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2006年9月30日 (土)

賞状

Jocr 趣味のアマチュア無線では、社団法人日本アマチュア無線連盟に加入していますが、以前には、この日本アマチュア無線連盟の兵庫県支部の支部大会というと須磨のラジオ関西ホールで行ったり、また、支部大会の司会者というとラジオ関西のアナウンサーにきていただいたことを思い出します。

確か、前田たかしアナウンサーは、アマチュア無線家で、司会のときコールサインもおっしゃっておられたと思います。また、アナウンサー以外でも多くのアマチュア無線関係者がおられました

70年代の代表的番組である、ラジオ関西ナマナマ大放送では、月曜日には、アマチュア無線家である「藤村有弘」が登場、アマチュア無線家(多くは学生)をスタジオに招待するというコーナーさえありました。アマチュアバンドのCQ呼出なんかも効果音に使われ、一緒に番組をされていた矢野泰三アナに(いろいろなコールサインが出てくるので)「なお、この放送はJOCRです。というのを良く聞いたものです。

藤村有弘氏というと、NHK-TV「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョ役の声優としても知られますが、70年代のその頃の番組は現在のアニラジというような雰囲気ではなく、もっぱら俳優・藤村有弘として、趣味のアマチュア無線なども大きく取り入れた番組というべきもので、当時の神戸のアマチュア無線家・またその予備軍には幅広い人気がありました。

なお、この数年前にもアマチュア無線家の長谷川氏による、ラジオ関西の番組がアイコムという大阪の無線機器メーカー(上場企業)の提供のものがありました。このようにラジオ関西は地域のアマチュア無線家にとっても特別な思い入れがある存在だったのです。

2006年9月29日 (金)

須磨のラジオ関西ビル

Photo_5 左の写真は、今はもうみることのできない須磨時代の「ラジオ関西ビル」の写真です。国道2号線側からですと、おなじみレストイン須磨の須磨ボウルのボーリングのピンを使ったボーリング場の看板が有名ですが、この写真は裏手の駐車場から見た様子です。なお、レストイン須磨のおなじみの写真も1つお見せしましょう。歩道橋もありわかりやすいところです。

Photo_6 なお、この場所には旧神戸市電が走っており、「衣掛町」停留所もあったことから、かなりこの市電写真集でもラジオ関西の旧本社ビルが写っており、この変遷もわかってきます。

2006年9月28日 (木)

ラジオ関西電話リクエストとサテスタ

Photo_4 左の写真は、昭和44年ごろのもので、場所はさんちかサテライトスタジオ。

番組はなんと「電話リクエスト」。当時のラジオ関西は、プロ野球中継はせず7×7(セブン・セブン)電話リクエストつまり、毎日が電話リクエストという時代でした。電話リクエストは、通常須磨の本社スタジオを中心に「大阪スタジオ」でも電話受付したり、大阪スタジオと結んで2元放送をしていたようです。また、この写真のように、さんちかサテスタでも公開放送をやることもあったようですが、この写真のようにあらかじめいくつかの曲を用意し、そのなかでリクエストを募るというやりかたのようです。(あれっ・・このやりかたは昨今のインターネットでもやっていた方式と良く似ている。)

通常の電話リクエストでは、曲の制限は無くメッセージもあわせて読まれる方式でした。「東灘の西川さんから灘区の○○さんへ・・聞いていますか?」というような感じでした。リクエストもひどいものになると「オープニングナンバーにリクエストします」という訳のわからないものまであったり、まあとにかくすごい番組でした。指が覚えている733-0123(731-4321というのもあったと思うが)六(一時期8?)台もあるといわれた電話もかからず電話すると音声合成で「ただいまラジオ関西へのお電話は繋がりにくくなっています」というメッセージもあったりして、今では信じられない(失礼)ウルトラ番組でした。なお、この写真も、井川宏之さまから提供いただいたものです。ありがとうございました。

なお、スタジオに張り出された模造紙の曲名で抹消されているのは、採用されたという意味。なお男性DJの後には番組デイレクター。当時のラジオ関西では1日に3回以上定期番組があり、サテスタの担当の制作部員の方がおられたようです。

2006年9月26日 (火)

放送大学兵庫学習センターから国語免許の証明書が届く

Photo_3 放送大学大学院については平成14年の授業開始時から学んだが、当初は修士科目生として「専修免許取得」を目的とした学習であった。正規の大学院生になったのは平成16年4月からであり4年以上の年月が経過した。

それと同時に、学部科目を「科目別履修生」として単位取得在籍できるので(放送大学では2重学籍とはならない。ただし大学院が修士全科生の場合、学部の全科履修生の組み合わせは不可)学部でも120単位近く取得でき、教員免許についても、商業、数学、養護学校などの専門科目の単位を取得していた。今回9月の第1学期(前期)の成績発表で「高等学校国語科教諭1種」の専門単位も取得できたので教員免許状用の単位取得証明書の発行を依頼していたのであるが、昨日その書類を受け取ることができた。

放送大学では、教育職員検定による免許申請は可能であるが、免許申請に必要な教科教育法は他の大学で取得しなければならない。私は、商業については大阪学院大学の通信教育、数学については今年度より開設された佛教大学で教科教育法を取得した。国語についても他の大学で取得することが必要になる。

まあ、これで高等学校については ※注1、地歴・公民、数学※注2、工業、商業、情報とかなり揃ったと思う。これで理科と英語が揃うといいのだが、理科は実験実習と理科教育法が難所、英語に至ってはおそらく最後に回すことになるのではと思う。

注1:国語は専門のみ完成。国語科教育法は取得計画中の段階である

注2:数学も専門教科全部を取得、数学科教育法8単位合格、証明書発行可能時期の時間待ち

注3:地歴・公民・工業・商業・情報は専修免許状を取得済み

国語、数学とも1種免許取得後、専修免許の申請は可能な大学院での履修・単位取得状態である

高速バスの中から撮影したラジオ関西送信所

Crant この画像は、おなじみラジオ関西の神戸局(558kHz)のアンテナタワーです。ただし、撮影は高速バスの車内からのもの。この2年間は放送大学大学院の論文指導いただいていた先生が鳴門教育大学の教授でしたので、結構高速バスを利用していました。舞子からですと1時間ぐらいで高速鳴門に行けますのでラジオで受信状態を確認したり、車内からタワーを撮影していました。

ただ、いつも行くときには雨の日ばかりで、この日もうまく撮影できませんでした。鳴門教育大でもラジオ関西受信を試みたのですが、不思議なぐらい電波が弱く感じます。放送大学本部のある千葉市ではラジオ関西は結構届いています。もちろん千葉ですと夜間の電離層波でしょうけど、浜松あたりですと1日中聞こえていたことを考えますと淡路島島内でも受信しにくい場所があることは不思議です。

そういえば、神戸市内でもビル街ではうまく受信できないことも多いようです。テレビですとビル建設等での難聴は大問題になりますがラジオは誰も騒がず甘いのかもしれませんね。私はAM局でもFMでの中継局の設置、もしくはデジタル放送のサイマル放送を早く実現して欲しいと思っています。

2006年9月23日 (土)

初代サテスタを詳しく扱った本

初代サテスタのことを詳しく書いた本がありましたのでご紹介します。

その本には、開設当時の写真は勿論、なんとサテスタの平面図まで載っています。

写真についても、客席側からはもちろん、内部から客席に向かって撮影したものまで掲載されており、興味ある方はぜひご覧いただきたい書籍です。

書籍の名称は 『三宮地下街 さんちかタウン2期拡張工事』

編集発行者は 地下街誌刊行会

出版年は 昭和43年10月1日発行

13頁には「サテライトスタジオ」という項目が設けられ、スタジオの平面図が載っています。

以前から不思議であった「初代サテスタの出入り口」の位置や、スタジオの奥にある「控え室」(ほぼスタジオと同じぐらいの広さ)の様子も伺えます。

今までも、写真で紹介していますように初代「金魚蜂スタジオ」は、結構大勢の出演者が入れるものでしたが、さらにそれと同じぐらいの控え室があることなど、現在よりかなり贅沢だったことがわかります。

また、スタジオの前には数列椅子が用意されているのですが、放送中は「黒山の人だかり」でした

なおこの書籍は兵庫県立図書館(明石市)の郷土資料室で閲覧できます。もちろんコピーも著作権法の範囲で入手可能です

2006年9月22日 (金)

井川宏之先生の写真が切手に

ラジオ関西ファンの表紙写真、そしてこのブログでもご紹介しております写真をご提供いただいております神戸在住のプロカメラマン・井川宏之様の作品が切手になっているようです

http://www.japanpost.jp/pressrelease/s09/pr130727-1.htm

ご参考までにお知らせします

1970年須磨の本社スタジオと現在

19702 これは1970年撮影の当時のラジオ関西本社スタジオ。

(撮影・写真提供は井川宏之様。)

写っている男性は、おそらく奥田博之アナウンサー

副調整室の雰囲気からすると、私が見学したスタジオより小さい感じです。

1970年ですと、ちょうど旧ラジオ関西のビルに移行しようとする時代ではないかと思います

なお、ラジオ関西は平成8年8月8日以降は、ハーバーランドの新社屋からの放送ですから、今年は須磨から離れて10年という年になるのですね

Tetsuyaなお、おなじみ左記の写真は、現在の本社703スタジオ。

写っているのは 爆談放送のてつやさんと岡本千恵子さん。

2006年9月21日 (木)

サテスタ考

この数日、さんちかのサテスタを外観を中心に見てきたわけですが、ここからは例によって技術的なことも合わせて考えて見ましょう

サテスタ・サテライトスタジオとは衛星スタジオ、すなわちラジオ局本社スタジオではなく、デパートなど都市首部の商業施設など多くの人が集まる場所に設けられたスタジオでそこから公開放送を行うものです。高度成長期は放送といえばテレビになりますが大手ラジオ局は、百貨店・商業施設での公開番組・公開録音が全盛となります。在阪局でもMBSは梅田阪神百貨店内にあった松下電器のショールーム、ABCでは「ポップ対歌謡曲」などが日産のギャラリーからの中継、OBCも梅田・桜橋のビル1Fにサテスタがありました。地方でも同様で例えば広島では中国放送ラジオでは「柏村武昭のサテライトナンバーワン」という家電のダイイチ(現在のデオデオ)から放送され、これはダイイチの商圏である山陰放送や山口放送など数局にネットされ、局アナであった柏村武昭はオールナイト日本にも進出、後には国会議員にもなられました。

神戸・ラジオ関西でもさんちかサテスタでの放送は1日3回以上あり、さらに「姫路ヤマトヤシキ」「神戸大丸ベッコスクエア」「ファッションパーク」などでも公開録音番組があり、神戸そごうも多くの番組やイベントをやっていました

なお、地下街にラジオ局のスタジオを設けるというのは全国初で振動音や温度管理など問題もあったようです。

また須磨時代ラジオ関西本社1階にはラジオ関西ホール(CRホール)があり、ここでも公開放送が多くありました。この場所はサウンド5といっていた時代もありました。

1970

そして現在のさんちかのサテスタ

Photo_2 これは現在のさんちか夢広場にあるラジオ関西さんちかスタジオ(サテスタ)です。

この写真は、リニューアルオープンの日に撮影したものです。

この日は金曜のバンバンの特別番組が午後1時から夢広場の特設スタジオで行われ、サテスタは正午過ぎから通常番組も行われていました。

さんちかスタジオは、通常大型画面が設置されていますが、スタジオとして使用されるときは大型デイスプレイが隠されスタジオ内部をみることができます。この日は金曜日でしたので担当DJは岡本千恵子さん(この日は赤い服装),この日は元CR・サテスタデイレクターのYさんもひさしぶりにお顔を拝見したものです。なおこの写真は私、西川敏弘の撮影です

2006年9月20日 (水)

初代ラジオ関西さんちかサテスタ

Photo_1 初代さんちかサテスタのカラー写真です

金魚鉢という意味わかりましたか?

撮影・写真提供 井川宏之様

井川宏之様は神戸在住のプロのカメラマンです。

2006年9月19日 (火)

震災前の夢広場・現在のサテスタは

Santika1 この写真は、おなじみ夢広場。ただし震災前の写真であり現在のサテスタの場所(写真左奥)に注意。

画像をクリックして大きくしていただくとわかりますが、この場所はスタジオではなくCRTデイスプレイ装置が設置されていることがわかります。サテスタであるビジョンシアターは現在のさんちかインフォメーションのところにある結構広いスペースでした。(このことは昨日の記事を参考にしてください)震災後、さんちかビジョンシアター閉鎖に伴い、この場所にサテスタが移転してきたわけですね

(写真提供:井川宏之様)

2006年9月18日 (月)

さんちかビジョンシアター

Santika2 私のWEBページのなかでも「ラジオ関西ファン」は独特の読者層をもつWEBと思っています。特に、昔の神戸(といってもそれほど古くない高度成長期)をなつかしく思うラジオファンにはそれなりの評価をいただいていると思います

今回はさんちかのサテスタの話です

サテスタは昨年リニューアルされましたが、設置場所もかわらず、それほど大きな変更ではなく、過去のサテスタといえば私の知る限りでは次の3つになります

1)初代サテスタ さんちかの2期工事のときにできた「金魚蜂」スタイルのスタジオ

ラジオ関西ファンのトップページ写真でも紹介したものです

この時代は、公開放送が無いときにはスピーカーからCRの放送が流れていました

2)さんちかビジョンシアター時代

今回紹介するものです。現在のさんちかインフォメーションの横にありました

さんちかビジョンという写真のようなオープンスタジオがあり、テレビカメラで撮影されたスタジオ画像は 現在のサテスタのところと、国際会館のところに2つの巨大なモニターがありスタジオの中継がされていました。現在のサテスタはなんとそのテレビモニターが設置されていた場所のひとつなんですね

3)震災直後、ビジョンシアターから現在の夢広場に

当初はあそこで「しましまんず」や「二丁拳銃」などのお笑いタレントが昼の番組をやっていましたが さすがに狭そうでした。

なお、今回の画像も井川宏之さんからいただきました。ありがとうございました

放送大学大学院の修士論文

Gakui 平成14年、放送大学大学院が授業開始し、職業資格の取得(高等学校教諭専修免許状)を目的として修士科目生として入学したが、この分野の魅力にはまってしまい、各種教員免許はおろか、修士課程修了に必要な単位も取得し、平成16年4月から正規の学生である修士全科生(教育開発プログラム)で指導を受け、この18年3月に無事修了することができた。

放送大学大学院時代では、放送大学の授業も別に受講でき、さまざまな資格を得ることが出来た。専修免許状(工業・商業・地歴・公民・情報)のほか、数学科や国語科の専門教科全部、学芸員の資格も取得できる有意義な4年間であった。(今年の4月以後は、佛教大で数学科教育法を履修取得し、中学1種と高校1種・専修を申請できるようになった)

放送大では、引き続き学部科目で、理科などを挑戦中である。そのようなことから今でも「放送大学 兵庫学習センター(神戸大学内)」には良く足を運び、何かとお世話になっている。このようなことからすっかりWEBでの活動が遠ざかってしまっていた。

先日、兵庫学習センター所長の桝見和孝先生(神戸大学名誉教授)から依頼があり学習センターで、在学生に対し研究の話をして欲しいということで引き受けることになった。学習センターでは同窓会組織を発足したようで、卒業生だけでなく在校生を含む「通信教育学習会的な組織」をめざしているようである。発表者は修士課程では私だけであるようだが、時間の関係もあり研究内容の詳細より、多くの人が気になる通信制放送大学大学院の指導内容について重点を置き発表する予定である。

日時:平成18年10月1日(日) 「放送大学入学者の集い」の 午後の部

場所:神戸大学 六甲台キャンパス内 放送大学兵庫学習センター

 市バス「神戸大正門前」下車

研究名は「兵庫県における中等工業学校組織の歴史的考察」

なお 内容は平成17年度審査合格の修士論文のものである

指導担当教員 

*指導責任者は放送大学新井郁男教授(当時)。先生は上越教育大学名誉教授(元副学長)で教育経営論を専門とされ、現在教育社会学会長です。

 また、指導担当者は鳴門教育大学教授(学校改善講座)の佐竹勝利先生で、教育組織論を専門とされ、「工業高校の学科組織」を研究する目的にあう国立大学の現役教授に指導をいただける幸運な2年間でした。

徳島(鳴門教育大)、東京(筑波大・大塚キャンパス内)、千葉(放送大本部・国立メデイア教育センター内)、神戸(放送大兵庫学習センター・神戸大学内)と、通信制とはいえ、2~3ヶ月に一度は、これらの施設に通い試験を受け、発表会や指導を受けました。

放送大学は国立大学、NHK等と連携した特殊な大学(放送大学法により設立された国策大学)であり、私は大学院3期生となります。

今後は、地方工業教育史や教育社会学分野をライフワークとして細々と研究を続けたいと考えております。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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