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新年の話題はおめでたいラジオ関西のワイドFM局開局の動きから
予想どおり神戸市と姫路市にワイドFMが誕生する見込みです
ラジオ関西に91.1MHZ FM電波 総務省が割り当てか
(AM放送の電波障害等に関するFM中継局 中波放送に係る補完中継局)
ラジオ関西が昭和40年代プロ野球の中継から電話リクエスト路線への変換の背景
全国ネットが無い時代 他局に対抗してプロ野球中継を推進した時代(1964年社報JOCRNO.7より)
昭和39年は東京オリンピックの年であったが、当時のラジオ関西は積極的なオリンピック中継をするため神戸の本社以外に東京支社にも制作部門を設け独自の中継をやっていた様子が伺える。それ以外にも当時のラジオ関西は自社の制作したプロ野球中継のネットを増やそうと努力した形跡があった。
そのまえに、当時のラジオネットの特殊性を述べたい。
というのも現在のラジオネットはTBS系列のJRNとニッポン放送・文化放送系列のNRNがあるが、この設立は、驚くことにテレビのJNNネットより遅く作られている。(JNNは昭和34年)
JRN、NRNが共に昭和40年5月(JRNが5月2日、NRNが5月3日)である。それまでは、プロ野球の球場所在地を中心としたラジオネットがあったようだ。
FOLネットというのは、ネット局のコールサイン(RKBのJOFR、MBSのJOOR、LFのJOLF)をあらわしJNN系列というのは、テレビでのネットであるがTBSを中心とし、当時のABC、CBC,RKB、後に北海道HBCもちろんテレビがメインであるが、これらはラジオ・テレビ共営が多くそのままラジオにも適用できた。
ラジオ関西は関西テレビを設立しているが、この関西テレビはFNN、FNS系列だ。
フジサンケイグループのフジテレビはニッポン放送が設立したため大株主であった。
こちらはフジテレビ(CX)、東海テレビ(THK)、関西テレビ(KTV)、九州朝日放送(KBC)その後(テレビ西日本)からスタート
ほかに、日本テレビ系列のNNNがあるが、民間放送テレビの日本テレビの系列なので結果として中波ラジオ局として始まったラジオ・テレビ兼営の老舗局の加盟が多い
関西地区は読売テレビである。関東・関西の局は当初ラジオ局をもたなかったが、ラジオ関東が日本テレビ系列になってからRFラジオ日本となり、後日関西地区のネットは
ラジオ関西になったため、ラジオ関西は独立局といいながら1980年代このRFネット加盟になった。
実は、ラジオ神戸はプロ野球をわが国最初にした放送局であり、当時関西にはプロ野球の本拠地が多く 関西テレビ開局に阪急電鉄とは深い関係になtっていた。
そのような関係もありラジオ関西は当時から西宮球場の放送ブースを所有していた関係でパリーグの中継を多く取り入れていた。
阪神戦は他の大阪局との競争が激しく阪神戦も中継するものの、サンテレビのようなタイガース戦の中心とはならず、阪急や南海、近鉄という在阪チームの中継が多かった。
昭和39年というのはいみじくも、NRN、JRN発足の前年のこの年、ラジオ関西は各地の放送局に対しネット強化という営業活動をしていくということを社報JOCRで述べている。
このときラジオ関西とプロ野球中継の番組交換をしていた局は 当初 ラジオ関東であった。
このことはラジオ関西の60周年記念番組で奥田博之氏が島ひろみアナウンサーとの交流を話しておられることからも伺えた。
写真にあるSFとはJOSF東海ラジオのことである。この局のテレビ東海テレビもラジオ関西、近畿放送と関西テレビの関係の中部地方バージョンと見ていいぐらいだ。
KBCは九州朝日放送 RKBはRKB毎日放送 九州のこの局とは西鉄戦の販売ではないかと想像できる。
NNNのテレビ中継が巨人軍の人気 関西では1970年代サンテレビの中継でセリーグに人気が偏ることがみられたが1950年台においてはパリーグの健闘もあった。
この日本のラジオネットワークの誕生により、ラジオ関西のプロ野球中継はやらなくなり、シーズンオフの番組であった人気番組「電話リクエスト」が毎日7時から月曜から日曜の7日間 午後7時スタート 7×7電話リクエストはこのような背景で発足したのであった。
一方 ラジオ関西のプロ野球中継技術は サンテレビのプロ野球中継陣に受け継がれます。サンテレビ開局にはラジオ関西から25名とも30名とも言われる大勢の制作部門の社員が出向・移籍になりました。プロ野球の開始から終了までの放送スタイルはラジオ関西スタイルでした。サンテレビ第一号アナウンサーの松島武雄さんはラジオ関西60周年の開局番組でそのことを述べておられます。くわしくはバックナンバーをごらんください
桂米朝さんがお亡くなりになられたという報道を聞いた。
ひとつの時代が過ぎたのでしょうね。謹んでお悔やみ申し上げます。私の周囲には熱狂的ファンもおられますが…何とも残念でしょうね。
神戸新聞のWEBをみていくうち桂米朝師匠が
開局当時のラジオ神戸で「神戸寄席」という番組を持っておられたということに気がついた。米朝師匠はラジオ関西50年史でも「私とラジオ関西」というコラムに寄稿している。姫路に育った人なのでラジオ神戸開局には思いいれもあったのだろうなと思う
昭和32年6月10日(月)のラジオ欄 テレビよりラジオの番組表が大きい時代
ラジオ神戸 午後8時30分から「神戸寄席」桂米朝さんなどが出演
このときラジオ大阪は未開局 ライバルは 新日本1210 朝日1010 NHK670/830しかない時代 ラジオ神戸はそれなりに存在感があった
FaceBookの運用をしています。
こちらは一日に必ず1回以上発言を続けています
興味ありましたらぜひご参加ください
写真コンテストや市展・県展・雑誌のことは下記で記入しています
これは私(西川)の勤務する定時制工業高校の話題なのですが・・
ラジオ関西の夕方のニュース番組「時間です林編集長」に出演させていただきました
内容は 県立神戸工業高校 情報技術科生徒である中原君がジュニアマイスターゴールド賞を受賞したのですが(このことは神戸新聞で紹介)今回卒業に際し、全国工業高等学校長協会の特別賞を受賞したことを紹介いただきました。
県立神戸工業高校長の中谷先生、そして学科長の私が出演しています。
働きながらITパスポート、基本情報技術者、情報技術検定1級、計算技術検定1級など在学中多くの資格取得が評価されたものです。
番組は3月4日18時34分から18時51分ぐらいに放送されました。
番組ブログによりますとポッドキャストで放送内容が配信されるみたいです。
興味がございましたらぜひお聞きください。
サンテレビ45年史を読んだ
予想はしていたがラジオ関西社史テレビ編のイメージだ
設立時 制作部門 はラジオ関西から
管理営業、報道には神戸新聞から出向 そしてプロパー社員と3種類の社員が存在した。サンテレビ社史では30名のラジオ関西からの出向があったという。ラジオ関西社史では25名という数字を見たが 最終的にはこの数字に膨れ上がったのだろう。圧巻だったのはOB座談会、松島アナや電話リクエスト物語の著者である神栄さんほかCR関係者がズラリ。サンテレビのプロ野球中継はラジオ関西方式。当時のラジオ中継は試合終了までというのはNRNネットワーク発足前には複雑化しスポンサつきハコモノ番組がありラジオでも試合終了まではできていなかった。これをネットワークのシガラミの無いサンテレビが目をつけた。ラジオ関西の財産は歌と野球だったと言い切っている。このような社史はめずらしい。それもそのはずサンテレビの社長はラジオ関西と同じ田中社長で専務もラジオ関西から着た関口寿一氏だった。
サンテレビでのラジオ関西CM 1985
紀平真理さん、森山かずみさんや若宮ていこさんが出ている
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