区研究例会(準備会)

21日(土)、日本教育経営学会関西地区研究例会(準備会)が神戸元町にある兵庫教育大学大学院神戸サテライトで行われた。

第74回研究例会(平成15年)から中断してたため、準備会からの再スタートという。

兵庫教育大学大学院神戸サテライトとは、神戸の人には「パルモア学院」の中にあるといえば大体わかっていただけるし、私も存在は知っていた。このサテライトでは夜間授業が行われ、現職教員も多く受け入れている。というより現職教員を受け入れる教育大学の重要な施設であろう。ちょうどラジオ局のサテライトスタジオと同様、本部は交通の便が悪くサテライトは交通至便な場所にあるという意味でも良く似ている。

歴史あるパルモア学院は英語教育でも定評があるが私立専門学校(専修学校)。そこに国立の大学院が入居している構図である。訪問したのははじめてであるが、予想していたより大規模なものであるということがわかった。訪れたのは4階であるがフロア全部が兵庫教育大で、他の階にもあるようである。1つか2つの教室だけを借りているわけではなくコンピュータ室などいろいろな施設もある立派なものである。土曜日ということもあり、講義室では地域に開かれた教育問題に関する支援講座のようなものも行われていた。1階のパルモア学院の事務室を通るときだけが、パルモア学院に来ているのだと感じさせられるものであった。

研究例会の内容は1テーマ45分発表で、その後深く討議するというスタイルであり、非常に参考になるものであった。

発表者は兵庫教育大の武井助教授でテーマは「教育と格差社会」。現在の教育問題の中で注目されているものであり、特にキャリア教育との関係を問うもので、工業高校教員の私にはいろいろと考えさせられる問題であった。

教育経営学会は大学院の指導教授の推薦で入会し、修了後も引き続いているのであるが大学教員ばかりでなく、高校教員(校長ではなく)も参加されていたので少し安心をした気分である。放送大学大学院時代のゼミは教育開発コースということもあり、校長や指導主事の方が多く(中には教育長や教育委員会幹部の人まで)私のようなものは教育経営の実践も皆無、管理職経験者にはならず、場違いかなと思われる状況で参加していましたので、ある意味で変な度胸がつきました。そのようなことで、いろいろな学会や団体にも参加するようになっていますが多くは情報・知識収集の段階です。

2006年10月18日 (水)

1が月・1000アクセスのスタート

10月18日で、ここをはじめて丸1ヶ月になろうとしておりますがお蔭様で1000アクセスをこえることができました。

なにぶん「ラジオ関西ファン」のWEBサイトからしかリンクがない状態からのスタートでしたので従来のBBSの閲覧数からみればそれなりに移行できたのではないかと思います。

どうぞこれからもよろしくお願いします

それから、昨日コメントをいただきましたことについては、それぞれのコメント記事の下にコメントを入れさせていただいておりますのでよろしくお願いします。

2006年10月17日 (火)

姫路手柄山遊園地と姫路モノレール

Photo_10 先日、姫路の手柄山遊園地へ小学生の子を連れて行った。

神戸に住む私の周囲から「遊園地」というものがだんだん消えていったように感じる。私が子供のときには、甲子園の阪神パーク、阪急宝塚のファミリーランドがあり、そこには小さな子供が楽しめる空間があった。これらが整備されたのは高度成長期であり、須磨浦山上遊園には「ドレミファ噴水パレス」があり、ラジオ関西の近隣にあった須磨水族館にさえ大観覧車があった。もっとも須磨はラジオ関西はハーバーランドに平成8年に移転したが現在のラジオ関西付近に観覧車があり、ちょっとした遊び場はある。須磨浦山上も「ドレミファ噴水パレス」も無くなれば、「チェーンタワー」さえも撤去され遊具は少なくなり規模縮小観は否めない。

少し大人が遊べる高級な感じがしたポートピアランドも、閉鎖の憂き目となり現在では、神戸で「伝統的な子供の遊び場」は「王子動物園」ぐらいだろう。大阪も中小規模の遊園地が無くなる話も聞き寂しい次第である。

一方、姫路には遊べる施設がいまだ多く健在である。たとえば、姫路城の横にある姫路市の動物園には結構多くの遊具があり賑わっている。この手柄山遊園地も姫路市都市整備公社の経営であるが、なかなかユニークなものが多い。夏は市民プールとなるがプールと遊園地の境界線も無く、手柄山という自然を利用したアスレチックもある。プールの作りは私の子供時代お世話になった「新神戸大プール」(新神戸という名前であるが東灘区深江の埋立地にあった。震災で事実上営業がなくなった)と、そっくりな作りである。

ここが良いのは、どこにでもあるようなポピュラーな遊具が多くあり、それが安く提供されていることである。特に1300円で1日遊具のフリーパスが販売されているのがいいと思う。1回200円程度の乗り物でも7回乗れば元は取れるのであるが、幼児や小学生には良いがそれ以上の年齢では少し無理があるかなあ。ポートピアランドでは中高生や大人でも楽しめたが、ここはキッズのための遊園地という感じでそれも、高度成長期時代からある伝統的子供遊具が多く、懐かしささえ感じるものでした。

Photo_11 なお、姫路・手柄山というと忘れてはならないのが「姫路のモノレール」JR姫路駅付近から、この手柄山までの「足」として作られたようですが、現在はモノレールは廃止され、その区間に今もモノレールの高架が残っています。

そこで問題、下記の写真はある関西圏にあった遊園地の写真です。

どこかわかった方はコメントで回答してくださいね。写真撮影は2003年です。

Photo_12 観覧車がありますね。

2006年10月13日 (金)

ミント神戸の壁面のミントビジョン

Photo_8 左の画像は、三宮にあるミント神戸の壁面に設けられた「ミントビジョン」の画像です。この写真は、ポートライナーの三宮駅切符売り場付近から写したもので、この場所からは、デッキでそのまま繋がっています。というよりミント神戸は1階はバスターミナルであり2階からの入り口が正面入り口というべきものです。

地下には阪神百貨店が進出されていますが、阪神百貨店には地下通路が便利です。いずれにしても地上1階部分でやってきても2階へ回らなければ商業施設へは行きにくくなっています。すでにオープンから1週間が経過し、一時期ほどの大混雑こそありませんが平日昼間でも結構にぎわっています。

ミントビジョンについては、以前にも記事を書きましたが写真での紹介ができなかったので、改めて撮影してきました、写真はクリックすると大きくなりますが、ご覧いただいたらわかるよう、正面入り口の真上の壁面に設置されてあり、画像だけでなく、音響装置もあり結構の音量で放映されています。ただ、スピーカはどこにあるのかはまだ探しきれておりません。

Photo_9 また、サンチカタウンの夢広場前(JR三ノ宮駅の西出口にある交通センタービルから繋がるサンチカタウンの正面入り口といえる場所にあるエスカレータを降りたところ)にあるラジオ関西さんちかサテライトスタジオにも、このミントビジョンが設置されています。ただし、写真を比較してわかるよう、こちらは小型サイズのものになります。三宮付近には今のところこの2箇所2台ですが、神戸空港内でも、このミントビジョンが設置されているようです。

2006年10月12日 (木)

ラジ関君の中継アンテナ

Radikankunant これがラジオ関西中継車「ラジ関君」のアンテナです。

(写真はいつものようにクリックすると大きくなります)

ラジオ関西まつりで中継車そのものを写真に撮るひとはいても、アンテナまで注目する人はいないでしょうね。

このように、3エレメントの八木アンテナで輻射器部分は広帯域対応のループになっています。1/4波長アンテナですので、見るからにUHF帯です。

アンテナの取り付け方向が一般のテレビと違う縦型なのは垂直偏波(電磁波の電界面が垂直)方式です。

UHFで3エレメントというとアマチュア無線でも最低でも7エレメントを使いますので、このようなものでいいのかなあというのが正直な感想です。

というのは3エレメントでは利得がそれほど大きくなく、指向性もそれほど鋭くはありません。しかし良く考えるとラジ関君にはこのほうが都合がいいのかも知れません。というのは、この中継車は直接波で通信するものではなく、摩耶山などに設けられた中継装置を使うものであると思われるからです。指向性が鋭すぎるとアンテナを基地局に向けるのが難しいと思われるからです。また、ループ状のアンテナは広帯域をもたせるためと思いますが単一周波数免許であれば、特定の周波数でよくこのようなアンテナはなく、中継レピータ装置は2つ以上の周波数(上りと下り)を使用するためではないかと思いました。

あまりにもくわしくアンテナを眺めているのでスタッフの人に不審がられたりしました。

2006年10月11日 (水)

おもしろ神戸学(おもしろ神戸楽)のCD

Cd 左の写真は、先日のラジオ関西まつりで入手したCDのひとつで「ラジオ関西おもしろ神戸学(楽)VOL.1」のCDです。

内容は、ラジオ関西の主要番組内で放送されているものを収録したもので、今回の内容は田辺眞人先生(園田学園女子大教授)の担当のものばかりです。神戸新聞社・編集委員山崎整氏をはじめ多くの方が担当されており、7月の山崎整氏が担当された、夏の高校野球の入場行進曲の話題(もちろんBGMつき)のときは、思わずその曲が収録されたCDを探し購入したほどです。(このことについてはまた別途報告します)田辺先生は、神戸の歴史をあの流暢な話術で述べられるのですが、山崎先生のは音楽を多用されるので放送は可能でも、CDになるとその音楽を収録されるのはいろいろ大変ではないか(著作権のことはあまりくわしくないので)と思ったりしています。

さて、番組のアナウンスは田中さなえさんということはわかっていたのですが、あのテーマ音楽というかBGM?はピアニストの天宮遥(あまみやはるか)さんなのですね。現在はハーバーカフェの専属ピアニスト?として出演されておられますが、ラジオ関西でも結構DJ番組をもたれていました。古くは「天宮遥のうきうきピアノ??」とか芝政ワールドの番組もやっておられたのではと思います。

「天宮遥 神戸市出身。ピアニスト・オリジナルソングのほか60年代~ポップスや映画音楽をカバー」と紹介があり、ラジオ関西のリスナー好みでもあるなあと思いました。

このCDを見るまで天宮遥さんは雨宮遥とばかり思い込んでました。

http://www.amamiya.jp/

2006年10月 9日 (月)

ラジオ関西まつり

10月8日の午後、558radikankun_1 ラジオ関西まつりに行ってきました。

左の写真は、中継車「ラジ関君」会場であるメリケンパークから見て、本社ビル(ハーバーランド)は、西側になり、中継アンテナは西に向けているのかと思いきや、アンテナの方向は「摩耶山」の方向を向いていました。サンテレビを受信しているのではなく、サンテレビ送信所にレピータ基地局があるのではないかと思いました。

中継車の場合、本社の見える範囲での移動とは限らず、中継車からは摩耶山上でいったん受信し、それを別の周波数で本社に送信するのかと思います。

さて、今回はCDを多く購入できました。特筆すべきは「面白神戸学(楽)」の番組CDが開局55周年企画として一般販売されるようです。会場で1000円で購入しました。販売前で限定30セットでしたので将来値打ちが出るかも??CD1枚で15編あるのですが、実際の放送は多く、これらは順次発売していくということなので超大作のものになると思います。

なお、会場ではかなりのネタを収集しましたので今後、順を追ってこのブログで紹介します

H18cdrui 購入したCDやグッズ類。この写真だけで何かがわかればすごいと思います

レストイン須磨・須磨時代の局舎は

Sumacrh1810 ラジオ関西祭りの当日、なぜか須磨のラジオ関西の場所を訪問したくなりました。

スタジオのあった部分は、その後改修され、上層部は従来どおり住宅となり、1Fは商業施設となっていました。

びっくりしたのは、レストイン須磨だった部分。取り壊され駐車場になっていたと思っていましたが、なんと「120m超高層ビル」になるようです。

10080008 一瞬、ミント神戸のような商業・文化施設かと思いましたがガソリンスタンドと住居のようです。周囲を見渡しますと建設反対の看板が目立ちます。

しかし、工事はすでに始まっているようです。なお、建築計画のお知らせの看板を見る限りでは施主はラジオ関西や神戸新聞とは関係のないような感じを受けましたがくわしくはわかりません。少なくてもラジオ局やボーリング場などではないことは確かでしょう。

この地は、「兵庫県民間放送発祥の地」といえるものであり、顕彰碑の、記念碑のひとつぐらい欲しいと思うのは私だけでしょうか。

しかし120mというのはすごいなあ。阪神尼崎駅前の新タワービルが100mといいますが、それより高く須磨海岸という周囲にどうのようにマッチさせるのか興味あるところです。

しかし、別の面で見ると須磨の街はラジオ局がなくなって文化の灯がひとつ減ったようで寂しいですね。須磨にあう文化施設があればいいのにと思っていましたが・・。

2006年10月 8日 (日)

ミント神戸は大賑わい(ミントにどっと)

Mint 10月7日土曜日の午後、元町の大丸から三宮方面に向かい、ミント神戸に行きました。オープン最初の土曜日ということもありすごい人手でした。

この写真は10月8日(日)撮影ですが(土曜日はデジカメを持っていなかったので撮影はできず)、撮影場所はJR元町の東口で、東に向けて撮影したものです。この場所からですと道路の中央にある緑色の大きなビルがミント神戸で、神戸新聞の文字も確認できます。

さて、この現在のJR元町駅とJR三ノ宮駅はこの写真からも想像できるようほとんど距離が離れていません。本日はこの2つの駅の話題です

Motomati 昭和初期の神戸市の地図を見ると恐ろしいことがわかります。当時には、「現在の三ノ宮駅」には駅がなく、開業しておらず、「現在の元町駅の場所が、当時の三ノ宮駅だった」のです。阪神は元町までではなく、現在のフラワーロードを南下する形で、地上に「終点:三宮駅」を作っています。神戸市役所はもちろん現在の三宮フラワーロードの場所にはありません。

阪急電車は、現在の王子公園の少し西の「上筒井」が終点でした。上筒井から、布引・現在の新神戸を通る形で神戸市電が通っています。その後、阪急は高架で三宮へ乗り入れ、阪神は地下で三宮乗り入れを実現します。

こうして、阪神・阪急の三宮-梅田間を競う2つの電鉄会社は、球団・放送局をはじめいろいろな形でライバルになることはご存知のとおりですが、その両社も経営統合となることなんて予想もつかなかったことです。

さて、このように神戸を語る上で、三宮(JRは三ノ宮だが)は、昭和初期以後開けた街で、その三宮の由来は大丸の隣にある三宮神社が由来なので、現在の元町駅がさんのみや駅でも不自然は無いわけです。むしろ神戸新聞会館・ミント神戸の場所は三宮でも東側ともいえる場所です。

なお、神戸の繁華街の中心は戦前は新開地といわれましたが、新開地は湊川の改修工事・つけかえ工事で明治中期にできたものです。

それでは それまではどこが神戸の繁華街であったのか?

「湊川神社周辺」すなわち、神戸駅なのですね。このことは、初期の映画館は湊川神社付近にあり、火災や手狭になったことで広い場所=すなわち埋立地であった新開地への進出となったみたいです

ちなみに神戸放送の開局記念番組(昭和27年当時)でも新開地で行われ、開局5周年では、神戸新聞会館、その後KTVと密月時代はなんと大阪のサンケイホールが使われたり、阪急系列の西宮球場でラジオ関西のナイターコンサートなどが行われたりしています。

デジタル地上波とサンテレビ

最近、ラジオ関西とサンテレビの接近が感じられるようになった。たとえば金曜いただきとばんばひろふみさんの番組がラジオ・テレビ同時放送がされることがあったり、放送局CMの復活があること等である。

サンテレビは、関西地区におけるUHF民間放送開始時からの放送局であり、兵庫県の放送局として、生駒山より海抜も高く大阪湾を見通せる摩耶山から親局36chが10KWの電波を出している。大阪の局が生駒山から10kW(もちろんUHFとVHFの違いがある)でVHFは生駒にアンテナを向ける、UHFは神戸というのが大阪湾沿岸都市に広がったのは偶然ではない。テレビ大阪が無い時代、サンテレビは東京12ch・テレビ東京系の番組なども阪神間にネットするという機能もあった。歴史ある放送局がUHFアンテナを神戸に向けさせ、テレビ大阪開局のときには日本橋電気店ではテレビ大阪受信のためのアンテナ説明コーナーまで生まれた

しかし、今回地上デジタル化により、VHFは使用されずVHFアンテナではなくデジタル受信対応と称するUHFアンテナのみになる。それも、読売、毎日、朝日を受信するにはこのUHFアンテナを生駒に向ける必要がある。デジタル放送としてアンテナを買いなおす・工事しなおすのは送信所の位置方向の問題もあると見ている。

すなわち、神戸のサンテレビ(摩耶山の親局)を受信するには、サンテレビ用として別途アンテナ(それも同じUHFで)を立てなければならなくなる場合がほとんどである。サンテレビも「おっサンテレビ」路線もいいが、デジタル移行を迎え「デジタル放送サンテレビを受信する」キャンペーンを張らなければいけない時期にきているのではないかと思う。

現在は移行時期なのであるが、地上波デジタルのサンテレビは1kW(大阪の広域局は3KW)とすでに差がついており、サンテレビのWEBでも、受信可能地域が示されているが心細い感じである

http://www.sun-tv.co.jp/digital/gaiyo.html
コールサイン JOUH-DTV サンデジタルテレビジョン
□UHFチャンネル  26 (551.142857MHz)
□リモコン番号 3
□親局送信所 神戸親局(摩耶山上)
□送信出力 1kw
□開局 平成16年12月1日
□親局のエリア 161万世帯 (開局時124万世帯)

もちろん、アナログ局(10kW)が廃局になる時点では、電力の増加(放送局免許の空中線電力の増力。も検討課題にはなると思うが、問題は、兵庫県以外の人に、どれだけテレビアンテナを神戸に向けてもらえるかということになる。郵政省WEBでは、移行についてのアンテナや受信機の費用は個人負担である。これは当然としても、サンテレビが同じ通常のテレビ放送でありながら多くのアンテナが必要な放送局となるのは「送信所が摩耶」という物理的制約があるからである。しかし、生駒にサンテレビ送信所ができるかというとそのような訳にはいかないというのが現在のところであろう。

しかし、すでに大阪府、兵庫県をエリアとして親しまれ経営が成り立つサンテレビである。UHFの県域にとらわれず、この際サンテレビが広域免許になるようなことも考えてみればと思う。このことは、ラジオ関西も実質広域放送のようなもので同様であると思う。

ラジオは内臓アンテナで受信できるのでいいがテレビとなればそうはいかない。

2006年10月 6日 (金)

地方局の恐ろしき無線技術

サンテレビコンバータについては予想外に反響があり驚いております。(メールもいくつかいただきました)こちらからの返事につきましては、コメントの欄の続きにとうろくしておりますのでよろしくお願いします。

さて、放送技術のことについて、昨日のコメントにも載せておりますように、ラジオ関西、サンテレビとも放送電波を扱ううえで「兵庫県」の局としてかなりのご苦労をされたように伺えます。ラジオ関西については民間放送発足時の免許組であり、JOCRというコールサインは3番目に予備免許・コールサインの割り当てを受けたものです。(開局が3番目ではない)

JOAR名古屋、JOBR京都、JOCR神戸というように東京・大阪という大都市を無視したようにコールサインが発給されているのは東京・大阪という大都市では多くの開局申請があり、放送局の予定数は当然ありますので免許事業者を選定する絞り込むのに遅れたためであろうと思います。免許申請が早かったからCRになった訳ではないのですが、民間放送連盟発足時の伝統的放送局の地位を手に入れたことには間違いはありません。

しかし、大阪の放送局が受信できる神戸の地にあることから、大阪局との競合は避けることが出来ず、番組内容も特徴を出すことも当然として、無線技術・放送技術の面でも特徴を出してきます。神戸の放送局に割り当てられる周波数の変更、放送電力のパワーアップも他の地方局に見られない異例の扱いが認められてきたのも神戸が今の神戸以上に重要な都市だったからかもわかりませんが、TV局やFM局開局に熱意を示した神戸新聞の努力は見逃せません。

技術的には、須磨から淡路島への送信所移転など10KWへの増力のとき思い切った投資もされています。淡路島から送られる電波は海上伝播のため神戸市内はおろか、大阪湾沿岸都市には強力な電波を提供することが可能になっていたし、開局当時のパンフレットには、送信設備は「神戸工業」(現在の富士通テンらしい)製造とあり、その技術も神戸からだったことがわかります。

なお、サンテレビ開局では親局36CHが摩耶山・大阪向けビームが実現、さらに兵庫県の特徴である山間部など広範囲にわたる中継網など、新規参入放送事業者ではできないことを実現していました。

それができた理由は、神戸放送・ラジオ関西の放送技術者は、関西テレビ設立のときにもKTVへの出向や、技術研修受け入れなどを行っており、テレビ・ラジオの技術力を相当もっていたことが背景にあるようです。関西テレビの10周年記念誌P13でも「先輩局の協力で実務訓練」とNHK、TBS、CBCとCR(神戸放送)の4社を挙げ、編成制作から技術全般について数ヶ月にわたって実施された」と当時の神戸放送の技術力の高さが伺える内容となっています。

ラジオ関西と関西テレビは姻戚関係になりますが、その後UHFで各府県放送域の局が開局するとき、同じテレビ局の放送免許を2局もつことができないため、神戸新聞グループはKTVからサンテレビに移行します。東京では、ニッポン放送がフジテレビの株を大量に保有していることが、例の村上ファンド事件などでも明らかになりましたが、文化放送・ニッポン放送などはテレビ免許が与えられなかったラジオ局として株主としてフジテレビの経営に参画したのです。設立時関西テレビの副社長が、ラジオ関西社長が兼務していたことからもわかります。もし、サンテレビ間局が違った形になっておれば(開局がなければ)ラジオ関西と関西テレビの関係は違ったものになっていたはずです

2006年10月 5日 (木)

サンテレビコンバータという商品

私が以前持っていたユニークな商品のひとつに「サンテレビコンバータ」という商品がありました。神戸のDXアンテナが作っていたようです。

これは、VHFしかテレビが無い時代に、サンテレビというUHF局が開局したため、今までのテレビを買い換えずにサンテレビを見ようとした商品です。UHFアンテナをたて、36chの電波を受信します。(36ch神戸局の固定です)それを、VHF3chの電波に変換します。そしてテレビでは3chで受信することになります。まあいってみれば受信周波数変換機のようなものです。

サンテレビと「3」は語呂合わせがいいためか、その後チューナ設定ができるようになってもサンテレビは3で受信するということがはやっていました。

なおこの商品にはサンテレビのロゴマークがついていました。現代であれば、モデムやチューナは街で配るという商業作戦もありますが、当時はテレビ屋さんで購入、工事もしてもらうというものでした。

なお蛇足ながら、サンテレビのサンは太陽で、ひまわりのような(UHFアンテナ)が常に太陽の方を向いているという開局当時の画像があります

「太陽はひとつ」「みんなの太陽サンテレビジョン」、開局当初はラジオ関西から25名の社員が出向、創立時資本金3億1000万円で、ラジオ関西は5000万円を出資。同じ放送局として、サンテレビとラジオ関西はこのような関係で発足したのです。しかし、その前段階には、神戸放送時代にテレビ局免許申請を行い、その結果として「関西テレビ」発足にも参画していることから神戸放送(ラジオ関西)は結果として2つの「他の放送局」設立に中心的な役割を果たした局といえると思います。なお、くわしくは「ラジオ関西ファンWEBサイト」にある、「ラジオ関西ファン年表」を参照ください。

2006年10月 4日 (水)

再びサテスタのネタ(祝ミント神戸)

H17 左の画像は、平成17年5月に撮影したさんちかのサテライトスタジオです。現在は、リニューアルされて「ミントビジョン」(ミント神戸関係・・すなわち旧神戸新聞会館関係なのでグループであるサンテレビやラジ関のCMも流れている)が設置されています。あの画面はミントビジョンということは試験放映をしていたときにも画像の左側に書かれていたので知ってはいたのですが、なんのことやら気がつきませんでした。先日の神戸新聞によるとミント神戸、神戸空港、そしてこのサテスタで同じ内容が放映されているようなのです。すると、あのサンテレビやラジオ関西の番組宣伝も、ミント神戸のビルの壁面や、神戸空港のどこかで見ることができるのかと思いますが期待しましょう。

そのミント神戸も10月4日のオープン。事実上の神戸新聞会館の震災復興+αかなあ。いずれにしても神戸新聞グループの復興は喜ばしいものです。設けられたミント神戸のスタジオについてもどのようなものか興味あるところです。

Photo_7 左の画像は、良く問い合わせのある初代サテスタの場所の最近の様子です。(ただし撮影はH17年5月)場所は、今と違いフラワーロード西側の三宮センター街方面に行ける階段をおりたところでした。

当時は、生放送中は階段の途中までスタジオを見る人たちで一杯でした。現在は、このように店舗やキャッシュコーナーになっていますが以前の写真を見るとなんとなくおわかりいただけると思います。

なお、コメントをいただきました分については、そのコメントと同じページにこちらのコメントを記載しておりますのでよろしくお願いします。

2006年10月 2日 (月)

放送大学での研究発表

昨日、以前にも紹介した放送大学兵庫学習センター(神戸大学六甲キャンパス内)で行われた、新入生のつどいにあわせて実施された研究発表会に出た。修士は私のみであったが、学部の方々の方も熱心な研究成果発表であった。

当日は、私の元同僚教諭ともひさしぶりに再会できた。彼は、私と同じ工業教員で趣味もアマチュア無線家。博士号所有者でもある。放送大学へは、他教科免許取得のため入学したという。姫路のサテライト所属であるが、今回の案内書に私の名前を見つけ話を聞きにきたという。ありがたい話ではあるが・・。

発表時間を終え、ある学生の方からお声をかけていただいた。

わたしの発表は戦前の兵庫県の工業教育のテーマであるが、その方は、県立工業学校昭和13年入学の方で、技術士の資格をもち企業の技術顧問をされている方であった。私は、定時制の教諭であるが、全日制である県立兵庫工業高校の非常勤講師(現在は電子科の通信技術を担当、以前には情報技術科にも行っており10年以上にもなる)でもある。もっとも戦前は、昼間夜間とも同じ学校であった時代も長く、もちろん夜間課程のこともご存知であった。名刺を交換して雑談、いろいろなお話を伺えた。

戦前期の地方県立工業学校は、旧制県立中学と同様、地域での評価の高い学校であった。中等学校への進学率も低い時代「工業学校」はエリートであるといっても過言ではない。戦後の工業高校の多くは旧制工業学校からの移行が多いが、進学率の上昇や工業高専の誕生での地位低下もあったが、戦後の復興、高度成長期は工業によって行われ、これを支えた方々が学生として放送大学に学ばれていることも多く、このようなことも不思議な縁を感じるものであった。今後の自分自身への励みとしたい。

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